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No.41 【動物ガイド】

 

HIGASHIの子ども達が多く在籍している小学校では、毎年「動物ガイド」と称して「多摩動物公園」動物をそれぞれ担当し、事前に調べて一般の来場者に解説員(動物ガイド)として説明するという学習があります。動物園では見られない動物の姿の一つに「野生の獲物を捕食」する行動があります。命と命の闘いには容赦も隙もなく緊張感は距離やスピード、判断など息を飲むものばかりです。先述No.26【スキーの技術から・・・屈伸抜重】を紹介しましたが、獲物を狙う野生動物(バッタを捕まえんとする庭のにゃん助でも同じですけど)の一番成功率を上げるための構えとスタートのタイミングはまさに「究極」。単純にバレーの技術と置き換えるわけにはいかないかもしれませんが、屈伸抜重の技術の裏付けと共通する材料だなと思います。個人の見解です。世の中の現象の色々な「理にかなう可能性のある動きや意識」とバレーを結び付けてみるのも面白いと思います。夏休みの自由研究にはもう間に合わないか・・・

No.42 【スパイクへの3歩】

 

まず、スパイクとアタック、専門的な定義はあると思いますが、勝手な見解で「スパイク」は狙いや意図をもって打つもの、アタックはその名の通り、ただトライするような打ち方。はじめはアタックで果敢に!でいいと思います。でもステージを上げてスパイクを打とう!です。小さな選手でもスパイクで得点力を上げる工夫はバレーの楽しさでもあります。162cmしかない某プレーヤーが、悔しい思いからの試行錯誤と研鑽の結果導いた理論は一理あると思います。反論もあると思いますが、その身長で308cmまで行けたのはこの理論も一役買っているようです。

長身のプレーヤーに研究されると、低身長のプレーヤーはなすすべもないので、載せません。HIGASHIでの多子相伝。リズム、抑揚、方向性、傾斜、バランス、姿勢意識、視線・・・。

No.43 【スマホ・タブレットの功罪】

 

ちょいバレのどこかの記事でちょっと触れ、「後ほど・・・」と記されていたこと。多くの人は少し前なら「テレビゲーム、スマホゲーム」は罪悪感がありながらも、手を出していました。最近はスマホ、タブレットも進化して、今やなんとスマホ1台に有人月面着陸を果たしたアポロ11号の指令室1室分の機能以上の性能が詰め込める時代になりました。とても便利で効率のよい社会の一部です。多くのスポーツでも、解析については必需品になっていますね。これは「功」。では「罪」は?二次元に焦点を合わせる視覚と脳内での距離感を測り、仮想現実での距離感の違いを「それでよし」と思い込ませる作業をスマホやタブレットのゲームは練習させてしまっています(特に、遠近感を表現しているもの)。バレーには絶対的に必要な、瞬時の深視力調整能力を阻害させる「誤学習」を脳がしてしまっているとも言えます。大人の色々な理由(子供とのコミュニケーション、静かにしてもらえる、GPSによる危機管理、自分もやりたい・・・等々)もあると思いますが、バレー、いや、スポーツや車の運転など深視力を重視する場面においてはやはり「罪」。それでものめりこみたい人は「私、スマホやタブレットで深視力落としてるけど、レセプションうまくいかなくてもごめんね!」とチームメイトに言っておきましょう。チームワークは?「罪」はカビの胞子のよう・・・根強く深く思いもよらぬ「罪」を広げうるのでは。根付かせるべきは、それを払拭する強い意志と考えます。

No.44 【防衛本能に抗え!】

 

生物である以上、危機回避は本能的に持っているもの。人間も然り。他の生物と違うところの一つに、防衛本能に意図を持って立ち向かうことができることがあると思う。自己防衛のための「言い訳」や「合理化」したり「赤ちゃん返り」してみたりなどの心理的なものとはちょっと違う意味、つまりはシンプルにスポーツとしてのバレーにどう取り組むかの一側面として考えてみたいと思います。大切なゲームで、こんな場面を目の当たりにしたことがあります。ストレートを開けたブロック横から強烈なスパイクを打ち込まれた後衛、思わず怯えて体を丸め、後ろを向いて逃げました。身を守る防衛本能、当然の心理、でもバレーはそれに抗い、勇気と自信をもって立ち向かわなければ、絶対絶命から生き延びるチャンスはないんです。スパイカーと1対1、ネットに近い時こそ、生物の原理に抗いチームと自分を納得させる行動に出られるか否か、信頼に値する人の真価を鍛える絶好のチャンス!全員がこんな勇気をもったなら・・・

No.45 【笑顔の絶えない厨房からは・・・】

 

NHK朝ドラ、なぜかびっくりするほどハマるドラマが時々ありますね。というより最近はすごく「掴む」うまさがあるような・・・というかもしかしたら「水戸黄門」を安心して楽しむ人生の先輩方の境地に自分が近づいているのか・・・。そこでポツっと語られた一文「笑顔のない厨房から、旨い飯が作れるわけがない」。おっしゃる通り。自由な発想、創造を表現できる空気、工夫を広げてもっといいものにしようとする天井知らずの向上心、どう考えても答えは「おっしゃる通り」。ただし、「もっといいものにしよう」のあるべき方法には「切磋琢磨」の厳しさも当然含まれていなければ、注文のメニューからは想像できないほどの「もっとうまい飯」は出てこない。

No.46 【300ヤードと5m】

 

274.32m=300ヤード。HIGASHIのi父はプロゴルファーではないのに飛ばします。「ゴルフが飛んでくるボールを打ち返す競技だったらもうちょっと勝てるのにな。」と言いながらこの前のコンペでは米をゲットしてきた野球人。そしてわれらがちょいバレのルーツともいえるFMさがみ「ちょいとゴルフをしませんか」の横山健司ゴルフプロはこの飛距離を楽々飛ばします。ちょいバレ19で、クラブのミート面が0.1度ずれたらこのボールはどれくらいずれるか・・・止まったボール打つことのメンタル、技術の精錬がいかに大切かの根拠としていつか検証しますと記載しました。放物線は無理でも、左右のズレならなんとか、と思い計算してみました。

飛距離300ヤードの場合、0.1のズレなら度51cm、1度ずれた場合は5m25cm。200ヤードで1度の場合は3m20cmです。10mのパットで1度のズレは17,5cm。自然条件+技術+メンタルの総合力の大切さを感じます。

No.47 【泣いたわけを大切に】

 

こっぱずかしいタイトルです。ちょっと前の大会(小学生ではありません)で「この思いは大事だな」と感じた試合がありました。「そんな試合いくらでもあるよ」との意見もごもっとも。大大事だなと思うのは、その人がそう感じてくれてどうしたいと強く思ったか、それが表現されて周りにも伝わったか。その選手のバレー経験はそう長くはなく、同級生のジュニア経験者に助けられる場面も多々ありました。でも、経験の割にはとても上手。センスもいい。努力家でもあるのでしょう。公式の試合経験は少ない。荒れる試合の中で自らのミスがチームをピンチに導く展開。しかもその波は何度も押し寄せますが、監督は踏ん張らせました。踏ん張らねばならない人は最後まで踏ん張れ、救う人は徹底して信じて救え、壁や観客にボールが飛び込むまで追え、監督の思いがフリップで見えそうです。フルセットを制した15点目の吹笛直後、泣き崩れるその選手。ここからは私の勝手な想像です。泣いたわけ「勝ててよかった」「自分はたくさんミスをした。でもみんなが励まし続けてくれて、何とかしようと頑張った。自分の力不足をチームがフォローしてくれた。みんなありがとう。」「もっとチームのためになれる自分になりたい。」かな?大切な思いを忘れないでおく手立て、ずっと持ち続ける意志、それがいつか救う人側になる、いい先輩になる。こっぱずかしいタイトルがあまりにも似合うのも青春!

No.48 【高校学園祭・・・演劇】

 

数年前まで高校の学園祭によく足を運んでいました。その高校は秋の学園祭、高校3年生が一日4回の公演を全クラス2日間、合計64公演行い、全て満席でチケットをゲットするのも困難な状況でした。今もその様子は変わらず、2日間で1~2万人が訪れる。生徒は1年前からキャストのオーディション、演出、外装、内装、広報、脚本、監督など本場の舞台さながらの準備を各クラスフルスロットルで挑んでるそう。高3と言えば受験シーズン。大丈夫なのか?夏休みは部活を引退してこの演劇に全力。それゆえどの劇も感動の涙あり笑いあり、最後は拍手が鳴りやまない。演技の完成度、演出の巧みさ、各教室の外装内装の凝りよう、どれも感動以外に言葉が浮かびません。しかも8公演、なんとハードな(1公演は1時間以上にもなる)。この日のために友達と協力、ぶつかり合い、集中し、作り上げてきた、気持ちも実力も終演には最高のものとなる。普段、そんなに目立たない生徒もこの表現力で観衆を魅了する、こんなに長期間かけて全力で挑み続けられたものを、見せつけられた、参った、たかが18歳の高校生たち。しかも8クラス全部がそれぞれ素晴らしい。このチーム(クラス)はここからがさらに本領を発揮します。受験シーズンを遅れてスタート切ったかに思えるチーム、その集中力、団結力、40人のスクラムが怒涛の追い上げと突進力を発揮し、最後のゴールテープをチーム(クラス)全員で切りに向かう。この高校の伝統だそうです。どう考えてもこの後の人生においてどんな時でも「やれる」気概をもった生徒たちになってしまう。今の若い人たちもかなりやるじゃないか。この取り組み方、生き方は、バレーも同じなのでは?こんな取り組み方がバレーでも出来たら・・・バレーを通してこんな生き方の入り口に小学生を立たせてあげられたらと強く思います。高校の選択の時期に来ている中学生のみなさん、高校の学園祭、特に、その高校が力を入れている発表分野(演劇、展示、合唱など)を見るのも大きな選択の根拠になるように思います。近々中学高校選びについてちょいバレに掲載したいと思います。

No.49 【声を出すこと その2】

 

声を出そう!ちょいバレNo.39で「その1」を説明しました。ここでは別の視点から(コミュニケーションやチーム力とはちょっと違った生理的な話)。イルカ、サル、犬、カラス、知能が高いとされるコミュニケーション能力がなければできない相互の連携を見せる動物は多い。でもこれはコミュニケーションが成立しているという枠組み。極めて高度に言葉で伝達という意味では、人間だけということになります。人間の脳は本能の分野に言葉の分野が侵入して何万年。独自の進化が人間の脳にはあります。その一つが「言葉による運動・行動調整の機能」です。例えば、ランドセルに翌日の必要なものを準備する時、頭の中で「国語の教科書、ノート、筆入れ・・・」さらに細かく言えば、その物を「持って」「入れて」と動きを言葉で誘導していることを感じ取ることができます。さらに下線の「て」については、次の動きの準備の接続助詞。接続?つなぐ、動きのつながりを誘発する「て」・・・なんだかバレーのにおいがしてきましたよ。拾って!つなげ、打って!・・・。ということは、動きを言葉に、声に出ことはその動きを誘発すること、意識をいち早くそちらに向けていく準備を体にさせること、と考えられます。それを積み重ねて、すでに、ある動きについては体が自然に動いちゃう、については、「勘(ちょいバレNo.8)」が冴えてきたってこと。さらに次のステージに進められる。闇雲に「声だそう!」というのではない根拠の一つを紹介しました。

No.50 【とられてはならない1点】  from 大地

 

物事に「絶対」なんてない。交通事故は絶対に起こしません!でも不運にも、不注意でも起こります。そんな時のために保険制度がありますね。次の試合は絶対がんばるから、絶対勝つから、「から」何なんだ?言うだけならだれでも言えます。なんとしても、なにがなんでも、具体的なやり方はわからないけど・・・それを「我武者羅」と言います。我武者羅・・・後先考えずの意味が含まれますね。勝つ術にはこれだけでは不足。確かな技術と戦略、そこにこの我武者羅さ。「とられてはならない1点」が目の前にあるとしたら、「絶対」とられてはいけない。全てを結集して全力で立ち向かう、自分と相手に。「絶対に取られてはいけない場面」が必ず来ることは間違いないこと。しっかり備え、「絶対」を約束しよう。その気持ちを持ち続け、「絶対に」の時に、その気概をだれもが瞬きすらできなくて、声も出せないほどのプレーを見せつけてやろう!そう思って体育館に足を踏み入れてもらいたい。そこには保険制度のない社会の厳しさがあることを覚悟して。

No.51 【回転軸】

 

スポーツの秋・・・この言葉とともに、あちこちの自治体で「老若男女体力測定」が行われます。ダントツに自信があった中学高校時代とは程遠いヘルニアの私。「ラジオ体操してくださいね、あれ、なかなかいいんですよ」と整形外科の先生から引導じみた一言を言い渡されるのが最近の常。さて、自分の運動反射や意識と体現のズレ、意識を変えてみるとあらためて気づくバランス感覚のようなものがある。フリースタイルスキーの練習でトランポリンをよくやりました。ヘルニアになる前ね。ジャンプして水平方向に1回転、どうしても着地が斜めになる。とても2回転なんてぶっ転んでしまいます。右利きだから普通に回れと言われれば反時計回り。ほとんどの人がそうします。ところが、試しに逆回転を試してみると、驚くほど軸が保て、きれいに回れます。皆さんも試してみてください。これは、これまでの運動経験で、右利きの人が右でひねりを使って投げる、打つ、蹴る、を積み重ねたことで自然に斜め方向に筋肉を引き寄せねじる動きが一番力を出しやすいことを身に着けてきたことに原因があります。運動をするとき、スランプの時、思い切って反対の動きを試みてみることもステージを一つ上げるきっかけになるかもしれません。ちなみに、サッカーをやっている人、幅跳びは軸足ではなく、蹴る方の足踏み切った時の記録の方がいい場合が多いですよ。

No.52 【中学高校の部活】  

 

この記事を掲載すのは気が引けます。書いたのはほぼ6年前のこと。常々コーチ業については色々考えますが、とりあえず、いつまでもしたためておくのもストレスなので、載せておきます。↓↓↓

「やたら怒っている先生・通称やかん」「いやみな言い方が得意な先生・通称イヤミ」「おやまの大将・通称大将」「他のどのチームの監督より生徒を叱り飛ばしたりキツク当たることができるんだぜ的な所を見せることで存在感を高めたい先生・通称俺様」びっくりするような会場風景に出会うことも少なくない。暴言恫喝、手こそ出ないが、この人たちは30~40年前だったら間違いなく生徒を好きなだけひっぱたいていたかもしれない。程度の差はあれ、やかん~俺様まで、そういうたぐいの人は自己肯定についてはその術をかねそなえている。まさに達人。ゆえに残念なことにこの方たちは根本的には変われない。大事なところで素がにじみでてしまう。技術的、理論的にバレーに関して正しいか否かは別。要は人の育て方。ここで反論者はこう言いたがる「強い心を育てるため」「どんな理不尽なことにも屈しないようにするため」「じゃあうちに勝てるのか?」「ならば反面教師としてもらっていい。いつか感謝するときがくるだろう」・・・一理ある、ほんの一理。では「強い心」とは、「理不尽に対応する考え方は」「勝ったチームがいいチームなのか」「反面教師の賛否は」「何に対して感謝なのか」具体的にひも解いてみると、共感できないことが多い。こういう赤ちゃんを育てなおすのには手がかかりすぎる。その場の「力」で押し切る。だから放置され、当人たちは認められたと勘違いしてさらに大きな赤ちゃんに成長する。近いタイプの存在を肯定することで相互に守りあう。総称「赤ちゃん」「おこちゃま」といったら赤ちゃんやこどもに失礼かな。

 人に考えてもらいたいために自分が考え、動いてもらいたいために自分が動き、その意識や方法論を人に伝えることができ、手綱を離しても勢いを増して馬車を鳥肌が立つような勢いで走らせる子供たち、人たちに育てていけるか。そんな基礎が部活やクラブには託されているように思う。そう考えるとあまりにも重責。とても学校現場で教科指導、学級経営、学校運営、生徒指導、学校外の担当準公務などと兼務の顧問の先生には負担はとてつもなく大きい。感謝しなければ・・・と、しかしながらそれと人としての考え方をどう持ち合わせているかとは別問題。そう思っていない指導者がこう言う「やってあげてるんだから・・・」・・・とボタンの掛け違いではなく「考え方の相違」が露呈し子ども不在の学校と保護者の亀裂の狭間で時間が過ぎる。結果、大会でいい成績が残せたら、「○○大会で優勝した」という断片的な記憶だけしか脳が呼び起こしたがらない人になってしまう怖さを提供してくれる。大切な青春時代はもっと青臭く、泥臭く、でも自分たちで輝いて、思慮深く、涙と笑いで何度でも振り返りたい、そんな根拠をたくさん積み重ねさせたいと思う青春考は甘っちょろい?でも、それわすれたらやっぱり赤ちゃん(先述)だ。人に強要する「観」ではないし、反論もあるかと思いますが、自分は自分の考えを信じたいと思う。おっと、自分自身もなかなか育てなおしのきかないやっかいなおっさんだ。でも赤ちゃんではないと思う。そして、もう一つ、私を含め親もこのことを心にとめ、単に部活に丸投げせず、家庭内でも人を育てなくてはとあらためて感じます・・・。

No.53 【mv2】

 

無茶な練習やトレーニング、無鉄砲な遊び方をバレーやスキーでしてきてしまいました。テニスのレンドル(古い)やイチロー選手が「長くピークを支える体であるために」とトレーニングを科学的に行ってきた一流選手は神様のようです。私はというと、バレーでは小さいながらも打ち手が好きでしたし、冬は見栄えのするモーグルスキーにのめり込んだ時期がありました。このモーグルという種目、たくさんのこぶの衝撃を受けながら、途中で2回のエア台から飛ぶ競技です。レースになれば、エア台からの衝撃は体重の6倍から10倍。1つのバンク(こぶ)もターンや板のたわみでコントロールしながらも、腿はほぼ全力で踏ん張ります。しかしすでに老体。全力では膝や腰(ヘルニアだし)に負担が大きくケガに直結します、しています。衝撃を半分に減らして、7割くらいに、1/3に、とトレーニングデザインでは時々使います。では、半分の衝撃とはどうコントロールすれば・・・。100mを10秒の選手が20秒に抑えれば筋肉への衝撃を半分に?それはちょっと違うと思います(でた、思いますという自信のなさ)。筋肉への衝撃が筋肉の運動速度と関係があるとすれば、体重×速度の二乗が運動エネルギー。車のスピードが2倍になると衝突の衝撃は4倍に、3倍になると9倍になります。半分にするにはスピードを1/0.7にすれば0.7×0.7=0.49ですのでだいたい半分になります。ということは100mを14秒くらいを目安に。冬季の私は衝撃を1/3にしたいので、スピード自体5~6割で滑る。このストレスを抱えながら・・・という反省をする前に、ちゃんと適切なトレーニングをしなかったなと悔いるのです。

No.54 【中学選び高校選び】  

 

受験シーズン真っただ中。そんな渦に飲み込まれることに嫌悪感を抱く子たちも少なくないと思います。心の底には自信のなさやチャレンジ精神のなさ、避けて通りたいという気持ち(今の楽しさや楽な生活がいいなという深層がちょっとくらいある)もあるものです。「あるものです」?そう、全員があるといっていいものです。さて、この避けて通れない関門の先にある学校を選ぶにあたり、部活に傾倒して一考。強豪チームに夢は惹かれます。公立の場合は通常教員の異動年限は6年。当然顧問も例外ではありません。栄枯盛衰一般的にはあります。では、輝かしい戦績を残していないチームは選択対象?それは尚早。どんな部活生活をするかが一番大切だと思います。強いチームに身を置き、切磋琢磨、それも否定はしません。中学や高校からバレー(別の部活でも同じ)を始める子がたくさんいるようなチームに身を置いた人は、みんなでうまくなっていく過程を経ながら、経験者がリーダーシップをとったり、その中から資質を磨き後輩を育てたりすることができる経験を積む。極端にバレーが苦手な子と手をつないで走り、最後の最後で納得のいく成果を出せること、達成感を持てることを経験できるように思う。どちらの選択肢も異なる選択肢側のバレー観を時折考察して認めて自分の心にしっかりしまっておけばよいと思います。つまり、自分がチャレンジする学校、行ける学校、行っていいなと思う学校の学校公開や部活見学をして、自分が部活(バレーを続けずに新しい部活でもいいです)でどんな生き方をしてみたいかを心に決めて(夢見て)、受験勉強に集中すべし!です。特に中3の皆さん、寺子屋資料の「3.互いに高めあうこと」思い出してがんばってください!

No.55 【パスタと筋肉】

 

我が家で好評なのは、直径1.6mmの乾パスタをゆでるタイプ。1.4mmで4~5分でゆであがるものもあれば、1.8㎜で12分のものもあり様々。おや?これっぽっちしか直径が変わらないのにせっかちには随分待ち時間が長いな。中学で円の面積(差)の公式は1年生で習いました。直径の二乗に比例しますって。筋力もほぼ同じ理屈と習いました。筋肉の断面積が大きいほど最大筋力は大きい。筋肉量を増やせばジャンプに必要な力は大きくなります。が?高さに持っていくエネルギーは重さに比例します。重さ×高さ×重力加速度(これは地球上ではほぼ一定)がその高さでのエネルギーの大きさです。パスタの直径が2倍になると断面積は4倍、重さはおお、8倍。そりゃゆで時間は随分かかるはずだ。ということは、筋肉量が増えれば重さは格段に増える、となると単純に筋肉量が増えればいいというわけにはいかないように思います。そこからが技術の出番です。バレー選手にボディビルダーみたいな体系の人がいない根拠はここにあると。小学生、中学生で筋トレを重視してはいけない根拠の一つも然り。と、個人的見解です。

No.56 【スパルタ教育】  

 

先日、保護者の方から「○○中学のバレー部って厳しいんですか?」と聞かれました。「ある意味厳しいと思います。」と私。「スパルタなんですか?」とお母さん。「ある意味スパルタで、そうでないとも言えるかな」と私。まず一つは、私が安易にそのチームの方針、個性を判断するのは立場ではないこと。もう一つは、何をもって「スパルタ」というかということです。これは、厳しさや優しさ、強い人やいい人といった判断の内容も同様かと思います。「スパルタ」の語源は古代ギリシャの兵士養成方法にありますが、その時の方法そのままのイメージでの「スパルタ」であれば冒頭の質問の回答は「いいえ」です。「高く妥協しない要求や目的をもち、生徒に自ら考えさせて安易に回答を叩き込むラクさをを選ばない。」というイメージと現代版?に勝手に解釈すれば「はい」だと思います。後者を実践し続けるのは至難の業です。だれしも、わが子といえどもいら立ちのままに恫喝一撃、体罰・・・メリットもあるかと思いますが、その子の深層心理には、その方法で相手を黙らせる術を安易に身につけさせてしまっていること(小さい頃の記憶は大人になると忘れてしまうことが多い。だからこそ根幹に蓄積されているもの。このことの重要さは別のちょいバレで記事にします。)もまた、事実と受け止めるべきと考えます。考えるバレーは、一場面一場面を大事にしたバレー。きっと身を結ぶと信じる日々。

No.57 【丁寧に】

 

上手になる人、ならない人。同じ木になっているのに糖度が違うリンゴの謎。リンゴの話は後日。絵を描くときのことを想像してみます。時間制限なしで、図鑑の動物や昆虫、花を模写している場面。卓越した表現力を持つ美大生は別として、模写と原画の合致率の高い絵を描くには・・・。バランスや濃淡、色を原画といかに細かいところまで目を皿のようにして、違いを見つけては修正する。違いを見つける目もさることながら、本当に合致しているのかを徹底的に探ろう、誰よりも正確に仕上げよう、妥協を許さない集中力と継続力。その思いを持ち続けて時間をかけて(時間を忘れて)取組むことができる人が完成度の高い模写を仕上げられる。同じ練習時間、同じ練習環境、その中にあって完成度の高いフォームや技術を身に着けたいと思う子の取組み方は、日々のこんな思いの積み重ねが身を結ぶのだと思う。それは、練習会場(体育館)ではなかなかじっくりできないのかもしれない。こそ練、地味練、家練、部屋練・・・コツコツと、丁寧に。もっともっと丁寧に。きっといい絵が描ける。

No.58 【兄弟姉妹】  

 

だいたい喧嘩する。日常的にもなんとなくパワーバランスで相手の上に立ったなと思ったところで大小色々なトラブルが治まる。もうちょっと相手の心の内を察することができればね~とは小学生には無理ですな。親しくなればなるほどそんなものです。でもコートの中ではそれはアウト。理詰めで相談して点を取るための最善策を練らねば。日常的に家庭でそれを学ぶかクラブ(学校、学校外含め)で学ぶか、基本は両方なのですが、素通りさせたらそれは「通った」ことを快として自分に落としてしまうに思います。二人が二人で上手くなろう、そう思えた時の変わりようは劇的すぎる。そこにバレーの基礎知識が積み重なってくるともっと面白い二人になる。自己研鑽と相手への敬意、ライバル心、いいことばかり。いやいや俺一人っ子だもん…私もそうです…友達がいるじゃん、体育館に!そんな子たちがボール遊びをしている風景はバレーではなく、ボールは、会話や気持ちのやり取りをするための心地よいBGMと同じに見える。ちゃんとパスができるのはいいことですね。

…HIGASHIのみなさん、パスくらいちゃんとできてね~…

No.59 【irritation】

 

英和→苛立ち(イラだち)。日本語と英語、不思議と似ている言葉が時々あります。道路→road。これはちがうか。何となくその動揺や動きや擬音のような感覚から共通の発音が生まれ育つのでしょうか・・・。怒りや感情をぶつけるだけなら速攻でこれをたたきつければいい。でも「育てる」「その気にさせる」「自分で見つけ出させる」人になる機会を奪わないようにするためであれば、強者と弱者のパワーバランスに安易に自分をゆだねることは大人のエゴではないかと。「思うようにならず気持ちが高ぶること」と説明書きにはあります。だから即ぶつけるのはちょっと待った。いつもそれではこどもは委縮する、ぶつけられないように振る舞う、その相手がほんの少し喜んでくれただけで猛烈に開放感を得る・・・おや、これは虐待、心的監禁の構造に似ています。そんな大げさなことではないと思われるかもしれませんが、「無意識に忘れてしまう」こどもの時期こそ、その体験はシビアに考えなくてはならない大切な時期。ドーパミンが出る状況の方が、上達には何倍も効果があることは生理学的には明らかになっていること。ただし、野坊主にするのとは違う。チャラけさせるのは違う。生活指導はきっちりしなければなりませんが、要はその伝え方の上手さ、バランスだと思う。(甘いとか、そんなじゃ理不尽に耐えていけないとか、打たれ弱くなるとか色々反論はあると思います。でも、その人たちは、ここでいう上手さやバランスのある対応の仕方ができないからかもしれません)。常時怒りをぶつけっぱなし、無表情で仏頂面、これでは豊かな心や想像力、創造性を伸ばせる環境とは言えないのではないかと思う。こどもが出すSOS(助けてほしいと言っていたり思っているわけではないこともある)に気づく目をもってあげたい。視線が合わない、笑顔がない、大人の機嫌をうかがう、チック症状、食欲不振、言葉数が減った、急にはしゃぐ、友達との距離感、支度や準備の時間、友達を傷つける…笑顔の良さ、わすれてないかな、こどもたちの大切なものをかかわる大人が左右し背負っていることを自覚せねば…ちょっと説教じみたか…決して誰かのことを言っているのではありませんし、自分ができているなんてこれっぽっちも思わない。なりたいなとは思うけど楽な選択肢ではありません。苛立つときの自分のあり方を自問自答の巻なのです。だって、世の中の事件様々は、そうするに至らしめる根拠の一つに「過去の記憶」「モデル」が必ずあるから。(そういう子供たちと対峙するケースが多い私の職種)。その根拠にバレークラブや部活、家庭や学校がなってはいけないと思う。…つづく(いつかはわかりませんけど)

No.60 【メンバーチェンジ】  

 

息子の中学男子バレー部(今は、バレー部はとっくの昔に廃部)、魅力満載の顧問の先生がいらっしゃいました。現、某中学校副校長。当時はバレー部ができたばかりで、数学の時間に数学係だからなどとバレーとはゆかりもない子たちが入部の誘いを安易に受け、そこからがドラマの始まり。わが子も鼻息を荒げて未経験の門戸を叩く。

 時は経ち、それなりに強さも増し、都大会常連校、さすがは名顧問。厳しくも面白くも思慮深くも適当さも、バランスよく、そして私と同年齢。指導者について色々考える中で必ず脳裏にどっしりと存在する恩師です。

 「やるときは今なんだぞ、今できないならコートからでなさい!メンバーチェンジ!」と顧問の先生。「入ります!」気持ちを入れて控えのメンバーが飛び込む。…代役を果たせずさらに「メンバーチェンジ!」(練習試合だから次々複数交代)…メンバーも一桁しかいないからすぐ「先生、もう交代がいません。」とキャプテン。先生「…メンバーチェンジ!椅子!」そのセット、後半はバックライトにパイプ椅子が入っていました。最高だ。

 3月謝恩会。スライドで3年間を振り返る。みんな本当によく頑張り続けたメンバーだった。メンバー紹介の10人目にはもちろん「パイプ椅子」が映し出されました。

 たまには何のことのないエピソード。技術論、考え方と離れるゆとりも大切。

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