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No.331 【語尾と語気とLet’s】 

 

 「よくできまちたね~⤴」「いいこでちゅね~⤴」
 なんでやらないの⤴ と、なんでやらないの! と、なんでやらないの⤵。なんで・・・の1番目は疑問の印象を、2番目は威圧や叱咤の印象を、3番目は落胆やイライラの始まりの印象を受けます。発信側の意図と関係なく受け取る側のスタート地点は移動させられています。(概ね意図はあるのですが。)
 戦略的後退をさせてからのスタートを切らせたい、などの深い意図がある場合は別として、人をその気にさせるにはちょっとした語尾の変更だけでも1%違うかもしれません。この差のおかげで、もしかしたら、一つくらいは大切なことがつたえられるかもしれませんし、考えてくれるかもしれません。一つくらいは?それじゃあたいしたことはないとするか、大切なことって実はそんなに多くはないと考えるかは考え方次第でしょう。タイトルに追加されている「語気」と「Let’s~」、伝え方の種類、伝えられた側の心境はいかに・・・
 冒頭の2つの文「~⤴」は、ジイジは最近よくちゅかうようになりまちた・・・が、錬成の場である体育館でこれを使われた人は、赤ちゃん扱いされているか、完全に見放されたか、あきれてものが言えないという意図と感じていただいたほうがよろしいかと。

No.332 【なぐ子はいねか~】 

 

 練習中に泣く子がいます。(大人が泣くことはここでは一旦体育館の外に置いておいて。)
 子供は本当によく泣きます。それを悪いこととも思っていません。「泣くな!」といってこらえさせることももちろん可能です。でも、それではその子は、同じ状況ではまた泣くんでしょう。あるいは、すっごく我慢して何とか泣かずに済ませるんです。何か解決しましたか? 我慢強くなった。それはよかった。な~んて甘く済ませてはせっかくの機会がもったいない。なぜ泣けてきちゃったのか。そこから紐解き、泣かないようにするためではなく、自分の問題、状況から逃げずに、何をどうしたら、同じ状況になった時に立ち向かえるか、笑顔に持っていけるのか、を考える絶好の機会です。
 子供が泣くことに一喜一憂せずに、この好機を生かしたいものです。親が直接かかわらない、大勢で対応しない、自分で動き始めるのをしばらく待つ、仲間を派遣する、落ち着いて振り返りをさせる(できれば文章に)、コーチ陣や大人がちょっとヒントを与える、自分の解答を言葉にさせる、同じような状況を体験させる・・・。この繰り返しを、繊細で丁寧なのに隙があって大胆に行えるのが、良い集団(チーム)の水面下の力です。泣く子を見つめるのも楽しみ? にもなってきます。なぐ子はいねか~?

No.333 【軍手】 

 

 どなたか、できれば高名な作業用品販売店ワークマン、カインズさんあたりで、この名称のnew versionを考えてくださらないでしょうか。英訳work gloves。
 練習では色々な使い方ができます。左右を紐でつなぎ、腕の幅の感覚を確認するブロック練習。小指側2~3本をテーピングでくくってしまえば、ブロック練習時のけが防止にも使えます。2枚ブロックの外側の手だけにはめて、ブロックを意識したスパイク練習。2つを丸めて片腕、両腕の一人連続レシーブ。これはイレギュラーボールをさばく練習になります。ブロックフォローやネットボールの繋ぎの感覚が養えます。もちろん足でも。投げ上げてスイングしてつかむスパイクフォームの練習、これは効果絶大。この軍手ちゃんのメリットは、落としても遠くに転がっていかない、うるさくない、携帯できる。冬はあったかい、なんとも便利です。
 そして、コーチの家の草取りもできる。・・・

No.334 【楽しもうを口にする資格】 

 

 「レースを楽しんできます!」フローレンスジョイナーやウサインボルトが、ゴールの遥か手前から笑みを浮かべ、数秒後世界記録を叩き出した。最近では、大谷翔平選手が放つ特大の放物線を生み出す打席、その表情はなんとも嬉しそう。
 一見、楽しんできますといわれると、その言葉を聞いて納得するか、それとも不謹慎と感じるかどちらかです。使う側の資格(条件やライセンスとでも言いましょうか)が判断の根拠となりえます。言わずもがな、その口が放つにふさわしい挑み方をし続けてきたか否か。 
 少し時を戻すと、その人は、「楽しもうといえる自分(自分たち)を築こう!」と言っていたのかもしれません。もし、チャレンジし続けて、気が付いたら知らないうちに「楽しもう」と思う境地に到達していたのならそれは一路過ぎるチャレンジャーです。どちらも、偉大なるチャレンジャーであることは共通点。
 「楽しい」にはたくさんの種類の感情、質、レベルがあります。しかし、スポーツ、芸術で本気を発揮する機会において「楽しもうと思います!」を口にするには、相応の生き方、チャレンジの仕方をしてきた者のみであることはだれもが心得ています。その者を観戦観賞する側は、とてつもなく「楽しい!」ものです。例えばその発信者が小学生でも。
 がんばれ!楽しんでください!日本! 2021夏TOKYO。

No.335 【即時評価】 

 

 ちょいバレの過去の記事を検索してみると、「評価」という文言が32か所ヒットしました。一つの記事に複数埋め込まれているので、「評価」が主人公の記事は2.3個でしょうか。脇役としては登場回数が多い面子です。
 小さなことへの評価は、限定されたわかりやすい改善策を導くことができます。さらにその積み重ねは、大きな傾向の予測とその事前策につながります。引き出しの数と引き出しの中身が増えます。
 さて、ここで大切にしたいのは、引き出しのラベルと、そのタンスの置き場所と、最も大事なのが、引き出しを作るタイミングです。青いラベルの引き出しは「いい評価」、赤いラベルの引き出しは「問題のある評価」、そのどちらもたくさん必要です。置き場所は、誰もが目にする場所、実際のタンスではないのですから、4次元ポケットからすぐ出せます。そして、タイミングは、即時、すぐに!です。
 具体的な例を挙げます。クロスに抜かれたスパイクをバックレフトが上げられなかった・・・→「次がんばるね」では、なんにも解決しないことは言わずもがな。ここでは、・2枚ブロックが止めるコースの位置取りの約束と完成度・バックレフトの位置取りと意識と初動・ディグの技術・オフブロッカーの位置取りと初動・それまでの相手のスパイカーのクセや質の見極めと共有・前の同じ決められ方があった場合や上手くいった場面の情報共有と意思確認・バックレフトの挑む意識等々、のどこに問題があって、どうしたらいいかを即時評価して次のプレーに反映する判断をすることです。
 いい評価も問題のある評価も、こうして即時に、誰もが「気兼ねを押し殺して」表現する事が、真のチームワークを築きます。それができるチームは、本当の意味での信頼感を得ることができます。勘違いしてはいけないのは、「気兼ねを押し殺して」です。この意味はわかりますね。

No.336 【ボール2個分】 

 

 私はこの言葉をよく使います。ボールの数で例えるとイメージが何となく球技っぽい。実際には数値は若干異なりますし、前提を変えると数値も違ってきます。だから、「寄せ」であるのですが、子どもたちを「あとちょっとの・・・」と思わせるには好都合な一面があります。
 スパイクのジャンプ(ネットからの距離や基準の高さの違いを正確に条件にすればもちろん正確ではありません。)が3㎝高くなれば、ボールはエンドライン際で、ボール2個分アウトになります。スパイクの腕の振り、アタックヒットの瞬間の腕の角度が1度上に向いたら、やはりエンドラインではボール2個分の違いが出ます。ディグの初動が0.1秒遅れたら、全力ダッシュの約半分のスピードに至るまでに、ボール2個分届かなくなります。これらは計算上のお話。とはいっても、その状況で空中に放り出されたボールは物理の法則に従って移動しすし、今さら0.1秒の遅れを取り戻すことはできません。
 ドライブかければ、走るスピードを上げれば、という人もいますが、そんな低レベルな屁理屈は受け付けません。そんな屁理屈いう前に、今の100%を発揮するための手立てを考えようとする人こそ、そのボール2個を引き寄せられるに違いない!

No.337 【パワームービー挿入文】 

 

 以下は、大きな大会を前に、サプライズ企画として保護者の方がこっそり作成して直前に子供たちに見せるショートムービー(LINEで送ることにできる5分以内)への挿入文を依頼された時の内容です。

炎の色は低温であれば赤、温度が上がると黄色、白、青へ。
悔しさを色で表すと・・・さしずめ血の色だろうか。
ちょっとグロい? 
でも心拍が2倍になり酸素をその気道が最高速で取り入れ続ける時、君たちの体内を高温のハイスピードで全身を駆け巡るのが血液だ。
ここまで相当その色に染められてきた。
でも、多くの人たちがみんなを見てこう言ったよね。「折れないチームだ!」
きっと思い過ごしや勘違いではない。
ただ、あと一歩、自分の一歩、みんなで一歩、届かなかった。
「一歩」「全力」「集中」どれもこれも大声で叫べばなんだか克服できそうな、なんだか前に進んでいるような錯覚に陥るのもこの言葉のもつ毒。
そんな甘いもんじゃない。
すっごくすっごく考えて苦しんで、手に入れた、踏み出せた一歩であることのみが本物。
ひっくり返せ、フルセットにもち込んで心のスタミナで勝負しよう。
観るものに魅せてやろう、総立ちにしてやろう、鳥肌を立たせてやろう。
その方法はたった一つ。
たった一瞬の練習に、ほんの一球の練習に、全力で挑み、試合会場で表現すること。
心は熱く、頭脳は冷静に、青い炎がその色温度。
自分たち色の炎を叩きつけてこよう。
そして、2回戦開始の吹笛はエンドラインで聞け! 
きっとものすごく楽しい!挑めよ! つなげ! 仲間と。   (以上)

 未来日記やこの挿入文、いつも書きながら、これまでと今とこれからがつながっているなと理解できることがあります。読み返してみると、課題は過去にもあり、進捗は今にあり、目標が先にあります。ちょっと時間のx軸を先に置けば、ちょっと後ろに置けば、到達点が今の結果であり、その先が常に目標。例えば、上記の文中の「鳥肌を立たせてやろう」は「鳥肌を立たせたよね」に。「2回戦開始の吹笛は・・・」は「決勝最後の吹笛は、自分たちの得点で響かせた。」に。そして大切なのは、この時間軸は自分たちの手で先へ先へと移動させなければ意味がないことです。すると、y軸も上に移動していきます。
 

No.338 【こどもチャレンジ(大人チャレンジ)】 

 

 どこかで聞いたような・・・得意のパクリ(タイトルだけ)。スイミング、けん玉、珠算、将棋などには級や段、タイトルがあります。楽しむだけなら縁側将棋で十分ですし、シュノーケリングで海で遊べれば十分です。そこに、さらなる自己肯定感、達成感をちょこっと感じ始めると、人間のDNAはそれを増幅させたがるものです。ステップアップの内容や目標の可視化、具体化は、より挑みたくなる好奇心をくすぐるものです。教科書、問題集、サブノートは非常に工夫されています。スポーツも考え方は同じです。だから両方挑める子は伸びしろが大きく、想像力、創造力全てにおいて豊かになる可能性が高いことになります。もちろん、成果がすぐに表出されるものもそうでないものも当然あります。自分で考え苦心して得たものほど定着することもまた確かなことです。
 レセプション練習で、3つのラインを作ったとします。左は山なりのアンダーハンドサーブをレセプション、右は弱めのオーバーハンドサーブ、そして中央はオーバーハンドの強打のサーブのレセプション。自分にはどの力をつける必要があるのか、どのステップでチャレンジしてみたいのか。子どもの目がぎらついてきます。絶対的な条件は、そのための策をもち、強い意識で表現しようとすることです。
 数の目標、時間の目標、程度の目標、正確さの目標(これが一番難しい)、練習内容にチャレンジステップを設けることで、目の色が変わる。と、いったものの、この工夫もまた一苦労、それも大人のチャレンジ。特に練習時間の少ないチームにおいては。そうだ、練習の工夫をコンペ形式にして子どもに考えさせたりOGや保護者の方々に考えていただきましょう。大人チャレンジ・・・。

No.339 【kubota 二階堂】 

 

 タイトルを見て、両者の共通点が浮かぶ方は、あまりいらっしゃらないかもしれません。私の主観的な見方における秀逸なCMです。他にも、音楽性の高さや映像の美しさ、キャッチコピーの求心力の高いもの、エンターティナーの注目度で惹き付けるCMは多々あります。
 発展途上国の広場でラグビーをして遊ぶ子供たち、中には大柄なリーダー格のジャイアンのような男の子「G」と華奢ですぐ弾き飛ばされてしまう男の子のび太的な子「N」がいます。
Nは家庭状況からその後遊ぶことができず母に代わり家事の水運びを続けます。ある日、そこに、Gたちが現れ水運びを手伝い始めます。二人は成長し、Nは貧困な祖国で水道を敷く企業に就きます。かつて自分が仲間に水を運んでもらったことがきっかけだと思わせる流れです。場面は昔の広場に移り、相変わらずGは仲間たちとラグビーに興じ、タックルでひっくり返されたところにNが登場し、頭からバケツ一杯の水をかけます。二人は当時から深い友情で結ばれ、Gは笑顔でNに引き起こされます。その水はたぶん、Nが敷いた水道管の水でしょう。ボール、心とモノをつなぐ、水、時間と水の流れ、運ぶ、心と生活の豊かさ、これらの要素を素晴らしい構成で製作されていると感じました。これはkubotaのCMです。
 大分麦焼酎二階堂のCMは、すでに30年以上続いています。一つのスタイルを貫きつつも、毎回回想やノスタルジックな空気感、まだどこかに眠っている炭に火をつけるような、「そこね!」をついてきます。このCMにはいつも完敗します。モノローグ、CM専用に作られたBGM(波の音や汽笛に音調を合わせているそうです)、字幕、全てにおいて二階堂にもっていかれてしまいます。がんばれいいちこ(いいちこはBGMは既成をアレンジ、場面転換が少ない、終盤の一言は同じ、など要素としては二階堂が一枚上か・・・主観です)でも、私はお酒ほぼ吞めません。
 そうだ、チームのCM作るのはどうだろう・・・

No.340 【定着】 

 

 HIGASHIの子たちは、練習後のまとめのミーティング(といっても2.3分)でコーチやOGからのコメントやアドバイスを聴くときに下を向いている子たちが何人もいます。さて、この子たちは・・・。メモ帳にその内容を書きとっています。「思い出す工夫を」の話からいつしかこんな形もアリ、になりました。本来は、全部記憶して!いやいや小学生、ぽよよ~んか、マジちかれた~が関の山。
 練習中は理解に集中、練習後は思い出して整理して、次に発現させる準備を行います。ここまではだいたい伝えておけば自力で何とかなります。でも、運動も勉学も同じで、難しいのは「定着」です。何度も何度もその作業の繰り返し。少し修正しながら彫像を作るかの如く、消して描いてまた消して描くデッサンの如く。カーナビでたどり着いた道は覚えていないのとも似ています。
さあ、明日も明後日も、その地道な作業を楽しみましょう。その蟻は、必ずキリギリスを追い越します。(注:定着したものが絶対ではないことは、そこそこ人生を面白くしてくれます。)

 そういえば・・・佐渡島のタクシーには、カーナビがついていなかったなあ。

No.341 【2020東京オリパラ】 

 

 今までの大会では見られなかった?あったのかもしれないが今回特に目に焼き付いた光景がありました。オリンピックやパラリンピックでは毎回壮大な、予期せぬ、痺れまくるドラマが沸騰する熱湯の表面の如く沸き起こります。
 日本と中国、ロシア(今回はドーピングの影響でROC)などヒートアップを続ける競技中の光景。試技を終えた直後、自国のブースに戻る途中に、他国の選手とグータッチ。健闘を称える姿は驚き(正直、初めは奇異な印象すらありました)とともに、くそ暑い夏にもかかわらず鳥肌が立つ感覚を覚えました。ライバルなんですね。もちろん複雑な心境も当然あるでしょう。それでも讃えることが自分を成長させることにつながること、そうできる人間性がなければスポーツをする意味がなく、恥ずべき事と認識しているのだと思います。そして、それを映像を通じて世界に発信するチャンスと考えていることは間違いありません。
 政治とスポーツを一緒にするなという人もいます。では、政治と平和は?平和とスポーツは?これらの3つの要素を考えた時、「だから政治とスポーツを一緒にするな」、「スポーツを政治のために利用するな」、というのはなんだか狭い考えのような気がしてきます。
スポーツを心底愛して、何のためのチャレンジかを一人一人がもっともっと考えたとすれば、もうちょっと世界は理解し合える姿になるんじゃないかなと期待しています。
 それにしても・・・パラ水泳14歳、銀メダリストの山田選手、両腕の完全欠損、両足も欠損されています。他の選手は、不自由さはあるにしても両腕があったり、バタ足ができたり。その選手を抑えて、ほぼ片足のみで銀メダル。恐るべきチャレンジャーが現れました。全盲の陸上100m王者(歴代も含めて)、10秒台。伴走と息を100%合わせます。この域に到達するために選手と伴走者の二人が信頼関係を築くために最低5年はかかるそうです。
 あなたは、そんな信頼関係を築く相棒、見つけられますか?築けますか?改めて、今回のオリンピック、パラリンピック、スポーツは人生であり、観る者を大きく揺さぶると感じました。
時々、スポーツの大会会場で「この中からオリンピアンが誕生してくれると・・・」と主催者の発言があります。正しくは「オリンピアンの考え方をもった人が誕生してくれると・・・」なんだろうなと思います。

No.339 【kubota 二階堂】 

 

 タイトルを見て、両者の共通点が浮かぶ方は、あまりいらっしゃらないかもしれません。私の主観的な見方における秀逸なCMです。他にも、音楽性の高さや映像の美しさ、キャッチコピーの求心力の高いもの、エンターティナーの注目度で惹き付けるCMは多々あります。
 発展途上国の広場でラグビーをして遊ぶ子供たち、中には大柄なリーダー格のジャイアンのような男の子「G」と華奢ですぐ弾き飛ばされてしまう男の子のび太的な子「N」がいます。
Nは家庭状況からその後遊ぶことができず母に代わり家事の水運びを続けます。ある日、そこに、Gたちが現れ水運びを手伝い始めます。二人は成長し、Nは貧困な祖国で水道を敷く企業に就きます。かつて自分が仲間に水を運んでもらったことがきっかけだと思わせる流れです。場面は昔の広場に移り、相変わらずGは仲間たちとラグビーに興じ、タックルでひっくり返されたところにNが登場し、頭からバケツ一杯の水をかけます。二人は当時から深い友情で結ばれ、Gは笑顔でNに引き起こされます。その水はたぶん、Nが敷いた水道管の水でしょう。ボール、心とモノをつなぐ、水、時間と水の流れ、運ぶ、心と生活の豊かさ、これらの要素を素晴らしい構成で製作されていると感じました。これはkubotaのCMです。
 大分麦焼酎二階堂のCMは、すでに30年以上続いています。一つのスタイルを貫きつつも、毎回回想やノスタルジックな空気感、まだどこかに眠っている炭に火をつけるような、「そこね!」をついてきます。このCMにはいつも完敗します。モノローグ、CM専用に作られたBGM(波の音や汽笛に音調を合わせているそうです)、字幕、全てにおいて二階堂にもっていかれてしまいます。がんばれいいちこ(いいちこはBGMは既成をアレンジ、場面転換が少ない、終盤の一言は同じ、など要素としては二階堂が一枚上か・・・主観です)でも、私はお酒ほぼ吞めません。
 そうだ、チームのCM作るのはどうだろう・・・

No.342 【2020東京オリパラ(2)】 

 

 スピードボールは、今もって日本一、世界一。それを証明して見せたこの大会。彼女の技術やパワーを証明して見せたことは、彼女のほんの一部だったことを大会期間中に知りました。一度は現役を退く覚悟をし、そこからの経緯。チームを引っ張るというより、彼女にみんなが憧れて、一緒に闘いたい、彼女のために全力を死力を尽くしたいと思える存在です。
 この絶対的エースにも脆さがあり(否ご本人曰く、脆さのかたまり)、考えに考えてバランスを取りながら最高の舞台にまで辿り着いたのでしょう。
 みんなで砕いて作って泣いて笑って、崩れて創ってたどり着けた境地。だからこそ最終回、バッターの打ち上げたフライが上がった瞬間、チーム全員が彼女の元に走り始めている。本当の力をもつ人こそ謙虚。自分を見つめる力をもち、仲間を奮い立たせる勇気を与え、その方法を丁寧に考える思考力をもつ。纏っている気迫は、ユニフォームでは覆いきれない。あのキャップで一瞬隠れた眼光から動き始めるウインドミルは畏怖。打てる気がしないのでしょう。

 上野由紀子選手、心に豪速球球を投げつけられました。ありがとう東京2020。

No.343 【レシーブの基礎】 

 

 日本の伝統文化、箸(はし)。正しい使い方は誰もが見ていてきれいな使い方だと何となく感じます。細かく繊細な造形材料から大きな煮っころがしの芋まで器用に扱えます。でも、王道から外れた持ち方の人もいます。手や腕の形状や不自由さから工夫された独特な方法の人もいます。大正解はありませんが、汎用性が高く合理的な動きはあります。
 すでにコラムに上げたと思い込んでいたレシーブ・・・なかった。ということでここで主観によるレシーブの基礎を紹介します。説明の順序は、全体の軸と重心→下から上に→動き(初動)の意識、の順がわかりやすく人にも説明しやすいと思います。
・軽くジャンプして楽に足を開いて着地。それが自然体の動きの準備姿勢。開きすぎる弊害は、一歩目を出す幅とスピードの減少。狭すぎる弊害は、一歩目のスピードの乗りに時間がかかること。
・重心の位置は立位と完全にしゃがんだ時の中間。ですが、実際の動きの練習時にそのイメージでは高くなりがちなので、5段階に分けて、上から4番目の高さを意識します。イメージのもち方と、試合などでの体現の違いを練習段階で強調しておく意識の持ち方です。私はこの考え方をよく使います。つまり、練習と本番では異なる動きになります。
・足先は自然に。重心は母指球。これも実際の動きの中では移動します。前に移動したい動きが多用されるバレーにおいて基本はここ母指球です。
・骨盤の鶏舎は、腰から背中の骨のS字カーブをキープした形。親指を前に腰に手を当てるような仕草が形を作りやすいかな。下を見ずに前を見て。腰痛の人が時々やりますね。
・そのまま腕を肩の高さに掌が来るくらいに上げて肩幅より少し広めに。直径1m、太さ10cmくらいの巨大ハンドルの下方1/4くらいを持つイメージで。ペットボトルを45度傾けて持つようなイメージでもいいと思います。
・背中は丸めず、斜め前上方向に最も力を瞬時に発揮できるパワーラインを作ります。
・動き(初動)の意識は、プレポジション。相手のアタックヒットの直前(このタイミングが少し難しい)、味方のスパイクがブロックにあたる直前に重心を瞬時に下げ地面からの抗力を足裏や下半身に「グッ」と感じる意識をもちます。重心は前。これで同じ筋力の場合初動のスピードが、理論上0,1秒、届く距離は・・・猛ダッシュでエンドラインから遠くに飛んで行ってしまったワンタッチボールを0.7m先まで捕球できます(小学生)。もう少し距離の少ないコート内のバックプレーヤーのディグならボール2個分。この差は大きいと思います。と、ここまでは形と意識の話です。
 最も大事なのは言うまでもなく、自分がとる意志、意思表示、つながせる指示、その直後のフォロー。バレーは単品要素が方向性とスピードと意思をもった磁力で動くようなもの。ちょっとでもさぼるわけにはいきません。
 冒頭の「箸」の語源は、端っこと端っこをつなぐなどもあるようです。「つなぐ」か、ちょっぴりバレーの香り。

No.344 【課題シート 5】 

 

 これまで4種類の課題シートのサンプルを掲載してきました。今回は、「目標」を設定する際に使用するシートの紹介で使った形式のアレンジです。視覚的には一番わかりやすい書式で、自由度が高く他の書式より作品を作るような感覚で取り組める...かもしれぬ。
 紙面の中央の赤丸枠(A)に具体的な課題や症状、その周りに線で繋げて青丸枠(B)内に、その根拠(もちろん間違っていても構いません。むしろ間違ってあるものが混じった方が考えは深まります。)。いくつもの線が引っ張られる方が探求の手掛かりになります。さらにその一つ一つの根拠の枠から線で繋いだ先に解決策や提案等を記入する黒丸枠(C)をこれまたいくつも繋げます。
 課題がたくさん見つかれば、何枚、何十枚になります。
 ここからが長丁場。Cの枠内に書き込んだ内容を実践し続けて、時折メモを加えます。できたものは斜線かブタさんマークで達成の印を。完全にできていなかったり、あまりにたくさん書き込み過ぎたら、新しいシートに興し...
 第5の課題シートです。これは、練習や大会の後の振り返りにも、スキルの確認にも、バイブルのようにも発展的に作り上げていくこともできます。見るのが楽しくなる感覚が沸き上がってくればしめたもの。こういう地味な作業を積み重ねられることを根性があると表現します。みんなわかっているけどみんなできない。。。

No.345 【実はきっと気弱な私に】 

 

 立っていられないくらいの、自分をクシャクシャにしてゴミ箱に叩き込みたい罪の意識。
 気を失ってしまうくらいの、一気に目の前の景色が黒ずんでいく失望感。
 震えて、支えられでもしたら崩れてしまいそうなくらいの、脂汗がユニフォームの内側を伝う感覚。
 意気込んだ時ほど、大事な時ほど、その返り討ちにあうことが時にはあります。それを経験しなければ次の波状攻撃には到底体当たりできないものです。その勇気も本当のところはハッタリでしかなく、すぐに化けの皮がはがされてしまいます。
 じゃあどうする? 準備するって言ってもさ・・・こんなにもできない自分のどこにその策が捻りだせるんだ?
 腹を据えて思い切って自分を見つめてみようか。深―い深―い呼吸をしてみようか。なにも猛然とギラギラするスタートダッシュだけが解決方法ではありません。でも、仲間には言っておこう。「私、全力で行くから、あとよろしく!落ちないラリーを信じてる。だから、何度も呼ぶ!1本目は、冷静に助走する。でも、思いっきりぶったたく!」
こらこら、意識がめちゃくちゃだ。いえいえ、それでもいいんです。これで十分仲間には伝わります。一緒にやってきたからさ!

No.346 【今しかできないこと】 

 

 離島に住む長男家族。快晴の夜空にはスバル星雲ですらくっきり目視できます。この春、もしかしたら双子が...父は夜勤も呼び出しも頻回な仕事、母一人で1歳の上の子を見ながらは流石に無理。とのことで、我が相棒は、早期退職を決断しました。迷いましたが、今しかできないこのサポートと、プライスレスなお孫ちゃんの笑顔、後悔せずにと思えば、新潟に行け!ですね。
 チャレンジは、いつになってもオロオロするし、その分ワクワクもする。結果や到達点が見えにくくても、それはそれで楽しもうと考える。
 佐渡の朝日は、天の川の夜空にも負けない晴れやかさがあります。見てこいよ!
 ほとんどバレーと関係ないか...そんなこんなもちょいバレ。ちょいバレは生き方のちょっとしたBGMみたいなもの。何でもありです。
あ!次年度の我が家の草取りは、チームでお願いします。そうだ、「草取り係」を興してもらおう。

No.347 【ふにゃふにゃボール】 

 

 下の階からのクレーム、石膏ボードの室内壁の凹み、鼻血、これらのデメリットを大幅に軽減し且つ球技感とエキサイティングな練習がこれです。
 我が家の二人の小僧たち(既に小僧+20歳以上)が、中学から始めたバレーボールを短期間で上達させた大きな要素の一つがここにあるように思います。
 最近はインターネットで作り方が紹介されていたり、通販でも似たようなモノは見つけられます。当時はフェルト生地を縫い合わせて中にパンヤを入れて作ったモノでした。最近、チームの保護者の方が作っておられましたが、縫い目がほころびがちということが判明。たぶんですが、裏返しでガッツリ縫い込んで、反転させるというぬいぐるみのような作り方の方が頑丈なのかもしれません。
 かなりの至近距離(3m位かな)で全力のドッジボール。痛くもないから顔面もあり。兄弟の球技感とライバル心、そして、そのときはそうも感じていなかったこと・・・信頼感が今は400km離れた彼ら同士に存在します。あんなふにゃふにゃのボールが築いてくれました。ママの作ったやわらかボール。家の中のどこかにあるはずなんだけど・・・。

No.348 【今しかできないこと 2】 

 

 間違いなく、今しかできないことがあります。
 それは、「今できないという経験(通過点)」。今できないことは、しばらく積み重ねたらできるかもしれません。でも、今できない状況は、今しか経験できません。時間を戻すタイムマシーンが発明されるまでは。
 力及ばないと自身を責めるキャプテン。このスピードボールが怖くて向かっていけないと泣く子。サーブがネットを超えないとサーブのトスをかざすところで動きが止まったままの君。
 今、にまつわる格言やことわざは山ほどあります。今しかできないそのことをどれだけ真剣に向かい合うかで、次の今が見えて来る。多くの人がそれを語りもします。
 ここでバレーができているみんなは幸せです。今しかできないことの先には、上のステップが見えていますね。私のいとこは、明日が今日よりできなくなることを見続けながら、それでも今にチャレンジしていました。過去形です。完全燃焼できるからこそ、人は生きる尊厳がある。進行性筋ジストロフィーの彼が残した言葉です。
 できない今を一生懸命に生きなければならない。ほんのちょっと右側の弱いスパイクのディグを、必ずこの一球で上げようと心技体知すべてを込めて全力で挑むことには意味がある。取れずに泣いてもいいけれど、立ち直るちからを得るために、自ら表現する創造力、決断力を養い発揮する絶好の一瞬を大切にしよう。ほんのほんの小さな尊厳(ほんのちょっとの勇気の火をともせる存在であるという生きている証のようなもの)を完全燃焼につなげる道。

No.349 【POOPSS!1⤴】 

 

 「POOPSS」? オリジナルデザインの刷り込まれたシャツは、チーム内でそこそこ市民権を得てきました。千葉県におけるふなっしー(最近見かけない)ほどの存在感はないものの、この秋、スウェット(下)の追加制作に乗り出したチームのサブブランドです。
 P(PEARENTS)、OOP(OGとOGのPEARENTS)、S(STUDENTS)、S(SONOTANOみなさん)の略称です。元々は、チームの父たちが小学生チームにガチ対決を挑んだ際、勝手に作ったユニフォームのデザインとしてデビューしました。主役の子どもたちを取り巻くサポーターでもあり対戦相手でもあります。通称ポップス。さらに今回のデザインには、「1」と「⤴」をさりげなく追加。ここからはごり押しの解説です。
 チーム名が下から上に刷り込まれるデザインは、上昇を。POOPSSと斜めの掛け合わせは、対峙と支えるイメージを含んでいます。チーム名はひっくり返りそうなデザインは、チームの愉快な感じを。1は1秒で変えよう!一瞬に集中しよう!1球に込めよう!一期一会、出逢いを大事にチーム一丸でチャレンジしよう!などの思いが込められています。曲線的な⤴は、二次曲線(y=ax2)。練習時間の少ないチームの意識は、単調なものでなく、発信に対して次々呼応し、掛け算のように膨らんで広がっていくように心がけようというものです。目指す方向には向かおうとする向きがあります。方向性を表すしるしは矢印。もちろん上向きの。二次曲線に代表される動きは言わずもがな、初期値と係数は違いこそすれボールの動きです。何をやるにもせっかくなら意味を持たせないと面白くない。
 私の好きな公認キャラは、レルヒさん、くまモン。非公認は、Pマン・・・共通点は・・・

No.350【1秒ルール】 

 

 落としても3秒以内なら食える。ずいぶん前、小学生の自由研究で取り組んだ子の記事がテレビで紹介されていました。科学的にはそれは「×」ということは、遠の昔に証明されています。
 ルールは、成果から生まれることもあれば、課題から生まれることもあります。理想は、成果から。でもなかなか。偶発的な状況を除けば、そうそう成果から「これをルールにしよう!」ということは稀です。特にスポーツにおいては、達成するための決め事。
 1秒で、このどんよりした空気を変えよう!1秒で、あの子の気持ちを取り戻させよう!1秒で自分を奮い立たせよう!1秒でチームを一つにしよう! 
 もちろん勇気と想像力と準備と発信力が必要です。1秒で・・・コーチを黙らせよう?

No.351 【その気にさせるちから】 

 

 厳格な決まりがあるわけではないのですが、「力」は物理的な状況を表し、「ちから」は「心」を含んだ場合の表現との暗黙知となっています。
 「皆さんは普段はとてもお優しい優良なドライバーの皆さんです。他の運転者の模範ですし、皆さんを見ているご家族やお子様たちの模範になっています。本当に尊敬しています。」交通安全講習1時間、そう、免許更新前に軽微な違反をした奴らに課せられる講習会での講師の方の言葉。この女性は、ご年配で明朗かつ穏やかな口調。いつもなら、面倒くさそうに参加してしまうこの類のルーティン講習。この日はちょっと違いました。
 冒頭の映像直後、通常、講師は講演台からこう言います。「被害者の方の気持ちを・・・」「ハンドルを握る責任というのは・・・」その通りです。非常に正しく強い熱意と厳格な緊張感をもたせられます。そのときは。
 しかし、この少し地方なまりのある女性講師は、演台を降り、最前列のちょっと居眠りし始めそうな初老女性の前で、全員に向かいこう言いました。「今日、お帰りになられましたら、奥様、お子様、おじいちゃんおばあちゃんに必ずこうお伝えください。」「横断歩道を安心して渡っちゃだめだよ。車を信用しちゃだめだよ。」
 この講師の方は、この1時間内に、一度も、参加者=軽微な違反者をとがめることはなく、今後も今以上に安全運転でと謙虚な伝え方でした。終了時の室内の違和感はこの類の講習では異様にすら感じました。後段登場の初老女性、終了時に両手の指先で拍手をしていました。素敵な違和感、市役所の食堂で絶品のふわとろオムライスをいただいたような・・・。

No.352【自分たちのバレー 12】 

 

 チームが「熟れる」、具体的にはどうなるとそう言えるのかな。このチームに関わり始めた当初、その柱をいくつか自分なりに考えました。実が熟れたら種が落ち、芽を出し、そのDNAをもって次の樹が育つ。あまり科学的に詰めると揺れ動く心の面白さがなくなてしまいそうなので、ちょっとしたイメージとしてとらえていただければと。
 最近、とても高度な練習をしているなと感じることがあります。毎回、同じことに気を配りながら、でもなかなかできないこと。これは、たぶん高度な練習なんだろうなと思います。でも、やっていることはシンプルだったりします。
 一つの練習メニュー、もっと言えば一つの動きに対して、想定する事象、必要な意識とタイミング、表現、それをチームで共有しようとする積極性の高さをもつこと。これは、一朝一夕には染み込みません。長い航路の軌跡は、どう練習に挑むかを自分たちで感覚でつかみ、言葉にできるようになっていくものです。
 共有する絵、景色は、長い時間から作り上げるものです。乗っている帆船は同じでも、それぞれの下にある波の波長が全く違う、現実世界ではありえない時空を航行していきます。同じ波長の波の感じ方、捉え方もそれぞれです。そばでその空気を感じ取り続ける指導者たちは、メンバーが、自分たちでその積極性を発現し続けようとする向上心を、あの手この手で後押しします。
 大胆に見えて丁寧、イケイケに見えて繊細。チームが熟れる一つの要素が、子どもたちと指導者陣の知らず知らずのうちのDNAづくり。「自分たちのバレー」を、子ども目線とは少し違う観点で考察してみました。大事なのは果実よりも種なのかもしれません。

No.353 【ちょい乗せ】 

 

 予想よりはるかに長丁場になりました。様々な試みをある程度の信念とそこそこの戸惑いと焦燥感をもって乗り切ろうとするスポーツチーム。この世界的な現状は遠からず、弊害と効果をもたらすことになります。感染症に人類はいかに弱いことか。考え方なのかもしれませんが、長丁場の波状攻撃の渦中にい続けていることは現実です。
 チーム内で体育館での練習ができないその期間、1週間~2週間のスパンで、課題シートを段階的に設定しました。計4回の策。ここではその内容ではなく、そこからのこども自身の変容に着目した記事です。
 この長丁場が、自分を客観的に見て、丁寧に振り返り、設定した目標や達成感に十分でないと判断を下したメンバーがいました。体育館での練習再開の後も、課題シートを再度やり直し、自分で自分をリカバリする姿勢を続けた子がいました。
 きっと、伝わってこないだけで、このような変容を自分から発現させてきている子はいるんだと思います。せっかく考える機会を得たのであれば、生かす術を自身で開拓すべきです。当たり前です。出された宿題をやって学校に持って行く子よりも、プラスアルファの探求心や自己開拓の意図をもった行動をちょい乗せしていく子が、自分の可能性を広げる子になるのでしょう。他人よりちょっと何かしでかしちゃうのはなんだか気分、高揚感が上がるもの。やらされるよりも誇った気分に。大人はそのちょい乗せの勇気をほめてあげましょう。そして、自分からちょい乗せ(上乗せ)をしちゃいたくなるようにさりげなく示唆するのも大人の役割、ちょっと面倒な大人自身へのちょい乗せ。子育ての大変さと子供の成長を感じ取るきっかけの一つかなと。

No.354【ミスリード】 

 

 呑みに行くか?あ、でも忙しいか。しかも今日軍資金ないわ、といって奢らせる。(冒頭からしょうもない。バレバレの類。 
 「雨降って地固まる」、英語でもAfter rain comes fair weatherと表現されるらしく雨という災いが偶発的、意図的ではないにしても自体が好転する状況を表現しています。「雨降らせて地固める」は、あえて仕掛けてチームや人を熟れさせるための手立ての一つです。子ども、特に小学生は大人に比べて純粋です。妙な忖度なしにこの手立てに陥ってくれます。大人は・・・。バレずにやるのは相当面倒です。
 さて、雨降って~と雨降らせて~の違いは冒頭の通りですが、舞台をスポーツ場面の会場に移します。例えば、土俵。協議はもちろん相撲。以前のコラムで名横綱千代の富士の闘い方を紹介しました。相手は、一瞬、この大横綱に優勢と感じ取った直後、ぶん投げられています。サッカーコート。PKでほんの僅かなキーパーの先行動作によって仕掛けられたキッカーのシュートは、簡単にGKの懐に。リングでは、ロマチェンコの開いたガードからフックを叩き込んだ直後にKOされる対戦相手。みんな呼び水に誘われてしまいました。
 ミスリード(mislead)は、スポーツ場面では、相手に誤認させて自分たちに有利な展開や優勢になるための確立を上げる有効な手段です。ちょいバレですから舞台をコートに。ブロックの位置の調整によって、相手に打たせる場所を選ばせて、得意なレシーバーがディグを治める。「ストレートケア!」などの声を早めに出して、相手に精神的にストレートを打たせなくする。これらは、ミスリードによる策とも言えます。
 

No.355 【合唱】 

 

 中学生時代、校内合唱コンクールを「やらされて」以来、おそらくはトラウマになっていたであろう分野。歌うことが苦手というわけではありませんでした。
 経ること三十数年、ガッチリ体系で武骨で岳人の、どう見ても音楽教師とは思えないその中年男性に出逢います。彼が他と大きく違うと感じたのはその純粋さ。朝もやに浮かぶ出勤前の職場に隣接する公園の様子をチョコを含みながら語るのを思い出します。
 卒業式で合唱をやると言い出します。過去にもトライしましたが「う~ん」の記憶が多くの職員の首を縦には振らせませんでした。彼は地道に策を積み重ねます。パート練習を生徒も教員もそれぞれにみっちり。中学時代の私だったらこの辺りでもう嫌気。でも彼の導き方は一つの柱がありました。情景の表現の仕方を空気の流れのように伝えてくれていました。意識や感覚を実際には体験していないのにつかみ取ろうとするように仕向ける技。
 本番少し前、初めて総合練習。もちろん彼の作戦です。指揮者の彼がとても大きく見え、振り上げたタクトの軌跡が大きな鳥が羽を広げてるように思えました。粛々と始まる合唱が、開始20秒で一旦止められました。理由は、大人がみんな泣いちゃって合唱にならなさ過ぎたから。
 導かれた声の集まりは、同じ空気を吸い、同じ呼吸をし、風に吹かれたたくさんのススキの穂が一斉にやんわり揺れるかの如く。その一体感を全身心で震えさせられた瞬間が20秒も続けば当然のことだったのかもしれません。指揮者の彼のねらいはそこにありました。
 この彼がその後作曲した校歌を、偶然にも群馬交響楽団が演奏してくださる機会に恵まれました。代表の方がこうおっしゃったのを覚えています。「どなたが作曲されたんですか?シンプルな旋律も素敵ですが、交響楽団がアレンジして4重奏、スローテンポで響かせても見事に仕上げられるように作られていますね。」
 この主人公の彼は、なんと実家はお寺、ユーモアがあり休日は芭蕉の辿った道を歩き、台風に見舞われ山中で一時遭難の経験をもちます。音楽大学の指揮科を卒業したことは、彼の葬儀後知りました。導くのはやはり心。(合掌)。

No.356【伝え合う感性】 

 

 左の手の甲を右手の小指側の側面でトンと叩いて戻す仕草。もう何年か前になる練習試合の会場で相手チームの中学生がチームメイトと笑顔で交わしていたコミュニケーション。友人の仲介で叶った対戦でした。
 先日、その時のメンバーであろう生徒さん達が、TV番組で、他校高校生との合同チームで大会に挑む姿が報じられました。間違いなくあの子たちだ! 上手になって、強くなって、気持ちが心臓から、掌から、眼から、そしてプレーから伝えられる子たちになっていました。
 彼女たちの伝え方は、手話と口唇と声と表情です。聴こえの不自由な方は、手話というのは現代人ならそれは短絡的な見方であることは周知の事実です。健常ならば、当然、大きな声を出せばプレー会場では聞こえます。それによって振り向かせられますし、挑ませられます。しかし、彼女たちの翼では、そうはいきません。ならば、もっと強い翼の風圧、もっと大きな存在感、もっと豊かで温度を伝える表現が必要です。
 もう一つ、彼女たちがもっている、必要必要不可欠な大きな力があります。伝えられようとする意識、アンテナの鋭敏さと包容力です。おそらくは、私たちには到達できない高さに彼女たちはいます。次に何が起きるか、誰が何を伝えようとしてくるか、アイコンタクトとほんのわずかな表情の変化を瞬時に読み取る感性。
 もう一度、一戦交えたい、学びたいチームの一つであることを思い出しました。

No.357 【今笑う? 明日笑う?】 

 

 「楽しい」スポーツには2種類あると思っています。仕事や授業の合間、終了後にリフレッシュと親睦のために行う楽しいスポーツ。から~の~一次会、二次会・・・。
 もう一種類は、境地にこそ存在する達成感、挑み切った感で充満される類。
 きっとどちらも必要なんでしょう。ただし、得るための困難さは、後者の方が深く複雑で遠い道であることは明白です。そこに挑もうとするには、覚悟と信念(意志とか想像力とかそれらを表現する日本語はたくさんありますが、表記の仕方はここでは置いておきます)と、そしてもう一つ、困惑が必要だと思います。困惑は最初から必要な要素です。それがあることを恐れることはないと思います。むしろ歓迎。だって必要な要素ですから。
 今はうまくいかなくても、次、明日、うまくいかせたいためにどう挑もうとするか、実行するか、そのプロセスが明日笑う自分、自分たちを導きます。

No.358【友、遠方より】 

 

 子曰、学而時習之、不亦説乎。有友自遠方来、不亦楽乎。人不知而不慍、不亦君子乎。この論語の冒頭の学而には一文字だけ間違いがあります。知識欲をかき立てよう言うという意図は全くありません。私の母校が偶然、この学而から校名をいただいたため、在学中から刷り込まれていました。
 遠くの仲の良いチームの監督さんからのメールを掲載します。先の見えない合宿や練習試合を夢に見ての返信から。
「参加させて頂きたいです。心踊る夢のようです。ポスターを作らねば。練習を再開したばかりですが、6年生最後の大会が来週に迫っています。できることを精一杯やってあげるしかない。何が正解なのか、今もわからないままです。できたか、できなかったかではなく、いつも先頭に子供達のことを思っていること、チームの活動においての感染が発生しないこと、これだけは正解としてやっていこうと話しています。勝てるチームを作ることはできていませんが、闘えるチームは作ります。そんな思いを受け止めてくれる同志と闘えるその日を、6年生の最後の試合と設定しました。その日を目標に頑張ります。あると、できると思えることがあるってことだけでも、大きな励みと支えになっています。ワクワク感は止められません。変わらずに、できることを精一杯。」
 冒頭の学而の文字の間違いは、原書には「友」ではなく「朋」です。違いは、「朋」は、師を同じくする者、「友」は、志を同じくする者、だそうです。ごめん、孔子、私たちは「友」にさせていただく。

No.359 【一斉指導】 

 

​ 小学生の頃、地域見学は「金指造船所(現在は名称変更)」と「トヨタ自動車」が定番でした。以前のちょいバレで発想の転換のタイトル?でトヨタ自動車の起源について触れたことがあります。1学級45人くらいいたかな?見学を終えた後、帰路の貸切バスのガイドさんがこんなことをおっしゃったのを今も覚えています。「ベンツの会社では見学は15人以下に限定」という内容でした。教育効果が落ちるからだそうです。50年近くも前のこと。晴海でのモーターショーで、いち早くブースの全ての資材をリサイクルし、ゴミ0を掲げていたのもBENZ。流石です。日本の石炭依存の発電、考え直す必要はありそうです。
 冬山シーズン到来。スキースクールでは、安全と指導効果から概ねグループレッスンは7名定員です。小さい子対象の場合はもっと少ない人数にします。小学校は令和の今もって1学級40名。特別支援学校の小、中学部は6名です。
 集中力を維持させ、安全に、効果的に、継続的に、思考判断を参加者に浸透させながら、反応を確認して各自に意識を向けてスモールステップで丁寧に進行させることが求められます。その要素を遂行しようと思うと、スポーツにおけるこの7名という数字は経験上とても確からしい数字と思えてきます。しかも、この7名の集団は、比較的一般的な人物を想定してという条件付きです。
 そして、長期間に渡るスポーツコミュニティの最終的な到達点は、指導者0人。一斉指導に身をゆだね、甘んじてはいけません、指導する側もされる側も。

No.360【KUWATA】 

 

「古ぼけたカセットに思い出を閉じ込めて 君といた夜の浜辺に埋(うず)めたら 潮騒のバラードが・・・」特に失恋の感傷を小粋に伝えようという意図は全くありません。以前にも桑田佳祐さん、加山雄三さんの歌詞の推敲について挙げたことがあります。CDではなくカセット、曲ではなく思い出、昼ではなく夜、海岸ではなく浜辺、置くではなく埋め、波の音ではなく潮騒、音ではなくバラード。一つ一つに思い浮かべられるであろう情景と心の居場所とでもいおうか、そんなものが練りに練りこまれています。
 学校現場では、「チクチク言葉」と「ふわふわ言葉」という表現をずいぶん前から聞かれます。世の中暖かき気持ちでふわふわと行きたいものです。とはいえ、逆境は必ずやってきますし、逃げおおせるか、突破するか、丸く収めるか、それは目的次第です。どうするのがいいのかを推し進めるのは「考え方」その手段は「言葉」です。
 目線を変えて、「自分が」ではなく、「人に」となると、何倍もそのエネルギーは必要になります。それに力を注いだ分だけ効力を発揮するのが考え方と伝え方。言葉は練らねばなりません。難しいのは、厳しい評価やイメージしがたい事象を伝えたり、反対必至の状況からひっくり返したりしたいところでの表現です。必要なのはむしろこちら。
 やり方は単純です。丁寧に、根気よく、日記、作文、手紙(最近ではSNS?)、説明文や案内文を書くこと、人と話すこと。学校や家で頻繁にやっていることばかりです。
 つまり、チャンスは山のようにあり、生かす意識をもっている人がそうでない人よりちょっとその術がうまくなることは当然です。ならば大いに生かしましょう!推敲を楽しいと思えるほどに。

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