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No.383 【ゆりかご】 

 

 双子の孫が生まれました。お目目ぱっちりの同じ誕生日の・・・当たり前。同じような波長で二重奏、1歳半先輩のお兄ちゃんもつられて不安定に。ここでポチったのが、現代版のゆりかごです。確かに心地よさそうになる時間が増えました。赤ちゃんはそれでいいんだと思います。赤子はとにかくかわいい。
 足が痛いので、突き指したので、~~なので、練習離脱。お休み。よくある練習風景?です。考えるバレーの過程では、そんなに簡単に過ごしてしまうのは、せっかくの機会を逃してしまいます。今、君が手が痛い、足が痛いのは事実。我慢が難しい状況や大事に至る可能性が無いとはいえません。程度によります。でも、体育館の中にいられる状況であるなら、足を運べる状況であるならば、考えることを停止してしまうのは、残念な判断です。
 痛い足のケアは、クーリングや安静しかできません。周囲の慰労や自分心配や不安では治りません。でもチーム貢献、自分の頭の中のスキルアップをする方法はいくらでもあります。ゆりかごであやされたいか、ゆりかごで考えて発信したいか、君はこのチームでならどっちを選ぶ?

No.384 【水の国 オランダ】 

 

 国土の20%以上が運河や湖などの水域、40%以上が海抜0m以下。別名?ネーデルランドは「低い土地」に由来します。
 先日、近所の人がこの国を訪れた時のことを話してくれました。(この近所のおっさんたちは、夕暮れ時に目が合うと、その30分後には誰かの家の軒先で宴が始まります。)おっと脱線、落っこちた。
 水路や運河、湖の多いオランダ。旅行をしていて気づいたことがあったそうです。こんなに水路が多いのに、手すりや柵がない。「落っこちないのか?」そう尋ねると、ガイドさんは笑いながら、「おっこちるさ。落っこちるにきまってるじゃないか。」「でも、2.3回落っこちれば、次から落っこちないようにするだろう?」
 このあたりのリスクマネージメントの感覚が日本とちがいます。とにかく安心安全、これでもかの事前対策。この結論は何十年か先、吉とでるか、しっぺ返しとなるか・・・

No.385 【練習試合の効果】 

 

 球質を知らないあの子のサーブへの挑み方、初対戦の相手チームの苦し紛れのイレギュラーな繋ぎの返球、スパイクフォームにちょっと特徴のあるその子へのブロック、巧妙なトス裁きのポニーテールの子に決められちゃったツー。試合後半で流れや相手を理解し始めてからの策の構築、相手もまた同様にその上を行こうとする駆け引き。頭と神経と技術と体力のチームとしてのコーディネート。
 この中には、「初」と「馴化」の二つの時間帯(1セットや1試合の中なので時間帯としては非常に短いものです)内でのすべきことがあります。普段の練習はそれを実現できるための技術、気付く感性、気付いたら策を練る頭脳、発信や提案する表現力や伝達力、それらをチームに勢いとともに放出する勇気を鍛えようとすべきです。
 同じ事象は二度ありません。近い事象はいくつもあります。応用が利きます。それ故に「初」や「イレギュラー」は非常に貴重な体験です。逃してはならない一瞬の出来事。できうれば、「あ!びっくりした~、次は○○しようね!」ではなく「この一瞬を待ってました!」とチャレンジを楽しみ、練習の成果を確認できる機会にしたいものです。
 練習試合には、特に真剣みが最高潮の練習試合には、ぎりぎりのプレーとその数だけ好機が詰まっています。交流とは、仲良くなることや名前を覚えることではなく、練習試合の効果を全身全霊で感じ取り合うこと。相手のプレーを知り、ぎりぎりをぶつけ合い、試し合うこと。好敵手であればあるほど、深め、掘りさげ、チャレンジし合うことができます。練習試合で鹿得られないものがありますね。

 

No.386 【ファインプレーを狙う】 

 

 スライディングレシーブを身に着ける時期、指導者によって様々です。私は、どちらかというと早いうちから取り組んでいい派です(ちょいバレ110)。その議論はここでは置いておきます。これまでリカバリに関するコラムをたくさん書いてきたようです(本人も何をどんなふうに書いたのかもすでに記憶に薄いのですが、複数でかかわる意味とすればちょいバレ158)。
 リカバリの意識は、「これから」起こるであろう目の前のことに対して自分が自分に発する言葉、周りに発する言葉、ここから始まります。コートの中の6人、サッカーなら11人、バドミントンのダブルスなら二人。「これから」には時間の尺度が幅広くあります。今から話題にするのはおそらくは、0.5秒に満たない世界の話です。
 バレーボールでスパイカーが打ち込むと、もちろんブロックが壁を作ります。スパイクが強く、ブロックがしっかりしていて体重や筋力があればあるほどはじかれるボールのスピードは上がります。そこから3つ目には相手コートにたたき込めなければ1点失うことになります。
 意識の流れはこんな感じでしょうか。「打て!」「フォロー!」「早く低く」「☆前のボールは絶対落とさない」「☆肩でも頭でも足先でも上げてやる」「☆仲間がはじいたら即つなぐ」「☆外に跳びだしたら先回り」「☆滑り込んででも上げる」「☆でも3つ目でもチャンスを狙って相手コートの穴に刺す」。こんな意識を言葉に出したり頭の中で言ったりしています。私は、ですが。☆のついている意識は、半分以上ファインプレーへのあこがれや、ファインプレーでみんなを驚かせたい、魅せたい、という腹黒な自己顕示欲からです。腹黒は、私の愛すべき性質の一つです。
 この超短時間の流れの中で、意識を詰め込む、散々練習でやってきたことをさぼらず詰め込むんだその先にしか、冴えた「勘」は手に入らないんです(勘についてはちょいバレ8)。
 さあ、ファインプレーをねらっちゃおう!!健全なる腹黒アスリート諸君。

No.387 【フェアプレー】 

 

 昨今の世界レベルの大会で目にする光景、健闘を称えあう姿。腹黒的には、映像で流れるから、SNSで広まるから、高感度を上げたいから、などと考え及んでしまう私という人間は・・・。
 時は1984年のロサンゼルスOP。LIVEで観ていたような気がします。柔道無差別級山下対エジプトのラシュワン。山下選手の足は準決勝で肉離れ。しかし、ラシュワン選手はそこをねらわず、堂々と勝負し、山下選手が金メダルを獲得しました。エジプトの英雄はもちろん、山下選手の足のことを知っていました。表彰台では、一人で昇降できない山下選手を他の選手が肩を貸す。ここにはもちろん、加納治五郎先生の精神が受け継がれているように思います。勝ち方、負け方は生き方。
 女子バレーボールの国際大会、世界で初めて、プレーヤーではなく観客にユネスコのフェアプレー賞が与えられたのは、日本の応援の観客でした。分け隔てない称賛の拍手。
 もう一つ(これもLIVEで観ていたような・・・)、トリノ冬季OPのクロスカントリー競技でストックが折れた選手(カナダ)に他国(ノルウェー)のコーチが代わりのストックを渡し、渡した側のチームは敗北してしまいました。と、ここで話は終わらない。2大会後のソチ大会。今度はノルウェーの選手の板が折れ、そこに疾走してきたのはカナダのコーチ。すぐに板を渡し、レース続行。この、カナダのコーチこそ、トリノでストックを渡された本人でした。
 次の対戦を待ちわびる心もち、どんな形が、その意欲を高め、ハートを熱くし、エネルギーを与え、もらえるだろうか。子どもの未来を見据える指導者であれば、心得ていて当然。

 

No.388 【自分たちのバレー13】 

 

 13ということは1~12まで綴ったということ。思い返すと? いや、年のせいかほぼ思い出せません。稀に「この空気がそのことなのかなぁ」と感じることがあります。
 チームが熟れてくるにしたがって、細いチームらしさの糸が束になり、紐になり、綱になっていくような感覚があるものです。俯瞰して他のスポーツクラブと比較したり、中からじっくる眺めたりしながら、到達点を見据えつつもいい意味で変更したりと、まるで生き物のよう。
 さて、今年度は、年度の冒頭に子供たちと保護者の方々それぞれにこう告げさせてもらいました。「これまでの卒業生のチャレンジや感染症による自主練期間を経て、多種多彩な挑み方、解決方法を経験してきました。効率よく効果的に自分たちでやれる術と意識と力を、チームとしてもててきています。しかしながら、これまでは、コーチ陣はじめ大人の示唆からの始動が多々ありました。今年度は、自分たちからの発信が出発点となる試み、表現をしていきましょう! それが色濃く現れる一年に!」
 その後、チームの全体LINEに、次々と上げられる「練習のコツ」「技術の極意」「自主練のヒント」「フォーメーションの基礎」・・・動画やノートのアップにはちょっと勇気が必要です。全体にさらされるんだから。このちょっとの勇気こそ、コートでの勇気、表現力につながります。
 コラムの表題は「自分たちのバレー」。「自分(たち)からの発信が出発点となる試み」「表現をし続ける勇気(まだ小さいけど)」「各自の技術レベルに関係なく」が動き始めました。続くだろうか・・・それもまた自分たちのバレーの綱をさらに太くするためのさらなる1本の糸。
 そういえば、「年のせいかほぼ思い出せません」と言いましたが、母が、「お前は中学生の頃からそうだよ。」な~んだ。気分屋のちょいバレ、適当です。

No.389 【防衛機制(無意識にまもる自分)】 

 

 いつしかのコラムで、表題の件についてはまたどこかで・・・と書き込んで以来、放置。
 進歩を停滞させる無意識の脳の操作があります。防衛機制がそれです。人の行動や危機意識への対応や表現はおおむねこれで説明できるという人もいます。
どんな言動がどの種類に該当するかということは学者さんやカウンセラーにお任せして、バレーの練習場面でのあるあるを分析したいと思います。
 技術レベルや思考について、要求されている水準に届いていないなと、自分で感じている子は見ていてわかります・・・自信がない、劣等感、無意識のうちの自然な感じのものも含めます。なんとか打開しようともがく子、このパターンについては、表現をしようとしていることにより、ある意味わかりやすく、進捗の把握がしやすいものです。
 一方、導く上での難しさを感じるのは透明人間(私の職種では時折使う言葉です)になろうとするパターンです。隠れ身の術。お!忍者か。もちろん、本人はどちらかというと無意識のうちに。指摘や要求を課せられたときに「受け流す」「自分のことだけにしないで友達のほうを見て注意を分散する」「さりげなく周囲に溶け込もうとする」など、各自の対処方法は大体似ています。そう、「似て」います。似ると寄り集まろうとし、それが正当になりがちです。結局、大きな問題ではないことにしてしまい、時間がたてばなかったことになっていることを心の底で期待してしまします。その次の段階は、それが恒常化し、無意識のうちに、自分を守る常套手段に定着します。
 このループをクラブチームのリーダーは見逃してはもったいない。自己解決の手続きとして、考え方や、具体的な方策をたとえ小学生といえども、身につけてほしい。そのためのチャンスととらえたいと思います。同じ忍者なら、どこからともまなく、自らの意志で、とんでもないスピードで、チームの危機を救わんとする忍者の方がカッコいい!

No.390 【ボディブロー】 

 

 タイソンのパンチは酷かった。すごいの上、一撃で自分よりもはるかに大きいヘビー級のボクサーをマットに沈めた。一方、ロマチェンコは的確でマシンガンのようなジャブとボディの巧みな組み合わせで、次第に相手の体力と戦意を奪い、見極めたら一気にラッシュをかける。でも、このラッシュにもきっちり油断と返り討ちへの対策が仕組まれている。
 毎年、チームカラーは異なります。そうでなければ面白くありませんし、良さと苦手をバランスよく「伸びしろ」という大船にみんなで乗っかり航行を楽しみます。スーパーエースを生かすチーム、守備を徹底的に優位に仕上げるチーム、セッターの巧みな設計を生かすチーム、勢いと根気だけはどこにも負けないチーム、とにかくミスをしない安全策のチーム、何でもかんでもとにかく自分たちでやるチーム。どれも色の付き方はきっと鮮やかになっていきます。あ、そうだ、監督がめっちゃひっぱって恐ろしいまでの権威のあるチーム・・・これはダメだな。
 しつこくブロックにチャレンジし、緩めた弾道にしつこくしレシーブ陣がつなぎ、とにかく攻撃に結び付け、打って、得点に高確率な返球で返す。ボディブローは、徐々に効いてくる。相手より先にミスで終わらない。この攻めぎあいのラリーを高揚感が次第に高まる「白熱戦」と呼びます。
 さて、どの色の組み合わせでいきましょうか? 目指す場所は、気持ちと技術と体力と策、心技体知の紙一枚の上乗せの積み重ねを一生懸命に続けることでしか得られない通過点であることには違いない。コツコツと打ちまくれ、ボディブローを。

No.391 【ワンタッチ】 

 

 職業柄、採用試験を目指す学生さんとかかわることがあります。シンプルで字が丁寧で本当のことが素直に表現されている履歴書は一読して心地よい印象を受けます。面接では内面を暴(あば)きにいきます。
 以前、チームのblogやちょいバレ「自分たちのバレー」シリーズに、ワンタッチにまつわる記事があります。先日の大会で主審がワンタッチの判定を下すと、ブロックを試みた選手が「騙せるかも」と思ったのでしょう。もしくは騙せたらラッキーと思ったのでしょうか、それとも本当に身に覚えが無い? 食い下がります、直後にベンチの指導陣も背中を強く押し、コート内のメンバーも主張。すでにこの行為は反則行為ですが、それはさておくことにします。
 結果は・・・主審は少々動揺しておられましたが、判定は覆しませんでした。
 とても残念な気持ちでした。会場内には二つの感じ方があったと思います。一つは、「たとえウソでも審判を味方に付ける一つの方法(私は、審判を味方に付けるという意味は別の内容ととらえています)であり、通れば正義。」もう一つは、「正義は真実にこそあり、つぎの1点を仲間がとってくれると信じ、みにくい得点は不要」との思い。
 「残念な」と書いたのは、ここに一生懸命コート内外で未来の自分を作ろうとしている主役の子どもたちが、一瞬一瞬大切なものを獲得しに行っている真っただ中だからです。
 保護者、指導者の皆さま、その子の履歴書に「嘘をついてでも自分に有利になるようにすることは場合によっては正しいと考えることが私の信条です。」と書かれている人と「失敗を受け入れ、次に取り戻すために心と頭脳を全力で使うことが信条です。」と書かれた履歴書。どちらの子を採用しますか? おっと、前者の人は、そもそもそんな内容は書きません(オンラインだと見抜くのは厄介だ)。
 ちなみに、ここで登場したノータッチを主張した子ですが、プレーの瞬間に「ワンチ」と叫んでましたから・・・自覚があっただけにさらに残念です。
 成長の過程の全て(辿ってきた道)が、自分の心の地図になり、導き出してきた答えが、頭の中の辞書に蓄積されていくものです。だからこそ、一つ一つの場面での考え方は大切なんだなと改めて思います。きれいごとばかりでは成り立たないことも承知しています。でも、小中高校生段階においては・・・。
0.01秒以下、一瞬の「ワンタッチ」の考察でした。

No.392 【奥只見】 

 

 東京の自宅から、関越トンネルを含めておおよそ30キロのトンネルを越えてたどり着けるのがここ。銀山湖と駐車場のはるか断崖の下を上流ゆえに荒れ気味に流れる千曲川を見下ろせます。
 早朝、山頂へのリフトから眺めるブナの若葉。ここ奥只見のスキー場は、他のスキー場がオープンしているシーズンは雪が深すぎて閉鎖。初夏にも近づかんとする4月末~5月初旬、誰も滑り込んでいないブナ樹林の山中を樹をよけながらのフリースキー。この時期の恒例でした。
 ブナ平では、ブナの新緑の隙間から、木漏れ日が煙を照らし、BBQや燻製の香り。なんという贅沢な時間と空間。
 ごくまれに、救助のヘリが、思いっ切りスキー場のど真ん中に着陸します。それほどの自然の中のスキー場です。
 日没近く、下山ルートでは、朝見た同じブナの木々の新緑の芽がすでに葉になっているほどの変容ぶり。太陽の力は、木々の生命力は、偉大です。
 来年あたりは・・・久しぶりに奥只見を訪れてみたいな・・・
 バレーとは全く関係ない? いや、そうでもないかな。OFFの過ごし方。

No.393 【直角三角形】 

 

 だいたいのイメージです。30度、60度、90度の各内角(辺の長さの比は1:2:√3)、あるいは3:4:5の辺の長さで構成される直角三角形は、中学数学の図形部門の両大関。横綱はもちろん円です。と、ここまででもう読む気がしない方もおられるかと。
 後ろから眺めた時のディグ、レセプションの初動のイメージを直角三角形で表してみます。直角の部分から垂直に伸びる高さを3、水平に伸びる辺を4、斜辺を5とします。相手のアタックヒットの瞬間に、重心がこの斜辺5を移動する事にはリスクが大きいものです。上から下への重心の移動は、その後の動きの流れでボールを上に上げるための運動の方向とエネルギーが余計に必要になります。そのリスク回避のために、相手のアタックヒットやサーブの直前~その瞬間には重心を下げ、底辺4を横に移動するほうが合理的で効果的です。前提として、アタックヒットの直前に重心を3に沿って下げておくことになります。
 同様に、ドローンで?上から眺めた場合、この直角三角形はエンドライン側が4、ボールに対して外足側が直角の頂点、外足側から前方に3の辺を描いたとします。(図で示さないと難しいなあ、説明)。こちらは、重力が上からかかることよりも、水平移動をいかに効率よく行うかが優先されることから、斜辺を重心が進んだ方が合理的です。
 まとめるとこんな伝え方かなと思います。アタックヒットの直前に重心を下げ、地面の反発力をしたためる。直後に水平移動、移動方向は斜辺の方向。シンプルな動きですが、会得するには時間と集中力と高い意識が必要です。ディグの腕の動きも同様に最短距離でボールにタッチするイメージで説明できます。📐 たった0.1~0.2秒のために何か月も。
 三角定規を見たら、考察のチャンス!

No.394 【協奏曲】 

 

 友人にそこそこ名の知れた音楽家がいます。チームのイベントでお父さんたちと笑いのネタのようなコミックバンド、ギターコードを5つくらいしか知らないハッタリ野郎とは、次元の違う存在です。
 彼がこんなことを言ったのが印象に残っています。「音楽家は、音を出さないときに考えることのほうが多い。音を出さない瞬間や時間が、演奏家にとっては大事なんだ。」と。当時(20年近く前)はほぼ聞き流していたのですが、最近、同じことを言った演奏家がいたので、その瞬間に脳が反応しました。演奏中、自分のパートがOFFの時間、曲想や他者とのバランス、指揮者の意図、会場の観客の理解度を全神経を集中して次の自分のパートへのイメージを構築するのだそうです。
 ずっと話しっぱなし、ずっと聞かされっぱなし、確かにかえって耳障りだったり、生活音になってしまったり。私の田舎ではカエルの合唱、セミの合奏?が、全く気にならない、脳が自然に聞き流している操作をします。 
 人に、気持や物事、特に大切ない意図をもつことを伝えるとき、あえて作り出す静けさはとても大きな仕事をしてくれます。音を出さないときこそ脳で奏でる意図、策は、次の瞬間の大事な準備の時間です。オーケストラや多重奏を鑑賞する機会があったら・・・違う視点で観てみたいと思います。
 鬼気迫る展開のコートの中、そんな悠長な時間は・・・逆です。この音楽家の話を思い出すと、作り出すべき悠長な時間、ほんの8秒でも、そこに流れを変えるヒントが隠されているように思えてなりません。狂騒曲を協奏曲に変えるヒント。

No.395 【critical thinking (クリティカルシンキング)】 

 

 「このコーチの言うこと、ほとんどテキトーでウソばっか言ってるから、真に受けちゃだめだよ!」新入部員や体験に来ていただいた子どもや保護者に対して、今では当たり前のように、在籍の保護者から聞かれる会話になりました。
 ちょいバレでは、「PDCA」「ブレインストーミング」「探求心」「課題シート」など考え方やその進め方についてはたくさん示してきたように思います。特に「考える」ことにおいては、そのどのテーマ、内容についてもヘチマの束子(たわし)みたいに(ああ、知らんかあ)つながり合っています。ふ~ん、と留めるか、探ってつなげることを楽しむか、それはその人となり。
 息子のお嫁さん(看護師)から先日、この表題「critical thinking (クリティカルシンキング)」のことを聞きました。簡単に言うと「本当にこれでいいのかな?」ということだそうです。和英で検索すると「批判的思考」。
 最近は横文字だと新進気鋭感があるのかやたらと世間に飛び散っています。でも、知らないことを知ろうとする気にはなりますね。その意味では素通りするにはもったいない、わかることからもっと知りたくなるチャンスを逃すのはもったいないことです。
 では、問題です。前回、直角三角形の話をしたので、関連問題。
 「直角三角形の斜辺を底辺とした時、底辺(斜辺)が10cm、高さが6cmのこの直角三角形の面積は?」大手インターネット関連企業の採用試験で出題された問題だったような・・・

No.396 【課題シート Ver.3-2】 

 

 思い立ったが吉日。物事を発動させるタイミングは、「気づく力」が不可欠です。さらに、自己啓発には、目的に応じて大きな原動力、瞬発力が必要です。外に発信することによって、ライバルたちからの自分への力をもらえることのありがたさと、ライバルが自分を越えてくる恐怖の両方を想定することになります。いわゆる自分の首を絞めるというやつです。
 勇気と志の高さの壁を自分で突破する力を得たいか、それとも逃げたいか。どちらの自分になりたいかを自問自答する機会。
さて、自分への枷(かせ)ともいえる自主練、家錬の提案はこれまでも「課題シート」の提案とともにいくつかちょいバレに挙げてきました。今回は、課題シートVer.3の変形版を作ってみました。2週間分の記入が可能なシートです。
 ごく簡単に、毎日続けられる基本中の基本のドリル練習。3つにしぼった初級向けのシートです。個人で使う、仲間と使う、大会形式やマラソン形式にして、数の合計を大会形式で競い合うようにしてみるなど、使い方は自由です。
 単純計算をしてみると、5分間でアンダーハンド200~300回くらいは可能でしょう。自身の探求心と精神力と体力勝負。時々フォームを動画で確認するなどの作業を休憩がてら。
 覇者は、1週間、1か月あたり何回くらいになるんでしょう?誰かチャレンジャーたちはいないものか・・・
参考:私は中学時代、アンダーハンド1000回、オーバーハンド500回が顧問の先生からのノルマでした。

 

No.397 【コーディネート】 

 

 スキッディングターンとカービングターン。特に凸凹の斜面をスキーで滑り降りるときに駆使する二つの大きなターン技術です。理想を言えば、カービングターンだけで・・・キレッキレの超高速のワールドカップモーグルレーサー以外はできません。スピードコントロールを可能にするためには、板をズルズル~っと横滑りさせるスキッドの要素は不可欠です。安全なスピードに落とすための安全策。ほかにもトップレッシャー、ヒールキック、いくつか緊急回的なものや春の雪質だからこその策があります。
 個人的には、カービングを強く意識しつつも、スキッディングを織り交ぜながらコントロールをします。瞬時のコーディネート。多分0.5秒間隔くらいに、カービングとスキッドの割合を斜面やその凸凹に合わせて。
 いつも、多くの事象への対峙方法は、目的に応じた加減や組合せのバランスだったりします。コーディネートの結果は、理想の到達点のイメージとは異なることも多いものです。手順を踏んで、自分の「今いる立ち位置や到達点に応じた」策を、思慮深くコーディネートすることが、結局は近道。
 確実に相手コートに返す、ミスのないスパイクへのコーディネートは? 心と技術それぞれのコーディネートと、その両方のコーディネートは? 答えを絞り出そう。それがコーディネートの難しさと面白さです。

No.398 【暗黙知と形式知】 


 何十年も前、父にジープのプラモデルを買ってもらいました。実は、父はそんなにこの手のモノづくりは得意ではありませんでした。先にセメダインでくっつけちゃったのはもうもとに戻せません。結局、説明書通りに事を運ばず、でも最終的には形になりました。あれ?ゼンマイ巻いても動かん・・・。
 試行錯誤もいいでしょう。なんとなく数や叩き込みで身についたものを、自分が身に付けた方法で次にも伝える。だいたいこんな感じで何とかなっていくさ。習うより慣れろさ。一理あります。問題は、その折角の積み重ねや試行錯誤を順番、コツ、意識、評価方法、ステージで整理していないことです。文字にしたり、その他のメディアをうまく使って効果的に整理することで手続きが形になります。形式知として残り、同じような状況を辿りたいと思っている人の道標、地図になり得ます。なにより自分自身の。
 暗黙知の世界だけでも、センスがあるとか天才とかと表現される人に脚光が集まり、注目されがちです。でも、形式知を駆使して、地味でもステージにあった階段を、100段先の自分を夢見て上る努力家が、最終的には根拠を明確(このことはまたの機会に)に伝えることのできる、信頼できる逸材になるものです。

 

No.399 【アーネスト・マルチネス】 

 

 最高到達点363cm、指高241cm。今の世界的なバレー選手のスパイカーなら標準的なのかもしれません。1981年ワールドカップ銀メダルのキューバを率いた主将です。驚くのは、彼の身長・・・178cm。どこの中学男子バレー部に一人はいるんじゃないかな、くらいの身長です。
 バレーを始めて、彼にひかれました。ブロックの下がり際、まだ空中に上がり続ける鳥人。何はともあれ、だから誰よりも高く跳ぶ!のはシンプルで面白いじゃないか。彼のようなスパイカーになりたかった、近づきたかった。
小兵だろうと誰が何と言おうとぶん投げて勝つ千代の富士関、一番高い表彰台からオランダの巨人を見下ろすスピードスケートの清水選手・・・
 ヒゲのマルちゃん、今どうしてるかな・・・おなか出てるんだろうな・・・そこは近づけた・・・

No.400 【400号記念 自考自成】

 

 ちょいバレ、ちょいちょいアップしてきたコラムは400号となりました。数を目指すつもりはありません。色々な立場や年齢の人たちに向けて、そして自分に向けて伝えたいことを、熱量もジャンルもバラバラに表現してきました。
 母校の石碑に刻まれているこの言葉、卒後40年以上経て私の中で今尚生き、しなやかな枝先の新芽が、この先も好き勝手な方行に向かって伸びようとしている感覚をもつことができることに感謝。間違いなくかかわる人達のおかげです。
 考えなくても生きてはいけるのに考えることの意味は? 哲学者がきっと答えは出そうとしてくれているはずなので、言葉や金言にするのは、まかせましょ。もっとシンプルに、考えて自分が出した答えが、正解か否か、誰かのためになったのか、どんな形に生かされていくのかを見たくなります。短期間で見極められることもあれば、長い時間考えて仕掛けて、巡り巡って、ふと気づくかのように分かることだってあります。どちらかといえば目指すのは後者です。
 確実に言えることの一つは、考えることを止めたら発見も進化も止まることです。ちょいバレでは、そのための考え方、材料や資料、きっかけを投げかけてきました。これだけの量になると、いろいろなことが、つながり始めます。それを自分でも実感することが多々あります。自由に伸びた枝が、別の枝先に触れる。どこかで別れてきた枝先だったりします。
 例えば、「このチームを強くしよう」に対して、課題を整理すること、その方法、次にどうするかの策、評価の方法、これらはPDCAなどで紹介しました。課題の整理の仕方は課題シートで、課題の分析や策の発見については、ブレインストーミングで、そもそも強さとは? については寺子屋資料で。科学的なものの見方のコラム記事もいくつか書いてきました。内容云々だけではなく、ものの見方や考え方が伝えたい深層です。そもそも本当にこのチームは弱いのか? クリティカルシンキング、大元や現状や通説を疑ってかかることだって必要な視点です。
 いろいろな考え方の視点は、どこかでつながり、時に大きな突破力となり得ます。逆に考えれば、合理的につなげる策によって、突破への道筋を構築することができる可能性があります。だからこそ、考えなくてはなりません。それを止めてはなりません。もちろん、小休止は必要ですけどね。でも、実は、小休止の中身は、遠くから眺めてみたり、ちょっと粋を抜いて寝かせてみたり、別のことを体験することで見方を変える作業だったりします

 自ら考え自ら成す。「自考自成」をちょいバレ400号の記念に。

補足:今、学校現場では令和2年度から(中学校は3年度、高等学校は4年度)新しい学習指導要領(学校で教えるべき内容)の10年に一度の改訂を行いました。大きな趣旨は「自考自成」と矛盾するものは何もありません。特に、「思考力、判断力、表現力等」「学びに向かう力、人間力等」は。だから学校生活は大事なんです。
 未来の人とモノを創造する若者よ! 今は先ず「自考自成」、気概をもって青春しよう!

 

No.401【弱気な自分と闘うには・・・】 

 

 このテーマの解決に向けては、前提条件によって少しアプローチが異なります。すぐそこに、挑まねばならない舞台がある場合と、かなり先に設定されている場合です。
 今回は前者の状況下。技術、体力の向上が見込めない時間的制約がある場合、準備に費やすべきは、考え方や意識や心のもち方になります(全部脳の働きですから同じですが)。以前、意識の変化だけでボール2個分先のボールを捕球できること、スパイクの落下点をやはりボール2個分前にできること、を科学の目で解説しました。
 同様に「チームの課題」「私の課題」をピンポイントで、短期間で何とかしたい時には、この頭の中の準備を必死こいて実行するほかありません。頑固な意志と信じる意識をもって反復練習するほかありません。それを怠った者に仲間は・・・
 その前に、「私のこの動作がチームのブレーキになっている」ことは事実。となれば、とるべき本人の方針については二つの選択肢があります。一つは、果敢に「果断の挑戦をし続ける」か、もう一つは、「私に頼らずに、別の可能性の高いメンバーに任せるように」仕向けるか。そうなってホッと胸を撫でおろすか。
 迷いますね。前者は確かにかっこいい。でもリスキーです。後者はその逆。
 解決策はあります。というか、落としどころの一つとしてはあります。本人が最後まで挑み切るための考え方や意識や理論は追及すること。チームでその意図を共有すること。試合の中で、どうなったらどう考えるなどの方針を決めておくこと。その方針に移行したときに全力で挑み鼓舞し合うことを決めておくこと。
 最もやってはいけないことは、「他の誰かに最後は託してしまえば自分はミスして失点することを免れる。」「チームの逃げ道としては、私がボールにさわらないこと、最後はその方針が使える。」と考えること。
 後ろ向きの気持ちや考え方は、長く分かり合おうとしてきた仲間には見透かされます。時間がない時こそ、仲間を裏切ることが許されない絶体絶命のピンチはやってきます。救う術は、日ごろからの一生懸命とその表現しかありません。

No.402 【力を抜こう】

 

 近々のコラムで「音を出さない時間」のことを話題にしました(ちょいバレ394)。全力の演奏を響かせ続けることは、かえって主張が分かりにくい。連想されることばに「緩急」「ONとOFF」などがあります。ロックバンドが奏でるバラード、アーティスティックスイミングの途中の全員が水面下に潜った時の静寂・・・。肩の力を抜こう。考えることすらもやめてみよう。この時間の過ごし方ができる人は、ニュートラルや基準点を置くことができる人。自分の中に入ってくるものを冷静に、おおらかに、見定めようとする心をもつ。
 高さのわからない空、深さのわからない湖面に仰向けに浮かび、そこを座標軸の0に置くようなイメージでしょうか。別に瞑想の何たるかを説いているのではありません。なんにも考えない時間を過ごすことが、次に向かう出発点になったり、発見のきっかけになることは多いものです。時間はかかるものですが、見方を変えれば、時間がちからを与えてくれるとも言えます。(仕事に疲れ、療養中の仲間にそっと送るコラムです。)

No.403【クラス全員リレー】 

 

 作戦はだいたいこうです。50m走のタイム計測を参考にソートします。速い子と遅い子を交互に配置し、バトンゾーンではできるだけ速い子が長く走ると有利。理に適う作戦はそれだけです。
 当日までは練習あるのみ。バトンでぎくしゃくせず、各自の力が最大限に発揮されたチームがたぶん、勝ちます。早い子たちが、遅い子たちに頑張ろう!と言います。でも、往々にして遅い子たちは、速い子たちにもっと速く走れ!頑張れ!とは言わない。言わない根拠は、遅い子には速くない者が速い者に速く走れという矛盾を感覚的にもっていること。遅いことに負い目を感じていること。
 でも、特に最近の子たちは、考え方の考え方を小学校やクラブチームで繰り返し身に着けられる機会を積み重ねている場合があります。身に付けたかどうかは本人次第。その考え方をもってするならば、当たり前のように遅い子がこう言えるはずです。「僕は遅いけど、でもこんなに努力してる。でも、お前は速いかもしれないけど、それをいいことにサボってるんじゃないか? それじゃあ俺たちのクラスは、勝てないよ! やるべきことは分かってるよな! それができなきゃ今から当日休んじゃってくれよ。人数合わせなら俺が頑張ってもう一回走る。サボったお前が走るより、クラスのみんなは納得してくれるはずだ!」・・・言えないか、そこまで言えたら青春映画のヒーローでしょう。
 ただし、本当にこれに近い言葉を吐いた小学生がいることを、そして、周りを黙らせて納得させた小学生がいることを追記しておきます。
30人31脚、クラス対抗大縄跳びなど、思い浮かぶシーンは他にもあります。そしてバレーでもね。(参考:ちょいバレ142)

No.403 【透明人間】

 

 二つの恐怖感があります。一つは、いつかあばかれてしまうんじゃないか、自分に白羽の矢が立つんじゃないかというビクビク感。もう一つは、本当にいないと思われてしまう恐怖感。段階としては、初めに前者、次に後者でしょう。
 こんな時にもそれは起こります。みんなで乗り越えなくてはいけない壁に対峙した時。さらに、人数が多い場合は特に身を隠すには好都合です。「自分にだけに言われているのではなく、みんなに言われているんだ。」「この場をやり過ごせば・・・」「自分に火の粉がかからないように・・・」。そこで、透明人間の術を発動するのです。
 ファーストペンギン力! その勇気がチームと自分を救う術。さもなくば、冒頭の「後者の恐怖」に陥ることになります。これこそ、本当にあった怖~い話・・・。さあ、君ならどうする?

No.404【離れたボールが上げられない二つの理由】 

 

 一つは初動です。一言では言い尽くせないのがスポーツの面白さでもあり難しさでもあります。なぜなら、動きの成果(結果や体現や表出とでも言いましょうか)は、脳の思考からほんのちょっと遅れて現れるからです。以前、「言葉」のもつ意味を紹介しました(No.49)。事前の準備と初動とその基本的な動き。ここではサイドステップやゴキブリの動き。徹底してこれを正確に俊敏に行う必要があります。
 二つ目は、スライディング。いやいや、それを前提にしてはいけないでしょ!と言われます。その通りです。最初から楽にスライディングに逃げる前提では精度の高い閾値には到達できません。ただし、いとも簡単にスライディングができることのメリットを生かせ、という意味です(No.110)。この二つの技術のコーディネートで着こなせば、誰もを振り向かせる粋なヤツになれるのさ。

No.405 【ひたる つくる いどむ】

 

 今でも思い出します。チーム発足以来初めての都大会の切符をほぼ手に入れて、フルセットを14-11で迎えてからの逆転負け。これほど泣き、崩れ、立てない6年生女子を見たことはありませんでした。
 チームが育つ、熟れるとは、向かうべき方向へ船の揺れを楽しみながら向かっていけること。
 揺れながら。その過程では、ひたること、想像力と根拠をもってつくる作業、その荷物をもって意気揚々と時には意地で、いどむこと。だから揺れるのは当たり前。
 果断の挑戦を自らに課し続けることを求められ、挑もうとするチームになって来たように思います。この目に見えない根が、幹を育てる場所が、ここであると感じられるチームがいいチーム。少なくとも、小学生段階ではそれは曲げられません。
 冒頭の6年生、卒業生大会では、別の涙を魅せてくれました。

​ チーム発足10周年?を迎えようとしています。たぶん。

No.406【あんなボールやこんなボール】 

 

 スマイルボールは、4号球と同じ大きさですが、周囲がソフトな感触で、重さは約7割くらいです。使用目的は、幼児やボールに慣れていない子が初めて扱うなどの場合です。変わった使い方としては、バレーのブロック練習場面では、指のけが防止、恐怖感の軽減など、中学生高校生段階でも有効です。また、いつぞや登場の「バラドッジ」でも恐怖感をもたずにキャッチにチャレンジできます。
 メディスンボール、こちらはトレーニング用に使います。重さは1kg~4kgがよく出回っています。重みがあるので、オーバーパスの腕の筋力トレーニングなどに使います。別の使用方法としては、小さめのサイズ(2号あたり)を使って、アンダーハンドのボール感覚、コントロールの巧緻性を高めるのには有効です。
 玉入れのボール(ボールとはいいがたい)は、スパイクのスイング練習でキャッチすることでボールを中心でとらえる感覚やドライブ回転を生み出す手首や掌の動きを高めます。
 ボールクッション(これもボールのカテゴリではないですが)、室内などで近距離でもドッジボールが可能です。ママに叱られなければ・・・。恐怖感よりも、豪速球をキャッチしたい衝動に駆られたらしめたものです。

No.407 【本当の自分】

 

 折に触れ、作文や振り返りの長~い文章を子どもたちに書いてもらったりします。「マジやめてほしい…。」と保護者の方からのクレームにも屈せず。責任もって自分で全てやらせてください。手出し無用。と双方に周知の上での策なのになぜこのクレームが? 解せぬ。それはさておき。
 文章には、その人の思いや考えがあらわれます。私よりも専門家の見る目はもっとえぐるような鋭さに驚かされることがあります。推敲の形跡は、その心の揺れが、うねりのような表現に。そうなると書く方も読むほうも食い下がる。そうなればしめたもの、心を深めることができます。そもそも、心という臓器があるわけではないので、「脳」の働き、思考の繰り返しによる定着の方向性です。それをいかに自分のモノに自分らしくしていくかだと思います。
 時々「ここでバレーを続けてきて、我が子に変化が・・・」の話を聞くことがあります。「物事に積極的になってきた」「意見を堂々と言える」「コミュニケーションを自分から」「課題を自分で設定して取り組み始めた」「コートに立ちたい、試合に出たいと強く表現するようになってきた」。うれしいですね。先々それが凶と出る場面もありますし、逆の変容の相談ももちろんあります。そりゃそうです。両方の変容が必要です。
 両方を自分の中で闘わせて、落としどころやバランスの取れるところを見つけて、でも、そうじゃなくてこうなりたい! に葛藤覚悟で自分をもち込む。その過程においては、非常に悩み揺れるものです。本人や周りがこういいます「本当の自分って何だろう。本来のこの子らしさって何でしょう。」全て自分であり本人、全部ひっくるめて自分らしさ、本人らしさだと思います。
 そう深く考えられる自分に自信と勇気をもって、もっともっと考えてほしいと思います。適当に脳の中で考えるだけでなく、文字、文章にして整理を進め、いつかその変容をたどることができるような膨大な脳の歩みを時には集中してやってみよう。時間がある時には特に。

No.408【清じい】 

 

 ど田舎の早朝、すでに近所の農家の一仕事終えたじじばばさんたちがその喫茶店のモーニングを目当てに集います。モーニングではなく本当の目的はこの集いそのもの。
 目玉は飲み物の選択にクソ(清(きよ)じいは必ずこのギャグを使うからそのまま掲載してやろう)があること。「ク」リーム「ソ」ーダ以外にもレスカも(店主によると、一仕事終えた夏の朝の年より連中からのリクエストだそうで)。ゆで卵は食べ放題・・・体にいいのか悪いのか。以上全て思い出話の余談。
 スプーンとフォークは使用目的、登場の成り立ちも異なります。適材適所。意地を張らずにうまく使えば無駄を省いてスマートに。と、思いきや、清じいは、はなからサイドメニューのナポリタンもミニカレーも箸でいってる。40年以上前、ナポリタンを箸の男がいた。カレーも。そしてクソの底のサクランボも。流石。この清じい、ハーモニカを左右逆でも吹けるという独自の価値観を自然体で持つ男。彼にオモシロいバレーを見せたかったな・・・。
何が言いたいか? 特にございません。期待に沿えず、すみません。そんな記事もあります、ちょいバレですから。

No.407 【伝統は心の磨き方】

 

 このタイトル、以前にもどこかで・・・道草みたいなコラムにおいては、そんなことはよくあることです。道草のもつ意味は深い。
 チームが熟す意味も同様に語った気がします。そろそろチームがよちよち歩き始めてから船をこぎ始めて10年余。出航してからずいぶん経ちました。近々、記念のイベントを開く運びになりました。このコラムは、どこか特定のチームに特化した記事はあまり載せません。とはいえ、このイベントの意味を深慮することは意に違わないと。
 沿革の記念誌(DVD)にこう書きました。「伝統は心の磨き方」。昨今、勝利至上主義の強豪チーム、誰のためのバレーかを見失った指導者、あるいは、子どもファーストに傾倒しすぎた環境や対応。数十年後、そこに身を置くことに慣れてしまった子供たちが、どんな社会を良しとし、どんな子ども像を理想とするのでしょう? 
 おそらくは、太古からこの手のテーマは惟いみられてきたことでしょう。では、再考の意味がないかと言えば、全く逆。都度都度熟考すべしと感じます。大人は、指導者は、先輩は、経験者は、示唆しなければなりませんし、幹を太くしてあげなければなりません。その積み重ねができる場があり、磨く方法があり、振り返る場所がある人と、ない人・・・
 伝統はものではなく、その培い方そのものです。バレーに限らず。全てにおいて。
 ここで改めて、「心」は脳の働き、すなわち「考える」ことや「感じる」ことを脳で処理することから構築されていくものです。単に集中する力とか根性とか、そんなものではありません。だからこそ、磨き甲斐がある難しい挑戦なのだと思います。それが実践されているコミュニティこそが人を作ります。

No.408【起点 トランジションアタック】 

 

 例えばサッカーやラグビー、バスケットボール。相手のパスをカットした瞬間、何が起きる? 反撃です。攻守が一瞬で逆転し、観衆総立ちでこぶしを突き上げ歓喜する。この切替の起点をトランジションと言います。辞書をひくと、「transition」転機や転換点、変化や移行とあります。サッカーを例にすると、消極的な起点と積極的な起点がわかり易いと思います。パスをカットされた瞬間は前者、カットした場合は後者。
 大会に向けて、各チームがいろいろな準備をします。バレーボールにおいては、この起点からの移行は、他のスポーツ同様重要なポイントです。主な場面は、チャンスボールを迎える瞬間、ディグ(スパイクレシーブ)の瞬間となります。この起点からの展開を有利に運ぶことができれば、得点の可能性が高くなります。ポイントはいくつかあります。
1.ディグの技術を向上させる。2.ブロック効果を高めてスパイクコースを絞らせる。攻撃の意欲を削る。3.ディグの技術レベルやフェイントや軟打に対応、警戒を表現する。4.ハイセットの精度を高める。5.イレギュラートス(ハイセットを含む)への対応力。スパイカーの判断と準備。バックの攻撃を含めて。6.想定する場面をたくさん積み重ねることと、その一つ一つに丁寧に対応する考え方や意識。7.チームで挑む気持ちの共有。
 トラジションアタックとは、切り替わる場面から転じる攻撃。相撲で言えば「うっちゃり」みたいな「どんでん返し」の盛り上がりを湧きあがらせます。スポーツの醍醐味です。
 トラジションアタックを仕事や生き方に置き換えると、トラブルや壁をより前向きな事象に変化させること。お、「トラブルチャンス!」。トラブルやピンチを、これを機にどうやって前に進めようかと考える機会を得たことにわくわくするくらいの考え方、心底そう思える人を育てられるか・・・指導者や大人、さらには子どもも心得なくてはならないと思います。子どもには無理? そんなことはありません。

No.409 【コートの外でできること(子ども編)】

 

 できることの想像はつきます。「皆さんの応援が背中を押してくれました」・・・応援が選手のパフォーマンス向上に貢献することは科学的にも証明されています。アドレナリンやセロトニンの分泌に作用し、プラスの効果をもたらします(音刺激が逆効果の場面はもちろんあります)。

 選手に届くか否かもわからない状況もあります。でも、1万分の1%に満たなくても価値はあります。実際の声やモノや金銭や環境整備や裏方やデータ解析や心理的なサポートやコーチングや食事や・・・きりがない。

 選手以外がそのバックアップを「ここちよい」ものとして発現していることで、選手の口から「皆さんんの~」が発せられるんだと思います。

 コートの外で、見ていること、アドバイスや声援や拍手をすること、眼を合わせることだけだって、力になるんだと思います。あ、これはコートの中でも同じでした。そう考えると、中も外も結局は差なんてないのかもしれません。だとしたら、参加すべきですね。そのかかわりの中に。

 ここでは「子ども編」ですから、その内容が、子ども自身では達成できない条件のものだってあります。お金がかかる、遠くにいる、パソコンが使えない、車の運転ができない、真夜中だ・・・だからと言って諦めたら終了~なのは、大人も子どもももおなじです。

 やれるだけやってみる、考えつくして発動してみる、大人も動かしちゃおう。子どもだからってなめんなよ!!って。だって、自分が選手として、そうされた時のことを想像したら・・・最強の心の支えだと思いませんか?

No.410【瞬き】 

 

 時速80kmのボールが0.1秒間に移動する距離は約2.2m。0.15秒では3.3mです。人間が瞬きに要する時間はおおむねこの時間ですが、視界を妨げる時間はその前後を含めると0.3秒近くになります。すると、時速80kmでの移動距離は、6.7mということになります。

 どの時点から、例えばヒットの瞬間からなのか、そこから0.2秒後なのか、それは人それぞれかと思いますが、ヒットの瞬間にビビり、瞬きをしてしまったとすると・・・大変だ、視界を回復したときには、腕に当たってしまっていることになります。顔面かもね。面の大きさからすれば、顔面の方が、まだディグの成功率は上がるのでしょう。瞬きではなく、目をつぶってしまったなどというのは、球技に関しては論外。単純な計算ですが、このように解析してみると、一瞬の瞬きで、ディグをコントロールできない根拠の一つが詳らかになります。勝負は一瞬で決まる。

 チームのみんなが、「チームのために恐怖と闘おうとしない者は、コートから出てくれ!」というか、それとも「お前のドライアイのためには、一日2万回行う瞬きの1回でも無駄にせず、コートの中でもやった方がいいよ!」と言ってくれるか・・・君はどっちの仲間たちとバレーがしたい?

 ・・・一瞬とは、そう考えると0.1秒~0.15秒のこと・・・たった0.1秒で本当の仲間を判断する材料があるとも言えます。

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