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No.528【キャプテンマーク】

 「キャプテン」の単語はちょいバレで40回近く使われました。それらの記事を改めて読み直すと、このたった布一枚のアンダーライン(キャプテンマーク)。。。このラインがみんなを支えるボートや建造物の基礎のようにも見えれば、重り(文鎮)のようにも見えます。
 心許ない人、想像が至らない人、不安をそのラインの上に乗せてスタートを切ることがほとんどでしょう。そうでなければいけないとも思います。言わずもがな、慢心のリーダーはコミュニティーを破壊してしまいます。
 アンダーラインをつけたら深く考えなくてはなりません。なぜ自分なのか。なぜみんなは自分を推したのか。監督や顧問はなぜ自分を。自分はなぜ承諾(立候補)したのか。どんなチームを目指すのか。それは、自分が?チームとして? 目指す目的へのロードマップは? 挑む姿勢は?
 「不安だけどだれかがやらなきゃならなかったから引き受けた」なんて逃げ口上をポッケのどこかにしのばせているようでは、チームとしての思考と自分自身が至っていないと言わざるを得ません。
 覚悟が必要です。妥協しない目的をもつ覚悟、逃げ出さない覚悟、仲が悪くなることを避けるために判断を妥協してしまわない覚悟、常に自分と向き合う覚悟。本当の楽しさは、自分たちのバレーを本気で追求した先にあるんじゃないかな。一生懸命、ぶつかったり理解しあったり、思いっきりそれができるのが青春。言っておきますが、自分たちのバレーの前に「自分のバレー」がなければ話になりません。真っ先にそれを考えるのも、アンダーラインの責任。でなければ、一緒に練習してくれる仲間に残念な時間を過ごさせてしますことになりかねません。
 羽のような布一枚のアンダーライン、重さは1トン。

No.529【人と比べない4つの状況】 

 昨今(もうずいぶん前からですが)、運動会で順位を決めることをやめました。自分の設定した到達点に一番近い人が優勝形式のコンペ。等々自分なりの評価で肯定感をもち納得することで傷つかず、傷つけず、全てが柔和に効果的におさまりをつけた、みたいな風潮が漂っています。時と場合によってはそれは奏功します。でも見誤ってはいけません。
 「人と比べない状況」を4つ紹介します(当然、他にもあります)。
(1)今自分がいる位置を肯定したい。
 比べちゃうと、自分のいる位置が後ろだったり低かったりすることに気付くことを避けたい場合です。明らかに手が届きそうな安パイな目標を掲げてやり遂げて、後ろめたさの残る満足感を得る場合もこれに当たります。
(2)チャレンジの初期段階である場合。
 比べようのない差がある場合は、ライバルとして比べるのではなく、参考にすべき対象であることから、差に落ち込む必要がないからです。
(3)自分にしか成し得ない個性を生かす場面に挑んでいること。
 未開拓の領域、
(4)明らかにチャレンジできる環境にないこと。
 災害などの場合です。ただし、創意工夫やアプローチについて前向きであるならば、その主体性に自信をもつべきです。
 勇気をもって比べて見ましょう。自分を見る目が確かになります。どう考えたら前に進めるかを考えるようになりますし、そうすべきであることを知るようになります。逃げるよりグレートです。

No.530【応援の美学】

  個人的には、極めて個人的な理念です。ここから記載する内容は、反対意見も多いと思います。また、うんうんその通りと言いつつもビジョンは違っていたりする方がおられることも想定されます。それは試合会場で目の当たりにします。
 一糸乱れぬ完成された応援。応援歌、リズム、打楽、メガホンを使った大人が主体の大声援。会場を圧倒します。私は違和感を覚えます。仮に、それを子どもがリードし、マネージメントし、コントロールして行っているのであれば全く話は別です。
 試合をするのは子どもたちです。試合に至るまでの懸命な積み重ね。もちろん、保護者や支援者は多大な貢献をしてきましたし、かかわってきてくださったことは事実です。でも、小学生の子どもたちは、ほんの些細なことに泣き、ちょっとしたことで達成感を得、とてつもなくフラフラしながら小さな手漕ぎの船を手に豆をつくりながら立派にその場にこぎつけたチームです。それは、たとえ対戦相手であっても尊敬に値するし、子ども相手であっても大人にはできないような道を歩んできた子たちも多いはずです。
 それを、大人の応援の威圧感で突き倒さんばかりの応援には、私は賛成できません。きっと、自分たちのチームには背中を押す追い風なのでしょうが、いつしか忘れてしまっている、馴化してしまっている大切なものがあるように思えてなりません。
 子どもたちが、ともに歩んできたチームメイトや先輩を思い浮かべながら考えた応援方法と内容、それを子どもたちが発現する。そこに感化された応援者たちが背中を押すのが本筋、特に小学生スポーツにおいては。と私見です。もちろん、その道程を紡いできたチームであれば、おのずと対戦チームへの敬意を応援の美学によって伝えることができるはずです。

No.531【悪あがきのススメ】 

​ 夏休みの宿題、遊びすぎて最後の数日でひっしこいてやる。気が付けばもう〆切のレポートのやっつけ仕事。一夜漬けの試験勉強。これらには共通の、私は認めない類の「悪あがき」に該当する要素があります。あります? 「無い」ものがある? 何を言ってるんだ?
試合の3.4日前にこんなことをいいました。「試合前まで悪あがきをしよう! 最後の一瞬まで。」もちろん、試合終了の吹笛まですべきですが、ここでは、試合までに限定して話します。
 小学生相手にこの言葉は、どうとらえられるか、あえて具体的なことは告げずに当日を迎えました。正解に近い教示は自分たちの創造力や主体性やアクティブラーニングにはつながらないからです。その先にはあるのは、やらされるバレー。もっと先にはセルフマネージメントやプロジェクトマネージメントのできない中学生高校生・・・かもしれません。大人になってからでいいじゃないか、それも一つの考え方です。
試合当日までの数日間、おおまかな対戦相手の状況はつかんでいましたが、この悪あがきを徹底してやり切ってきたメンバーは0。例えば、過去動画を掘り出して、分析結果を共有し、策を共有し、会場までの往路でしつこく確認し挑む。言い方を変えれば、歩みを止めないチャレンジの実行です。もちろん辞書の表記とは異なります。
 この試合の直後、メンバーの一人から次の大会の対戦相手の分析と攻略の提案の発信。不撓不屈の精神はこうして築かれる。紙面にはその意志が滲み出ていました。冒頭の「無い」ものとは、「積み重ねのプロセス」です。それなくしては、ただの悪あがきそのもの。辞書通りの虚しい結果は見えています。

No.532【間隔反復練習】

  忘却曲線、きっと何とかっていう学者が提唱した時間とともに加速的に忘れていくという当たり前みたいなこと。それを時間軸とともに検証したものです。 
 さて、チームでの集合練習では時間があれば個人技のスキルアップに時間を割けます。共通課題のあぶり出しや解決にはもちろん必要です。でも、折角なら複数でなければできない練習に比重を置きたくなります。そのため、練習会場以外での個人のドリル練習がチームの1点獲得のパーセンテージをほんの少し上げることにつながります。
 間隔反復練習は、忘れる前に繰り返し行うことで、意識、イメージ、体現すべてがつながってきてオートマチックになります。再現性を保つ時間(期間)は少しずつ伸びます。脳神経に定着されるからです。ただし、ずーっと同じではありません。他の刺激による少しの狂い、筋肉量や身体の変化で微妙に再現性が落ちますし、上書き作業が必要になります。だからこそ、反復練習はとても大事です。さらに、その上でスキルアップが求められます。多様な場面を想定しての再現性、スピード、コントロール力。何のための反復練習か、意味を知ることで大切さがわかります。これは、学習面でも同じです。故に、その努力をしているかいないかは、成果に現れることになります。
 ちなみに、アンダーハンド、オーバーハンド、その他の基礎練習を夏休み中に80万回近く実施した小学生がいます。これをどうとらえるか。実施した本人が最も吠える権利があることだけは確かです。

No.533【最近の中学部活事情】 

 土日の練習は月に1回、半日のみ。室内体育系部活は一つのみというかつては聞いたことの兄状況の報告も受けています。少子化と働き方改革、指導者の減少はこの先も加速します。それは枠組みの根拠。子どもたちはどう考えているのでしょう? 笹川財団などを始め各所調査結果が報告されていますが、土日は0,あるいは1日に減らしたいという要望が一定割合あります。また、急に枠を設定されたことで、子どもの選択、保護者の理解は、混乱しているケースが多くあります。その是非を論じる前に、日本の部活文化?(造語)は同なのでしょう。
A競技志向、Bレクレーション志向、C生活指導志向、日本の公教育における部活はABCの全てを学校で教員が担ってきました。上記の3観点は、学校や部活によって比重は違います。諸外国では、AかBのいずれかに傾倒した地域クラブチームが地域内に複数あることが多く、これは長い歴史がその背景にあります。日本は、整理をするには、苦肉の工夫を行うか、地域の総合型スポーツクラブにお任せするパターンになります。
 例えば、バレーでBを選択したい子が選べる術は? Aを選びたいけど中学から始めるにあたり、ノンハードルでAを選択できる地域クラブチームは? 非常に数が少ないと言えます。「学校部活のメリット」は、「これから始める」→「やる気をひきだし」→「競技の醍醐味を分かち合い」→「生きるちから、社会を回すちから」を積み上げていく最も効果の高い場所の一つです。
最近、アンケートが来ました。「あなたのチームで中学生が一会員として参加可能かどうか?」です。先ずは、行き先の選択肢の助教把握と拡大。この部活動改革の広報を拝見すると、「一覧を作成し提示するので、各自で探して参加してくださいね。」。上記の「学校部活のメリット」を生かせる仕組みを達成できる地域団体に行きつければよいけれど。
 もちろん自治体もものすごく頭をひねってくださっています。実際にミーティングをさせていただいた立場から、それは痛感しました。資金を投入すればある程度解決できる部分はあります。指導者の育成(ハラスメント対策はなかなか厄介ですが、進めるにあたっては「絶対に」を保証することは難しいでしょう。)と配置。きるだけ通える範囲の指定校での部活会場。教員以外の指導者が中心ですから団体の理念や規定は必要(フォーマットは自治体が作成)。大学生の活用はよほどしっかりした学生でなければ任せることは難しいのは現状でしょうが、科目としての単位認定に設定するなど、責任と学識やスキルを獲得する方法などは提案したい内容です。
 勘違いしないでいただきたいのは、子どもの自由な希望に沿った自由な選択を優先する事とは違うということです。中学生なのですから、その選択の意味、チャレンジする意味、どう過ごしていこうと思うかは、他人任せではなく、自己決定を試みる必要があります。

No.534【流体バレー】

 20年近く前になります。「理想のバレースタイル」について保護者の方から聞かれたことがあります。つけるとしたら「流体バレー」ですかねぇ。と話した記憶があります。春高では、その年の快進撃ぶりからお祭りバレー、サーカスバレーなど様々なネーミングで注目を集めます。流体バレーは、3D+奇想天外な発想+相手に応じて柔軟に変化させる策による完成度の高さを意図しています。当時、ブラジルがパイプ攻撃を発進させて一世風靡。発想はいくらでも広がります。「奇想天外な」に関しては、チーム内で攻撃パターンコンペなども楽しいかもしれません。相手に応じた柔軟な策の変化は、ハマった時にはゲームの支配感、特別な居心地になるものです。
 守備ですか? 守備はなかなかこの手の案が浮かびません。瞬時にシューズを脱いで手の先に持ってブロックの高さを稼ぐ。味方の方を向いてブロック体制をし、相手に味方かも? と錯覚させる。これが、チームの小学生にもスルーされる理由です・・・。
 先ずは基礎的なことから・・・もちろんですが、面白くなくっちゃモチベーションは上がりません。

No.535【自分たちのバレー20】 

 今まで一度も勝てなかった相手との2連戦。長身の大黒柱要するそのチームは、しかも2枚ブロック。その完成度に苦戦から始まる。ただし、この日は、出だしが悪いという表現は似合わない気がしました。その理由はこの後明らかになります。

 序盤のラリーの中での彼女たちの試行。この後、戦況が大きく変わります。途中のテクニカルタイムアウト時、キャプテンに小声で尋ねました。「もしかしてセンター線ねらってる?」。笑顔で「ハイ、途中で相談して決めました。」コートの中で一つ一つについて意味のあるコミュニケーションがきっと行われ続けていたのでしょう。どういう攻め方、守り方が効果率が高いか。相手の様子を冷静に分析して、体幹しているメンバーたち自身が打開策を捻出したんだと思います。

 もちろん、試合巧者の相手の監督さんです。その策に対する変容を指示する可能性は十二分に想定されました。コートチェンジの3分間。コートサイドで修正点、想定内用、対応策、冷静さと意志の渦の中に指導者が入ることは邪魔な空気。多少渦の色がおかしくてもいいんじゃないかな。

 この日、コート内の選手がベンチのコーチ陣を見ることはありませんでした。タイムアウト時、あえて呼ばなければ、勝手に自分たちでさっさと陣を張り相談を開始する。嫌われているのかなぁ~。そこまでではないとは思いますが、自分たちで突破口を拓く意志の前には、監督の叱咤激励に付き合っている暇はない。それでよろしい。

 このスタイルはきっとこのチーム独特。伝統になってきました。一朝一夕にはそうならないもの。だからこそこの日の2連戦の勝利には意味があります。

No.536【背中を押される時】

 ドレスコードは? 会合や会食では基本的な礼節の一つです。そこに出席するのに服装で判断するのは是か非か。それは賛否両論。どちらかにバイアスがかかり自分寄りに意見を飲めるのでしょう。ここではそれが問題ではなく、その場に立ち入るには身にまとうべきもの、要素や根拠がある場合があるということです。

 遺産分与に突如現れる会ったことの無い遠い親戚。一度も準備の手伝いに来なかったのに、学園祭の屋台で売り子をやりたいと名乗りでる目立ちたがり屋。常識では考えられない才能の持ち主とも言えます。

 言動には責任が伴うことは多々ありますが、発現する資格、積み重ねてきた経験や経過がもつ根拠は当然必要です。

 職業柄、障害のあるお子さんを育てて来られた保護者の方々と間近に接してきました。あるフォーラムで、オブザーバーの公官庁職員からの「私ならこうします。皆さんも試してみたらいかがでしょう。」の軽薄な発言に会場内がざわついたことを思い出します。そう、軽くて薄い。

 コートにいてほしいのは、軽薄な人ではないはずです。大きな大きな荷物をしっかり背負っている人。目に見える人影6つではなく、デカさを競うかの如くの6つの大荷物です。そのデカさゆえ、背中を押そうと思えるものです。

No.537【ジグソー法】 

 例えば、「A、B、C」→攻撃分析班、「D、E、F」→守備分析班、「G、H、I」→データ分析班とします。それぞれの班が分析を行い、次に「A、D、G」「B、E、H」「C、F、I」グループに再編成し、対戦相手に対する策を練る。
 学校現場では、現在の教育課程(文部科学省新学習指導要領)編成上の大きな柱として掲げている「アクティブラーニング」という考え方があります。教師が一方的に教えるのではなく、主体的、対話的、深い学びを実践し、子どもたちに考える力、探求して解決策を導く力を育てようというものです。専門性をもつそれぞれの班のメンバーが策をコーディネート、マネージメントするために各種専門性の高いメンバーで再編成し、複数のチームで多様な到達点を見出す。従来の知識偏重型から未来志向に向かっているとも言えます。
ミーティングの機会には主体的に考える手法として、このジグソー法は一つの選択肢になりえます。

No.538【渋柿】

 大体の糖度は、メロンやぶどう18、パイナップルやマンゴー14、柿16・・・。若干味覚と糖度の数値とのズレがあるように感じるのは、個体や成分の差や糖度計の仕組み(液体中の固形物の量で測定)によるとのことです。と言っても十分な信頼性はあります。
では、果物に砂糖やはちみつなどの当分を加えずに50~70もの糖度を示す変身ヒーローをご存じでしょうか? そのヒーローは干し柿。元々は渋柿。名前は渋ですが、成分の渋み(タンニン)が甘さを越えるため、20ほどある糖度にも拘わらずこのコートネームをつけられてしまいました。
 酒につけたり、干したりすることで渋みは抜け、元々の良さが引き出される。熟成すれば甘味は何倍にもなりうる。この変化はもともと見た目に有利なブドウやメロン、存在感のあるスイカや守備範囲の広いイチゴなどの選手より圧倒的に衝撃的。
 コートの中の渋柿(ガキ)たちよ、変容を遂げよ! ただし、そこに置かれているだけでは、カビが生え、腐る。
そういえば、先日、長野県でドルチェドリーム(トウモロコシ)を生食する機会がありました。果物以上の甘さ。糖度20。言うてもトウモロコシでしょ・・・この先入観を覆すドリーム選手が現れた。緑のウィンドブレーカー、黄色と白のバイカラーのユニフォームチームは全国制覇を成す予感。美味すぎる!

No.539【照準】 

 オリンピックの集団競技や団体戦、4年間ず~っとそのメンバーで同じ練習、合宿生活などしない。大きな理由は各自の都合でもありますが、各自のポテンシャル向上に、その縛りはデメリットであることも大きな理由です。直前の合宿などでは、各自が各自に合った目標設定とロードマップの最高到達点を最終的にコーディネートする作業を行うことになります。
 そこまでの歩み方は、同じ土俵である必要はありません。むしろ同じ土俵では、「もっとやりこめる」機会を逸してしまっていることの方が多い場合があります。小学生バレーのクラブチームに置き換えれば、一つの方法としては自主練の工夫。質と量。同じ体育館練習での別メニューなどです。遠回りのような、別の道のような挑み方や勇気の必要な選択が、照準を合わせた最後の目的の場で効果を発揮する。待ち合わせ場所で再会するアイツ、最中を押される経緯があふれ出ているアイツ、間違いなくその進化に周りを納得させる。
 大勢の中に身を隠すようなごまかしでは、痛い目を見る。集団競技や団体戦の力にはなれない。

No.540【HONDA】

 「ちょいバレ」は奔放なコラム・・・なんでもあり。
 椎間板ヘルニアを患う以前は、セル(電気式スターター)の無いキック式のXL(オフロードバイク)~今は、トコトコ風情と遊び心と燃料節約のため、MONKEY。車は13年以上16万㎞トラブル無しのSTEPWAGON。
 非常に完成度の高い国産車、故障の修理での利益率は年々減少する。(どこぞの故障や傷の偽装事件はそれらの努力に泥を塗りましたが。)同様な故障が起きないように徹底して原因を突き止め修理し、データの蓄積をし、開発に生かすシステムができています。
 完成品を見て、使って、いいねえいいねえと使用する側は言いますが、むしろ開発の苦悩や想像性や成功までの道のりにはとても興味をそそられます。長い年月、喧々囂々、侃々諤々、妥協のない議論と試行錯誤の末、やっと自信作が出来上がる。その瞬間にエンジニアの脳内に次の創造へのアドレナリンが出始めるのでしょう。
Success in 99% failure (成功は99%の失敗から生まれる)は、Honda創業者の本田宗一郎氏のあまりにも有名な言葉。「失敗を糧としたい意欲」に燃えよ!と言っておられるようにも聞こえます。思いっきり失敗したくなってきたらそれは成功への扉を開けた証拠。

No.541【甘えっこ】 

 質問をいくつか。友達にするとしたら、目標を掲げて一生懸命向かう人とそうでない人どちら? 可能性を高めるためになんでもチャレンジして惜しげもなく表現する人とそうでない人どちら? 一生賢明な人とそれを笑う人どちら? 大勢の中に紛れこんで火の粉がかかるのを誰かを盾にして身を隠す人と声を上げる人どちら? 解けない問題やめんどうなことをそのままにしてスルーする人と何とかしようとする人のどちら? こども扱いしてほしい人と大人としての自覚をもとうよする人、和気あいあいに流そうとする人と切磋琢磨してよきライバルになろうとする人のどちら? 
 中高生にこの質問をすると、こんなリアクションが高確率で起こります。となりの人の顔を見る、目を合わせない。いずれも、痛い腹を探られた時の逃避行動です。本能的に心の底ではわかっている人のリアクションです。
 全ての質問について、後者と成れるよう過ごす過程が人には必要です。文化的な活動、体育的な活動ともにそれは共通。そこに居ればいいということではなく、そこに居させておけばいいということでもありません。本人であっても支援者であっても指導者であってもその視点は持つべきものです。ただし、「その視点」をもつこと自体が初心者である焼酎学生「本人」から自動的に発現できることは皆無に近いものです。となると、誰が仕掛け、導き、示唆するかはやはり初期段階では大人、あるいは相当な経験者であることがわかります。働き方改革、主体性、アクティブラーニングの言葉を免罪符のように大人が使い続けてはいけないなと、自戒も込めて思います。
 冒頭の質問、後者寄りに導くには、相当なエネルギーと時間が必要です。前者寄りになった人を0地点に戻す作業からのスタートですから。さて、この大変な作業、だれが行うべきなのか・・・。甘ったれてはいけません。だれか導いてくれる、それが大人の仕事なのだからと思っている中学生高校生諸君。子どもから大人になる途中だから仕方ない? すぐそこに大人の自分が迫っている。人任せにしているほんのちょいの間に、頼りにならない大人になっちまっている。前段楽では「大人が」と言っておきながら矛盾。いえいえ、全員総動員でやるんです。ともだちにしたくない、一緒に仕事もしたくない、ましてや親友や彼氏になんて到底したくない大人になっちまう前に。

No.542【横断歩道の後日談】

 525番のコラムに、横断歩道にまつわる話を挙げました。岐阜県恵那市の話。それから3か月後、そこに住む親友が仕事で海外に行った時の話です。道路を渡ろうとする彼の前で1台のタクシーが止まり、横断させてくれました。彼は恵那市の小中高生の習慣がよぎり、ドライバーに一礼。数日後、夜のラジオから聞こえてきた投稿は「私が道をゆずったら、ちゃんとお礼のあいさつをしてくれたんだ。あれは絶対に日本人だよ。」場所や時間を整合するに、間違いなくその時の彼とタクシードライバーのやりとり。
 見透かされた腹黒い社交辞令では、このタクシードライバーの心は動かせないであろう。最終的に大きな原動力につながるのは、こうした小さな感謝や謙虚さと勇気なんだと思います。恵那市の大人たちは、その機会を子どもたちに与えています。真の勇者は社会を変える。ちなみに私は恵那市民ではありませんが、応援させていただきます。

No.543【自分たちのバレー 21】 

 「子どもたちが主役」このフレーズは多くの場面で頻繁に聞くものです。掲げればあたかもそうなっているような錯覚を狙っている大人の思惑を感じてしまうことは、残念ながら多々あります。
この日は大切な大切な3連戦。相手は全て戦力拮抗もしくはそれ以上の覚悟が必要でした。6年生が都大会をかけた最後の一日。未知数の対戦相手も。
 ベンチを囲むエールから跳びだしたスターティングは、6年生と5年生。「生き生き」の表現が似合う表情です。初戦は大量リードを許す展開。慌てないのには理由がありました。一言で言えば準備。毎回の練習試合や試合、合宿などごとの振り返りと提言の発信。対戦相手の事前分析。4~6年中心に数えきれません。観点や方法は個性的であったり、先輩のブラッシュアップであったり。これは確実に自分とチームの意識を高め合ってきました。練習中のお互いのアドバイスや状況の立て直しの声かけ。指導者に言われて気付く、動く、そんなレベルはとっくに通過しています(もちろん、残念な日、場面は多々あります)。この積み重ねは当然、やってきたことへの自信となります。
この日の試合は、3試合を通してチームの色彩が濃く表現されました。相手の弱点を見つけること、攻撃パターンを分析すること、それに対応する最も効果率の高いブロックシステムを選択すること、その状況に対応する守備陣形を導く出すこと。この作業を、吹笛の間、タイムアウト間、セット間、試合間に構築する。選手たちは、この作業を自分たちでやることによる達成感、心地よさ、コーチや大人に明け渡したくない感覚で共有されていたように伝わってきました。だからでしょう、試合中1回もベンチのコーチ陣の顔をみることがありませんでした。「そんな暇はない!次の策を練る、発信する必要があるんだから!」そんな表情に思えました。
 大ピンチが訪れました。審判からキャプテンがサーブの指導を執拗に受ける場面。直後から崩れる。しかし、自分とチームを笑顔で鼓舞し続け、全員が起爆。ここで負けてたまるか感に、メンバーチェンジなどという後ろ向きの発想を叩きつぶしたのはさすがキャプテン。しかし、決勝にあたるその試合の1セット目は大量の点差で取られます。
 ここで、準備の力。不思議と全員からは次の変容へのエネルギーの沸騰感しか伝わってきません。ブロックシステムとそのシステム時のレセプションパターンの変更。想定される失点ポイントの列挙と対応策の確認。全メンバーが次々と発します。共通の景色を想定できていました。刻み込んできたものは、すんなりと引き出しから出せているよう。2セット目を軽快に奪取。
 フルセットは、意気揚々・・・とここでレフトエースからのひざ痛の申告のピンチ。ここでも準備の力。「自分の代わりを託したい仲間」がいることの期待感をもつ5年生メンバーと「私が入ったら・・・」を懸命に準備してきた4年生。腹をくくるというより、楽しもう!感を抑えられないベンチの空気。全員がピンチの時にこそ一丸になれる。その根拠は言わずもがな、これまでの道程です。ここから快進撃、7連続得点をからめて変容させた策をハメる。つなげるボールは落とさない。
 先日、熱心な中学生からこんな質問をされました。「根性って何ですか?」私の答えは「課題や目的を克服しようともがいて苦しんで、チャレンジすること。それを長期間続ける強い意志のこと。気合は一瞬だよね。そう考えると、根性論って悪くないんじゃないかな?」今、このHIGASHIのメンバーには、それがあるように思えてなりません。「子どもたちが主役」を掲げるにふさわしいチームと胸を張れますね。自分たちのバレーがきっちり説明できる一日となりました。

No.544【自然体】

 なすがままに、何も考えず無の境地に、自分らしく、「自然体」でいることによる発見や気持ちのコントロールの利点は多いものです。表があれば裏がある。この自然体をわがままや自己防衛のために使ってしまってはこの言葉がかわいそうです。特に「人間性」を養い、「人格」を形成する過程においては。
 人格は、後天的な要素、つまり、体験、学び、環境などによって変容するものです。クラブチームにおいては、この変容の要素はチームの考え方により相当大きな影響を与えてしまうことになります。例えば、週15時間が該当時間とします。その前後の準備、振り返り、自宅での練習や復習を5時間とします。合計20時間。小学生が学校を含む日常生活(睡眠時間を除く)する時間を除くと約4割(中高生で週5回、土日を含む場合は約6割)。染み込む要素、人格形成の根拠はとても大きいものです。
 主体性をもつ人に! はその要素の一つと誰もが言考えます。この性質が身に付くにはただ参加しているだけでは当然付きませんし、むしろ反対の練習をつみ重ねていることになります。例えば、バレーボールの練習に二人一組の対人練習があります。自分だけでなく相手もうまくするための発声、体現、アドバイス、空気づくり、周囲へのアピール、工夫や提案、山ほどの要素が詰まっています。これらを一つずつ、手稲いに根気強く積み重ねることで「自然とそうすることの良さ」を体感し、表現できるようになっていきます。
 おや、「自然と」が登場しました。この時点でその子には、元々の人間性に変容を遂げた人格が「自然体」となって備わった(過去形ではなく進行形ですが)ことになります。
 こんな視点で練習を観ると意味のある練習なのか、そうでないのか、では、どうすべきなのかは、自然と答えが導き出されるのかもしれません。自然体に関する一考察でした。

No.545【面接官】 

 少し前の新規採用者の面接は、圧迫面接も多い状況でした。参加者を追い込み徹底的に困らせ、真意を探る、そのプレッシャーに打ち勝つ姿を評価基準としていた時代があります。言い換えれば、パワハラに堪え、荒波に打ち勝つ戦士の要素をもつ者の選別。全く無意味ではありませんが、磨き上げた人格はその面接では十分引き出せません。
 単に気持ちが折れない、明るい、ガッツがあるという印象面での採用は先ずありません。多くのプロジェクトにかかわり、人とかかわり、成果を上げることが求められます。成果に結びつく再現性のある能力を知りたいのです。将来に成果を生み出すであろう可能性。さらに、最近は、本人の日常生活や人生の満足度なども評価の中身になってきています。
 この能力をしたたかに、謙虚に、積み上げた人を選ぶことに面接官は一生懸命です。受ける側は、外部からの配慮に甘えたり(健全な心身の状態の場合)、わがままを積極性とはき違えることや多様性を安易に味方につけることがあってはいけません。この状況を総合的に考えると、外装、極端な表現力といったものはマイナス面の誇示と相関関係が深いことがわかります。
 若い人たちはこの立場(面接官)になることはめったにありませんが、受ける側になることは多々あります。その場に自信をもって着座できる自分をつくること。その道の要素は、意図のある一球の球出しや一回のパスにあることも。

No.546【クラブチームのリーダー】

 地域のクラブチームには大きく分けて三つの方向性(A競技志向、Bレクレーション志向、C生活指導志向)があることは533のコラムで触れました。そのそれぞれにおいて、リーダーをたてることは合意形成を築くうえで合理的です。しかし、小中学生であれば、本来は、その伸び代を期待して機会や経験は平等であるべきです。ところが、様々な個人差があることと取り巻く環境(保護者、参加状況等)により全員が長期、最後までやり切る経験を積むのは困難です。(同じ役を5人も6人も交代でやる違和感のある学芸会がふと頭をよぎる。)

 そこで、学齢期のチームでは概ね、年度ごとのリーダー、サブリーダーを決めるのが定石です。しかも年功序列。でも、必ずしもそうでなくても構わないと思います。やりきれなかったことを挫折と大人は言いがちですが、そうばかりではありません。自分の生かし方は別の方法であることに気付くことであるかもしれませんし、切磋琢磨を前提としてチームのためにshipを発揮する2頭式であることも選択肢の一つです。

 学齢期の子どもたちは、もともとは、策や促しや指示が無ければ、置かれた地図の位置から主体的に動こうとはしません。どっちをむいたらいい?、遠いから近い方を選ぶもの。大事な観点は、誰であろうと、その子がちょっと先の未来には、主体的にクラブチームを高次元に引き上げようとするshipを身に着けていることだと考えます。全員がキャプテンという発想や表現は、この体現なくしては安易に掲げてはならないと思います。

No.547【依存症 燃え尽き症候群】 

 もうバレーはいいかな・・・。過去に何度も耳にしたことがあります。私自身もそうでした。この言葉を発するときの心境は主に3つ。
(1)やってみたものの、自分が興味関心を惹かれるもっと魅力的なものをみつけた。あるいは見つけたくなった。
(2)指導ばかりが先行し、威圧的な環境で耐え続けてきた(もちろん頑張ってきた)が、区切りのタイミングを見つけた。
(3)自分は長期間頑張ってきたが、周りがそれに呼応してくれる状況ではなかった。
(4)メンバーがいない。
 これらの状況、条件を満たさずに過ごせたら、ラッキーです。おそらく燃え尽きることはないのでしょう。でも、そううまくはいきません。でもでも、うまく乗り越える原動力、一旦は戦略的後退をしても、再びエンジンに点火するための原動力を携える根拠をもつとすれば、それは「考え方」しかありません。最終的な目的、そこまでのロードマップ、多彩な課題解決方法を筋道立てて考えることができることが力になります。小学生、中学生といえどもその経験は積めるはずですし、指導者はその考え方(筋道立てて考える方法)を陰に日なたに染み込ませてあげるべきだと考えます。
 それが染み込んだ子は(人は)、うまくいかないことをむしろ待ってましたと意気込んで突破しようとしたくなるかもしれません。突破依存症、上等です。

No.548【Live-録画の使い方(BAND)】

 「もって来―い!」「セッターのジャンプトスからフェイク気味の低い放物線がライトに。音もなくフォローに忍びよる、忍者たちも一気に詰め寄る!」「このスピード感は、仲間の動きを知り尽くして対応を選択していますね!ワンタッチ狙いとイレギュラー対応でバックに一人残していますね。」
 これは①選手自らの声とともに②実況中継者、最後は③解説者の目線の三つが1シーンに収められています。現実的にはいずれか一つしか一人ではできません。私たちのチームではアプリの「BAND」を使っています。試合などの動画を振り返りに子供たちは毎回何度も(人によるけど)見返します。課題整理をして練習に生かすため。今回紹介する使い方は上述の三人の人(三つの観点)を録画をみながら自分でとにかくたくさん拾い出す方法です。
 この場合、二つの視聴方法があります。一つは短いシーンを一時停止しながら拾い出す方法。丁寧で全てを網羅し熟考できます。もう一つは、止めずに流しながら三者のそれぞれを担いながら観る方法です。最低3回観なくてはなりません。後者の留意点は、声に出すこと。特に①の役割を演じる場合は、タイミングと種類と内容を瞬時に判断し体現しなくてはなりません。心理状態を推測して自分に置き換えて自分への発声、チームへの発声を表現するトレーニングです。②は全体を見渡して、人に伝える力が必要です。気持ちを揺さぶる表現力も。③は意図、課題、相手と自分たちの関係性や策を考察できます。客観的かつ多角的に分析して効果的に策を瞬時に提案するトレーニングです。
 実際の試合では、次々事象が変化し、進行していきます。でも、この三人の役割をこなしちゃう人がコートに6人いたら凄いチームになる・・・か、全然まとまらないかのどちらかか。でも、大丈夫、滅多にそんな人はいません。①は全員、③③はこのトレーニングで一歩先行くメンバーが牽引者に躍り出てきますし、そのうち、アイコンタクトとちょっとした意思疎通で同じ景色を見ることができます。そこまでたどり着けたらの話です。ケガしてても自宅でもできる練習の一つです。

No.549【スプリットステップ解析】 

 以前アップした二つの移動に関する技術?意識?プレポジションとスプリットステップ。説明を求められることが時々あるので、簡単な整理と、スプリットステップの原理、誤解、使いどころ、練習方法などを紹介します。と偉そうなことを言っていますが、ほぼほぼ経験知を物理や運動力学(こう言うとかっこいい)の根拠を元に言語化しているだけです。
 どちらもザクっと言えば、「効率よく(時間と力)地面の力(反作用)をもらう」動作のことです。例えばドッジボール。相手がボールを持っているけど、いつ投げてくるのかわからないようなフェイキーな動作の時は、自然と低い姿勢でどこにでも逃げられるように、どちらにでもキャッチできるように沈み込んでいくような動きになります。これは前者。例えば、ラグビーで相手を抜き去る瞬間やサッカーのキーパーがPKを打たれる瞬間(反応するタイミングが明らか)は後者です。
 バレーで言えば、フェイントやつなぎ、ツーアタックなどのイレギュラーへの対応は前者。ディグやレセプションへの対応は後者。ここでは後者のスプリットステップについてもう少し掘り下げます。
 原理は、最も早く地面の力を得るための動作、動きたい方向への重心移動→正確には重心の左右の位置は初期段階では変わっていません。重心が同じ位置でも力のベクトルは大きく違ってきます。瞬時に姿勢を下げる→重心は下方向に移動する最速の方法。同時に行きたい方向と逆の足を外側に出す。同時に行きたい方向に体をひねる。その流れで移動。時間を短縮できるポイントは、下げる判断をベストタイミングで行うこと(早すぎれば地面からの反作用が弱まります)、サイドに出すステップを一番力の出る幅にすること、動きそのものを早くつなげること。誤解してはいけないのは、言葉のイメージや映像の印象からジャンプするような動きになること。ジャンプではなく抜重です。全ての動作を同時に行うようなイメージ。
 わかりやすい動きの練習方法としては、片足で行う練習。右足で立っているところから左への移動。その逆。前後の動きも同じです。そう考えると、四つ足の動物の逃げ足の速さ、補食のスピード、二足歩行の私たちが敵うはずがありません。だからロッキーは、鶏を追いかけるのではなく、ウサギを追いかける訓練にするべきだったと思う。50年近く前の映画・・・。
(参考427)

No.550【すぐ泣けてくる】

 子どもが泣くシーンを時々見かけます。質問しただけなのに、意思を聞いただけなのに、アドバイスをしただけなのに。
 「叱られたと思っちゃっている」「あの一言が引き金に」「以前のトラウマが」「思っていることがすぐに行動にできないから」「パニックになってしまって」近い人たちの意見もよくわかります。もちろん、全部当てはまります。二つ分岐点?泣く泣かないの岐路があるように思います。
 一つは、その子のセンサーの敏感さによる違い。これは、ちょっとやそっとでは変容は見込めません。怒りっぽい人が、急に柔和になることはないのと同じ。もう一つは、回避方法や解決の筋道をもっているかあるいは捻出する方法を得ているか否かの違いです。後者のスキル(解決する方法論、達成感や自己肯定感を身に着けていく)を上げることで、徐々に「泣いてばかり」ではなくなっていく期待がもてます。・・・もちろん、そう簡単ではありません。でも、ちょっとずつ。
 さて、その方法論。臨床心理士でもなければ、心療内科の医師でもないので、責任は持ちません。ちょいバレですし。一つは日記をかくこと。短い文章での振り返りやこうしてみようの自分への提案。もちろん成功体験も(こちらの方が大事)。これは認知行動療法の一つです。二つ目、同じ空間にいた仲間や大人と話をしてみること。自分の弱みを表に出せる勇気がもてれば、二歩も三歩も進んだこと。三つ目、その事象が起こりそうな場面の前に宣言してみる(自分への解決策、仲間へのサポートやアドバイスの依頼など)。泣くことを恥ずかしいと思わなくて済む状況(自分の内面と外の両方)を自分でととのえる工夫も必要ですが、これはなかなか難しい。
 ただし、クラブチームでの活動という環境下においては、ゆっくりその子に合わせて丁寧に個別の育成計画のようなものを実践することは困難です。チームの中の一員であり、責任を任される立場であったり、ピンチもチャンスも怒涛の如く押し寄せ続けます。でも、時間や機会がないわけではありません。大事なのは、場面ごとに方法論を一つ一つ言語化して、焦らないこと。そしてこうありたいというイメージをもち、そのためにやってみることをあきらめないこと。ちょっとだけ急がば遠回りをしているだけ。その分見た景色は多彩なはず。その先には、同じ心境の後輩や仲間に、きっと素敵なアドバイスができます。ピアサポートです。

No.551【自分たちのバレー(番外編)】 

 「集合!」練習開始の発声に扇形に並ぶメンバーたち。4年生と5年生の間に違和感なく整列した150cmそこそこの大学生の彼女は、練習終了後、この日のテーマ、伝えたかったことを言葉にしました。
 同じ町内のよしみで、一緒に練習させてもらったり、時にはゲストコーチに招いたり。時には街でばったりとなんてことも。彼女が原動力として動いてきたのは、実はコートの外。実力だって十二分にあります。そこを選んだのは新チームに移行しキャプテンを拝命された直後。コートの中で自分も磨きながらでは、このチームの最大のポテンシャルを引き出せない。悔しさと責任感と、ご本人曰くもともとメンタルが強靭なわけではない(謙遜かもしれませんが)自分がやり通せるのか、この方法がベストなのか、みんなは付いてきてくれるのか・・・。失敗を恐れず貫徹できるのか。プレッシャーは誰よりも覚悟が必要だったはずです。
 ここで変えなければ、変わらなければ、同じ登山道を毎年のように見えている5合目までしか行けない。行ったことのあるいつもの島で相応の達成感で終わる。小さな巨人の意地は、それを許しませんでした。チーム個々の分析と相手チームの徹底研究、対策の周知と準備の練習、本番での対応。もちろん、チーム内が穏やかでないときもあったそうです。共有するシートを対戦相手のローテーションごとに作成し、ベンチワークに徹するアンダーラインが光るゼッケン1。
 チーム初、インカレ出場を手に入れました。初めて上陸する島。今度は追走する舟が迫りくる立場。でも、この意志と経緯がチームにとって、地固めされた伝統の道の一歩目になったことは、間違いありません。
 冒頭のHIGASHIの練習会場で最後のミーティング。「30度変えただけではだめだ、180度変えないと!」しびれる一言でした。・・・360度変えちゃだめだよ。

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