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No.141 【鏡】

 

 鏡の前に立つ。軽くジャンプして肩幅より少し広いくらいに着地する。両腕を楽にして、少し前に出す。大きめのボールをボールを両掌で大事に支えるように。楽な姿勢からゆっくり重心を落とす。上か5段階のちょうど真ん中の3くらいまで。同じことを鏡を横に見てやる。カッコいい?自然体はカッコいい。きれいな形。きれいなフォームの作り方は色々あるけど、到達点は基本的には決まっている。合理的だからだ。もちろん個人差はある。きれいなスパイクのスイングフォーム。ゆっくりゆっくりつくらねばならない。自分でも、友達にでも修正を何度も何度も試みるといい。町を歩いていて大きなガラスの前を通過する時も。前を行く子供が、突然駅前保育園の窓に向かって二人が両腕を上げ、ブロック姿勢をとったら・・・。そんな心配をよそに、たくさんチェックするといい。でも、気をつけよう、というよりよーく見てほしい。鏡が映すのは、フォームだけじゃない。そこにある眼には、いろんなものが映る。意気込みも、気持ちの弱さも、本当の敵も。

No.142 【10のちから 20のちから】

 

 コートには、体育館には、同じちからのメンバーはいません。卒業生には双子もいましたが、持ち味は同じではありませんでした。(ちなみに「持ち味」と表現したのは、「ちから」と同じ意味と勝手に決めました。さらに「力」と「ちから」は違うこと、「ちから」に「力」が含まれることにしました。これについてはまたどこかで・・・。)

 10×3のちからと20×3のちからの選手が同じコートの中で、15×6のチームと対戦したとします。チームワークが一見よさそうなのは後者。気持ちの育っていない小学生や低学年であれば、前者のチームでは自滅のあらすじは、かなり想像できます。この10と20はそうそう簡単には縮められません。広がることだってあります。でも、ワクワクするのは前者のチームです。10のちからの子が10を出す、でも20のちからの子の15には及ばない。すると、未熟な20のちからをもつ子は「15は10より上」と驕ってしまう。全力より5も少ないのに?本当にワクワクさせる、鳥肌を立たせるチームはそこが違います。20の子は20を、10の子は10を、お互いの到達点を知っていれば次の動きをどうするかを瞬時に判断し、ファインプレーに見えるプレーを魅せる。でも、本当は偶然ではなく必然に近いんだと思います。仲間を知って自分を知って、リカバリーの連続で勝機を見出す。その過程でお互いの全力を認め合い、お互いの自己評価を推測できます。

 アリとキリギリス、絶対評価と相対評価、そして伝え方、コラムで書いてきた要素がここでつながります。簡単に言うと、10のちからの子も20のちからの子も全部出そうと挑み、9、19の時に10、20にさせる、その気にさせる伝え方をするチームが達成感のある試合を作り上げるんだと思います。

 ここでちょっと追記ですが、自分や仲間のちからをきめつけるのとは違います。10、20を11、21にさせる企てもチームワークの一つかなと思います。

No.143 【スキーの技術から・・・weight sift】

 

 以前のコラムで、忍者の動き、ゴキブリのステップ、古武術のコラムでは、正中線の意識や体に負担のない介助者の姿勢について触れました。全身の重さと重力に抗い、次の動きを合理的に発現させるには?

 モーグル競技(スキー)では「自然の物理」「weight sift」は大きく滑りを変えます。競技は違ってもパワーラインを合理的に短時間で作り出す意識はかなり近いものがあると感じます。

 この種目の競技者は上から下までコブコブの斜面を高速で移動します。一見、上半身は動かないように見えますが、体の軸はきれいに左右に移動しています。「自然の物理」は重力で体が下に落ちて行き、斜面の反動で板がしなり、方向を変える動きです。その物理に対して自身の体軸(イメージは骨盤)を移動させ、回転力を棒ではなくひねりを加えた固いゴム?のような柔軟なイメージで、でも力強くパワーラインを作ります。骨ではなくまさに筋肉。骨は力を生みませんが、筋肉は力を生みます。この動きの後半では、すでに次の動きのためのweight siftが始まり(能動的に始め)、準備と合理的な動きへと誘導します。

 バレーでこのweight siftを生かすのは間接的かもしれませんが、低い重心、腰を起点にしたweight sift、瞬時に移動して次の動きにひねりを加えたパワーラインを作るあたりは共通の意識かなと思います。

 固い鋼材より柔軟なゴム・・・もう40年以上前、刀鍛冶の現場を今は亡き叔父に連れて行ってもらったときのことを思い出しました。「刀」ちょっと科学してみたくなります。

No.144 【八丈太鼓】

 

 この子たちが大人になった時、HIGASHIでの出来事やそこで培ったもの、覚えてるかなぁ。しばらくバレーから離れて、またどこかで大人同士のチーム、婦人バレーなんかでボールをどんな気持ちで追うんだろう。もしかしたら、ボールを追わせる立場にある人もいるのかな。

 黒潮が磯を荒ぶらせるこの島は、生きていくには喜怒哀楽を共にする一体感と、助け合い分かり合い、全てを明日のちからにしていく源やその術が不可欠。それも長い年月、自然に自然に。

夕食を先に終えた子供が、何げなく茶碗を箸で叩き始める。♩♫♩♫♩♫♩♫・・・。かなり酔いのまわったお父さんがおもむろに土間に太鼓を引っ張り出す。お行儀が・・・はおいといて、お母さんが下打ちに入り、腹にずんと響き渡る八丈太鼓が始まる。聞きつけた近所の衆、入れ代わり立ち代わり刻み続ける。

 この和太鼓、下打ちと上打ちで対峙してみるとわかるものがある。八丈で生きてきた彼と叩くとき(もう20年も前)、目をつぶると間違いなく黒潮の波が押し寄せるような圧倒的な力強さと繊細さが襲い掛かるように伝わる。自分とは天と地のステージの違い。これはいかんともしがたい差。地鶏とブロイラー鶏の違いのよう。さらにこの八丈太鼓の魅力は、地域ごとに趣がちがうし、一人一人独自の流れやリズムをもっていること。だから遠くで聞いていても誰が打っているのかわかるとのこと。一体感の中にも個性、調和の中にしたたかな自分らしさの主張、生き方にも似た島の太鼓。小さい頃から染み込んだものは、大きくなってものこるもの。頭では忘れていてもやはりのこるもの、その時期の過ごし方こそ大切とあらためて思う。

No.145 【刀鍛冶】

 

 神秘の空気、視線が嫌がおうにもその一点に吸い寄せられ続ける時間。そんな場所にいれば記憶にも当然鮮明に残る。小さいころ、叔父にくっついて刀鍛冶の現場を見学したことがあった。(刀剣類が歴史の中で醜い一面を刻んできたことについてはここでは言及しないことに。)熱いうちに打つ鉄。

 刀の構成は固い鉄と柔軟な鉄の合わせ技。固いだけでは折れやすい。やわらかいだけでは切れにくい。そのバランスと手加減、鍛える時間や温度、職人中の職人、匠の中の匠、伝統はその方々の妥協を許さぬ想いがつないだもの。見る者が心臓を握りしめられるような気持になるのもうなずける。職人の脳内にも柔軟かつ強固なものが染み込んでいるように鍛冶の仕事場は魅せてくれた。仕事の流儀、TVでは聞く言葉だが、職種や立ち位置に関わらず、刻み込んでおく意識なのかなと。

No.146 【実らない努力】

 

君は努力の天才だね、よく頑張ったね・・・、よく聞くフレーズです。揶揄してそういう場合もかなり多いのも現実です。以前、気合と根性の違いの話をしました。成果や結果がなかなか出ない。係数のものすごく小さい二次関数のグラフようなイメージでしょうか。本当に自分がやろうと思っていることはいい結果につながっているんだろうか。そんな不安がよぎりまくります。小さいころ、自転車の練習をし始めた時、どんな気持ちだったかな。結果をイメージして一心不乱にやったと思います。大人はなかなかそういう境地になりにくい。若い人は特に脳の働きも体力もそれをアシストする準備があります。

 受験シーズンはすでに第一クールを終える12月、学校では3学期に向かうこの時期、気候はきびしい時期を迎えました。焦りもしますし、他者の到達点や伸び率は気になります。成果が目に見えている人の手法に飛びつきたくなります。でも、これこそが落とし穴かもしれません。付け焼刃は脆く結局打ち直さねばなりません。文武特に文の方は、総合的な成果が出るまでに数か月かかります。もし、今まで頑張ってきたなと思うのであれば、続けましょう、その努力。冷静に弱点を克服する小さいと思えるポイントを時間をかけて根気強く挑みましょう。

 不安と闘いながら、自分を信じてきちんと挑み続けましょう。もう30年以上も前、「やっぱり成果が出ないとねぇ」と就活時私が言った相手の学生は、「努力の過程の方が大事」と反撃してきたことを思い出します。その人、今も家にいますけど・・・。やっぱり努力し続けています。実らない努力はない、きっと確かなことです。

No.147 【そだね~】

 

 LS北見から平昌オリンピックでその活躍とともに流行語大賞で一躍「そだね~」は脚光を浴びました。他のノミネートには後ろ向きな言葉、ひねくれた意図、個人攻撃のような言葉、話題性のみの言葉が溢れる中、「そだね~」は圧倒的な存在感。彼女たちの活躍がこの言葉そのものを大きなプレゼントの中身のように思わせてくれる含みがある。

 チームが成長してきた過程には、なじまない人、方法論が違う人、上に引き上げる人、下に引っ張る人、様々。個性の塊。長い時間をかけてたくさん出し合って挑戦して壊れて再構築する。その経験から、この窮地ではこう、ここはこう判断するポイントだ、自分は、あなたは、別の〇〇は、こう判断したい、さあどうだ~があっての合意が「そだね~」。

 この到達点には「こんなリスクもあるし、絶対じゃない」「全員できめたから全力で挑もうよ」「失敗しても次の手を打つさ」「誰をせめることはない」「笑顔で、自信をもってやりきるよ」を全て含んでいると彼女たちを見ていると思う。

 そう考えると、安易につかっては気が引けるような思いになってきた。でも、これは、たぶん彼女たちからのメッセージでもあるし、この言葉に賛同した人たちのメッセージ実現への期待と願いだとすれば、大いに使おう。使うにふさわしい人になろう。

No.148 【志】

 

 「災」2018年の漢字が清水寺で発表された。「くくく火」と小学生が覚えていたこの字。紐解き方は個人それぞれ。「転じて吉となす」を含んだ意図と考えたいところ。

 大きな大会に続けて出場が叶い、得るものも得なければいけないものもたくさんあった。HIGASHIのバレーはどんなバレーを目指し、積み上げてきたか、どんなバレーを目指して積み上げていくべきなのか、伝え方や理解の仕方にぎこちなさはあるにしても、きっと大きな柱は間違っていないと思う。チームプレーは、一人一人が上を向いて前を向いて、引き上げ合い支え合い、チームメイトをその気にさせて笑顔にさせて、気が付けば、全員で同じ方向に自信(ここでは勝手に「自分と自分たちを信じること」としました。)に満ちた笑みを浮かべながら強い推進力で進んでいる、そんな達成感、居心地を与えてくれるもの。そこに行きつくための凸凹道で、壊れた車輪を次に壊れないようにたくさん考えて相談してなおしながら進む。誰しもがそれを味わいながら、チームで味わいながら、泣いて笑って。

 それを実現するためには「こうしよう!」、自分はこう考えてこうしよう、チームではこうしよう、を徹底的に追及すべき。顧みて修正は大いに結構。だが、決めたからには妥協はしない。その準備と方法が伸び代を決定する。

No.149 【6年生の二つの勝負】

 

 東京では6年生最後の都大会につながる大会は中秋、山梨県では新春でしょうか。大きな全県、全都レベルはそこで一区切りです。中学、高校、運動の部活でなくても世の様々な場面で「引退」「一区切り」のテープを切る場面はあります。

 区切りをつけると一時的にモチベーションが下がることは致し方ありません。HIGASHIは、そこからの大切さを痛々しいまでに感じてきましたし、その分生かす努力の姿勢を見てきましたし、それを今風に言うならこのチームのlegacyです。ここから始まるのは二つの勝負。その両方に高い目的意識と意志をもって挑み続けることこそ、本当の強さを身に着ける道の一つと考えます。

 一つは、「やり切った!」と堂々と、一片の曇りなく言えるような卒業生大会への挑戦。最後をチームでどう迎えるか、高めあえるか、見えない期間の他のチームの成長を想定し、と自分たちの動機と課題と具体策をハイレベルに維持し続けられるかが勝負。中学があるからいいやの意識や手抜きをお互いに指摘し合い、自分をごまかさず、自分に厳しく切磋琢磨していけるかが勝負。

 もう一つの6年生の挑戦は、自分たちが必死に挑むことで、新チームがどこまで伸びることができるかの勝負です。6年生が夢のような挑み方をし続ければ、目標となり、6年生が真剣に前日より高いレベルで常に対峙すれば、新チームが成長するのは必至です。他のチームとのもう一つの勝負です。

 この勝負はこれからの人としての歩み方を決める大きな一歩と考えます。

No.150 【相棒】

 

 杉下右京と冠城亘、探り合っているのか、それとも絶対の信頼を置いているのか・・・事件の解決とともに筋の水面下にいくつかの伏線や思惑を地下水のように流し続けておく面白さ。縦横無尽のクモの巣、梯子を掛けたり外したり、最後は中央でがっちり捕獲する。誰だ?こんな脚本書く人は。

 「つるむ」「集団でいること」ことはいいことだ。一人よりもずっといい。そこにはメリットとデメリットがある。力が合わされば大きな方向性と力をもつ矢(ベクトル)を生み出す。残念ながらその矢はマイナス方向にも同様に向くことも当然ある。スカッとジャパン(TV)のしっぺ返しをくらう集団、いじめグループなどは視覚的にわかりやすい。ROOKIES(TV)ではその矢が夢に向かって飛び始めるところに心が動いた。みんなそうだ。わかり切っていることだけどそうできない理由がある。心が育っていないこと。でも人間、いくつになってもそれは続く。ではどうしたらプラスにその方向を向けられるのか?大切な相手、仲間であればあるほどここが大切になる。「言うべきことを言う」こと。本当はわかっているけど関係性を壊したくないがために押し殺してしまうことは、結果として相手や仲間のためにはならない。発信した人の勇気は尊大。だからこそ、聞く耳をもとう。ただし、それが成立するのは、ことが社会問題や学校全体の問題に発展する前であること。そう、小さな枠内でなければ難しい。だから小学生の時期は大切。その試練(練習+挑戦)のチャンス。二人の時も、大勢の時も。高めあえる経験を積める時期を大事にしたい。

 それができてこそ、本当の相棒、仲間。(ドラマ「相棒」ファンなので入れてみた。)

No.151 【円陣 1】

 

 実は円陣に纏わるコラムは2回目です。1回目は「掛け声」の冒頭で触れました。チームでは、失点時にさっと集まり簡単に修正する習慣があります。次につながる修正です。一言くらいしか時間はありませんから、ほんの一言、しかも笑顔で、がルール。

 ベンチで聞いていると「次サーブ入れるね」「アウト気を付けるね」「次上げるね」などなどおおむね決まったフレーズが耳に届きます。何げなくスルーすることにちょっと意識を向けていつも「探求心」の視点からもうちょっと考えてみます。もっともっと次につながる策はないかな?」その時々のチームのテーマがあるはずです。最後まで守備重視の約束、ピンチの時こそ攻める、サーブで攻め切る・・・等々。考えてみるとどうだろう?「次サーブ入れるね」と「次も攻めるね!」。スパイクアウトの後の「アウト気を付けるね」と「思い切って打つね!」「フォロー信じるよ!」。どちらが次への本気度をあげられそうかな?

 小学生なんだから、盛り上がる方優先でいいんじゃないかなと思います。ただ、考えずにやるのとはまったく違うことは心得ての話。(ちょっとテーマと離れるけど)そう考えるとファーストテンポだコンビバレーだ云々は中学以降でいいかな。)

No.152 【稀勢の里】

 

 大横綱の引退。滅多にない勢いの「稀勢」をしこ名にもつ横綱でした。過去には圧倒的な強さの横綱もいましたが、引退までの道のりは稀有な歩みだったように思います。

一切の言い訳をしない姿勢、一片の悔いはないと大粒の涙をこぼれさせながら語る横綱でした。ケガと闘いながら、精いっぱい精進し続けた勝てない横綱。でも、その姿勢は大絶賛に値すると、応援をしたくなるとそう思わせるものがありました。勝ち負けではない偉大な道を開いて魅せてくれた人だと思います。一生懸命やった、それは本当にそうやった人にしか語れない言葉です。

 真剣にやる、一生懸命やる、全力でやる、中途半端な気持ちで、中途半端な期間、やった人が口にしていい言葉ではないことを、改めて考えさせてくれた大横綱です。きっと、親方になった時、「この親方に鍛えてもらいたい」と思う若者が大挙する様子が目に浮かんでしまいます。私は、千代の富士と稀勢の里FUNです!

No.153 【夜間救急外来】

 

 危機一髪を紙一重(時間的な長さや重篤度など数々含めて)で乗り切る経験は誰しもあると思います。どちらに転ぶかで「運がいい」「神様はいないのか」等々色々な言葉で結果が表わされます。

 高校受験は私立や中高一貫校の受験を経験してきた生徒でない限り、最も人生で失敗のリスクを大きく危惧する一大事の一つでしょう。そこに向けて全身全霊準備してきた者であればあるほど。受験3週間前、小さな虫歯根から菌が入り、蜂窩織炎(ほうかしきえん)が広がり歩くことすら痛みで困難な生徒がいました。3日目の夜間救急の末、口腔外科医により判明し、受験の重さを察知し、4日間連続の点滴治療を申し出てた医師の対応。劇的な回復からの10日後の大逆転劇でした。

 日本の豪雪地帯での夜間救急外来、患者の50代男性は、忘年会で例年のように宴の夜の後、いつものように頭痛。しかし奥さんの「嘔吐と背中の痛み」の異変を重く見た対応により「痛み止めを所望」に至りました。ファーストタッチの医師は、一瞬痛み止めでの様子見をよぎりながら問診ののち、2時間かかる大病院に救急搬送を決断しました。途中で不整脈発生、あとほんの少し遅れていたら待っていたのは死。

 人生を救う仕事、場面、命を救う仕事、場面、心を救う仕事、場面、すぐに結果が出ない仕事もありますが、AIに任せられないかかわり方は人にこそ。

ただし、忘れてはいけないのは、そこに至る本人の努力、周囲のサポート、日常の観察力、ファインプレーはそこにもあったことです。

No.154 【天の河】

 

 俳聖、松尾芭蕉。「荒海や 佐渡に横たふ 天の河」、本州沿岸から佐渡島を望む光景からの一句。日本海側のモノトーンで流刑者の島のイメージのある佐渡島ですが、行ってみると宿は情に厚く語り好きの人々、無農薬の柿やもっちもちの甘いコシヒカリ(市場に出回らない理由は、柿は通常6回消毒し、表面に黒い点粒ができていないものが出荷される、コメは完全無農薬は自家や民宿向けのみだからだそうだ)、釣り糸を垂らせばどこでもひょいひょい釣れる。快晴の日は稀、それ故その日の特別感は東京人の比ではないようです。八丈島も流刑者の歴史がありますが、どちらも人情味は格別な印象を受けるのは私見でしょうか?本当は、流刑者と地元の人たちとの本当に大切なものを大切に思う気持ちや交流があったのでは?どなたか調べてください。

 さて、冒頭の句、呼んだ時期は8月18日、天の川は佐渡とは反対に近い側にあり、しかもこの日は雨模様というのはそこそこ有名なトリビアです。天の「河」は今では「川」と書きます。じゃあ芭蕉先生は「こんな感じかなぁ~、イメージだよ、うわ~スゲ~みたいな」って同行者の曾良君に言ったのでしょうか?素通りする常識や通念、聖徳太子は実在しなかったともいわれる昨今。ちょっと探ってみる探り癖は見方を少し広げてくれます。蛙が古い池に飛び込んで「ぽちゃん」?で、何?

No.155 【自分たちのバレー 8】

 

 このタイトルはすでに8回目にもなりました。何角形になっていくのか、この魔方陣が呼び覚ますものは何なのか・・・。
 コートの中での創造力、表現力、意識や気持ちの発動、これまでも魔法陣の一角をいくつか考察してきました。試合(練習試合)で他のチームと対峙するとき、考えるもの、得る物は非常に大きいものがあります。HIGASHIは都内でも人数がかなり多いチームの一つです。人が多ければ(一般社会でも同じです)個性は様々でなければ面白くありません。もっと面白くするにはその個性を同じ目的に向けて相乗効果をうねらせることへの挑戦。全員が全員、大親友のチームは存在しません。目指してもいいけど、それは没個性、迎合、黙認、リスクは逆に大きいと思います。うねらせるには・・・主張を出し合い、合意点を見つけ、決めたら一心に高めあう。屋台骨は各自の信頼です。信じてもらえる自分をつくろう、信じてあげられる自分になろう、これは、中学、高校、大学、社会人、みんな共通なんじゃないかなと思います。みんな?ベンチも応援団も、コーチもマネージャーも監督も。
 冒頭「面白くする」は誤解をまねくといけないので、ここでいうそれは、「高揚感ギラギラの想定の範囲を超えた「やってくれるね~」を目の当たりにする」ことととらえていただければと。特に、今をこれからを生き生きと生き抜いてもらいたい小学生~高校生は。
 10年後、20年後、魔法陣が出現させたもの、聞かせてほしいと思います。っと、20年後はいないかなぁ~。

No.156 【断捨離】

 

 以前、我が家に空き巣(正確には居る巣?)が侵入した(正確にはしようとした)ことがあった。警察が室内の荒らされた写真を撮り始め、私「何で室内撮るんですか?」、警察官「物色された証拠写真を」、私「部屋にまで入っていませんけど」・・・。うちはすごく散らかっている。捨てるきっかけと思いっきりに欠けている。
 8m×8mとはいえ、小学生の未完成バレーには決して狭くはないコート。大きいメンバーがそろわない時は、ノーブロック作戦、1枚ブロック策をとることだって常。フェイント処理専門エリア、トスアップに徹するポジション取りもあり。2mのネットから下の工作はチーム状況でみんな違う。
 何かを捨てる思い切りが、結果プラスになるのなら、その思い切りを信じよう。ストレートブロックの裏はフェイント処理に徹して強打のディグは捨てる、ブロックはあきらめて(捨てて)攻撃的な守備に徹する・・・断捨離戦法。その分、残したものは徹底的に大事にしなければならない。中途半端は全てを失う。
 ちなみに、冒頭の居る巣、我が家のチームワークにより逮捕!バレーの成果? zama-miro

No.157 【模写のススメ】

 

 牧野富太郎(まきのとみたろう)、松村松年(まつむらしょうねん)、植物をじ~~っと観察し続けていた人、昆虫をじ~~っと見続けていた人。牧野氏はあまりにも著名です。松村氏は工学を専攻し、理学、農学博士であり日本昆虫学会会長を務めた方です。きっと昆虫をじ~っと見つめながら、足(手なのか?足なのか?)の運び、色、習性、時間を忘れて過ごしたのでしょう。記録やメモや絵を添えて。

 昆虫の属性、様態、小さい子がのめり込むことができるのは、眺めることと、ちょっかい出すことと、描写すること。大好きな昆虫が目の前にいないときは、図鑑を見て(最近なら電子図鑑?)模写すること。観察力や探求心を大いに育ててくれるのはこの描く作業です。角の形、羽の模様、さらに肥えてくると足の吸盤状の毛やテカり具合、全体のバランスなどにもこだわり始めます。フリーハンドの味の見せ所です。だって幾何学的な部分は複眼の正六角形くらいですから。それですら斜めから見たら描写は異なるはず。

 なぜ高いところから落ちても平気なんだろう?風邪はひくのだろうか?同じものばかり餌にして栄養バランスは保てるんだろうか?観察も探求も無限に広がる、その分もっと知りたくなります。「少年」をもち続ける人は、この観察力、探求心が、確かな洞察力と創造性の開花をもって人や社会を見ることができる大人になるんだろうなと・・・

No.158 【リカバリ 2】

 

 「リカバリ」のコラム(No.13)を以前挙げました。「落ちても追いかける!意味とは」(No.40)にはその意味を書きました。対人(二人で向かい合って打→レシーブ→トス→打、その他アレンジは様々:トスなし、超至近距離やその逆等々)、1対2、3レシ、自分以外を意識しながら動く要求度がかなり高い練習内容があります。指導者の価値観も色々ですが、私は好きな練習です。パーツごとのドリル練習ももちろん好みです。
 特に、3人の間にはボールが落ちがちです。コートの仲はトライアングルでいっぱい。自分を含めたボールを触るであろう相手以外のもう一人を意識しなければ、自分がそのもう一人にならなければ、床に吸い込まれるボールと無念の想い・・・
 バレーを始めたころ、コートに3人、6人入った初めての時を思い出してみてください。私はこう言いました。「ボールが飛んで行った方向に全力で走れ!」「落っこちても一番につかまえて投げ入れて!」
 いつしか、「見切る」能力を身に着けていきます。初心を忘れて「リカバリ」を本気で忍びのように準備し、突き刺すように動き出すことをやめてしまいます。そのデメリットに自分でチームで気づくことができるか、声を上げることができるか、たった一人でも成し遂げようと発動することができるか。動き始めたさらにそのすぐ横に、すぐ後ろに、別の誰かの気配を強く感じたら、それこそが本当の仲間です。

No.159 【占い】

 嫁が30年以上前、高額な印鑑を買わされそうになった。彼氏が30歳で他界すると占われ。その2倍近い年齢の現在、ほぼ元気に小学生とバレーをしている。占いは統計学に基づくと著名占い師が言っていたのを思い出す。全く根拠がないわけではない。因果関係を紐解くと「そうなりがち」な要素の積み重なりが結果に現れることはありうる。偽薬効果や洗脳のプチがその人を占いの結果に誘導する。手相、星座。根拠はないでしょう。星座は2次元で勝手に人が決めて、後で実は何億光年も離れた3次元だったことが判明し、プチ洗脳された人が巧みに「ほーらね」って結び付けられた結果なのでは?占い師の方、すみません。全てを科学的、心理学的に解明することの面白さとつまらなさ、占いをあてにするワクワク感と脆さ、揺れる。窮地にこそ自分を直視する勇気をもつべし。現実を直視せず、背を向けている者が夢を語るのは難しい。(ここでいう直視とは、「抜け出せない窮地への対応策をとろうとしていること」。それが打ちひしがれている状況であろうと、全く別の居場所にいったん身を置こうとしている(置いている)状況であろうと、それを策としているのであれば直視と呼んでみました。)
 血液占いが本当なら、ゴリラはみんな同じ性格になる。みんなB型。動物占い、私、猿・・・当たってる・・・

No.160 【イメージトレーニング】

 

 ギプスで固定された腕の被検者に4週間(週5日)、1回10分、1日4セットのイメトレをした場合とそうでない場合の結果は、筋力低下を50%抑えられた実験が報告されました。また、イメトレをした場合とそうでない場合とでは、10~15%の巧緻性、判断、俊敏性、筋力UPの効果が報告されています、
 HIGASHIの練習は平日2回(内1回は隔週の自主練習)、平日は2時間、土曜日半日、日曜日1日。都大会出場チーム中最も少ない部類です。
 「集中してやれば・・・短時間の練習でも」とはいうものの、そうそう簡単ではないことは、実際の練習に指導者体験的にかかわってみるとそれははそれはよくわかります。なおかつ「子ども自らがやる気になるように・・・」
 練習中に取り組めることは、コートの中で練習している子、自分の順番でないところでも同じ動き、自分なりの判断で小さくてもいいから体を動かすことです。10%の巧緻性の上乗せが年単位になると圧倒的な差になります。
 すると、問題が。もっとも大きな問題は、「イメトレを常にしよう!」とチャンスを見つけてやろうとする人であるか否かです。どこでその人柄を築いていくか、体育館?学校?家?押し付け合ってはいけません。丁寧にじっくり、繰り返し、小さなその成果を認めながらその気にさせる。急がば回れ。イメージトレーニングそのものよりも大切なのは、むしろこちらの方であることを正面きって受け止めなくてはと思います。

No.161 【練習の切り口】

 基礎→ドリル練習→チーム練習。かつての練習方法の主軸。アメリカ女子チームをに世界1に導いた日本人監督、吉田敏明氏の練習方法は逆転の発想でした。見方、視点、目的から選択する方法の創造はあらゆる場面において「目からうろこ」。この例はスキルが高いメンバーによる選択という条件もありますが、汎用性は高い発想と納得できました。
 PDCA(プラン→実施→評価→アクション)についてはすでにコラムに掲載しましたが、乱暴に言えばDCAP。Pから始まると、Dでの「気づき」をすでにPの時点で悟ってしまっていること。「気づくことへの気づき」が大きな意味をもつことをDからスタートすることで教えてくれます。
 小さい子や社会人1年生に「まずやらせてみよう」は最近の社会通念、危機管理意識から難しくなっています。しかしながら、吉田氏の練習方法、発想は当時の日本の練習方法に風穴を穿ったと個人的ながら敬服します。

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