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No.451 【バレーが難しいのは】 

時々天狗になって「私はめっちゃスキーがうまいです!」と、言っています。バレーよりも得意です。本当です。もうこの先読み進めるのが嫌になったでしょう? やな感じ・・・。

バレーボールは、「ボールを床に落としてはいけない」「持ってはいけない」「面の有る手具を使わない」「高速のボールを瞬時にコントロールしなければならない」「状況判断をしてポジションを瞬時に策を設定し動かなくてはならない」「自分と他のメンバーの位置や仕事の分担を瞬時に判断し対応しなくてはならない」「恐怖と闘わなくてはならない」「ゲームとして長丁場を闘い抜かなくてはならない」「仲間と気持ちを合わせなくてはならない」「3回以内に相手コートに効果的に返球しなくてはならない」・・・。これらの条件(状況)から、非常に高度な心技体知を要します。

他のスポーツがそうでないと言っているのではありません。極めるために必要な積み重ねはどちらも必要です。ただ、ゲームが楽しいと思えるまでにかかる時間は長い種目です。

スキーに関していえば、「あ、できるようになった!」が思いのほか短時間に訪れます。その理由は例を挙げると、たぶんこうです。1つのターンを完成させる過程で、体重移動、踏み込み、踏ん張り、ポジション、を時間をかけて一つの動作内に意識を変容させることができるから。コーチング方法として、ビッタリ背面に追従して滑らせたり、真後ろからタイムリーにじっくりアドバイスを伝えることができるからです。

バレーはそれ故に難しい。だからこそ工夫が必要ですし、挑み甲斐があるというものです。

No.452 【苦言】 

 指摘されたり、問われたりすると、どうでしょう? 素直に感謝する人もいれば、うるさいな!と内容如何によらず不快に思う人もいるでしょう。苦言、アドバイス、助言、忠告・・・。想いの深さは? 国語の問題? いえ、そうではありません。あえて苦言じみたことを言います。
 大会や練習試合の後、振り返って考察し、発信の形はSNSだったり、ミーティングの呼びかけであったり、立ち話、巡回形式のバレー日誌であったり、色々です。ぜんぶやったら効果的なのかもしれません。しれませんというのは、やったやった詐欺にひっかかる、あるいはひっかける危険も潜んでいることは、過去の
ちょいバレでも触れてきました。
 一 方、君は、どちらのスタイル(性分)を望みますか?
なりふり構わずというよりも当たり前のように、チームと自分の向上のために、発信しレスポンスを得たいと思うタイプ。もう一つは、たぶん、誰かが発信するだろうから、それを待ってからリアクションを考えよう・・・さらにこの後者の中には「本当にそうする効果が理解できていない」「そうすることに全く意識が及んでいない」「時間が経てばスルーできるかもしれない」「私が思いつく意見は、みんな思いつくだろうから、私なんかが発信するのは、きがひける」などに分けられます。
 さて、この後者、どこかの時点で、なりたいタイプへ変身、軌道修正をしないことには、残念な未来が待っている可能性が高いと言わざるを得ません。社会で、特に子どもが育っていく過程を多く見てきた方なら想像できるのではないでしょうか。
 言い訳や逃げ道はたくさん見つけられます。ですが、勇気をもって軌道修正を、カッコ悪くても、やった方がいいと思います。多くの目で見届けてもらえる機会とありがたく思いながら。こんなチャンスを生かさない手はない。

No.453 【答に近づきたければ】 

 喧嘩ばかりしている二人。失敗ばかりしている自分。変わりたいなあ~。脱出したいなあ~。
けんかの当事者が徹底的に話し合いを行う、それはずいぶんやってきたこと。だからまた喧嘩になる。ぶつかり合う。堂々巡りの末、ほぼ解決策に至らない。同じ失敗を、0からのスタートの繰り返しで、疲弊してイヤになる。向いていないんじゃないか、自分のせいじゃないのにどうして・・・のこれも堂々巡りっぽい。堂々巡りは、やり方によっては奏功することがありますが、ここでは、その方向に向かえない状況。
 その場面に出くわした時に、正面を向いて真っ向から対峙することは、初めは重要です。でも、何回か繰り返すのであれば、方法論を見直すべきだと思います。もしかしたら、そもそも方法論、仮説をもち込んでいないのかもしれません。子の状況に気付く感性と冷静さをもっていない可能性が高い。
 では、その方法論とは? これまでちょいバレを、熟読するほど暇な人はいないと思いますが、ヒントはたくさん挙がっています。思い当たる方法や考え方は至極単純で、だからと言って解決にすぐ至るほど楽ではないのが事実です。・・・「まずは根拠でしょ、次に効果的と推測される策でしょ、次に・・・」と道筋が何となく浮かびます。
 それを50回、100回と「もっと!」と自分に言い聞かせながら、なんなら声に出しながら、周りが見ていてその意識がビシビシ伝わってくるくらいに表現しながら、続けましょう。100回の何百倍も準備して。これくらいの数は、堂々巡りとは言いません。英語のフレーズが自然に口をついてその場で出てくるように。
 その結果、自他の評価によって、成果なしと判断したら、次の方法へ。きっと答えに近づく。改めて言いますが、大前提は、そもそもの方法論を明確にもってスタートしていることです。刀の前に裸の上に素手で闘かおうなんて、時間稼ぎと逃げ方が多少上手になるだけ。

No.454 【私の生きる道】 

 「こんなにボロボロになっちゃって。誰にも見向きもされないのは目に見えています。見た目だってさ・・・。誰かのために尽くしてきたことは間違いないし、役に立てたとも思う。でも、もう、限界だ・・・。」 
 「大丈夫! そんな君だからこその生きる道がある!」冒頭のつぶやきの主は使い古されたタオル。
基礎練習やイメージをつかむ練習にこのタオルが力を発揮してくれます。馴染み倒したクタクタのものほど扱いやすい。
 ・柔軟性を高める運動→肩関節、肩甲骨の可動域を広げる両手で持って回旋
 ・スパイクフォーム → タオルをもってフォームに忠実に降りぬく(練習ではちょっと違うイメージで行いますが、説明しづらいので、スルー)。若干の空気抵抗があることと、手首やひじの使い方が、タオルの軌道で確認できます。素振りから、小さく丸めたタオルを打点でつかんでドライブのイメージで振りぬく。これは、失敗して(つかみ損ねて)もあまり音がしないし、ガラスを割ることもない。我が家では、硬式テニスボールでやったおかげで、ママに直撃させて、ボロタオルにされた子がいました。助走からジャンプしてつかむ。両手で引っ張った状態で体の入れ替わりを意識したスイング練習。スパイク時の大きな動きを作るための感覚トレーニングとしての投球(投タオル?)。
 ・レシーブ(レセプション、ディグ)フォーム → 頭に折りたたんで乗せて、落とさないようにレシーブする。さらにそこから進行方向に2.3歩移動。ゴキブリの動きを極める。ちょっときついけど、両ももにタオルを広げて乗せて、サイドステップ。壁に丸めたタオルを打ち付けて、ブロックフォローの想定でレシーブ。
 ・サーブ → ボール代わりに室内で。壁には大きめのお友達(バスタオル)やいとこ(毛布)をぶら下げたりして、消音振動防止に努めましょう。色々迷惑をかけないコソ練を工夫するのです。
 ・スライディング → 腕の下に敷いて、床を滑る。ママに床がきれいだねって褒められたら一石二鳥。
 ・トス → 片方を縛ったタオルを上に投げ上げ、オーバーハンドの手の形(親指と人差し指で作った三角形の中を通して、おでこに当てる。痛くはないし、ポジションはうまくなるし、おでこはきれいになる。最高じゃないか。
 ボロタオルくんの生きる道、一緒に歩んであげよう! きっと、そんじょそこらのぬいぐるみよりずっと大事に思えるさ。
アドバイス:先々考えると、白より濃いグレーあたりが機嫌よく付き合えます。

 

 

No.455 【ブロックの基礎】 

 ブロックには目的があります。高校以上になれば、バンチ、スプリット、コミット、リード・・・頭でっかちとは言いませんが、複雑な意図が鎌首をもたげます。ここでは基本事項、考え方を紹介します。ゲームの中で「ハメる」壮快感につながる流れを想定して記載します。
 ブロックの目的は大きくは4つあると考えています。(1)攻撃を一瞬で砕く得点のためのブロック。(2)スパイクの威力を和らげるためのブロック。ラリーに持ち込んで粘るタイプ。(3)攻撃のコースをふさぐ、あるいはミスリードのためのブロック。ディグに自信があるメンバーの出番。(4)心理的な圧迫、プレッシャーのためのブロック。
 枚数は1枚から3枚。ここでは基本の説明なので、複数ブロックについての内容、合わせ方については別のコラムにとって置きます。
 基本的な構えは、ネットから1足分間をあけ、すぐに反応できる中間姿勢でネットに向かいます。ブロックの移動やジャンプが必要な瞬間の直前に重心をほんの少し下げ、地面からの力を蓄えます。
 ステップは、サイドステップとクロスステップ、さらにサイド+クロスステップ。これは異動距離により判断します。いずれにしても、大事なのは、1歩目の初動の速さ。早さではありません。クロスステップの場合は、1歩目を進行方向につま先を向けて出します。これは、隣の選手の足を交錯しないためと移動スピードと距離を稼ぐためです。
 カウント(一人の場合は心の中でもいいですが、複数の場合は声に出して合わせます)は、せーの! もありますが、私は「1.2.3」を勧めます。「せーの」は移動中に修正するタイミングがありません。「1.2.3」は1.2.のスピード感をヒントに「3」を合わせられます。
 空中姿勢は上目使いでボールをつかむようなイメージで、ネットの向こう側に滑り込ませ、相手コートに落とし込む。肩甲骨を上げ、肩の筋肉を耳に強くつけるような感じです。掌が左右狭くならないように。高さよりもホーム、ネットとの隙間を空けないことの方が優先です。特にクロスステップの場合は回転しすぎて内側が開いてしまうことがあります。
 フォロー体制、ボールに接触もしくは通過直後は、次の初動が始まっています。目を離さず、即準備。着地直後の振り返り。
 スピード感の中に巧妙な策と判断と動き、これぞ「ハメる」ブロックの醍醐味です。

No.456 【「さておき」のおきて】 

  ゴロがなんとなく・・・。最近は、チームの子どもたちが、この手のつまらないコーチ陣のギャグセンスのエサに対して、スルーすることを先輩たちから引き継ぎされている気配を強~く感じます。
 コートの中では、技術の高低差は当然あります。なぜ、そのボールが床に落ちたのか。なぜ、そのラストボールはアウトになったのか。なぜ・・・が生じるところには必ず、獲物が住んでいます。
 こいつを捕まえない手はないですよね。誰が? 全員で酔ってたかってハイエナのように、が正解です。そうなると、発言力、権限がリーダーや高いポテンシャルの持ち主がふさわしいような錯覚に陥りがちです。
 そこでこんなのはいかがでしょう? 「さて置き」の掟(おきて)。
気づこうとしなければならない、自分の技量や到達度は「さて置かなければならない」、そして発信しなければならない。まずは、まな板に乗せて、それからさばき方を相談すればいい。こんなうまそうなエサ、スルーするのはもったいない。

No.457 【手続き記憶】 

春の大会で最後の1点のブロックは私の宝。上高地の飲んだコーヒーの味は忘れない。など、エピソードとともにある記憶は、強く残るものです。また、意味づけをして、試行錯誤をして作り上げていく作業も記憶の定着や変化には欠かせない要素です。
過去に(きっとこれからも何度も)自主練習での単純な動作の回数コンペのようなものを実施してきました。継続は力なり、は本当に存在するのか? 回数をこなせば上達するのか? を検証したかったからではありません。しかしながら、言える確かなことは、積み重ねた努力は自信になる、根拠になることと、もう一つ。これがタイトルの「手続き記憶」です。
何度も練習するうちに、大脳基底核と小脳のニューロンネットワークが正しい方向に・・・というのが検索結果ですが、簡単に言えば、反復練習が正しい動きをオートマチックにしてくれる。みたいなことです。
そこに工夫を一つ二つ。動画で確認したり、アドバイスをもらってみたり、自信で言葉にして試行錯誤して評価してみたり。
1つの単純な動きを手続き記憶によって「概ね」確率するには、最低3万回は必要とのことです。それでも精度や変化に対応する「ゆらぎ」のような要素を高めるとすれば、とてつもない回数が必要なのは、あたりまえですね。さあ、アンダーハンド100万回! スパイク素振り100万回!

No.458 【参考書初版】 

 以前、大切なのは、果実よりも種なのかも・・・ということを綴った記憶があります。

 伝統は心の磨き方にあるとも記載しました。考え方や意識のもち方を積み重ねることによって構築されるものです。時にはそれが遠回りだったり、運よく近道だったり、まさかの行き止まりや洞窟だったりすることもあるものです。

 日々の積み重ねが年度の積み重ねとなり、背中を見る機会が増えて、その見方も熟してくるのが伝統のもつ深さだと感じます。

卒業生たちが、チームの後輩に向けて、「参考書」を編纂してくれました。(教科書だと荷がおもいということだそうです。)冒頭(参考書に寄せたファイル)に記したコーチからの巻頭言の一部にこんな文章が・・・。

 「未完成です。不完全です。穴があります。「ちょっとそれ、違うかも」があります。でもね! 個性がとても豊かです。自分の言葉で作っています。熱がこもっています。悩みがこもっています。後輩に伝えたい気持ちがこもっています。後輩に「あとはよろしく」という気持ちがこもっています。

 内容は、キャプテン、チームワーク、各技術等に分かれています。卒業学年のメンバーが、分担して書き&描きしたもの。100ページ以上。

世間にはバレーボールの技術教書、コーチングテキスト、その他参考になる書物や動画は山ほどあります。それはそれで有用ですし完成度も的確性もあります。

 しかしながら、子どもたちが作成したこの「参考書」は、「自分たちの!」が透けて見えすぎるところ、これについては、どんな著名高名で正確な理論をもつ執筆者の教科書には、決して表現され得ないものがてんこ盛りです。

 訂正や違う考え方、感覚、さらには、新しい発見や視点が次の代、その次の代・・・と生かされることを願います。手書きの参考書が、いつの日か、追記で埋め尽くされたものを見たいなと思います。

 種も大事ですが、どんな果実になっていくかの過程、それもやっぱり大事。ちょいバレは自由に考え、気まぐれで意見を変える。責任も負わない、それがこのコラムです。

No.459【表現の自由】 

 私が高校生の頃は、政経という教科でした。憲法で定める自由権(信教、職業選択、学問・・・)の一つが表現の自由。報道や雑誌のそれとは別に、ここはバレーコート。コートの中での自由について。苦言提言、発する内容にはそんなのもありますが、一番育ってほしいのは、チームの背中を押すための表現の自由です。
 最近、教育現場の中心的セオリの一つに、人権感覚を磨くことが挙げられています。職場の後輩であれ、親子であれ、能力や貢献度の違いがあれども、このことは非常に大切です。親ならどんな伝え方をしてもよいかと言えばそうではありません。愛情があればどんな指導をしてもよいかもやはり違います。
 一方、目的を達成するための手法として、関係性を理解した上で、必要なアドバイスを伝えることは必要です。冒頭の「ここはバレーコート」、においては、学年や到達度は「さておき」(No.456参照)、コートに向けての表現をすべきです。「さておき」の主旨を理解していれば、そのアドバイスは、間違いなく、参考資料や判断材料になるはずです。
 勘違いしてはいけないのは、この自由、セットメニューであることです。発する事への「責任」と「自分のこととしてとらえる探求心」です。例えば、具体的にはこんな意味です。
 「姿勢低くしよう!」。このことについてアドバスの受けてからの質問が「どうして?どれくらい?」であったとします。そのことについて、説明をして理解させようとする責任。また、自分も「低く!」が具体的にわかっているかの確認をし、自分もできているかの検証を試みる探求心をもち、動画で撮影してもらったり、仲間に見てもらったりします。
 この自由の良さ、効果は思いのほか心地よいものです。コミュニケーションや考え方を日頃からよ~く考え合っている集団ほど。「ライバルかつ親友」は、こんなところから生まれます。

No.460 【魔女への道】 

 1964東京オリンピック、日本の女子バレーは世界最強「東洋の魔女」と称されました。さて、今回のコラムタイトルは、それとはかなり違う誕生・成長過程を考察するものとなっています。以下は、我が子への対応に困惑する保護者にあてた文章の一部です。
 以下↓

「子供が考える間もなく、大人が指導、指示、有無を言わせずやらせる。すると、子どもが考えなくなってしまいますよね。大人も子どもも、初めはそれが楽なのかもしれません。手っ取り早い結果の出し方です。
次の段階では、子どもは、ガミガミをスルーする技を脳が勝手に仕組みを作ってしまいます。遮閉、眠くなる、隠蔽、そうなる前にその場から距離を置く、などです。
 次の段階は、子どもが大人になる時、違和感や相違に気づいてぶつかります。反抗期とは区別すべきです。ここで問題は、静観や、冷却期間や、俯瞰や、相手の立場になる視点や、冷静な相談をしてこなかった子は・・・解決までのロードマップを勝手に作ってしまいます。最も見慣れてモデルとなってきた方法は、言わずもがな、家庭です。
 さらに次の段階は、周りは、その人(その子)の軌道修正が難しいため、軌道修正を諦めます。そのエネルギーを使うことに疲弊するからです。
 すると、否定されなかった本人(子ども)は、どうなるでしょう?
 自分が正しいから周りが引いたと勘違いし・・・誕生です、魔女の。サイレントマジョリティという言葉を耳にしたことがあると思います。サイレント魔女リティ・・・。
 確かに、必ずそうなるとは言えません。一般論です。しかしながら、この展開については、かなりの高確率で辿る過程だと思います。
誰しも子育てにおいては、多かれ少なかれあることです。
 売り言葉に買い言葉(あるいは一方通行)は、争いのイライラした記憶、戦々恐々とした空気感のみが残り、本来解決すべき主題がどこかに行ってしまいます。」
 以上です。さて、いかがでしょう? 賛否両論かな? 勝手なコラム故。

No.461【よしっ!】 

 そんなに簡単に空気が変わることはありません。本当にそうかな・・・。一瞬で空気を変える方法は、これまで数々工夫してきましたし、紹介もしてきました。気持ちが先か方法が先か、両方です。状況に合わせてマッチさせて発動。その積み重ね鹿ありません。
 コートの中から練習中に最近響いてくる声の「よしっ!」
とかく練習は易きに流され、モチベーションは下降線、指摘やアドバイスは必要不可欠だが、空気が悪くなったりただのセリフになりがちです。そこでこの「よしっ!」は、今までは多く使う場面は、コーチ陣でした。もちろん「今のは合格!」「OK!」「意識、技術はそんな感じ」と判断した時に発していました。

 他者評価も大事ですが、その技術や意識やエネルギーの出し方が、自分のイメージに合っているか、自分の物差しで測った時に「いい線言ってる」「前よりはいい」「できた!」に達しているか否かを判断することも非常に大切です。
 コート内外で最近ちょっと聞かれる「よしっ!」のはにかんだ声。それを発せられる自分の判断基準と勇気の両方が大きくなれば、コートに花火を上げられる! 初めは1発・・・しばらくして2発目。きっとそのうち、あの壮大なフィナーレの打ち上げ乱舞に! コート花火、観て見たい景色です。

No.462 【自己防衛軍】 

 ちょいバレ101から始まり、自己防衛については、たくさんのコラムの中に破片が転がっています。拾ってつなぎ合わせたらもしかしたら、相当な完成度で自分の形の壺が出来上がるんじゃないかなと思います。ちょっと怖いですね。言動のかなりの部分がこの「防衛機制」によるものと言われると・・・。
 「私のスパイクが決められないのは・・・」があったとします。自分を守るための防衛機制は、こんなことが考えられます。「トスが悪いからだ」「いいトスしか打たないと決めている」「いやなことがあって引きずっちゃってるんだ」「教え方が悪い、私に合ってない」「みんなの決めてほしっていう気持ちが伝わってこない」「体調が今一つ」「相手のブロック、レシーブ力がえげつない、半端ない」
 この先にチームワークやモチベーションアップの空気を期待できるか否か。この状況は、社会生活、狭くは学校生活やクラブ活動その他のコミュニティではついて回ります。排除はまずできません。ということは、排除ではなく利に転じさせなくてはみんなが損な状況になることは明白です。利に転じさせる手続きを、小学生のうちから身に付けたいものです。
 ちょっと厄介なのが、本人や周りが気づかなかったり、背中を押す立場(親、スポンサー、監督等々)の人たちが正当化し、さらに大きな魔女に育ててしまう場合があること(だから軍)。サイレントマジョリティーは結構多いことに気付かずに。

​ きっと、これらのことは、技術よりもはるかにはるかに大切なことだと思います。このコラムを読んで、「アホらしい」と思うか「なるほど」と思うか「ふり返ってみよう」と思うか、立っている位置を確認するには、いい題材です。

No.463【劣等感をもとう】 

 チクチク言葉はやめましょう。人との比較や優劣をつける順位決めの徒競走は廃止しました。できないことをみんなの前で言うのはタブーです。
 そうですね、学校現場では、人権感覚に配慮し、これらの方針は普通の選択の範疇にあります。「状況によって」この普通は異常も飲み込んでしまっている場合があります。「考え方を育てたい」場面では、この優劣は必要になります。
 着順1位には、上には上がいることや自分の力だけではないことを、着順2位には、あと少しで! をどう伸ばしていくかや1位への称賛を。最下位から2番目には、最下位にならなかったことをどう考えるか。最下位には、今の自分をどう考えるか、次はやらないのかそれともチャレンジか。全員、スタートラインに立つまでの経緯は? 結果の評価と次への歩み方は? お互いをどう感じ、生かそうとするかを導こうとできているか。
 この大切な場面の経過を台無しにする見た目の「平等」や「人権尊重」では、人をつくり、社会の中でよろめき立ち上がりを繰り返す自分と周りの似た状況の人に、手順や突破力の考え方を構築していくことは難しいのでは・・・
 コラムのタイトルは、決して後ろを向いていません。むしろ逆です。劣等感を踏み越える自分の強さ、自己肯定感への筋道を何度も何度も経験せよ! ということです。ほら、人より「できない」は、何も怖くない、着実にその筋道を歩んでいるからさ。いつも下を向く君へ。

No.464 【この問題解ける人?】 

 最近の学校やセミナーなどでは、あまりこの質問の仕方をしません。一方、科学技術や学術会議では、仮説を元に実証した間違いのない結論を期待され、正当性を述べるのでしょう。
 「この問題、解いてみてくれる人?」「前に出てやってみたい人?」「説明してくれる人?」この問いかけは、チャレンジを意味しています。正解を答えてくれることを期待していません。ところが、なかなか手が挙がらない・・・のは、全くわからないから? いえいえ、ほとんどの場合は、誤答や人前での恥ずかしさから来るものです。
 失敗するって・・・医療現場ではないんだから・・・学校やクラブは、失敗をすればするほど学べますし、正解に近づこうとチャレンジする表現ほどカッコいい! その場の自分を含めてみんな実はそう感じています。そんな勇敢な人になってみたいと少なからず思っているものです。
 羞恥心という自分の中の邪魔者をどれだけぶっ倒せるか。一人、また一人、そのうち邪魔者から寄り付かなくなってきたらしめたもの。勇者がそろうコート、ゾクゾクしますね。

No.465【シューズ選び2】 

 2ということは1があった・・・さすがはちょいバレ、浮草のように主題から逸れ、適当な話に流れて一服が終わっていた感のコラムになっていました。きっと今回もそう。
 体育館でよくシューズが滑るのが気になる子がいました。他のコーチからも同様な感想をもらっていたそうです。シューズを語る前に少しマクロに把握しなければなりません。体育館の床の質、経年劣化、配慮不足の体育館使用、床の管理、湿度や温度、シューズの手入れ。
質や経年劣化については、お借りする側はでかい口を叩けません。ちょっとお願いしたいのは、モップの種類と使用上の注意事項への配慮。学校などは、専門家ではない先生方が備品を注文することもあります。黄色いモップは体育館床用には不向きです。
制汗スプレーや冷却スプレーの成分(多分皮膚表面への吸着パウダー成分ではないかと)は、かなり床面に残り、簡単には拭いても取れません。館外での使用に! 出入り口付近の床、ベンチ付近がやたら滑りやすい場合は、この原因大です。
 シューズのゴムはスタッドレスタイヤと同じで、汚れや加水分解により堅くなり、グリップ力は落ちます。まずは、汚れを取る、サンドペーパーやメラミンスポンジで表面を研磨する。ごく短期間は何とかなりますが、それでもだめなら買いましょう! 自分の大好きな相棒になってもらうべく。ちなみに、ソールに塗布する薬剤がありますが、一過性のため、今回は触れません。
 さて本題、浮草よ、今回はとどまりたまえ・・・
 選択のポイントは、次の通り。・どんな動きをしたいか。・堅さ・粘り具合・フィット感・重さ。ミッドカットとローカットがありますが、捻挫を予防するほどの力はミッドにしたからと言ってほぼありません。バスケットシューズやボクシングのハイカットで上まで締めれば別ですが。動きの自由度はローカットが上。ソールにプラスティック素材が入っている反発力をねらったものがありますが、ややカツカツした堅めの感触になり私は苦手です。実際にジャンプ力に結びつくかと言えば、それ以外の要素の方がジャンプには大きく、動きの粘りや自由度を犠牲にするリスクの方があるように感じます(個人の感想です…通販番組みたい)。
 小学生の場合は、フィット感、粘り感、軽量、デザイン! これでいくつか試着して決めましょう。・・・あ、君たちのシューズ選びには、抗菌力の高さも必要です。特に、夏の体育館の床の神様に失礼のないように。

No.466 【見掛け倒し?のパフォーマンス】 

 そんなには成功していない。技術の範疇ではないし見せかけの表現と言えばそれまで。スポーツをやる以上、同じポテンシャル、同じ技のキレ味なら、おかずの一つも盛っちゃえよ!というのが持論の一つにあります。

 ディグの直後にスライディング~意味のない場合もあります。でも、さいごの一歩で同じなら、そこから手を背を伸ばしたものの勝ち。

 巧者の巧みなプッシュフェイントに反応し、エンドラインまで追い、スライディングで片手でさばき上げる。上手くなんかいかないさ、上がったどうかも微妙。でも、直後、触れた片手を天に突き刺し、「上がった!!」の一言。さらにボールを底から見上げる追加のパフォーマンス。

 観衆を、味方の士気を一瞬で集めるパフォーマンス。

 そう考えると意味がないなんてことはありません。きれいに上がっちゃいないけど上がった!! 仲間にアドレナリンを出させるにはこんな一手でも打つ価値十分です。

 その次の景色は、仲間がつないでハイセットを敵陣コートに叩き込む「っらあ!!」が響き渡る景色に・・・

やってみたらいい、気持ちのこもった見掛け倒しの一発。

No.467【コートの中の魔人】 

 知らず知らずのうちに、あの子の言うことが総意のようになっている。ポテンシャルが高いし、そこそこ言うとおりに事が運んでいたから。いつもいつも正しいかな? 是々非々で一つ一つ判断できているかな? その子は自分に自信を知らず知らずのうちにもち、自分を否定したり疑ってみたりすることを忘れてしまいます。魔人誕生・・・

 コートは、いろいろな怪人を作りうる魔のバミューダスクエア(本来はトライアングル)です。貝人二十面相、だってちゃん、透明人間・・・

 バミューダトライアングルでの船や航空機の事故が多発したのは、マイクロバースト様の暴風による可能性が高いことが解明されたそうです。「魔」ではなく、原因があったわけです。コートの中の魔人類もその誕生を阻止する過程があるはずです。その過程に成功したチームは、チーム一丸、ワンチームを実現できているはずです。

No.468 【1%】 

 だいたい人間の五感で感知しうる誤差は、よく使う単位の1%だそうです。相当な訓練を積んだその道のプロですらそれが限界と言われています。例えば、100グラムと101グラム。1mと99cm。いやいやプロでもほぼ無理でしょう。以前、テレビで寿司屋のおやじが、握りのシャリが米400粒といって、ほぼ1%以内で驚いたが(やらせかなぁ)。
 そんな1%。確率や可能性を上げるなんてナンセンス。そうかな? 10秒の壁を9.99にすることの意義は? たかが小学生や中学生のバレーで、ほんのちょっとその1点を取るための可能性が上がることに意義がある? 
 問題は、その瞬間にあるのではないと思います。言わずもがなそれを可能にする過程をどれほどのハードワークで積み重ねてきたか。研究を重ねて試して否定されて構築して・・・その繰り返しを何万回、何千時間積んできたことか。それこそがほんの1%の確率を上げるための唯一の道なんだと思います。
偶然に手にした1%もあります。でもそれは、同じ場面が来た時にはなんの糧にもなっていなかったことに気付きます。だって、その偶然のプラス1%は、単にその人を有頂天にして油断させたマイナスの1%になっていたからです。
 さあ、こだわるべき過程、突き詰める価値が見出せそうですね。特に大きな目標を掲げた時には。

No.469【自分たちのバレー 18】 

 考え方を作り上げることが、如何に遠く、ちょっとずつで、難しいことか。「自分たちのバレー17」ではそう書きました。作り上げたものが本物でなければ意味がありません。そこに至るまでには、大人の仕掛けが必要ですし、環境も必要です(こちらの方が、手が届かないところが現実的には多い)。到達点(途中を含む)として、主体性が自分の中に根付いていなければなりません。その根も細く吸収力と柔軟性が無ければその樹はいかに大樹といえども朽ち、なんてことのない風で倒木と化します。倒木にわびさびの風流を愛でるには若い子どもたち。
 学年によっては、スタート段階で根が貧弱で不安で、光を見出すことは困難と思える樹であるとがあります。ちゃうちゃう、毎年のことといえばそう言えます。積み重ねる意識、チームに与えたい突破力への想い、温度差? 価値観というには幼いが、ある者は1合目で異変に気付き、ある者は5合目でも気づかない。焦燥感を打ち消せるのは、高い計画性と強い真剣さ。

 「この場面のこのこと」について「その人」が「こうする」を共有して、コートの中で全員が高めはじめると、起きてくることがあります。ボールが床面スレスレから弾き上げられる。方向性をもった意図的なハイセットにより向きを変え、1%上の効率をしたためたアタックヒットは相手陣営をほんの1%揺るがす。この繰り返しが、コートの中でしつこく、俊敏に、懸命になされてきている印象を受けることがごく稀にあるのものです。
 50-50の時は、この1%が雌雄を決する。ボールが落ちないラリーを制す。どちらがより考えたか、どちらがより確実に1%を築いたか。これが一日二日の中で変容を感じるのが遠征や合宿。
 他のチームの指導者の方々から、こんな評価をいただきました「粘りにつながる大人の会話がコートの中で成されている」。この年のこの子たちのバレーは、この子たちだけのバレーに少し近づいた。夏合宿、チーム力があがったかですか? ハイ、ほんの1%!
 

No.470 【牧野富太郎】 

​ 「らんまん」は、NHKの朝ドラ。日本の植物学の草分けの巻の博士がモデルだそうです。おかげで高知は盛り上がり、湧いています、とのHIGASHI高知支部コーチからの報告。(高知のコーチ・・・)
 朝ドラは、時々素敵なことを言います。「逃げるのではなくて、探しに行く。」「比べる人がいないところに上ろう!」昨今、学校、職場、生きにくさを表現できる社会になってきました。状況によっては、そこは努力不足であったり、考え方が未熟であったりということは当然あります。しかしながら、現代のスピードに追われる環境から、離脱の選択を視野に入れる時期は多くの人に訪れます。
 前段の二つの言葉は、一見逃げ口上のようにも思えました。でも、考え方を前向きにすれば、進行方向に向かう勇気も沸いてくというもの。もちろん、策を講じ切った結果か、目的が全く無いという状況ではないことが、前提となるように思います。
 朝ドラ、なかなか深い・・・

No.471【スモークチーズ】 

 かなり燻します。スーパーや燻製専門店ではお目にかかれないほどのしつこい黒み。ちょっと時間が経つと固くなり、羽化直前の画の蛹の如く。子犬か山羊の糞にも見えます。なんて表現、最悪だ。そう思って一口・・・必ず大人はこう言ってくれます。「ビール!」「ワイン!」不思議と日本酒とは言いません。
 遠征会場でこれで惹き付け、指導陣をベンチから引き離し、ちょっとでもゲームを有利に!・・・そう簡単にはいきません。
 方法は大きく二通り。ここでは簡単で短時間な方。ただし、一つ大きな問題があります。材料のチーズは、高温につよいやつであること。私は六甲チーズのQBB800gを使います。金属製、あるいは土鍋にフライパン用の蓋などを使い、チップを敷き、5cmくらい底上げした網に一口サイズに切ったチーズを敷き詰め、弱火~中火くらいで20分。換気扇を全力で回せば、キッチンでできます。
 アレンジとしておすすめは、明太子。辛子明太子は辛さでうま味がかき消されるような気がします。もう一つはウズラの卵。こちらは4.5時間すき焼きのたれなどに漬けてからスモークします。そして、最強なのは、ニジマスですが、これはちょっと準備と加減が必要なので、説明がめんどっちいのでカットします。なんでって、今まさに、チーズ燻製が出来上がらんばかりなので、これにて。

No.472 【サーブ 10cmの効果率】 

​ 以前、「緊張の1度」というタイトルで上げたことがあります。ただの数学的な計算上なので、回転数や空気抵抗などを考慮するなどの高度な演算は私には無理です。そこで、どこかの優秀な誰かが作成した物理の公式に当てはめてみるとこんな数値が算出されました。
打点2.1mでサーブを打つ場合と2.2mでサーブを打つ場合の比較です。想定はネットの高さ2m、エンドラインまでの距離はネットから8mの小学生コートとします。
 エンドラインぎりぎりのほぼ同じ位置にボールが落ちるように速度と打ち出しの角度を計算します。2.1mでは、打ち出し角度5度が必要で、時速68km出せます。一方、10cm高い2.2mからの打ち出しでは、打ち出し角度3度に下げられ、時速73km出せます。両方ともエンドラインぎりぎりのセーフ。さらに前者は滞空時間は0.844秒、後者は0.787秒です。
スピードでたった時速5km、打ち出し角度でたったの2度、滞空時間でたったの0.055秒。いえいえとてつもない差です。これが、ジャンイングフローターであれば、さらにスパイクサーブであれば、打ち出しの位置はエンドラインより前、高さはさらに20cm以上上がるでしょうし、ドライブも加わります。ちょっと趣味程度に計算。スパイクサーブで打点2.4mと仮定します。結果は、時速82km、滞空時間は0.7秒を切ります。実際はドライブがかかるのでさらにスピードをあげられるはずです。

No.473【ランドセル】 

 おじいちゃんとおばあちゃんの財布から、確実に期待できる色とりどりのパッケージ。6.7万円が常識、後ろに転倒した時に頭部の損傷を守るとか、卒業まで使うという、ものを大切にする心を育てるとか。ずっとそうだったから、おじいちゃんが喜ぶから。でも軽さやフィット形状はスポーツタイプの方があるし、自分に合ったものが選べるし、学校以外の目途に使えるし、という本音が誰にでもあるのかも? と推測するのはタブーかな。
 でも時代は進化します。ランドセルのような高価(最近は安めのものもありますが)なものに限らなくて良いと積極的に打って出る学校がそろそろ出てきてほしいと思います。
 でないと、数年後、私は・・・というのもありますが、社会のあらゆるところで、根拠から結論を導いていく歩みを、見せていただきたいと思います。福島の核処理水の排出に対する某国の対応などは、論理的とは言い難い印象を受けるものもあります。少なくとも、他力本願は本意ではないので、せめて、チーム内では、根拠~結論、是々非々の考え方の片りんを子どもたちには示したいと思います。ランドセルから何でこうなる? ちょいバレですから。

No.474 【same page】 

​ Be on the same page!
同じ到達点を描こう。同じ夢を追おう。そこに挑むための道を共有しよう。想定される大変な状況や想定外の困難を突破する共通の強い意志をもとう。
 口でいうのはたやすい。同じ景色を見よう・・・たった三文節だ。英文でも15文字。それを口にする資格を得るところ、出発点は既に過ぎている。でも投げ捨てちゃだめだ。そんな無意味な時間を過ごさなくても、懸命にページをめくってくればいい。
 大切な条件がある。自分の物差しと全体の物差しをもつこと。ファーストペンギンが自分であること。仲間の笑顔の意味が手に取るようにわかること。そして、それがチーム全員であること。
 違うページを見ている仲間に、メッセージ入りのしおりを挟んであげよう「私たちは今、ここにいる!」
目指した同じ景色を見られたなら・・・自分たちのバレーを一つ手に入れた瞬間になる。

No.475【ふり part2】 

 416のコラムで「ふり」のタイトルで記事を書きました。そこでの「ふり」は、ネガティブなそれを取り上げました。今回はその逆「positive」な「ふり」のお話。

 高校や大学の文化祭の開催シーズンになってきました。以前にも高校文化祭の演劇の話をしたこともあります。自分を登場人物になりきる、伝えたいことを表現する、positive側のこのactorはふりを追求すればするほど観客の心を動かします。

 では、スポーツや文化活動、さらには生き方においては? positiveな「ふり」、未来のなりたい自分をイメージして、そんな自分を演じること。そうであるべき自分を今の環境の中で表現し続けること。これらはきっとイメージに近づく道。

 たとえ本心は「そんなに強い自分じゃない」ことはわかっているし、「そんなにやさしい自分じゃない」ことも「そんなに努力家でも根気強い自分じゃない」ことだってわかっているとしても。演じ続ければいつかは、それが本当の自分といえるところに行けるのかもしれません。そこに向かっている自分を信じよう! ほめてやろう!

 ふりもつもれば山となる・・・

No.476 【喜べない理由】 

 相手の超攻撃的スパイカーの容赦ない猛攻、未完成なブロックがかろうじてワンタッチでかすめると、ディグに自信のない彼女の頭部に勢いよく当たり、そのボールは吸い込まれるように相手コートの中心にふんわりと落ちた。直後、大会会場はあたかも花火大会のフィナーレの花火の如くに聞き取れない歓声。でも本人は照れくさそう。
 先日、合宿の振り返りの作文にこんな一節が書かれていました。「私は、試合中にスパイクが決まってもあまり喜べませんでした。何故かというと、自分のスパイクが練習でも試合形式でも思い通りに打てていなかったからです。そんな時、コーチから「周りは笑っていないのに、自分が自分を笑ってしまっている」とアドバイスを受けました。」
 バレーは点数を取り合うゲームです。そこではどうやって1点に結びつけるかの策のぶつけ合いです。決して機械的に策と言っているのではありません。自分の表現方法が次への力になるのか、時間の使い方(短時間の0.1秒から長期間の数か月単位まで含めて)は1点への一歩になっているのか・・・
 全力で喜べない理由の一つには、「こんな決め方(点数の取り方)で恥ずかしい」があります。でも、それを試合中に笑っているチームメイトはいませんよね。讃えている仲間だけがそこにいます。だとしたら、へなちょこの君(君たち)のコートでのふるまい方は、もう答えは出ていますね。

No.477【Pendulum Wave(ペンデュラムウェーブ)】 

 チームが最後の時期、あるいは始動の時期は、毎年音連れます。
 Pendulumは振り子、Waveは波。また、Pendulumには、揺れ、趨勢(すうせい)、動揺、などの意味も検索すると記載されています。この装置は、だれしも一回は目にしたことがあるものです。周期の異なる重りが複数吊り下げられた装置を一斉に揺らすと、一定の時間の経過後、再び元のように一斉に同じ動きをします。
 その間には、全部バラバラに見えたり、2つや3つといったグループで動くように見えたり・・・でも、最後は揃う。
 どういうわけか、この装置、いつまででも見ていられるという不思議な感覚に引きずり込まれます。
 そして、Pendulumのもつ「趨勢」をさらに調べてみると、物事の進み向かう様子、動向、成り行き、などの意味をもつとされています。なんだか見ているうちに、チームスポーツのそれを見ているような気がしてきます。始動の時期~最後、旅立ちの時期への進み方。
ちなみに、Waveには、急増,高まり、高潮などの勢いを示す意味もあるそうです。
この装置の見方がちょっと変わりました・・・というか、わかってきたような気がします。

No.478【肩の荷】 

 毎年といっていいほど、多くのチームの指導者の方、あるいは、6年生の保護者の方からこんな言葉を聞きます。時期は6年生の最後の公式戦の後。「肩の荷が降りたのかな。のびのびやれてて、今ならもうちょっといい試合ができたかも。」
 リラックスした状況の方が生理学的には、緊張度が高く筋肉が収縮している状況よりも高いパフォーマンスを発揮できることは周知のことです。
 ただし、肩の荷を背負っている時こそ、背負うことの有難さを存分に受け止めてほしい。それを力に変える葛藤を経験してほしいと思います。「あの時もっとリラックスして挑めていたら・・・」なんて言い訳を準備するくらいなら、だからできなかったというくらいなら、ハナからそのチャレンジに参加する資格は・・・。
 プレッシャーを感じることのできるステージに自分や自分たちがいることの高揚感、怖いけど挑みたくなるのであれば、既にバレーの魔力に取りつかれた証拠です。虜(とりこ)の君は、肩の荷を楽しむ資格十分といえます。ならば、進むしかあるまい! 成れ! バレーの虜に。

No.479【その子にかつての自分を見たら】 

 「バレー辞めようと思っています・・・」幾度となくこの言葉を聞いてきました。結果的にチームを離れたメンバーもいます。続けた子もいます。指導者としては、安易に「こうしたほうがいい」とは言いません。厳しいようですが、最終的に決めるのは自分です。
 見切りをつける根拠はそれぞれ異なります。受験、転居、他の習い事の魅力、その他。ここで難しいのはこの「その他」です。しかも最も大事なところ。
 その他に「技術面でついていけなくなった」「友達関係」「がんばっているけどスタメンになれない」などです。みんなが同じ量、同じ意識で練習しても、差は出るものです。友達関係は、自分たちでミーティングはもちろんですが、指導陣が要所をコントロールする必要があります。スタメンへの意欲は技術面と同様に心が折れることはだれしもあります。どんどん差が開くような感覚や現実も時にはあるものです。解決には時間がかかりますし、グラグラもします。試行錯誤は方向がずれてしまうことはあっても、後退することはありません。根柢に「そのことが好きである」があることが条件です。その上で最終的に残念な方向を導くとしても、それは後退ととらえるのではなく、選択ととらえるべきです。そう思えるような進み方を指導者も、仲間も伴に考えることが必要だと思います。
 一つの経緯として、いくつかの試行を紡ぎ、一定期間取り組んでみる。その経過は、堂々とすべきです。相談しながら丁寧に。そして、最終的にやり切れたと、貫けたのであれば、きっと同様な状態の後輩に、眼を輝かせながら、重みのあるアドバイスができるんだと思います。それは、自分が、体育館に居る居ないとは別のこと。
 追記。終点といい切らないのは、またどこかで、その先の道で出逢うことになるかもしれないからです。そのコラムはまた別の機会に。

No.480【Connecting the Dots】 

 「別にそんなに勉強しなくたって働いて食っていけるよ」「え?大学やめちゃったの?」サッカーばっかりやってないで!」・・・巷でよく聞かれるタイプの会話。
いろいろな出来事、転機や終焉や出逢いや広がりが、偶然なのか、根拠があったのか、そのハイブリッドだったのか、私は過去を振り返るとハイブリッド説派です。どこで何と何がつながるのか想像もつかないものです。ただし近づいたら引き寄せる感性、選択肢の許容量の大きさ、人と自分をつなげる術、その機会に全精力を投入できるエネルギーをもっていなくてはなりません。なりませんというより、そうでなくてはつまらないんじゃないかと思います。
だから学ぶ機会は大切、学校やコミュニティは大切、熱中している者に全精力を投入することは大切、それも今。だって、明日それができない状況になる可能性だってありますから。
C onnecting the Dots・・・スティーブ・ジョブズ氏の演説の一節。最後はこう締めくくっていました。Stay Hungry. Stay Foolish.

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