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No.121 【神事】

 

 お盆、多くの人が「田舎」に帰省します。県境を超えると急に方言に戻ったりする。私自身は、最近では「方言が下手になったな」と感じます。方言に戻るのは、単にその地域に入ったからではなく「その地域の人と温かみのあるコミュニケーションをとる」最高のツールだからなのかなと思います。「こんきい」「えらい」これは私の田舎の方言でどちらも「身体的に辛い」状況を表すのですが、前者はどちらかというと呼吸器的に辛い、後者は筋力的というか全身の動き的に辛い状況を表現するように思っていました。
 田舎は足遠くなっていますが、地方に行くと神事が以外にも復活しているところがあります。もちろんずーっと継承しているところも。はじめは年配者から次の代へ、年長者から若者、さらにそこから小さい子へ。小さい子はなんだかわからずとにかく練習します。年長者はその神事の意図、表わす意味も継承します。若者は、コミュニケーション、代々の人のつながり、年代を超えてつながることの心地よさや大切さを感じ、神事の本当の意味を理解します。一神事をみんなで達成し終えた暁には、代えがたい豊かな賜が心に留まり、踊り(躍り)続けるのだと思います。大人になると忘れてしまいそうな小さいころの賜、大切なんだなと思います。思い起こさせる欠片は、蚊取り線香の香、盆踊りの太鼓の遠い音色、帰省の車内の移り行く景色、神事、境内、快晴の祭の朝の空気、蛙と蝉のこえ、方言・・・
 

No.122 【4545レシーブ】

 

 数年前、チームに加わらせていただいた時、小学生バレーに自分の頭を切り替えること、練習内容や試合で生かす動きについて考えました。虎の巻とまではいきませんが、練習メニューの構造化を自分なりに整理しました。そんな大それたもんではなく、すでにちょいバレでもタイトルの一覧は挙げたことがあります。その際、敢えて抜いたものの大きな要素の一つは速攻とコンビネーションの攻撃(遊びの要素としては全然OK)。これについてはまた別の機会にちょいバレで。細かい技術面については4545レシーブも削除しました。正式名称ではありません。自分の45度前に打たれたスパイクをスライディングでキャッチし、滑り終えます。この時の入りは上半身と骨盤は45度水平床面から上を向いていますが(ボールをコート内上方にできるだけ上げるため)、直後の滑りは上半身を水平に戻して動きは完了です。直後に勢いを利用して立つことは当然として。この動きは個人的には合理的でカッコいいので好きな技術の一つですが、小学生には難しいかなとの考えから、メニューには入れていませんでした。しかし、このところのレシーブの質を見ていると、その思い込みの枠をはずす子も出てきています。瞬発力や筋力も必要なのですが、一つ上のステージに挑戦するモチベーションとしてはアリかなと。先日、ちょっとだけ練習に入れてみました。
 

No.123 【遠くにいても】

 

 またまた朝ドラだ。脚本家が推敲してブッコんでくる渾身の一打は、センスと想いのアタック。

 どこで暮らそうが離れていようがその生き方を好きになって応援したくなっていればその距離は物理を超える。ま、当然異論もあるとは思いますが、盛り上がる方優先だ。最近はSNSが普及し、距離があることのありがたさをふと忘れてしまうこともある社会になった。それでもやはり、隣に、そばにいるのとは違う。先日、友人に遠方に勤め始めた息子から届いたメールをみせられた。「僕は遠くにいるけど、みんなの生き方を愛しているから頑張れる。」知人は言う。それはこっちの台詞だ。自分の選んだ道、努力の賜、その経過を近くで遠くで見てきた。だから、こっちの台詞だと。

 朝ドラで東京と岐阜の親子、黒電話で交わされた会話もまさにそのような内容だった。この一打、簡単に決めさせては面白くない。見ごたえのあるラリーにしてこそおもしろい。遠くにいても頑張れる、踏ん張れる、いざとなったら頼りになる、そんなやり取りはまさにラリー。

No.124 【素振り】

 

 「ダッシュ勝平」40年ほど前の漫画に登場する卓球部の友人のあだ名は「素振り」。練習はひたすら素振り。でもなかなか試合では成果は出ないというチームメイト。近所には野球の素振りをいつもやっている中学生、著名なテニスプレーヤー、手具を使う競技は特に素振りをたくさんたくさんやる。合理的なフォームのイメージを確立するため、不調から抜け出すた、進化の工夫のため、次のステップに移行するために基本の動きをオートマチックにするため。そして、自分と向き合う時間、見つめなおす時間に充てるため。丁寧にじっくり素振りを行うことには大賛成だ。この基本を侮るな。たぶん、多くのにわか競技者、スポーツライクな人は、最も合理的なフォームの素振りを説明し、体現できないのではないか。体現は難しくても説明すらおぼつかないのでは、わかっていないのかもしれない。自問自答しながら追及する素振り。王貞治さん、真剣の素振り、その意味と境地を語っていただきたい。

No.125 【「こだわる」「のめりこむ」の延長線上】

 

 この記事を書いたのは2週間ほど前。後日、一部加筆しました。何年も前に書き留めたものをUPする時もあれば、最近書いたものもあります。いずれもちょっと寝かす期間を置く場合がほとんどです。まだUPしていないのですが「回想の効果」について紹介する時にその根拠は掲載することにします。

 卓球、テニス、ゴルフ・・・幼児期から一筋に取り組んできた(もしくは取り組まされたケースも少なくないかと)競技で超一流になる競技者、学者は多くいます。個人的には、小学生時期は「色々」試して、たくさん遊んで、コミュニケーションをとって、その中から方向性をつかむきっかけができればいいと思っています。「色々」は中途半端も含みます。よほど関係者が乗せておだて続けなければ、本来向かないものに注力することは困難です。それを冷静に受容する目は関係者には必要だと思います。

しかしながら、その競技をとおして得るものに期待する、習得することは大きな価値があることは事実です。だからこそ、一流にならずとも「挑戦する」、「好きだからやる」は優先されると考えます。「こだわる」「のめり込む」の延長線上に人生の方向を決定づけていくことはよくあること、そこに根拠があることもよくあること、巡り巡ってつながることはよくあること。

中学高校では、やると決めたら最後まで!それも大切です。もちろん小学生でも。でも、小学生はもっと余地を残してよいと思います。その子が本当にこだわり始め、のめり込み始めたらチャンス!その延長線上にはその子の人生がある・・・のかな。

追記:先日、別の「のめり込み」に気づいたチームメイトが退部を決断しました。折しも記事かき揚げの直後。応援の意味を込めての追記でした。チームのイベントにはピアノの手腕、披露をねがう!それも含めて応援できるチームでありたいなと思います。

No.126 【回想の効果】

 

 「のめり込む」の延長線上のコラムで「後ほど・・・」と後回しにした内容です。ちょっと専門的な言葉(こういうのを出すと嫌悪感を抱く人もいますが、職業上範疇にあるのでとりあえず、ふ~んという感じで記憶の片隅に。)になりますが「レミニッセンス効果」というのがあります。学習(ここでは運動も勉強も含むとします)の直後よりもちょっと時間が経ったときの方がその効果、定着がよいというものです。あまりにたくさん詰め込んだものは脳みそが、それを整理するために休養や時間が必要なため、ちょっと(ちょっとは内容や量によって数時間だたり数日だったりします)寝かすことの効果のことです。集中力、人間そうそう長続きはしません。短時間集中して別のことに気持ちを向けて、しばらくしてさっきのことを思い出す、整理して積み重ねる、そのドリル的な繰り返しが定着には結局近道であることが多いことは経験上からも納得がいきます。バレーの練習、例えば一日中サーブの練習だけ徹底的にやる・・・。そうするなら内容に一工夫、二工夫必要です。短時間で目的をもって(記憶に意味を持たせて思い出しやすく、定着しやすくする)、同じ練習を長くやらずもうちょっとこうしたかったぁを残して、がちょうどいいのかな。次へのモチベーションにもなります。我が職場の上司が「時々休んでね」ってたーくさん言ってほしいな。仮病使っちゃおうかな…。

No.127 【自分たちのバレー 5】

 

 夏の過ごし方は秋、冬にジワジワ、否、明確に表れる。小学生の成長著しい時期だからこそ。チームや自分への想いや表現、意識、うま味、力、高さ、動き探求心と分析力(心技体知)、その全てにおいて。指導陣はその全てを「頑張れば、工夫すれば、ちょっと先に手が届く」ところに思いと考えを寄せながら球出し、練習、サポートをする。子どもといえどもその手綱からはなれて自分たちのバレーをやっちゃう瞬間をここまでかかわった大人はみんな見てしまった。先輩たち、今の子たちが見せてくれてきた。もうこのチーム伝統のバレーといっていい。この夏は合宿で得たものが非常に大きく、いまだ尾を引いている。折角だからずっと尾を引くといい。だから今回の大会初日の応援の空気、大会初日終了後の空気、これまでとまた一色違った。色というより彩度。

 心技体知、その意味するものを言葉にすること、HIGASHのバレーを思い浮かべるとき、明確にたくさん言葉にできるはず。その中のどれが足りないか、分からないものを見つける作業はもう通り越した。「どれが」を見極めること、そしてそれを全員で寄ってたかって解決すること、その作業をHIGASHIは得意とする。それはとても楽しい、子どもも大人も。達成感への期待と実感があるから。特に、今、この時、チームのメンバー自身がその作業を畳みかける瞬間にある。ほかの誰ではなく自分。失敗を恐れず先陣をきれ!

手を抜くこともできるし、凹むこともある。そこで終わる自分を、体験したいか、それとも全力で挑んでいく自分と自分たちを見たいか、どっちを選ぶ?

No.128 【自分たちのバレー 6】

 

過去の「自分たちのバレー」と重複するところがあるかもしれません。特に気にして書いているのではないので、そこは気にせずに。

偶然の産物から彩づき始めたHIGASHのバレーの色。コーチ陣が全員不在の大会で自分たちでまとめた4月から特に。サーブ順、時にはスタメンもその日、その時の状況で自分たちで決定する。合宿の折、他のチームの監督さんから「そんな怖いこと」とのご意見とは別に「最先端なんだと思います」と話して下さった方がおられました。自分たちでマクロな視点で、ミクロな視点で、自分たちなりに考えを結集して答えを出す作業。いい作業だと思います。

この作業にはその裏に当然誰もが思いつく、もちろん子どもたち自身も考えが及ぶ「怖さ」があります。11,2歳の考えること。不安要素はたくさんです。社会でいえば、人事関係でしょうか。大人が決定すれば従う側はYESを出しやすいし、子どもも保護者も「監督が決めてくれれば文句は言いません」は発信しやすいことは現実に多くあることです。自分たちで結論を出す作業の過程では乗り越えなければならない葛藤があります。「コートに入れるのは6人」「自信がないけど1番に打つべきサーバー」「全員がコートに立つか勝負を優先するか」「発言力の大きい小さい」「元気を取るか技術をとるか」などなど冷静に、公平に、思いやりと意志の強さ、その時に大事にしたいこと、優先順位、バランスを深く深く考えて答えを出さねばなりません。そして、告げねばなりません。つらい場面、決断もたくさんあります。痛みを知るということはそういうことだと思います。全部背負ってコートに立つ責任、いい方は厳しいですが、他の仲間の背中を踏んでそこに立つ覚悟をもって挑まねばなりません。コートの外のメンバーもそのことを理解し、挑まねばなりません。今のHIGASHのキャプテンは、どちらかと言えば後者です。すっきりまとまることは大人でも難しい境地です。だから彼女はいいキャプテンだと思います。

「自分たちのバレー」を語るとき、HIGASHの卒業生は、自信をもってこのことも語ってくれるとうれしいな思います。

No.129 【過去からの手紙】

 

「○○が6年の11月に書いた、卒業するころの自分自身に宛てた手紙が出てきました。

今は□□に負けて悔しいけど、卒業生大会では勝って嬉し涙を流しているんじゃないかと。キャプテンの仕事はちゃんとやれたのか?自分に問うていました。

あの時のHIGASHIでの経験は、きっと活きていると思います。

HIGASHIの6年生も、悔いなく頑張ってもらいたいです。」

メールの抜粋です。筆者(送信者)は○○のお母さん。3年前のその子が自分に当てた手紙を発見し、送ってくれました。経験はもちろん活きていますし、当時をほんの少しの期間ですが知っている子たちにも受け継がれる思いがあります。自分に問うこと、答えを探そうとすること、いつかどこかで答えにたどり着くこと、その経過の中で多くの人たちの心を動かし、動かされること、大切な経験です。もしそれが記憶には残っていなくても、性分として心の幹に備わることこそが大切だなと思います。

知らないところで子どもは成長していく…過去からの手紙に未来を感じます。

No.130 【掛け声】

 

「自分を信じ、仲間を信じ、絶対勝つぞ!」HIGASHの試合直前の掛け声。初めて聞いた時は、コーチ陣は近くにいるのに何て言っているのかわからなかった。自分たちでそう決めたらしい。本当にその意味が分かっているのか?

2018秋、6年生が挑む最後の大会の予選。会場を巻き込むエピソードがあった。対戦相手のチームの長身スーパーエースの豪快なアタックは弾道が高く、審判の吹笛はアウトの判定。HIGASHは序盤の空転から巻き返しを図るチャンスの極面。何とか止めようとするブロッカーの高さもHIGASHはかなり高い。5年生のブロッカーが主審に駆け寄り、なにやらつぶやいた。審判はそれを聞き、判定を覆した。「ワンタッチしました」。ポジションに戻る途中の彼女の大粒の涙がコートに落ちるのをユニフォームの袖で何回もぬぐう。迎えるチームメイトは笑顔で仲間を讃えて・・・ここからだ、猛然と次の1点を奪取に向かう。会場は一度静まり返った後、拍手と声援と攻めるチーム力。小さなベクトルが一方向の向かった瞬間。会場の誰もが巻き込まれ、体感した。なんだか劇場にいるような感覚だった。

「彼女がその場でただ単に正直に物を言った」のではないことが、後でわかる。それは、母からのメール。

「ワンタッチ自己申告の件、私もビデオを撮りながら、その葛藤がわかり涙がでてしまいました。実は、最近の夕飯の時に「今日、私に有利な審判のミスジャッジがあって、すごくどうしよう、、とドキドキしちゃったんだよね、」、というような話がありました。ずっと試合中それが気にかかっていたようで、帰ってからも、果たしてそれでよかったのか迷いがあり、話しはじめたようでした。主人も私も、色々聞き話ましたが、最後に決めるのは自分だし、自分が考えて決めたことは正しいと思うよ、と伝えてありました。(もし、次にそういうことがあったら、正直に言おう、その一点は必ず返ってくると信じよう)、と決めたようでした。まさか、今日、あの場面でそれがくるとは、しかも波に乗りたいところなのに、、私もハッとして見ていました。本人がとった行動は、ずっと考え心に決めていたことであったようですが、やはり、その責任と仲間にもリスクを負わせてしまう選択を選ぶことの重圧?で、涙が出てしまったようです。私もその気持ちがわかり、つられて涙が出てしまいました。みんな笑って大丈夫だよー!と声をかけてくれていましたし、次の一点を必死で取りに行ってくれていて、余計に涙が出てしまいました。「黙っている事もできたのに、どうして言ったの?」と聞いたところ、「6年生達の最後の試合だから、良い試合で勝ちたかったから、、」「必ずこの一点はかえってくるとおもってた、、」と話していました。

ただバレーボールの試合をして勝った負けたをしているだけではなく、こんなに大切な経験をさせてもらってるんだなぁと改めて感謝の気持ちと、我が子の成長に、ただただ感動してしまいました。 子どもがそうした気持ちになれているのも、仲間を信頼してこそ、コーチや保護者の方々のあたたかい応援があってこそ、だと思います。一位通過目指して、また色んな道を乗り越えていって欲しいなーと思います。いつかは自己申告しても泣かないで、「ごめん。次一点返すね!」と力強く仲間に言えるようになるといいなぁと思って応援したいと思います。」 掛け声はこうして意味をもつ。

No.131 【ベクトル】

 

 高校の物理の授業で習った(覚えがある)、数学の授業でも(すごく違和感があった記憶が)。「方向のある大きさ・量」のことと雑に考えた方が何かにつけて邁進しやすいように、今になって思います。数学者や物理学者にはその専門的なところはお任せして、スポーツにかかわる当事者的には「太陽に向かって走れ!」とかつての青春ドラマのような「エネルギーを目標に向かわせる大きさと向き」、「悟空のハメハメ派」のようなイメージでいいんじゃないかと。何人かの小学生のがいたとします。その子たちは体育館に週の何時間か体育館に立つ一人一人。立ち位置はそれぞれです。将来像や目指す高校生像もそれぞれです。それぞれのもつベクトルは色々な方向、長さも違えば先端が雲に霞んでいる子もいるのも当たり前で、むしろそれでいいと思います。斜め上の天井や真上や色々。目に見えないこの向きのある量、エネルギーを「ベクトル」と呼んじゃうとして、これまでコラムやブログなど書いてきました。改めて勝手な定義です。

 このまま体育館の床を360度回転させると、そこそこしなやかであることは条件ですが、このベクトルは1点で絡まります。イメージはこんな感じでいいのかなと思います。大きな目標が目の前にあるときは。この1点をすぐ先の今としよう。

No.132 【レセプションの選択肢】

 

 以前、「リカバリ」について記事を書きました。極論を言えば、運動は全てリカバリの連続です。歩き始めの赤ちゃんを想像するとふらふらしながら倒れまいとして進みます。足跡をもしたどるとすると、右に左に、重量バランスもまちまちでしょう。レセプションの技術をリカバリの視点から大きく分けると二つかなと体感しています。「カッチリ対峙する」と「いなす・引き込む」。そこに心の術を掛け合わせるとちょっと選択肢が広がります。なんとか攻め込んでくるサーブをセッターに持ち込むための選択肢です。毎度のコラムの記事は極めて個人の考え方なので異論もあろうかと思いますが・・・

 正面に入る・・・まずはこれ。基本中の基本です。正面に入ってカッチリセットします。でも、実は、本当の正面ってボールコントロールは理にかなっていないと個人的には思います。でも、この意識(必ず通る姿勢(中間姿勢))からスタートしないと、スランプ脱出や基礎の見直しができなくなります。

 引き込む・・・イチローのバッティングをイメージすると、打点までの瞬間の引き込み、時間をかけて最後の瞬間まで修正しながら迎えます。相撲では「いなす」という動きもありますね。下半身を含めて全身をレセプションの正面に持っていくのではなく、そのためにブレるリスクを排除して流れながらベストのポイントで捕獲する術です。(以前、「正面に」は万能ではないという記事に記載しました。)こちらは正面に入ることがちゃんとできてから、リカバリとして取り組む動きです。先走ってすべきではないと考えます。

以上の二つは、ポジションをそこに持っていくための意識とちょっとした初動からの発動と併せてが効果的と経験上考えています。プレポジションやステップバック、スプリットステップなどもその一つです。そしてここからは心の術の追加です。

 来てから考える・まず動くと言い聞かせる・・・レセプションの最大の敵の一つは緊張だと思います。開き直って専心して自分をフラットのステージに持ち込めるのであればこれも一つ。

 いいイメージだけ思い浮かべてルーティンを経る・・・これも余計なそれまでのミスや今の自分のステージなんて無視して自分を信じるための一連のルーティンをそこで行います。ミスを繰り返すなんてよくあること、大事なのは、そこから抜け出すためにやれることをやろうとすることです。そして最後に次の選択肢。

 近くの仲間に頼む!・・・そんな卑怯な、試合中はそんなことはありません。バレーのステージが上がるほど、そういう人います。絶対レセプションしない人。戦術です。仲間を信じて「私あの人のサーブ取れないわ、○○お願いね!」信頼関係大前提の選択肢です。注:小学生はこれは極力選ばない方がいいとは思います。もっとシンプルに「挑戦」の時期ですから。

一番大切な選択肢は「挑戦」。結局根性論か?否、上述の術、全部達成するための具体策、練習方法、意識、全部に挑み続けることへの挑戦です。コートの上でその選択に挑戦することへの挑戦です。

No.133 【ユニバーサルデザイン】

 

 職業柄(バレーには無関係に近い仕事です)、このタイトルはよく使用します。随分前は「バリアフリー」という言葉が主流でした。新しいことを始めるとき、日本(人)は横文字でタイトルを掲げるのが好きですね・・・。それすらかえってわかりにくいことも多い。ユニバーサルデザインは、物理的な障壁をなくす「バリアフリー」から「だれでも容易に使える、うけいれられる」施設の設計や考え方を主軸に置くものです。反面、焦点がぼやけたり、特化した面白さは減ることもあります。しかしながら、自分を含めたこれから高齢化社会に向かう日本、災害の多いこの国においては重要な視点だと思います。実際に使う場面、見ていてわかりやすいもの、状況をとらえやすい工夫、間違うことで色々な危機や失敗に向かうのを避けたい状況などには重視すべき考え方であることは間違いないと思います。

 バレーボールに色が着いた(昔は白一色)、大型スクリーンによるチャレンジシステムのCG化、合宿の宿でまずあってほしいのがウォシュレット。みんながより楽しく快適にそしてリスクを減らすことができる構想です。

 一つ、小学生バレーボールの組織の上の方にいらっしゃる方々にお願いしたいことがあります。「得点板のチーム名板の貼り方」。私は小学生バレーの大会で驚いたことの一つ(大きく驚いたことは他に二つある)です。コートチェンジがあっても得点板のチーム名板を入れ替えない!つまり、2セット目に目の前で行われている試合のチームとその得点は「逆」。視力の弱い人、高齢者、そのシステムを理解していない人にも「逆だけど、名前が書いてあるからわかるでしょ、そちらを見ながら理解しなさい、そういう決まりなのだから。」と。審判(記録係)が間違いを犯さない、ストレスやリスクを減らす意味でも、この決まりは変更していただきたいと思います。

No.134 【盗塁】

 

 様々なスポーツにおいて、多くのセオリー、戦術があります。先日、野球の走塁について分析している場面に出会うことがありました。野球は、打者、走者、守備(投手を含む)で構成されています。一塁走者がリードを広げると「盗塁」を警戒します。強肩の捕手は盗塁を仕留めやすいように外角の速球を要求したくなり、打者はコースと球種を絞りやすくなります。結果、ヒットの確立がほんの少し上がるというものでした。打撃の技術向上はもちろんのこと、走者との駆け引き、連携が得点への確立をほんの少し上げる作業が行われます。

 逆に、守備はその状況を選択肢に入れ(選択肢の一つなので、別の動向も想定します)、右打者の場合はライト側にボールが飛びやすくなることへの準備します。しかし、ここからはカオス部分(これについてはいつか別のコラムで)が大きく、それが「探り合い」「試合の運び方」「場面の重要性」「打者の性格や癖」などの根拠を集めて可能性の高い判断につなげる作業になります。しかもそう多くの時間はありません。

 バレーボールに置き換えてみると共通の視点があります。さらに、バレーボールには「そう多くの時間」ではなく「瞬時」を求められる機会が多いのも特徴と言えるのではないかと思います。

随分前、「おおきく振りかぶって」(野球アニメ)を何となく見ていたことが思い出されます。理論的に状況を分析し、対応策を練るシーンはど根性アニメとは違う頭脳プレーの面白さがありました。決してアニメ「メジャー」やスラムダンクを否定しているわけではありませんし、ロードオブメジャー、ZARDの曲も好きですしスラムダンクは2,3回読破してます。

No.135 【自分たちのバレー 7】

 

 AIが驚異的な進化を見せ、この先、中田監督が手にするタブレット端末には、次の攻め方が高確率で送信され、対戦国相互にAI対戦・・・そんな時代がすぐそこにあるよな気がしてなりません。データバレーは有効ですし、心技体知の「知」について以前ちょいバレで挙げたことも有ります。そこで語ったのと大きく違うのは、ハイスペックなAIにやらせるか、自分たちで考えるかの違いかなと思います。(AIにまかせっきりなわけはありませんから実際は「人」だということはちょっと外しておいて。)
 先日、なんとしても勝ちたかったはずの大会で負けました。ちょこっとだけミーティングを示唆しました。2時間くらいのミーティングが練習前に行われました。ミーティングのもつ意味は、反省や改善や、技術、戦術や気持ちの面等々、内容はだいたい決まっています。しかしそこに「自分たちの・・・が無ければやる意味は大幅に下がります。「言われたり、指摘されたりして気づかされたり、考えようとしたりする」のではなく、「自分たちで気づく感性と改善や向上に向けて具体的に取り組む意志」を発動させるために「自分たちで」が必要です。そこには、確実に「意志」と「創造力」と「責任」が存在します。
 だから大人は介入せず、自分たちだけで行います。それ故にそこでの決め事は自分とチームへの約束、チーム全体での約束です。その約束を守ろうと全力で挑まない人を「自分たちのバレー」を目指す一員、実践者とは呼べません。
 小学生諸君、ミーティングの重要さを身をもって後輩たちに伝えてください。その意味での「発動」です。実業団ではないので、ミーティングは遊び半分になったり、大人から見て「?」の方向に結論づいてもそれは正解を出すことよりも何倍も大切な過程と考えます。「自分たちのバレー」は小部屋でも追及できると言えます。

No.136 【客観視】

 

 キーワードを三つ(+)一つ。「ツッコミ」「複眼(的)」「プラシーボ効果」。なじみのある順(仕事や趣味、専門分野の違いによって個人差はありますが)はこんな感じでしょうか。学生の頃(30年以上前か)、両親が上京しアパートを訪ねてきました。茶なんてものは学生は常備しておらず、こっそりインスタントコーヒーの数粒を湯に解き「鉄観音茶」と偽りました。「うまい」だそうです。数年前、職場の3日続きの大事な式典で、誤って最終日に必要な演壇の花を業者に返品してしまい、直前に気づいた我々スタッフは敷地内の樹木、鉢植、露地花をかき集め、大きな花瓶に詰め込みました。生まれて初めての生け花・・・。終了後、来賓の方からは「季節感のあるさわやかな感じ」と好評。

 先入観、主観が科学の目を曇らせてしまうことは多々あることです。「プラシーボ効果」は以前コラムで掲載しました。偽薬効果です。ただのタブレットを高効果の薬と信じて服薬し、症状の改善がみられるもの、良い結果に結びつくと信じさせるツールが効果を発揮するものです。原因はどことどこにあり、対策と効果の因果関係を検証し、客観的な判断を導き出す作業が科学の目線です。

 複眼はトンボやハエの眼の構造です。(的)と示したのは、実際は、思ったほど多角的に物が見えているわけではなく、感知する細胞の数からすれば人間にはるかに及びません。見える範囲は確かに広い。でも、その形状からたくさんの眼で見るイメージが連想され、複眼的に物を見ることが、色々な視点から客観的に考察することに例えられているのかなと思います。

 子どもの状況、喜怒哀楽、普段と違う変化に気づいた時、スポーツや勉強で躓いたり、向上したり、変容のある時には必ず根拠があります。改善に結び付けたりもっと向上させたい時に、客観的に見る見方「客観視」は重要な見方だと思います。言わずもがななのですが、実際にできているかを客観視するゆとりも持ちたいものです。

 漫才では「ツッコミ」が一人の役割。何かにつけてツッコミを入れます。ちょっとへそ曲がりにならない程度に、物事に「ツッコミ」(本当にそうなの?根拠はそれ?・・・)は必要なのかなと思います。

 と、ここまで書いてからなんですが、面白く楽しく盛り上がる「心の眼」、期待や願いや想いの「心の眼」はそれと同じく大切なことは、もちろんです。追加(+)の一つはこの「心の眼」。

No.137 【絶対評価 相対評価】

 

 秋、受験シーズン突入、模試の結果は・・・受験生諸君、直前まで、いや最後の1点まであきらめるな。おお、バレーの香りが・・・。A~E判定。中学以上の学校の通知表は多くは1~5、1~10段階。人数バランスは5段階では1~5までそれぞれ1,2,4,2,1が一般的かな。これは相対評価。サーブを打って10本中2以下,4,6,8,10入ったらそれぞれ1、2・・・。これは絶対評価。全員が10本入ったら全員5。

 そこでもう一つ。A君は、普段練習でとてもよく頑張っている子、でもなかなかサーブがネットに届かない。その子は来る日も来る日も先輩や大人に聞いて自分なりに工夫し努力してきた。でもせいぜい2本。別のB君は、元々腕力があり身体能力に長け、野球から転身と仮定する。どうということもなくだいたい8本入る。チーム内の相対評価でも評価規準による絶対評価でもA君は1。でも、彼は本当に1なのか?たぶんA君の自己評価は5。そこを見るべきはチームメイトであり指導者、大人。そのことは、高学年や大人は重々承知していること。

でもともすると見逃したり、A君もB君も自己評価に甘んじたりはよくあること。「気づこう」としよう。「伝え合おう」としよう。勇気も要るが優しさも要る。

No.138 【大元】

 

 「小中大元」このフレーズを聞いてピンとくる人は東三河出身の50代?別の名称は「天下落とし」「がんばこ」「いんさ」他多数。海外にも「four square」の名称もあるそうで、こちらの方がイメージは浮かべやすい。横文字も悪くない。

 使用するエリアは4m四方くらいの枠を田んぼの田の字に区切り、各エリアのランキングは下から小中大元。(なんだか軍隊のにおいがするが、何十年も前だから名称は鵜呑みにしていた。)使用するボールは今思えば、軟式テニスのボール。空気圧はみんな使用頻度で全然違うから、逆に面白がって対応する。パンパンだと強いとか低圧だと強いとか個性を張り付けてますますその気になる。まるでクレーに強い錦織みたいな肩書が気に入る。ルールは簡単。自分のエリアにワンバウンドさせてから別のエリアに打ち込む。自分以外の別のエリアにワンバウンドで決めるか、ノーバウンドでも相手がワンタッチしてミスすれば自分の勝ち。卓球のサーブ合戦を4人で同時に行っているようなイメージか。遊びと言えども策は多彩。フェイント、強打、地面すれすれのボール、体の正面を狙う、高回転やノー回転。掛け声で脅す。今思うとこれって・・・ドッジボールと同じく、小さいころ培うと圧倒的にその後の球技に必要な身体能力、動体視力に影響を与える要素満載。

 東三河地方(愛知県)では「大元(たいげん)」と呼んだ。もちろん、外での遊びだった。「外練のススメ」のコラムでも書いたが、外には予測不能だけど想定する可能性がその遊びや運動を感覚やバランス、対応力の強化について、インドアより勝るものがある。特に昔の原っぱ、公園は凸凹だったし。

No.139 【伝えること・伝え方】

 

 私は「教える」という言葉をあまり使いません。相手への敬意もありますが、「教えられた」というイメージは、箱や袋に入ったそこまで止まりのように感じるからです。「伝える」はどちらかというと提示されるにちかい印象です。受け取った側は鵜呑みではなく、一考したり疑問に思ったり、その先に自分なりに間で砕いてできれば再構築してもらいたい思いを込めて「教える」「指示する」を簡単に使わないようにしています。危機管理が必要な場合はさておき、受け取ったものをそのまま右から左に流すのではなく、「自分にはこういうふうに受け止めて」「こういうふうに具体的にして」の工夫が生まれる可能性があるでしょう。さらにもっと大切なのは、自分が咀嚼した内容を次広げたい時、後輩に「教えたい」時、伝えられた側が、より考えたり工夫したりして創造力満載の再構築をしてくるかを捻出することです。どんな「伝え方」がいいかを。この捻出作業はとても面倒ですし疲れますしイライラしても来ます。そんな時こそ「涵養」の心もちは座右に置く必要があると思います。

No.140 【名前】

 

 人の名前をパソコンで入力する機会が多い職業の私。最近はとても時間がかかります。指導者(とはおこがましいですが)の持つべき視点はこれまでのいくつかのコラムで挙げてきましたが、その柱の一つには、「こんな大人になってほしい」があります。一球の球出しにだってそれは込められています。ゴルフでいえば、キャディさんがクラブを選手に手渡す瞬間にも想いが込められているんだと思います。野球で捕手が投手に返球する瞬間にも。そう考えると、人が人にアプローチする時には必ず存在する願いが手渡されています。

 キラキラネーム、偉人を想起させる名前、不思議な名前、ちょっと見ただけでは、呼んでみただけでは腑に落ちないようなときもあります。でも、紐解くと、そこには何とも一生懸命で真剣で名付けた人の想いの深さが感じられます。全ての子の全ての名前に。受験勉強、仕事での文書作成、キャッチコピー、色々含めてもこれまでで一番頭をひねって、想いを集大成して導き出した二文字、三文字は、子どもの「名前」だと思います。

 そう思うと、自然に何げなかった呼名ですが、ちゃんと想いを汲んでかかわってあげようと思います。「こんな人に」に1呼名ごとに近づくような・・・

名付けた人は、名付けた時の想いを思い起こして、初めて出会うときはその名前を呼ぶときに、いままで普通に呼んでいた人は改めて、名前を呼ぶとき、その人に関わるとき、想いを馳せてみると、きっと気持ちを込めたアプローチに変化するんじゃないかなと思います。

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