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No.101 【防衛機制】

 

 「時限装置」のコラムで「自己防衛」については別の機会に・・・を今回ここにもちだしました。政治家の保身、裁判での黙秘、自己防衛なのだなとテレビでダイレクトに伝わってくる昨今です。でも、なんだか色々当てはめてみると、人間の言動はそもそもこの自己防衛で説明できる言動のあまりにも多いことに驚きもします。あからさまなのは、「反社会的行動」「攻撃」「逃避」、これらは漢字からイメージしやすいので、察しがつきます。暴走族、暴力、覚せい剤、いじめなどもそれにあたります。「退行現象」というのは、下の子が生まれた時に上の子が指吸をはじめるなど、困難な状況下で前向きに考えることをやめて、赤ちゃん返りをするようなことです。そして、この人間の防衛機制を検索するときに、ほぼ、最初に挙げられるのが「合理化」です。もっともらしい言い訳を探し、正当化すること。主体性や積極性、自分で何とかしようと頑張る過程では、それをすべて否定するのも酷ではあります。葛藤しながら少しずつ前に進めばよいと思います。しかしながら、一方で、ちゃんと自分と向き合って、問題に対してよりよい方向性を見出し、解決の手立てを謙虚に冷静に考え、動く経験を積み重ねることが、自分をつくるあるべき姿なのではないかと。そんな場面を、チームスポーツのバレーではたくさん得ることができます。それは困難な場面ではなく、考え方を変えれば「自分をつくるチャンス」、おや、少し前のコラム、「発想の転換」がここでつながりました。そう、ピンチはチャンス。

No.102 【leadership】

 

 「ship」→ 日本語では「在り方」だそうです。友達の在り方はフレンドシップ、指導者の在り方はこのリーダーシップ、競技者やスポーツに携わる者はスポーツマンシップ。規定があるわけではありませんが、望ましい姿勢、考え方はその道を進むときに間違いなく存在します。「~道」(茶道、剣道など)が日本語としては思い浮かびます。スポーツに関していえば、順位、勝敗は結果として現れた形であって、本質的な大切なところはこの「ship」「道」に該当するところだと、たぶん誰しもが信じています。

 しかし、残念ながら、そうではないshipの前につく言葉の部分(フレンド、リーダー・・・)に身を置き続けてしまう人、それを取り巻く環境や感化されてしまう人の多さ。まかり通れば正しいとされてしまったことに気づかない人の多さ。先日、アメフトでの非道なタックルの問題が話題になっていました。勇気を出して「ちがうんじゃないか」と声を上げることができた部員の学生たちがいました。群集心理だけで流れを作って動かすことは危険ですが、「ship」の本質的な内容、「道」のもつ本来の奥深さ、真偽を考える機会になったことは確かだと思います。

 しかし、残念ながら(上述のフレーズ再び)、なのです。顧みることができない人にとっては自分と結びつかないか、保身のために他山の石、あるいは自分とは違うと主張し自身の正当性を堅持してしまいます。影響は、結局本人以外がつらい思いをしてしまいます。

 小学生バレーに置き換えてみると・・・決して大学のアメフトに限られたものではありません。HIGASHIの卒業生は、上述の3つのship、完全ではないですけど、未熟ながらも持ち始めてほしいと思います。中学、高校のチームメイト、指導者、担任の先生から「HIGASHIに所属していたなら信頼できるね」と思っていただきたいと改めて思います。でも、正直なところ、これまでもずっと強く意識しながらコーチ陣は子どもたちにかかわってきています。ちょっぴり自信ももっていいかなと(もちろん謙虚さと探求心は忘れずに)。

 奇しくも今回取り上げた「ship」、船の「ship」同じスペル。荒波を乗り越える船HIGASHI号、いい船です。

No.103 【古武道】

 

 確実に相手を倒す必殺の拳法、闘いを面白くさせるためのルールを独自に設定した新興格闘技、競技としては数多くあります。その道を極めんとする目指すところは最近は目的によってあちこち。片や古武道(古武術)に関しては長きにわたり、その哲学的な(一面宗教的な)要素を多く含みながら進化し引き継がれてきています。勝つ術ではなく活術であったり、医術にも進化して救う術であったりします。

 以前、古武術の師範によるこの側面の生かし方の講習会に参加したことがあります。介護の仕事はこの先、高齢化の日本の社会にとっては欠かせぬ職種と人材です。人を介護する時の体の使い方、相手にも自分にも負担が少なく、お互いを活かす術がこの現場に役に立つ、というより必須の術と感心しました。その要素には、力の伝わる方向性とその向きを変えるときの合理的、効率的な方法、呼吸を合わせる大切さと相手との意識を伝え合う方法です。これ、運動のパワーライン、ケガをしない体の使い方と合理的な動作方法、チームワーク、コミュニケーションと全く異なることなく落ちるものばかりです。独特なナンバ走りと呼ばれるステップは大きな要素の一つ。以前、忍者の動き、ゴキブリのステップなど紹介をしましたが、共通点を感じます。

 正中線の意識、頭の高さを変えない体のコントロールの仕方、新しい運動方法や横文字の運動方法やカテゴリに目が行きがちですが、こうした古武術にも目を向けてみると改めて発見があると思います。そういえば、陸上の室伏選手、多角的に色々な練習方法を取り入れていらっしゃいました。視野を広く!

No.104 【生きたボールとシャウティング効果】

 

 生きたボールを説明する時、引き合いに出す死んだボール、こうなればそりゃ野球だったら生きたボールは打ちにくいし、バレーであれば、ブロックは弾き飛ばされそうな印象が浮かびます。イメージとして結びつくのは「気持ち」「気合」。大声を出すと力が出る、これはシャウティング効果としてアドレナリンが放出され、臨戦態勢に入る人間の動物としての体内作用です。実験では5%程度の効果ともいわれます(力むことの副作用によって技術の妨げになる場合もありますが)。5%力が増加すると、ボールのエネルギーは速度の二乗なので、1.05×1.05≒1.1(倍)。10%upになります。たかが1割、されど1割。変化の衝撃を相手に与えるには十分な数字です。当然、ほんのわずかですが、ドライブの回転数はスピードが上がるので、ディグまでの回転数はほぼ同じですが、回転速度はスピードに伴って上がるので、えぐられるような感覚はその分上がることになります。

 生きたボールを迎え撃つには?レシーバーも覚醒水準を上げて、反応速度を上げるほかない。ブロッカーも初動スピードを上げ強固なブロックを仕上げることになります。シャウティング効果の有効な持続時間は約30秒。十分です。

 体育館に足を踏み入れた時点から、円陣を組んだ時点から、勝負は始まっている!

No.105 【ちゃんと説明ができる力】

 

 三平方の定理、等加速度運動の公式、数学や物理の先生がちゃんとその「なぜ」を説明してくれた。でも忘れた...正方形の図形を使う方法や実験データを使って。

 スパイクの助走、ブロックの初動、スパイクやアタックヒットの瞬間・・・正確に言えばほんの少し前・・・の意識と動き、サーブの一連の動作、個人後を上げるポイントはたくさんあります。正解は人によってちょっとずつ違うこともあります。大切なのは、その根拠の信ぴょう性、裏付けとなる根拠、それらを説明できる論理があり、わかりやすく、納得してもらえるような説明や解説、そして伝え方の工夫がされているかどうか。論理的でなかったり、科学的でなかったりであれば、本当はわかっていないのではないか。そうすると、「いいからやってみろ」「習うより慣れろ」「気合がたらん」などとなってしまう。一理ありますが、そもそも「論拠がない」「説明ができない」のでは「説得力をもって伝えること」はできず、教えられる側は、残念なことに「ちゃんと伝えてもらっていない」ことになっていしまいます。その子が後輩に、中学生になって、初めてバレーに出会う仲間に、丁寧に伝えてあげることはできません。

 そう考えると、ただ強いチームをつくるのではなく、ちゃんと丁寧に伝えることができる子にに育ててあげることも大切な指導者の役割と思います。そのために「何度も同じことを言わせるな」ではなく「何度だって説明してあげるよ」の粘りも必要なことがあるとも考えます。

No.106 【sportsmanship】

 「leadership」のコラムで3つの船(実際はこのshipとタイトルのshipは関係ないそうですが)が登場しました。半年ちょい前にカヌー選手の薬物事件の時にメモったままになっていた記事を推敲して書いてみました。

 「やむにやまれぬ」「そうせざるを得ない」の気持ちはわかります。何かにすがりたい、どんな手を使ってでも・・・。変えられない前提条件と道義を外れた技を使えば変えられるかもしれない状況はどの世界にもあるものです。相手の健康状況を悪化させてでも、相手を法的に排除される状況に追い込んででも、の手段を何とかして現実になってほしいと。その時のスポーツマンの心理状況は一般人にはわからない境地かもしれません。

 でも、誰しもそれが卑劣な行為であることはわかっています。勝利至上主義のグラスタワーの上で自らバランスを崩して全部をぶち壊しにしてしまいました。本人だけの責任ではもちろんありません。グラスにいっぱいいっぱいにワインを注いだ人、その宴をプロデュースした人、ライトを当てた人・・・しかし、やっぱり、本人がどうスポーツに対峙してきたかが根っこだと思います。でもでも、先日来問題になっているアメフトの不当なタックル、あの場面で本人を不可避の状況下に追い込んだleaderはやはり問題があります。

ではではでは、小学生バレーで置き換えると・・・置き換えるような状況が思いつくのであれば、改善の糸口・・・子どもの「?」を素直に表現できる環境、関係性は重要と考えます。いつも「蛇ににらまれたカエル」が叱られまいと、けなげにがんばるというのではもはやある種のハラスメントです。そこに本当のsportsmanshipは育ちません。時々、トップアスリートがそんな環境下でもしっかりした成長を語ってくれる方がいます。でも、その場合は、そんな環境下を上手く転換し、自身の力に気づかせ、sportsmanshipを植え付けてくれた別の人、環境があったからです。そこを勘違いしてはいけないと思います。船を作り、動かし、shipの操舵は簡単ではないですね。

sportsmanship、かなり長期の航行になりそうです。

No.107 【課題シート】自分とチームの振り返り

 

 2週間ちょっと前、大きな大会の前に「課題シート」を56年生に手渡しました。何も言うずに手渡しただけ…。A4の表面には4つのカテゴリにその子に向けての課題を1~3個。余白がたくさんで裏面は空白。コーチ側は全員のそれを集約して共通の練習課題を設定するヒントにしました。大事なのは「手渡された側」の生かし方です。仕掛けに気づく感性、生かす創意と努力、その先の得るものとの結び付けは、多くの場面での「やり口の選択肢の一つ」になると思います。

 さて、週末の大きな大会を前に、先日はケガのため練習試合をコートサイドから応援していたチームメイトの一人がこのシートを持ってきてくれました。余白には課題に対応する自分なりの「方法論」がたくさん書かれていて、練習時の意識や「具体的な絵」も描かれていました。そして普通は白い空白の裏面、そこにもびっしりと「みんなでやりたいこと」のタイトルのもと、おもての面より強い筆圧と丁寧な字で、重要視したいところには赤線や青線、吹き出しなど工夫された内容が書かれていました。

 聞いたところ、こちら側(裏面)を先に書きたかったとのことでした。そう、この感性!表面にはあえて「個人の課題」しか記入しませんでした。2週間ちょっと前このシートを渡した夜、別の子のお父さんと、シートの扱いについて質疑応答の際、この意図をお伝えしましたが、正直なところ、小学生でそこまでの思考の巡らしは困難でしょうともお話ししました。でも、打てば響く感性の伸びしろ豊かな芽、太陽の光を全面で吸収していけるのが小学生です。

「書く」ことは自分を見つめる、チームを見つめる大切な手法です。到達点を見極め、課題を整理し、その後の解決の方法論を創造し、必要なものは必要な人たちで共有する。この繰り返しが道を照らす。この手法、そんなに大それたものではありません。認知行動療法、PDCA…いろいろな範疇に整理されたり、取り込まれたりもしますが、そんな専門用語でくくらなくても「自分の今を知ること」「これからを作ろうとすること」を具体的に言葉にする、そのことだと思います。文字や絵はイメージや事実をより明確にします。そういえば、「日記って何のために書くの?」とのフレーズ、一度は聞いたことがあると思います。その答えは、まさにここにあります。

この子が持ってきてくれたシートを紹介した日の練習後、一人のチームメイトが、外の階段に座って、自分の課題シートをじーっと眺めていました。

No.108 【自分たちのバレー 4】

 

 違和感を感じ始めたのは今年度に入ってからでした。よくよく考えると夏頃からその兆候はありました。手繰ってみればもっと前からだったかもしれません。特に色濃く感じてきたのは、この大きな舞台、都大会への挑み方にまつわる時期だったと思います。色々なチームカラーを持つチームが、特に濃い色のチームが都大会には集結します。2シーズンぶり2回目の都大会でした。2年前は観覧席にいた子たちが今回は鏡面つややかなこのメインコートに立ちました。

想像していたのとは少し違うリラックスした感じ…。おおよそのスケジューリングは伝えましたが、気が付くと、すーっといなくなり、どこか外でアップを完了し、半セット前に戻り、メインドア前で各自素振りやストレッチ、色々わいわい話しながら入場を待つ姿がありました。監督が手渡したのは白紙のスターティングラインナップシートです。今年度恒例の「自分たちで決める」パターンです。

対戦相手を見てポジションの変更や動きの調整、サーブの調子や当日の緊張度を考慮して自分たちで相談して決めてきます。この主体性の集合体が「準備」の気持ちの達成度を高め、挑む方向にぐっと気持ちを持っていけるのかも知れません。3回戦目の公式練習の内容もこの子たちが決めていました。

負けられない試合、大切な場面、最大級の応援を背に挑むことは大人でも滅多に経験できません。二分の1成人式、学校で大きな夢や大人の自分を想像し、半分をイメージしたのはつい先日の子たちです。5.6点先行されても、決着が(敗戦)つきかけても、「自分たちが「こうしたい!」私は「こうしたい!」が最後まで前面に出せる人がどれだけいるでしょう…。3回戦は点数ではフルボッコに近い差でしたが、この挑み方はこのところの違和感の一つ、もちろん、いい意味での違和感です。

非常に強いチームを作る方法は一つではないと思います。しかしながら、私立強豪中学、高校のバレー部をそのまま小学生にしたような空気を持つチームもあります。柔軟な想像力、創造性、行動力、主体性、自ら考え自分とチームを作り上げていくことができる人になる道については、導く側が常に考えていなくてはならないことは確かです。二分の1成人式を通過した今、×1成人式の時には、×2成人式の時にはどんな子育てをしているのか、そこにも思いを及ばせながら。非常に時間と忍耐とエネルギーと手間のかかる作業です。体罰恫喝で「それはだめなことだ」と伝えるべきと小さな子を育てる立場にいる人が言う場合がありますが、それに甘んじてはいけないなと個人的には考えます。

いい意味での違和感、この違和感がもっと大きくチームの色を濃くすることに一躍買うであろうことは明白。なお、この違和感は、応援席にも流れ込んでいます。応援の仕方も自由と協調が入り混じるHIGASHIらしさが溢れていました。たぶん、応援席側もそれを感じ、フロアも感じたのでは。何となく少しそれぞれが自由で勝手な不協和音がたくさん集まると心地よいほど力強い頼もしいエネルギーになるとは、違和感もなかなかいいものです。

No.109 【winning shot】

 

自分の持ち味が最終局面で、自信をもって出すことができたら…空中の4秒間のために4年間を費やすスキージャンプの高橋選手。過去には原田選手が失速し、どん底を味わった。何年かけてもどんトップアスリートでも、到達は難しく、到達点が見えにくい場所がある。チームスポーツは集団競技でもありながら、個の力量なくしてはもちろん成り立たない。簡単な集団の精神論だけではどうしようもない(決してチーム力を軽視してはいません)。「自分の自信のもてる決め技」がリスクを背負いながらも必要。

高く力のあるアタック、キレのあるスパイク、どんなサーブもAカットにできるレセプション、制圧力のあるブロック、恐ろしくしつこいレシーブ。衛ることで1点を与えないこともチームに1点を導く難易度の高い技だ。全てがwinning shot!

何年も前になる。高校生チームの負けたら最後の試合を観戦したことがあった。レフトエースはwinning shotを叩き込んだ…春高級の3枚ブロックがその渾身のスパイクを叩き崩した。試合には決着がついた。負けた。ここまでの部活生活のチームの終止符。ところが、チームの全員は、彼と、チーム全員を讃えあった。この終わり方しかなかった。これもwinning shot

試合の半年後、そのチームのマネージャーから偶然聞いた。「最後、全員が納得する終わり方があるとしたら、自分が全力で打ったスパイクがブロックでシャットアウトされる終わり方かな。」そのプレーヤーが試合の前にそう話したこと。

誰しもが、土壇場で、迷わず表現できる「これ!」をチームのみんながもち、そうなろうと追及してほしい。その姿をみんながひそかに認め、ひそかに追い抜こうとする。そこにチーム力が生まれる。

No.110 【フライングレシーブ】(…スライディング)

 

物事には順序があります。賛否両論もあります。習得する技術やイメージが、その人に合う合わないもあります。そしてやり直しや引き返しができないことも多々。タイムマシンに乗らない限りは。

ボールが床に落ちる0.1秒前、時速72kmのスパイクは落下地点の2m手前の空中、レシバーの位置はボールに走りこんでいるスピードを時速25kmとすると約0.7mです。ボール3つ分くらい。より速い判断、走ってボールに追いつく練習、スピードを上げる練習、まずはここからが基本であることは間違いありません。しかし、その先のボールに触るには、上げるには、最後の1歩からさらに工夫が必要です。高い姿勢からは肩の高さを低くするのに時間がかかり、跳ね返す方向にも限界があります。その工夫の代表格がフライングレシーブ。膝を着く功罪については「No.82」で投稿しましたが、スピードを殺してしまう要因を極力除かないとこの0.7m先の愛しくも憎らしいヤツには手が届かない。

イメージとしてはスライディングが正解だと思っています。飛ぶのではなく、低く一番地面を蹴る力を推進力に変えられる姿勢、最後の1歩は膝を着かずに地面をけるエネルギーに全部変換する。体が伸びた方が遠くに届く、これは走りこんだスピードに体を伸ばすスピードが(伸ばす反作用を差し引いても)追加されます。

そして、なにより、このファインプレーは相当カッコいい!

早めにフライングレシーブを教えるのがよいか否か、ここが賛否両論です。個人の見解としては、身を守る術、いなし方、守備の幅を広げ、迷いを減らす、そして何より、この「カッコいい」を優先し、「早め」に軍配を上げています。

No.111 【都大会 徒然】

 

 HIGASHIに足を踏み入れることになるとは全く予想はしていませんでした。もともと先のビジョンは、特にバレーに関してはほぼありませんでしたし。小学生が、一つの競技にのみ徹底的に傾倒するのは賛成ではありませんでした。それまでは中学の男子のコーチ(外部指導員)、そのチームが最高のど根性バレーで幕引きを果たしてくれてた。息子たちのバレーを応援し、同じ青春を味わうかのように杞憂喜悦しました。その大役も果たし終えた頃、愛知の実家の母が不治の病に倒れ、毎週のように東京愛知の行き来。慣れると道中は色々考える時間に使えたり、命や日々のほんの少しの時間の過ごし方の大切さに気付いたりもしました。

 母が亡くなって、一息ついたのは1か月ほどたったころです。巡り巡って小学生のチームのコーチをしてみないかとのお話。自身の考え方は伝えましたし、とりあえず、一度、練習の場所に。そのチームは、これまで色々苦境に立たされ続けてきた経緯があるようでした。記録的な大雪の日、稲城の愛知県由来の喫茶店で不安と失念の混じったようなご夫婦から手繰り寄せる苦労話。自分の母親が「力をかしてあげなさい」って声がどこからか聞こえてきた気がしました。何かができるという自信よりは不安の方が大きかったのも正直なところ。

 そして数年が経ち、自分らしい力のかし方は、「なんとか」できてきたように思います。もちろん自分だけの力では全くありません。ちょいバレやblogに大切に思うことなどつづりながら、自分もさらに考えます。「なんとか」は本心を言うと、かなり全力で、が正直なところです。根拠はただ一つ。この子たちが答えを出そうとしてくれるからに尽きます。

 都大会は一つの目標で、0に戻る、0からのスタートになる新境地でもあります。ここで2回勝ち上がり、さらに高い地点からの0スタート。いい一日が広がりました。

奇しくも6月23日、都大会、チームみんなで一丸となったこの日、新たなスタートを切ったこの日は、母の誕生日・・・どこかで見ていたら、どんな言葉をこの子たちにかけただろう。

No.112 【発想の転換 2】

 

今や世界トップレベルの(トップ?)トヨタ自動車(TOYOTA?)。私の出身県愛知がほこる大企業です。実家の近所にも多くの関連企業があり、今でこそ日産、スバル、マツダ車が走りますが、かつて普通車はトヨタしか見たことがないほどでした。このTOYOTA、織機工業の工場だというのはよく知られているところです。なぜ車?・・・車のエンジンは複数のピストン(上下運動)を円運動に変換して動力をタイヤの回転に伝達しています。逆は?織機は電力などの動力源から回転運動を起こし、回転運動を織機の上下の芯で糸を織る動きに変換しています。この発想の転換、今後の日本と世界を大きく動かすモータリゼーションの波が水平線の向こうに目視できない地点から想像し、実行に移したことにその偉業があります。豊田さん、どんな幼少期を過ごしていらしたんですか?

No.113 【秋風羽織(あきかぜはおり)のひとこと】

 

 「心を動かされたことから逃げるな」「うれしい、悲しい、楽しい、感動した、緊張した、悔しい・・・」「空想や口だけは弱い」実在の人物ではない、秋風羽織の言葉。(NHK朝ドラ「半分青い」)

 原点、分岐点、一歩踏み出すか、背を向けて退散するか、立ち止まって考えるか。自分で考えよう、自分で立ち上がろう!まずはそこにある。でも、そういうのもカッコいいが、それだけでもない、誰かに相談しよう。それだって十分立派な一歩だ。どんなバランスの悪い足取りでもそれでも一歩だ。何人かで踏み出せばもちろん信じられない広い麦畑の麦も何とかなる。

 ただし、麦もただで踏まれてはいないこと。これまた信じられない強さで、前より大きく強く色濃く、空に向かって伸びあがる。根を張り、実を膨らませ、その存在感を太陽の光とセットで多くの人たちに知らしめる。麦、花言葉は「希望」。

 このコラムは2018年6月19日3155gの「むぎ」ちゃんに。

No.114 【文系と理系】

 

 世の中の成り立ちがが二極に分かれていることに違和感がありながらも受験では進路選択を見据えてどちらかに決定することが基本線になっています。日本の大学には学部だけでその種類は400以上。見てみると最近は文理枠を超えた分野も最近多いようです。ここで必要な力は、「物事を論理的に考えて根気よく試行錯誤する」「柔軟な発想や態度で物事をより価値の高い方向に向かわせる」「誰もが笑顔になれる方向性や到達点を見据える」「つかみ取った価値の意義がわかる」「物事を伝え、育て、未来への一歩だと説明でき、共感させ、動かせる」力でしょうか。

 高校から大学、その前をずーっと考えてみると、文系の旗を揚げるに至る人の中には理系をあきらめた、数学や物理に屈したからという人も少なくありません。さらに、世の中には気に入らない(私の個人的な見解)風潮を振りまくメディアも多いことに危機感を覚えます。勉強をしない、物事のわからなさを自慢したりそれをトレードマークにする風潮。

 流されてはいけません。若者がそこに大きな価値観を見出してしまったら、いざ、自分や自分の大切な人たちを救いたい時に、自分に言い訳をしなければならなくなります。不甲斐なさに言葉を出せず、誰かの陰に隠れ、調子のいい時に顔を出し、心の底でその悔しさを感じながら、押し殺すならまだいいのですが。反社会的な行動に集団で移行しようとしてしまう。極端な飛躍した展開かもしれませんが、その可能性をもつ生き方とそうでない生き方、どちらがたくましいでしょうか。

 小学生は、基礎の基礎の段階。論理的思考の積み重ね、地道に変化を乗り越えながらちょっとずつ力をつけ、確かめる。そのトレーニングに算数は一役も二役も買っています。せめて小学生は算数、中学生は数学、ぜひあきらめずに1問1問解いてみてほしいと思います。どこかで味わった達成感の何分の1かもしれませんが、そこに見出せます。学ぶこと、身につけること、一歩先に行けたこと、どこかの体育館でのあの感じ。文系と理系の選択は、その遥か先でいいと思います。

No.115 【ワカメ】

 

 先日、中2のOGが練習に来てくれた。(余談:HIGASHIには,POPSS(ポップス)(PEARENTS)OP(OGとOGのPEARENTS)S(STUDENTS)S(SONOTANOみなさん)と称して大事な試合の前には、子どもたちの対戦相手として、このPOPSSでコテンパンに叩きのめそうという変わった風習がある。) 

 この中2のOGは2代目ワカメ(動きに力がなく、へたれる、泣いちゃうことが多い)だった。元祖の初代ワカメもよく泣いた。技術の至らなさ、不甲斐なさ、体力のなさ、あきらめちゃう自分、罰ゲームの激辛お菓子、やり切れた自分・・・都度泣く。

 2代目ワカメ、最近、一番体育館に顔を出してくれる子だ。ここに来たいと思ってくれること、来ようとおもうこと、来てやってもいいぜと思うこと、たぶん、人によって、その時によってそれぞれ目的が違うと思う。卒業生に向けて書いたはなむけの言葉の一節にHIGASHIに来るときはどんな時かを書いたことがある。今回は、自身の技術向上、追加練がメイン?だよね。手伝うのではなく、こんな形の参加も、後輩たちには大きな刺激になる。

 この2代目ワカメ、高学年のとき、一度、辞めたいと言ってきたことがあった子。見失う目標が目の前に立ちはだかる時(変な言い方かな)、その裏には、見出す力と継続する努力の才能も潜んでいることを体現してくれた一人でもある。

 そして、なぜか、3代目もすでに心の面ではワカメではなくなりかけている。技術的にはまだワカメ感はあるが。

 ちなみに、初代は高校受験でド根性をみせた。ワカメ、侮れぬ。(注:ワカメと増毛効果とは全く因果関係はないそうです)

No.116 【考えをまとめる方法 1】

 

 年に数回、小学生には夢のような長期の休みがある。先進国には大体あるのだが・・・。日本は労働時間や学校の授業時数が多くギッチギチな印象。でも、日本の小学生の長期の休みはそれはそれは大切に過ごすことのできる自由創作の3次元キャンバスのよう。細かくスケジューリングすることもできれば、風まかせもあり。折角ならじっくり考えや想いを丁寧に深く広くまとめてみてはどうだろう。

 日記をなぜ書くか?については「107 課題シート・・・」で言及。「考え」や「感情の起伏」「願いや想い」はその場で熱く噴出する。大切だなと思うのは、気になったこと、心に留まったこと、そのことについて流してしまわず、疑問を持ったり解決を試みたり、その繰り返しを面倒だなと思うことよりも動機づけにつながって、振り向いてみれば、ちょっと自分が高いところにいることに気づくこと。

 ものすごく記憶力や脳内整理の力が超人的な人を除いては、その方法は多くはない。書くこと、同じ部類の内容で整理してみること。現代ではICTが進んで手書き以外の方法、テンプレートもある。でも、どう整理したらいいかを考えることそのものの作業が考えをまとめる手続きの効率化につながる。特に小学生は学年によってその複雑さがかなり違う。試行錯誤を面倒がらずに、いやにならずに大人も付き合ってあげれば、動機も高まる。枠で分け、矢印で方向性をもたせる。視覚的にワクワクするように。

No.117 【心をうごかされることから逃げるな】113の続き

 

 うれしい、悲しい、楽しい、感動した、緊張した、やり切れた・・・

ちょっと前のちょいバレで「防衛機制」の話題を挙げたことがある。つらいも思い出したくないも自分を守るために触れずに別の意識の向こうに置こうとするのが人の心情の常。

 これまで、小学生のバレーにかかわること数年。たとえ小学生といえども感じるのは、自分を取り巻く空気や感情の震えを逃すことの残念さは、そこから逃げなかったことへの達成感に比べたら、羽毛のごとく軽い。その経験をしたものにだけチャンスは与えられた。空想や口だけは軽く弱い。

 心をうごかされることから「逃げるな」。PTSDの場合も、トラウマの根拠にアプローチする方法が多く選択される。マイナス場面も克服する。悔しい体験もどうしたら次の動きに移行できるかを考える。でももっと体験してほしいのは、「感動した」だ。そのドラマチックなこころの動かされ様には真っ向ぶつかろう。そこまでの経緯をよくよく思い起こせば、そこに至る根拠が連なっているはず。たどる術を知り、動かせば、必ずまた「感動できる」。そして、そのチャンスに慣れすぎて鈍化してはならない。小学生バレー、サッカー、野球、小さいころから試合や大会に慣れすぎて、その大切さにきづかなくなっては残念...こころうごかされるためには、たくさん準備して、考えて、練習して、挫折して、全力で挑む、それしかない。

 タイトル件名、実はNHKの朝ドラの登場人物の一人の言葉。朝ドラ深し。

No.118 【ポジション考】

 

 早めにポジションを決めて、その道で迷わず伸ばしてあげる、それも一つの方向性です。各スパンで到達点をどこに置くかによってチームで決めることだと思います。例えば超強豪中学バレー部であれば、伸ばされたポテンシャルを中学で充実させます。小学生チームでもその傾向があるチームもあります。強いチームに!誰しもそう思うもの。小学生としてのスポーツ倫理、心の健康とのバランスを失ってしまうことのないようにしたいと個人的には考えています。

 背が高いし1年生だから、そうだ、サウスポーのスーパーエースにしよう、体が小さくてでもすばしっこいからバックで、将来的にはリベロに・・・。

卒業生の所属する中学生と合同練習の機会に恵まれました。チームでたぶん一番小さい子。この子も小学生バレーの時から、身長に関係なく、フォームやスパイクの質については同じように練習してきました。中学2年、ミートの上手さ、打球に質、フォーム、どれも魅了されました。

水面下でさんざん準備をし、水面上に上がったジャンプの瞬間に歓声を集めるシンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング)のよう。水に反射した太陽の光だけではないその子がもつ粋なキラメキがあります。

小学生は可能性を秘めています。大人が見つけるか、自分で気づくか、大人が子どもが自分で見つけ出せるように仕向けるか、その長い長い経緯の先に、ポジションがあるように思います。

No.119 【長岡の花火】

 

 新潟で働く息子、長岡の花火は見ただろうか。新潟県は比較的晴天率が低い。夜空を突き抜けんとする大輪4尺は、散々な思いを吹き飛ばしてくれそうでもあり、うれしい想いを咲花させてくれる色とりどりの希望の光。といったところで私は拝見したことがない。8月3日、いつか近くで見てみたいものだ。

 小さいころ、普通の服を着た普通の物静かなおじさんが、愛知の某デパートの催事場で展覧会を開き、隅の方に座っていた。貼り絵でこの長岡の花火を表現した作品があったのだろう(覚えていないが、その作品のコピーしたみたいなものを母が買ってくれたからたぶん)。放浪記によるとそれはこの長岡の花火とのこと。その表現力、伝わってくる花火のもつ精神性みたいなもの、コントラスト、母はそこに一気に引き込まれてそれを手にしたのだと最近思う。

 「山下 清」、作者はあまりにも有名。でもその時の印象は、「物静かな、うつむき加減の」だった。自分の心に刻まれたものを模倣し、自分なりの表現を実直に謙虚にかつ誠意を込めて、膨大な時間をかけてちぎって貼って。模すること、自分なりに解釈すること、力強く表現すること、その大切さを語ってくださっているように思う。

No.120 【危険タックル、アマチュアボクシング不正に思う】

 

 まかり通ってきた力、発してきた側、行使してきた側、それを黙認してきた側、双方に非はある。しかし、選手と疑義を唱えたがつぶされた側には責任はない。皆無とは言わないが、責めるべきではない。昨今、指導する側の方針、態度が黒い箱から多少ではあるが半透明の箱くらいの透過度になってきた。全てを透明にすることには弊害もある。でもそれに託けて都合のいいようにするのは賛成できない。まかり通ってきたことで「是」と勘違いし増長する。常に省みて、本質を柱に、謙虚に、発展に思いを寄せ、スポーツマンを育てることの重要さは、この事件を氷山の一角と認識する多くの人がすでに心得ていること。なかなか善処されない現実ではあるが、変化はある。この状況をまかり通ってきた側の人間が、「うまくやればいいのに」「そんなあまっちょろいことじゃ強くはなれない」「自分には関係ない」「私は優秀な指導者だ」と思うのであれば赤信号。他を悪く言うことで自分を正当化したり、時には虚言、最近ではSNSを巧みに行使する人、団体まで防衛策は多彩。いつかは白日の下にさらされる。しかしながら、この人たちを変えるのはまず無理。なぜなら、変わってもらおうと試みた人たちを蹴散らしてここまできてしまったから。酒を飲んでいても自分はちゃんと運転できると思っているような。残念ながら、自分で多くの選択肢や根拠を見つけ出す力の弱い小学生、中学生の周りにもこの状況は少なくないことも事実。自分がそうならないよう心掛けることも1方法。抜本的に改革する気があるなら、文科省、スポーツ庁、都道府県教育委員会が一枚岩で思い切った策を打ち出さないとたぶん変わらない。昼間の影は見える(正面以外なら)が、闇夜の影は大きくても見えない。

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