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No.411 【千本ノック】 

 

  全然試合で芳しい成果を出せない私の友人。練習の虫でした。「高校から」野球部の彼は、すごく勉強ができた。独自の練習理論や野球の技術論を科学的に構築を試みていたことも記憶にある。多分、そこそこ間違っていたと思う。相変わらず下手だったから。
 そんな彼、理論派で合理主義。ある日曜日、野球仲間を集めて千本ノックにチャレンジしてた。そこに、バレー部なのに付き合わされた。遠州灘のくそ寒い風吹く近所の小学校の校庭。
 お前、理論派だろ? 千本ノックって・・・と話しているところからスタート。かなり注文が細かい。あのあたりにこんな風に打てだの、スピードがどうのだの、バウンドの位置がとか。この光景を日曜出勤の小学校の先生が見ていて(たぶん野球人なんでしょう)しゃしゃり出てきてこう「千本ノックかぁ?」「つきあったるわぁ!」と息巻いた。
 するとドへたくその私の友人の一言「そういう感じじゃなくて、僕のやっているのはhぷ方論なんです。」・・・どゆこと? ちょっとよくわからなかった当時の私。
 結局本当に1000本やった。確かに根性はものすごく必要。体力も。でも、彼がもっとも使ったのは、頭脳。先生も相当注文をだされていた。確かに彼は一貫していた。千本ノックにストーリーと観点があった。遠目に見れば根性論、近くでよく見れば方法論。
 彼は、その後、6大学野球で守備の名手となる。間違っていたのはこっちだった。

No.412 【Let's speak English!】 

 

 「今日の練習は、全部英語でやります!(コーチ)」「Eeee~!?!?(メンバー一同)」全く声が出ない。おお、そもそもこの日のリーダーの「集合!」の掛け声が発せられぬ。それを待つかのように構えるコーチ陣も、待つようななふりして実は英語が浮かばない。こっそりお当番のママがググるのが見えた。
 この状況には二つの理由が垣間見れると感じました。かなりその二つは関連性が高いのでひとくくりなのかもしれません。
 一つは完璧な形でないと表出しようとしない勤勉さやまじめさ(特に日本人の)。もう一つは、間違えたら恥ずかしいから自分からは表出しないでおこうという臆病さ。前者は実直さが大きな根拠、後者は消極性が大きな根拠。かな?
 自分のプレーの、あるいは自分の性格のここを直したい、改善したい、そこからの手続きにおいては、自分のいい所と進める方針を明確にしましょう! 課題についてまじめに丁寧に自分と向き合い自己分析。徹底的に。映像や他者評価、材料を根拠に。すると、出てくる出てくるたくさんの改善点や修正への足掛かり。でも、人間そう簡単に修正なんてできないものです。正解への道を歩んでいるのかも不明瞭。では、20%しか自信が無かったり明瞭でなければ踏み出さないか。羽生選手も大谷選手も同様に「正解は見えないし、人それぞれかもしれないけど、「こうありたい」はある。」と話されていました。今表現していることは間違いかもしれないけど、正解を手に入れようとする道筋という意味においては、大正解だ。
 ディグの前に手を組んでしまう君、スパイクの助走で内側に入ってしまう君、大事なところでサーブをネットにひっかけてしまう君。分析をこれでもかとやりつつという条件であれば、正解が近かろうが遠かろうが、勇気をもって一生懸命チャレンジを繰り返そう。100%には、死んでもたどり着くことはないんだから。
 その姿を自分と周りに見せつけるべきだと思います。
 では、次回の練習から、全員、英語で練習します・・・「集合」は「gather!」?なの? なんでもいいからしゃべってみよう!

No.413 【努力の行方】 

 

(大会直後、1回もコートを踏めなかったメンバーへのメッセージから)
 時々、「ちょいバレ」では、blogの一部や、誰かさんへのメッセージとして送ったもの、あるいは受け取ったメッセージなど徒然に挙げています。今回もその一つです・・・。今回は、大会の振り返りを送ってきたメンバーへの返信内容です。

お疲れ様でした。この言葉は、とても辛い言葉でもありますね。
きっと心がとてもとても苦しく疲れたと思います。
「コートを踏めなかった。」
その一文(振り返りのノート)に込める思いが、この文章のどの文よりも重かったと感じています。
私も同じような経験を何十回もしてきましたからよくわかります。


さて、こんな経験ができる人がそうそういるわけではなく、そう考えると、きっとチャンスなんだと思います。心を磨くチャンスだと。
私たちコーチ陣も、ベンチで、悩みました。情けで出してあげようか。
心を鬼にしての苦渋の判断。これがこの先の歩み方にプラスになればと。
今日、悔しさからベンチで涙がこぼれたことを糧にしてほしい。


がけっぷち(と本人たちは思っている)の他のメンバーに伝えたのと同じことを言います。
報われない努力を認める生き方か、努力は必ず報われることを証明する生き方か、どちらの生き方をしたいのか。
今、その機会だと思います。今日は、コートの中に居られなかったからと言って何も得なかったとは、私たちは全く思っていません。むしろ、一番大事な経験をした一人だと思っています。
再スタートは、切りましたね!

 

No.414 【バディ(buddy)】 

 

 10m降下するごとに1気圧上昇します。OP(オープンウォーター)という初級の水中ダイビングのライセンスでは30mまでと決められています。4気圧の世界は気体の体積が4分の1。水面下でそれだけの空気を肺に吸い込んだまま水面に上がれば4倍に。肺が爆発します。これがエアーエンボリズムです。さらに、急激に上昇すれば、血管の中の窒素成分が気化してしまい、血管をふさぐ窒素酔い。タンクのエア残量不足に気付かず・・・などリスクは少なくありません。しかも命に直結します。
 それを回避する手段の一つにバディ(buddy)システムがあります(個人のスキル、知識、経験、持病や体調などの自己管理など他にもたくさんありますが)。二人一組で、安全確認、意思確認、フォローアップをするシステムですが、いわゆる二人組。二人三脚です。自分を知り、相手を知り、状況に応じて危機回避や、この状況をどうしたら安全にダイビングを楽しめるかを慎重に丁寧に落ち着いて行動するためのシステムです。
 コートで、このシステムを導入してみたことがあります。バックの両サイド、攻撃の両サイド、セッターとセンターなど。もちろん、コートの中では6人、ベンチを含めると12~14の仲間ですから、心一つに全員バレーを全員で常に目を合わせ、次への筋道を確認するのは理想です。ただし、「漠然とみんなで」が奏功しないことも多くあります。
 そんな時は、苦楽を共にしてきた仲間とだったら、眼を合わせるだけで、このシステムが生きるはずです。眼差しを待つ仲間同士、救い方も救われ方もわかっていればいるほど力になるものです。

No.415 【コートの外でできること(大人編)】 

 

 甲子園、国立競技場、花園、聖地と呼ばれる会場には、大歓声とフラグやパネルの応援合戦が繰り広げられます。中には、その完成度が名物に。小学生スポーツにおいてもその過熱ぶりは(個人の見解ですが)、異様に感じることがあります。何十本もの幟、一糸乱れぬ大人の野太く威圧感のある応援歌や場面ごとの定型メッセージだったりする光景に違和感もった記憶が多々あります。大きな大会になればなるほど。
 応援する心をどう表現するかは、子どもにどう考えてもらいたいか、何をどのように考える子になってほしいかの根本的なところに立ち返れば、その違和感をもった根拠が見えてきます。と、これも個人の見解。
 これまでチームにかかわり、普段の練習、遠征、合宿、試合、練習試合、ミーティング、家での様子、自主練、練習の合間、たくさんの場面を見る機会に恵まれました。大人の立ち位置は、子どもを伸ばそうと意識すればするほどめんどくささが増します。
 ここで大事なのは、子どもに、「どう考える子になってもらいたいか」を頭に浮かべながらサポート方法を一ひねりすることかなと思っています。日頃子育てや仕事に忙しいので、心の半分にゆとりを持てる程度に。
 すると、大人の担う内容は、ところどころ、子どもにシフトしていけますし、子どももその気になっていけます。大人は後方で影ぼうし役。HIGASHIでは、遠征の配車メンバー、合宿のバス乗車位置、練習の荷物分担、ミーティングのタイミング、大会時の事前の審判配置、を自分たちで考えるのが当たりまえになってきています。熟したチームは、スタメンやサーブ順、試合中のメンバーチェンジやタイムなども。・・・とここまでチャレンジした小学生チームを私は1チームしか知りませんが。
 練習や試合での応援やコート内へのアドバイスも、大人ではなく、子どもたち自身が、気付こうとして、気付けたら発信しようとして、声に、動きにして、その成果を自分たちで確認し、振り返り、再チャレンジのサイクルにもち込まなくては意味がありません。
 大人が声を大にして子どもよりも先に発信してしまうと、そのチャレンジの機会を奪いかねません。ついつい言いたくなっちゃうんですけどね。気持ちわかります・・・。その仕掛けが難しい。でもこれも失敗を恐れずチャレンジするのが大人の係かな。

No.416 【ふり】 

 

 「pretend~」がまず訳には出てきます。もう一つは「act」が出てきます。ふ~ん、なるほど「act」か、俳優や演者。人からの評価や指摘を得るとき、それに対する振る舞いは、経験を積むとそれなりの上手さが身についてきます。ここに潜む危険に自分で気づけるか否か、さらに、気づいたとして、真摯に自分と向き合い、誠実な答えを探ろうと思えるか否か。
 上手くなるというのは、自分にとってはとても残念な成長? なのです。振る舞いが「うまいこと切り抜けた」「ちょっと後ろめたいけど大事に至らずに済ませられた」という到達点に安堵してしまいます。
 その先、さらに「ふり」の上級者はもはやふりであることに気づかず、自然にそれが自分の本性になってしまえるほどに・・・。これほどのactorは、もうactorではなく、本人そのもの。
 この人と一緒にバレーを、仕事を、楽しさを共有したいとは思わないですよね。手遅れにならないうちに、ふりがふりであるうちに、自分としっかり向き合おう!
 ・・・特に誰かに向けた苦言ではありません・・・悪しからず。

No.417 【6年生の保護者の皆様へ】・・・最終決戦直前保護者の皆さんに宛てたメールから

 

 ずいぶん前になります。最後の闘いを目前に、送ったメール文章です。

 6年生保護者の皆様へ ・・・「最後の吹笛まで」


 卒業生を送る会でのご挨拶とは別に、子どもたちが挑んできた錬成の場としての、私からの最後の伝達事項です。
3月27日は佐渡から見守ります。LIVE配信で見れない可能性もあります。それでも心は一つと勝手に思い込んでいます。
私が望み信じることは唯一つ。子どもらが、積み上げてきたものを全て出し続けること。「まとまっているからこそ強いチーム」を迎え打ちます。
 昨日、子どもたちには伝えました。先日の試合のこと、ここからのこと。
保護者の皆さんには感謝しきれないほどのサポートを子供たちも私たちもいただき続けました。
フリーゾーンや控室も含めた体育館内は全て、子どもたちが主役です。それは敵味方なく。
良いプレーには、対戦相手に対しても称賛をしてください。
 その考え方は特にHIGASHIは他のチームの心を動かす力としてここ数年認められつつあることを感じます。
さて、先日の試合、実は、私は、残念な思いで胸が張り裂けそうな時間がありました。誰かを責めているのではなく、積み上げ方に私自身の至らなさがあったんだという思いです。それは子どもたちの考え方です。
試合中、試合間、試合後、自分たちがどう考えてきて、どう表現しようとして...
先日の大会、もちろん、いい場面もありました。しかしながら、チームとして、試合中、その前後、試合間にすべきことが、私の目には、全くできていないように映りました。その意欲をもち続けたメンバーもいませんでした。いたのかも知れませんが、呑まれてしまったのかもしれません・・・。 
 6年生自身と、それをみていた5年自身は、どう捉えているのでしょう?
敗戦直後の試合間、自分達で考え合い、次の試合に向かうためにすべきことを、その時間を使って全力ですべきでした。脳から血が出るほど考え、高めるべきでした。でも、彼女たちがとった行動は、母の元に行き、泣いたり、励まされたり、労われたり。私にはそう見えました。もちろん適切なアドバイスもあったと思います。それをどちらが求めたのかは、知りません。ある意味自然です。しかも小学生ですし。その気持ちは、私も親として同じ道を歩んできましたから痛いほどわかります。
 しかし、あの時間は、チームみんなで次に向かうための話をすべきなのではないかな?
寄り添ってくる母たちに、「今は、そういう時間に使いたい。だから応援ありがとう。でも、今は、コートで闘う仲間みんなで、次の試合に挑むために話し合わせて!」と、ここまでこのチームで積み重ねてきた6年生なら、言うべきでした。
昨日の練習前に、そのことは子どもたちに伝えました。気持ちだけでは勝てないとは言え、気持ちがないチームに、バレーの神様が微笑むわけはありません。
 小学生には難しいと思います。でも、それができる自分達、そこに気づける自分達を発見するチャンスでした。色々訳はあるかもしれませんが、それを考慮して大切な時間を3月27日に過ごしてほしいと思います。チャンスは逃してはいけません。全員が前向きで、ファーストペンギンで挑み続けることを諦めない姿を新潟から見たいと思います。ここまで錬成をともに積んできた子たちなら必ずやってくれます。
コートの中にいるのは、ママやパパじゃなくてチームメイトです。赤々とした薪が8本なのか、それとも灰なのか、3月27日は6年のラストチャンス。
 子どもたち自身、保護者、コーチ陣がそれぞれが、6年生が集大成として、「自分たちのバレー」ができるために全神経とちからをチーム一丸で表現する!
 最後の試合を前に、苦言じみた長文の内容ですみませんでした。   以上です。

 ・・・後日、最終決戦は、館内沸き立つ大熱戦となり、6年生は幕を閉じました。やはり、ドラマは起こりました。養った力は本物だったと感じます。でも、本当に証明するのはここから先。しかも、明日からも、何年も何十年先も。考え方の幹は本当に本物だったかどうかの証明はその時にわかります。
 

No.418 【卒業生に宛てた手紙から】 

 

《卒業する仲間へ 2021年度末》 
 
 「やさしさ」と「つよさ」、しかも本物の。私たちが身につけてほしいものを手に入れるきっかけは、HIGASHIでみつけられたかな? この二つが、同じことだと理解できる自分が今、ここにいるはずです。私が文章にするとしたらこうです。本当のつよさをもつ人とは、「どんな時でもどんな場面でも、笑顔で自分と大切な人たちを支え続けられる意志とやさしさと勇気を持って行動すること、生きることのできる人。」でもね、勘違いしてはいけません。その人にとって、今、何が一番必要なのかを、その先を考えて言葉にし、行動にしなければなりません。優しい言葉やすぐ差し伸べる手を「寄り添う」とか「やさしさ」とは言いません。自分や仲間や大切な人たちのこれまでとこれからを、ここで養い始めた眼でよーく見てください。

 たどり着きたい景色、手に入れたいもの、形があろうがなかろうが、どうやってそこに向かえるかを考える方法を一番身に付けることができるチームが、私たちです。その方法をいくつも提案できる自分、創造できる自分が今、ここにいるはずです。

 目標を設定する意味。達成への道のり。その中で丁寧に、自分を客観的に、具体的に築く策、たくさんたくさん積んできました。技術的にもそれ以外にも、こんなにクソめんどっちい経験をしてきた小学生は、まずいないでしょう。自分で考えて答えを絞り出して、でもなかなか成果が現れない悔しさや、どうしたらいいのかわからないときの泥沼のような期間だってみんな経験してきています。

 越える方法は、簡単に答えを教えません。というより、約束できる正解なんて、私たちにだってわからないんです。ただし、その「挑み方」が、「辿るべき道」であったことは間違いありません。それを一生懸命やってこれたのであれば、辿った道は一番素敵な道だった言えます。できるかできないかにかかわらず、「次の一歩」を自信をもって踏み出せるはず。「自分を信じる」とはそういうこと。

 そして、信頼されるに値する自分をつくることへのチャレンジはできたかな? 鏡にうつっている彼女、一瞬前の自分を乗り越えることへのチャレンジはできたかな? 心のすぐ横で笑顔で強引に手を引っ張って絶対に離さないでいてくれる仲間とチームを築くことへのチャレンジもできたかな?

 まず一つ、卒業生大会で、答えを出せたよね! 心底!心底!しびれる内容でした! こんなチャレンジができる人になった。超強豪相手に最後の1点をみんなでもぎ取った瞬間、思いっきり立ち上がってガッツポーズしたおかげで、腰痛になった。

 みんなは、このちからをもって中学校へ。残念ながら、このちからの一部は、中学生を見ていると、忘れてしまっているように思えて仕方ありません。たぶん、照れや勇気のなさや挑む心の強さや向きが、今のみんなと違うのかもしれません。でも、このちからは、絶対に仲間と自分を救うものであることは明言します。今、誰と、何をしなければいけないのか、前を上を向いて考えてくださいね。

 毎年、このチームには、最後にドラマが起こります。と言い続けてきました。でも、なぜかはぼんやりとしかわかりませんでした。ただし、ぼんやりの中にも、私たちコーチ陣には、確信もあったんですよ。全てはそこにつながり、到達点そのものも、その先から振り返れば通過点です。 

 ここからは、中学という青春の真っただ中に突入するんです。勉強と部活、それ以外に一生懸命になっている暇はないぞ。挑めよ! 中学生! 挑み方は伝授しました! ここに伝統があるとしたら、この「挑み方」がその一つです。


 さて、卒業生には、とんでもなく自由で、私の自分本意な考え方で、でも、すごく想いをたくさん強く込めて、ホームページに書き綴った「ちょいバレ」の全コラムを無理やり渡しています。要らないという人にも。

 今読んでも珍紛漢紛なことがほとんどでしょう。なぜだと思います? それは、答えが、5年先、10年先、20年先、もっともっと先にあるからです。だから「おこちゃまにもわかるように」などと小学生用になどと簡単な文章で書いていないでんす。みんなが高校生、社会人、お母さんになって、もしかしたら子どもにスポーツを教えたり、生き方の相談をしたりしているとき、そのときにもう一度読んでほしいものなのです。卒業生の誰か一人でも、考え方を生かして活かしてくれると、私がここでみんなと出逢った意味があると思います。その一時のために私たちコーチ陣はみんなに一球を出し、考えを伝え、色々な種をまいて、罠をしかけて、雨を降らせて、時にはちょっといい気にさせて、落として浮かべて、文字にして表現して本当に色々やってきました。恩着せがましいめんどくさいおっさんたちでしょ? 
でもね、ここで出逢ったのが運の尽き、あきらめて君たちの「生き方」で恩返ししてください。

 では、皆さん、来年度からは、POOPSS(サポーター)の一員として、チームに力を貸してくださいね! それと、力をもらいたい時にも来てください。みんなの心を手渡された後輩がいます。優しく迎えるサポーターがいます。「一瞬一球」に全力で「志」と「魂」と「策」を込めるコーチ陣がいます。ここは、みんなのスタートラインです。

 そして、最後にお願いです。今日、帰ったら「約束」。家族に体育館と同じ大きさの声で、近所迷惑を顧みず、感謝の「文章」を述べ、挨拶をしてください!!

【 保護者の皆様へ 】
 応援、サポート、そして苦悩や憤怒、とてもたくさんの喜怒哀楽、我が子やチームを思う青春の再燃、お疲れさまでした。いかがでしたか? 年度の途中で、「この子たちにもドラマは起きるんでしょうか?」と質問されたことが、何度かあります。答えは子どもたちが出してくれました。勝った負けたということを言っているのではないことは、おわかりかとおもいます。子どもたち自身の未来日記、卒業に向けた作文には、それが現れています。共通して描かれている感情は、「志」「方法」「考え方」「仲間」「ライバル」「感謝」「継続」「努力」「伝え方」「挑戦」・・・これらは、もしかしたら分けるべきではなく、ひとくくりに、「思考」「心」なのかもしれません。大切なのは、長い時間をかけて、人としての幹になってきているかどうか。この子たちのここまでと、これからを、全力でみまもっていただきたいと願います。どこで寄り添うか、離れるか、葛藤の日々、本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました。真冬に冷たいお茶を手にしたときにきっと、皆さんのことを思い出すことでしょう。
 
ここからは、各自へのコメントです。

【 ○○さんへ 】
 自分が背負わされるものについて、多くのエーススパイカーがこういいます。最後はいつも私じゃん、勝てば立役者、負ければ敗因は私。考え方が成長するとともに、心の底からこう思えてきます。最後は私に託せ!負けたって私が責任を背負うさ!
 そこに至るには、考え方を変えたり、見方を変えただけでは「心の底から」は手に入れられません。自分の成長だけではなく、仲間も心が成長しなくては手に入れられないものです。だからこそ、仲間が必要です。
 HIGASHIのバレーは、それをつかみ取るための「考えるバレー」だったと思います。だいたいのことはうまくいかないものです。でも、つかみ始めた瞬間、みんなと一つになれた瞬間、ほんの一瞬をいくつもつなぎ合わせれば、みんなで闘えるチームになることを経験しましたね。
 多少の頑固さは、譲ってはならない窮地で自分と仲間を救う自分の持ち味。その剛腕が、最後の最後にだれしもを黙らせる! かっこよかったぞ! 

【 ○○さんへ 】
 あまり話さないおとなしい子。入部したての印象です。試合経験や練習を積むうちに、人の心は複雑な構造になります。スランプや試合でのドポンコツの連続はそうして現れてきます。本当のバレーの醍醐味はここからです。その渦中で、ここはいいところだなと思ったところがあります。自分やチームがどんな窮地や場面でも、冷静に質問をしてきます。普通は、くっそ叱られた直後は、コーチに話しかけづらいものです。もう一つは、「私はこう思う」を堂々と出せますね。何も考えていないのか、冷静なのかはわかりませんが、それは天性と言えます。
 さて、HIGASHIにかかわる全ての時間、どうでしたか? 特に自粛期間からの伸びは素晴らしかった。スパイクフォームは、とても秀逸です。高さと力をもっと得れば、試合の流れや状況判断を考えるバレーの経験を積めば…と期待が膨らみます。
 中学では、初心者も多い環境です。○○さんがそこで作り上げ、決してあきらめない、前に向かうチームを見てみたいなあと思います。
 いじるの楽しかった~~ 

【 ○○さんへ 】
 辞めたいと思ったことあったでしょ? 沼から脱出できなくてもがいたこともあったでしょ。コーチ陣は答えを出してくれないし、自分がどうなるのか、自分に期待されているのかいないのかわからない。
 ふり返ってみてどうでしたか? HIGASHIは考え方を考える経験を、その人ごとに与えます。チーム全体にも与えます。まさに、錬成の場所です。今の○○さんが、到達点ではありません。まだ、途中、というよりやっとスタート地点だと思います。こうやって考え方を進めていけば、こんな心の置き方でチャレンジしていけば、光が見えてくるんじゃないか? が、わかったと思います。
 客観的にみて、この経験をしてきた小学生はほんの一握りです。その分、自信と探求心をもって、中学ではさらに、表現してください。○○さんが、チームを築き上げるんです! これだけ苦労した人は、その資格と術を持っています。挑めよ。

【 ○○さんへ 】
 HIGASHIで過ごした時間は、長かったですか? 短く感じましたか? それが自分にとって糧になっているのか、たぶん、答えを見つけるとしたら、中学に行ってから振り返ると、見えてくるんだと思います。コーチ陣は、一番難解な注文を出していたと思います。ヒントは、思い描くスタイルにあります。そこへの手続きや策を具体的に、一生懸命やるしかないのです。上手くできなかったところがある?
 でもね、自信を持ってください。その理由は二つあります。一つは、たくさん考えて、自主練をして、自分を変化させようとし続けることができたこと。二つ目は、HIGASHIに出逢えたこと。自分で言うのも偉そうですが、自ら考え自ら成す、さらに、自ら学ぼうとする、この実践を積み重ねられるのは、他のどのチームにも負けてはならないと考えてきたからです。
 さて、中学、どんな道を築きましょうか? 大いなる志と策を全力の表現で発信してみましょう!

【 ○○さんへ 】
 自主練の時のチャレンジ、素晴らしかったですよ。自分と向き合うこと、課題を設定すること、地道に実施し続けることがこれほどできる人がいるということに、みんな驚いたと思います。
 正直に現時点での印象は、球技がとても得意という人ではないかもしれません。でも、考え方です。好きであれば、チャレンジしようと思います。到達点は自分で評価して、歓喜や憂鬱になること全部を自分の一歩前進と思えば、そこに大きな価値を見出せます。人と比べることよりも、ちょっと前の自分と比べて上に上がることの方が大切です。そのチャレンジはたくさん、悩みながらも、できたと自信を持ってください。
 とはいっても、バレーはチーム。自分の強みと弱さをチームプレーの中、練習の中でどう表現してチームとして高い方向、歓喜する方向に向かわせて行くかは、本人の腕の見せ所です。自分と似た心境の仲間を、どうやって力強く挑ませるか、中学では、その姿も楽しみにしています。バレーに限らず言えることです。勉強も部活もそれは同じ、チャレンジし続けてくださいね。

【 ○○さんへ 】
 ちょいバレのコラムで「劇」を検索すると、15個くらいヒットします。高校学園際、コート劇場…。大切な人たちのために、如何に自分を必要な場面で表現する事ができるか。生き方としてとても大切な要素だと思います。その勇気を○○さんに感じます。
 短期間で高みを目指すためには、向上心、想像力、あきらめない不断の努力の積み重ね、ライバルが必要です。そして求心力。人の心をつかみ、引き寄せ、自分をその中に置いて切磋琢磨を楽しむこと。いい仲間と出逢えました。そして、ちょっと手前みそに言うと、いいチームに出逢えましたね。言いすぎかな。
 いざ中学へ! 引き出しの種類は十分? 引き出しの中身は? まだまだもっと増やしなさい。でも、扉を開ける準備、エネルギーを君は十分もっています。このエネルギー、中学の最後の大会の最後の吹笛まで表現し続けた先輩のなんと少ないことか・・・でも、なんだかそれができそうな人がここに現れてきた気がします。挑め! その先へ!

【 ○○さんへ 】
 入部した頃と今の自分、どんな変化を感じていますか? 経験年数の多いメンバーに対しても、「自分はこう思う」を発信できるのは勇気が要ります。自分に言う資格や引き出しの中身が少ないにも関わらず発信する場合は特に。でも、この勇気が仲間を救う大きなちからです。ミーティングでその姿勢を見せてもらえました。上手い下手、実績、関係なく率直で、人のためになる発信、表現、これは、バレー以外にも重要な要素です。
 なんだか「下手」と言っているように聞こえますが、言っています。ただし、君の成長曲線は面白い。急にポンっとできるようになったり、ドポンコツであったり。でもそれ、長所です。たぶん。コツを得れば天性のバネや判断力で俊敏に解決方向に向かえますね。バックレフトにコンバートした時は、ちょっとおどろきました。まあ、スパイクはもっと修正が必要ですけど。あちらこちらの凸凹加減が、バレーを楽しくするんだと思います。
 さて、中学、どんな道を選びますか? 思い描く風景を現実のものにするための策、自分流に作り上げて見せてください。○○さんが作るチーム・・・おもしろそう・・・

【 ○○さんへ 】
 スポーツのチャレンジの流れは大きく二通りあるように思います。チームプレーから個人競技と、その逆。最終的には、チームプレーの要素に戻ってきます。バレーはその中で、スピードボールをコントロールしながらつなぐ最も難しい競技と言えます。その分、思い描いた風景に出逢えた時、出逢うというよりつかんだ時、みんなで見る夢の、みんなで挑む道の楽しさや頼もしさを感じます。その想いを感じることができたかな? きっと大きくうなずくと思います。
 キャプテン経験者はみんなこういいます。「私でよかったのか」。私は、○○さんを見ていて、大きくうなずきます。でも、最も大事なことは、そこから逃げずに一生懸命挑もうとすること、その策を考え続けていくこと、その姿をみんなに見せようとすることにチャレンジできることだと、君を見ていて思います。もちろん、完成形ではありません。心許なく、泣くし凹むし爆発的な表現力や冷静な判断はまだまだです。だからこそ面白い、頼もしい。中学で、このちから、どんなエネルギーで表現してくれるのかな? 実は、それを中学でやり切れた卒業生はほんのほんの一握り。だからこそ、挑め!

 

No.419 【フォーム(ディグ)】

考え方は色々あると思いますが、人に説明できてこそ、「やろうとしていることがわかっている」出発点と考えています。

​過去のちょいバレで文章で解説した記憶がありますが、コロナ禍の外練で2年ほど前に図にして配布した物を掲載します。

 

 

No.420 【自分たちのバレー14】 

 

 スーパースターがいるわけではありません。粗削りな攻撃陣と、自分に勝とうとすることだけでも涙がこぼれそうな守備陣と、一皮も二皮も剥け切れていないセッターと、そして葛藤に打ち勝ててこれていなかった泣き虫のキャプテン。彼女らの組む布陣は、なんとも心許ない。ただし、それはいつもは、です。いくつか言えることは、手ごたえを毎試合毎試合つかみ取るような印象を醸し出すこと。そして言われなくても進んでいこうとする面白さに似た貪欲さが膨らんできていること。「成長」と一言で言いきってしまえるほど爽やかでないことも確かです。
 張り裂けんばかりに勝ちたいと思う試合、キャプテンは全てのボールデッドの場面で、ネットを背にし、チームメイトを奮い立たせ、落ち着かせ、向かうべき方向を示しました。ではなく、示し続けました。
 最後の吹笛が、大粒の涙を一層悔しい想いで震えさせる。
 ここで話が終わってしまっては、タイトル「自分たちのバレー」は意味をなしません。このチームの自分たちのバレーはここから。昨年の春、6年生が大きな反省を心に刻んだシーンを、このメンバー達は忘れていないはず。これもつないだ襷。
 敗戦15分後の試合、開始の吹笛と同時に全力でコートに飛び込む元気印たち! 前を向くことがいかに大切かを、大人だってそんなに簡単に「切り替えて挑む」なんてことはできっこありません。応援席はその姿に心が震えました。鳥肌ってこんな時に立つんだ。最後までその意志を貫いて、大人を泣かせたメンバー達。自分の意志と、全員が同じ方向を向いて全力で挑むことのできるチームを讃えていいと思います。敗戦後の立ち直り(本当は立ち直ってなんかいない。だからこそ価値がある行動)、そこからの突進力に「自分たちのバレー」を感じさせられました。

No.421 【ピタゴラスとドレミ】

 「あのスパイカーのボールは重い」「あの投手のストレートは手元で伸びる、手元でストンと落ちる」…以前、ちょいバレでその意味を紐解いた記憶があります。

 ピタゴラスは数学者と思っている人が多いのですが、巨大な密教教団の創始者でもあります。思想は科学や数学を根拠や武器にして大きな力を手にしていたそうです。ちょっとおどろおどろしい空気になったので、テーマに戻りましょう。

 次の分数は何を示すでしょうか? 1、8/9、4/5、3/4、2/3、3/5、8/15、1/2。答は、タイトルにある音階です。1本の糸の長さをこの比率にすることで、ドレミ…の音階になります。厳密にいうと、均等に周波数が掛け算や足し算のようになっていないのですが、周波数をこの比率に設定することで数学的には和音では違和感なく心地よく聞こえる組合せが成立します。

 ピタゴラスは、幾何学、天文学、算術、比率など当時の数に関する学問の最高水準を網羅したそうです。この音階の比率の発見もピタゴラスによるものとされています。なんとなーく和音が心地よいからとかなんとなーく…ではなく、科学、数学による根拠。最近世に流布している「エビデンスベースの・・・」というやつでしょうか。科学の目をもって究明探求仮説検証することは大事ですね。

 余談ですが(そもそもちょいバレ自体余談のかたまり)、ピタゴラスの定理(三平方の定理)は、ピタゴラスが発見したか否か怪しいという説が主流だそうです。余談ついでに、ピタゴラスの定理は小学生でも証明できます。正方形の中に直角三角形を入れて図形を切り貼り移動するタイプです。あのレオナルド・ダ・ヴィンチさんも図形的に別の方法で証明しています。流石は天才、わざわざ一ひねりして。クリティカルシンキングと創造力のかたまりのような人物です。・・・そうだ、このヴィンちゃんのこともちょっと調べてみよう・・・

 

 

No.422 【ここもまた、スタート地点】・・・blogにちょい足し

 

 稀に、blogからこのちょいバレのコラムに移行する記事があります。今回は大会後のblogにちょい足しの記事です。しばらく時間を置いたのには、訳があります。ちょいバレに上げるコラムは、時折、アップするタイミングが、ねらいをもつことがあります。

 

 このブログは、いずれ、ちょいバレに移行するような気がします。それだけ、意味が深く濃いもの。だからちょっと時間をかけます。

 この日の過ごし方は、これまでのHIGASHI の挑戦の「今」の全て。これまでの決意、前日の約束、それを全員が通しきれるか否か。高々11.2歳のふわふわで、ぐずぐずで、そんな心のもち主たちが、その真髄を作り上げながら、磨き上げながら、時に壊されながら、小さな背中にランドセルの代わりに全部背負ってこのコートに立ちました。

 勝利至上主義ではないというと、負けた時の言い訳を用意しているように聞こえます。その解釈を全力で否定してくれたのが、この日の小さな挑戦者たちでした。

 前日話したこと。試合終了後、偽りなく、やろうとすべきことを全て考え続け、表現し続けることができたかを全員に聞く。その答えが笑顔であってほしい。厳しくもそう伝えました。

 試合は、激闘。自分と闘い相手と闘い、チームで一つの方向を向いて挑みました。キャプテンは、毎回ネットを背にして仲間に鼓舞と指示を出す。セッターとライトは緻密なブロックでエースのアタックをはじき返しまくる、振り向きも速い。バックは走り、フェイントに食らいつき、ブロックフォローは全員でこれまでの試合で最も多くのフォローをつないだ。つなぎまくったというべき。レフトエースは渾心(本来は渾身と書きます)のアタック。生きたボールは必死に逃げ惑うチキンのよう。そんなイレギュラーの連続に対応する術は唯一つ。想定した一生懸命の練習の積み重ねのみ。ただし、発揮するにはそれとは別の大きな意志が必要です。

 今日は、控えのゾーンからも、応援席からも、ベンチからも直接心臓に届いていました。その鼓動が選手を動かす。

 試合終了の後。これまでで一番たくさんの涙を堂々と流しながら、「楽しめました!」「やろうと誓ったことが最後までできました!」。それはコート内外みんな同じでした。それゆえ切符を逃したことが、次の成長、生き方への大きな力になると確認します。

こんなに輝かしく、忘れえぬ重量感に満ちた感覚と確信を手に入れたHIGASHI のメンバー。ここからもまた、スタートを切ろう!! 君たちは、どんな悔しい敗戦の直後も立ち直り、さらに上の、周りを黙らせ、鳥肌を立たせるレベルのパフォーマンスを発揮する力があることを証明して見せました。

 この力を無駄にするのはもったいないし、ここまでが本当に全力で都心し続けたかは自信がない者も、自分に、仲間に納得しきれていない者もいるべきでしょう。だからこそ、自分に厳しく、生かしてこそHIGASHI の伝統。伝統は「心の磨き方!」。

 6年生は、ここからが正念場のチームがここHIGASHI 。厳しくなるぞ、でもワクワクして待ち構える君たちがチームの誇り。さあ、3月31日、その評価がたのもしみです。

No.423 【ジャンピングフローターサーブの意義】

 帝都大学理工学部物理学科の准教授、湯川 学 氏。通称ガリレオ。前述のコラムでピタゴラス、ダ・ヴィンチときたらガリレオだ。とこのドラマの主人公ガリレオ(湯川教授)は、事件を物理学で紐解く架空の天才学者ですが、科学の目はその説得力から興味をかきたてられます。
 時速60kmのサーブを、打点1.8mで相手コートに打ち込みました。ネットスレスレのきれいな弾道のサーブはエンドラインぎりぎりに落下。終速は63.7km。ボールの滞空時間は0.97秒。おや?スピードは落ちるのでは? 申しわけない。私の物理、数学の知識では、空気抵抗をこの演算に加味することは不可能です。だから、高さの差によってスピードが増してしまう。(実際は空気抵抗により、減速し、着地点は少し前になります)
 では、ジャンピングフローターで打点が2mに上がった場合はどうなるか?(ここでも登場するボール1個分) 滞空時間は0.85秒、やはりエンドラインぎりぎりのこのサーブは、初速は時速68kmまで上げられます。20cmの高さがもたらすものは、約1割増しのスピードと滞空時間1割減。
 さて、考え方です。このメリットを、「ならば使うべし!」とするか「いやいや、高々1割。だったら安全に地に足の着いたサーブでミスなく打つよ。」とするか。チャレンジか安パイか。余裕で選択できるスキルを手に入れるのが、バレーを面白くすることは言うまでもありません。どの場面でこの選択をチームとして共有して発動するか・・・チームプレーである以上、おのずと場面場面、全員が同じ気持ちで挑める高みを目指すべきです。

 

No.424 【5cmのスイカ】

 

 1学期の終業式の日、息子が苗を持ち帰ってきました。なんでも、クラス全員分の統一苗が手に入らなかったので、各自好きなものを選んでということになったんだとか。期待が膨らむ小学生はその夜もその翌日の夜も超特大のスイカがなることを夢見ていたといいます。

 農業はそんなに甘くないことをしったことと、それでも花が咲き1つ実がなったことに大感激!! のちに聞くと、学校の管理職の先生は、もしも失敗したら、子どもが心に傷を負うからやめるように言ったそう。出たよ・・・「もしもなにかあったらどうするんだ症候群」。

 その基準は本当に正解に近い領域でしょうか?

 先日、某進学校(高校)を訪問する機会がありました。そこでのある先生のご発言に、「小学校中学校を優等生で過ごした子たちばかりです。だから失敗したくないから手を出さない。失敗や挫折した時に脱出できない。」がありました。よく聞く話です。

 昨今、感染症の拡大で、イベントが減り、仲間との討論や合意形成、腹の探り合いや向かうべき方向に決死の覚悟で紆余曲折しながら切磋琢磨しながら挑む機会は、大きく減りました。ただし、それを感染症の影響とも言えない教育界の現状、保護者を含む大人の社会の意識が、すでに何十年も前のスイカにすでに現れていたんだと思うと危機感を感じます。

 もしも、あの時、仮にスイカの直径が2センチでも、あるいは枯れてしまっても、そこから得るものを拾いだそうとする力をつけることの方が、誰も失敗無く簡単な野菜を全員が実らせたり、大きなスイカを実らせたりすることの何倍も多くの収穫だ!ということを語れぬ大人にはさせてはなりません。

 ただし、失敗するにあたり、条件があります。期待や目標、準備や努力、探求心や突破力といったエネルギーが大きいほど良い条件と言えます。

No.425 【プレポジション(守備の準備)にまつわるあれこれ】

 ちょいバレ314で「以前、「プレポジション」について記載しました」と書きましたが、調べてみたら、ウソでした。項立てして整理してないものですから、これも私の天性のテキトーという才能。26【スキーの技術から・・・屈伸抜重】、132【レセプションの選択肢】、343【レシーブの基礎】にその解説が前提での記載があります・・・前提を詳解説してもいないのに・・・内容としては、忍者だったりゴキブリだったり、表現は色々。
 改めてここで、プレポジションの意識と動きを整理しておきます。状況設定は、ディグ、レセプション、ブロックフォロー、チーム内のセカンドタッチ(時にはサードタッチ)、アタックヒット(相手コートからの全ての返球)の場面です。全ての守備においてこの意識と動きを、ボールが人に接する直「前」に重心の移動(先行動作)が始まりつつある「ポジショニング」を行います。この意味で「プレポジション」です。
ボールが人に接する直前、重心を瞬時に下げ地面からの抗力を足裏や下半身に「グッ」と感じる意識をもちます。これで同じ筋力の場合初動のスピードが、理論上0,1秒、届く距離は・・・猛ダッシュでエンドラインから遠くに飛んで行ってしまったワンタッチボールを0.7m先まで捕球できます(小学生)。もう少し距離の少ないコート内のバックプレーヤーのディグならボール2個分。重心は前にキープします(これは343の一部コピペ)。頭の高さを変えず、地面をスライドさせるように小さな刻みでもいいので一歩目を出す。跳びはねる動きは厳禁です。
 その意識と初動ができているか否かの確認方法はいくつかありますが、姿勢については、VTRなど最近では手段が豊富。自分で確認するには、「そのアタックヒットが仮に来なかった場合に、重心の移動に伴って、ほんの少し、ゴキブリのステップがササっと想定の方向に移動して終えられているか否か」が、わかりやすいと思います。だるまさんがころ「んだ」「んだ」「んだ」・・・ってわかる?
 さて、ステップバックやスプリットステップについても補足します。これらは、元々、テニスの基本の動きとしてレクチャーされてきた言葉です。レセプション時にステップバック実施している中学をで見たことがあります。ステップバックは、一旦下がり、両足を開いて地面を踏みつけ前方に1~3歩移動する。この言葉を私が当時使わなかったのは、跳びはねるイメージが言葉から連想されてしまうこと。試合でレセプション時にジャッジミスが増えたことなどから、試合で使うには相当の訓練を要します。イメージの習得としては有効です。スプリットステップは、テニスのように、このタイミングで必ず相手がヒットしてくることが明らかなスポーツには、特に有効です。
 と、バレーでは? もちろんとても有効です。ただし、活用には注意が必要です。イメージは、「跳ぶ」のではなく「下げながらスライド」。重心は前に。敏腕コーチの説明がわかりやすかったので、引用します「両つま先より両膝、腰が前」。これで上半身が整えば、パワーライン(ちょいバレには9回登場していますが、項立てしての解説はいずれ)はMAXの準備ができます。
 リカバリの連続場面では、プレポジションの初動準備の連続、そして最も大事なのは絶対繋ぐ意志と遅れぬ策。これでボール2個分、チームメイトに希望をつなげられます。

No.426 【救い方と救われ方】

 

仕事の関係から、高校生年齢の子たちの心のありようとでも言おうか、生きにくさを抱える子たちの状況をうかがい知る機会が特に多くなりました。そこから感じることの一つに「もっと早期に自分の救われ方、自分の救い方を知る機会を積み重ねていればあなぁ・・・」があります。
小学校時代から高校生に至るまでに、勉強ができることで一目置かれてきたり、コミュニケーションが十分豊かに成り立っているとはいえないのに、放置したり、逃げ切れてしまっていたり、そんな子は特に前述の感想と結びつく関係性があるように思います。
ということは、考え方や表現力が未熟な時にこそ、壁を乗り越えたり、迂回したり、壊したりする経験を、「失敗」を次の「突破の楽しみ」と思えるくらいにたくさん、何重にも何重にも経ることが必要です。
昨今、学校生活では特に、この経験は難しくなってきています。人権尊重の観点がそのチャレンジを阻害します。当然、人権尊重は絶対です。ただし、保護者、本人が、この観点をへんてこりんな武器として使うことが、本当に必要な力をつける場面で先生たちのチャレンジを無難な方向に向かわせてしまう場合があります。
せめて、課題に直面するときの、自分の救い方、大切な仲間の救い方を、深く考える方法を地域のコミュニティ、クラブチームでは何度も何度も体験させてあげられればなと思います。きっと成果は高校生、大人になって現れる、と期待して。

No.427 【メロンと予定調和】

 私の出身地。家の周りはほとんど畑。スイカ、白菜、大根、そしてメロン(ハウス)栽培が有名です。年間を通して比較的温暖、強風・・・当てられますか?
 同級生がメロン農家でした。メロンやスイカは、1本の茎に実らせる実の数が少ないほど、大きく質の良い成果となります。そのため、値段が張りますが、その一つのために他の鼻は咲けども取捨選択し状況の良い
ものを残し、それはそれは立派で誰しもがうなづく糖度の高いメロンの収穫に至ります。
 この経緯を私は時々、「予定調和」と併せて紹介することがあります。結局、最初から、この実ありきにもっていく。○○の研究発表。□□の実践報告なるものは、往々にしてある程度のプラスの成果を想定して進み、「ほーらね」みたいな結果で「よかったよかった」となるものです。
 こんな予定調和には、私は全く共感しません。Little Glee Monsterというグループの歌う歌詞にこんなのがあります。「できそうなことから、やりたいことを探して、それに夢と名付ける日々に別れを告げ・・・」そうありたいものです。さらに、その次のフレーズでは「心が道なき道を進むとき、力になるのは地図ではなく、ともに行く仲間の足音・・・」
 揺れ動きながらもがきながら力強く歩まねばつまらない! 無難な到達点なんてクソおもしろくもない。

No.428 【そんじょそこらの】

 

 練習試合の会場。各自が自分の課題と向き合って時間と機会を大切に挑まねばなりません。以前、「絶対評価と相対評価」のコラムを書いています。また、各自のポテンシャルについて、「10のちからと20のちから」についても記載しました。

 泣いて目をはらして、しゃくりあげ、コートに戻る気力と自信を見失った子。見失ったという表現はちょっと変な言い方です。この子は「自分では声もエネルギーも全力で出しているつもりです。」と。自己評価はそうなのでしょう。でも、コートで要求される「伝えきれる力」「届いているよという相手からの確かなレスポンス」があってこそ、ボールがつながるのがバレーボールです。他者評価は厳しいものです。「今日の評価は厳しいものになる」と全員にその朝伝えてあった通り。

 声の大きさやタイミングや酒類、エネルギーの発動の仕方やその大きさ、一朝一夕には身につきません。声の大きさはもちろん声帯周辺の筋肉の強さと肺活量。鍛えれば大きくなるはずです。

 見失ったまま、ベンチで防寒具のフードを目深にかぶり、竦むのか、それとも現実と向き合う手段を駆使して向き合うか、本人次第。動画や仲間の意見、たくさんその術はあります。

 そんじょそこらの小学生が経験できないこの悲喜こもごもに対峙せよ。だってここは錬成の場。たとえ君が3年生でもです。

No.429 【合意形成

 先日のちょいバレで予定調和の話をしました。結果ありきの出来レースっぽいイメージですね。合意形成については、目的について辿る道を多角的に考察して納得のいく方向性をだすこと。「話し合い」と簡単に終わらせないのがこの漢字を並べた時の心理的な魔法にも思えます。横文字にするのもそうですね。エビデンスベースの○○・・・みたいに。あ~やだやだ、では時代に置いて行かれてしまうので、ちょっとくいさがります。
 「妥協(まあいいか、こんなくらいで)」とはステージが違い、達成に向けての積極的な焦点化、課題の見極め、意見交換、方策、メリットとデメリット、一致して取り組む具体的な内容の決定。この積極性が合意形成の意義とも言えます。
 ややこしくないんです。小学生でも、例えば低学年にはそれなりの仕掛け方があります。その積み重ねをしてきた高学年、6年生はその手続きを経験してきているものです。ちゅんと授業に参加していれば、学校でも非常にたくさんその機会が用意されています。意図的に。そこが学校と学習塾の大きな違いの一つです。さらに、小学生段階では、形成された合意内容に間違いがあっても大いに結構であることは、小学生の特権とも言えます。
 バレーボールのクラブでももちろん、その過程は怒涛の波のように準備されます。特に意図的にその場面への対峙、次の一本への挑み方をチームで考察する丁寧で主体的なバレーを練習から取り入れているチームは。

No.430 【夢破れたチームに】

 

 全国に行ける可能性があった大会、そこに挑んだ小学生バスケチーム。初戦敗退。組合せが有利だと思った矢先。「子どもたち、落ち込みすぎて言葉もかけられず、見ているのも辛くて・・・」。心情手に取るようにわかります。「どうしてあげたらいいですかね?」。私の答えはすぐに出せました。(考え方は色々ありますし、正解と思しき答えもいくつもあると思います。)
 「そんなに悔しかったですか。奈落の底に叩き落されましたか。そんな思いが強く底が深ければ深いほど、その体験をした人は滅多にいません。ならば、せっかくその機会を得たのなら、生かさない手はありません。根こそぎ拾って、怒りや苦しさや残念さを泣きながら拾って、どうやったら生かせるかを考える絶好のチャンスです。忘れないうちに。」が私の答え。挑んできた思いと内容が強く濃いほど、チャンスを逃した残念さが強いほど、文字や形に残すべきです。
 ここで注意すべき観点を一つ。以前、中学バレーを受け持っていた時に、他チームの監督さんの話が心に残っています。「ジュニアでやってきた子って、試合の結果(敗戦)が見え始めると手を抜くんだよね。」
次があるさ、高校でがんばろっか、が心の底にあるんじゃないかとおっさいました。次がどこかにあり、また振り返ればいいやと受け身の自分、次を見つけてやろうとする主体的な自分、君はどっちの自分が好き? 振り返りの浅さに馴染んではいけません。
ということは、大人は、こんな時の振り返りの甘さ、振り返りからの挑み方の甘さを心を鬼にして、自分で這い上がらせる絶好の機会を得たと言えます。

No.431 【力を抜く】

 

最近、この世で一番、黒くてまあるくて小さくてきれいなものを発見しました。チロっとこちらを見上げるほんのちょっと意図をもった眼差し、0歳の双子の孫の瞳。大人になると陰謀にまみれた濁った眼になるのだろうか。それとも真っすぐで、希望と意志によって鼻垂れる輝きをもった眼になるのだろうか。
子どもの発達段階からすると、つかむ(握る)よりも、放す(投げる)方が高度になります。小さい子に転がっているボールをつかませるのは簡単ですが、投げさせる、手から放させるのは次の段階になります。色々な動きや感覚には順番が決まっていて、保育士や幼児教育を目指す場合は、大学や専門学校でこの手の発達段階は、必ず課程に組み込まれています。
なぜ、この力を抜く動きが高度なのでしょう? 本能的に食料が目に入った時、ほしいものを手に入れる時、身を守る時など能動的に感覚的に自然に出る動きが先です。一方、放す動きは意図的な場合が多いものです。「自分で放そう」とする思考が先行します。発達段階を知り、スポーツ心理を知り、身体構造を知り身体運動の力学を知ることも、コーチングには必要なんだな・・・と自らの勉強不足を何とかしなくてはとの思いから書いたコラム。気に留めずスルーしてください。今回のは。とりあえず、力と手をぬこうっと。

No.432 【1対1】 

 

 正式な練習の名称ってなんていうんでしょう? 対人? ツーメン? ①二人一組でパス、②リズミカルなレシーブ→トス→打つの連続など。パスも色々な応用ができます。技術レベルに合わせて創造力と創造力を働かせて。裏側には必ず試合での場面想定をしつつ。何となく慣れで「対人」と呼んでいます。
 ①が基本(技術の基礎や声については他のコラムで紹介しました。探すの面倒なので。)
・アンダーハンド、オーバーハンドの基礎要素をきっちり行う。
・必要な声は全て出す。
 ②は移動や相手が視界から消える瞬間を伴います。
・リカバリ要素への対応。
・丁寧なコントロール。特にハイセットやラストボールのコントロール要素の追加。
 ③として、「スーパー対人」も存在します。ここでの意識は「常にねらう」こと・・・もう少し砕いて言います。
・攻撃を常に狙い、リズムに乗らない。
・打つ時は強打が基本、そこに意地悪なフェイントや裏をかく攻撃を入れる。
・超ショートレンジのやり取りや、時にはブロックを入れて楽しむ遊び心。
・勝ち負けを意識する。でも、笑顔で。
・顔面レシーブ上等!
①②が基本、③はネットが無いだけで、試合中の
ラリー」での要素が全て入っています。さらに③での意識面、技術面での要点は以下の通りです。他にもあると思いますけど。
・ファインプレーを常にねらう。
・必要な声は全て出す。2種類(指示)+2種類(意志表示)+1(感情的)。
・スプリットステップやプレポジションをとる。
・前後の動きを大げさに。
・前のボールを落とさない意識
・次の方向の予測と初動のスピードアッブ
・打った後のフォロー
・低い姿勢
・手を早くつながない
・落ちても拾う積極性の表現
・他のどのコンビよりもエネルギッシュに!
さらに、③では、相手のクセ、性格、合わせるか誘導するか、その先を読む読み代、想定外への対応、想定外を想定内へ・・・たかが「対人」、されど「対人」。相手を変えながらこの要素を磨き上げれば、すごいプレーヤーになりえます。
 ③を3人、4人で行う練習メニューへの発展、面白そうですね。

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