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No.501【近未来・・・ちょいバレ500号記念】・・・長い!

 いくつかのキーワードを書き出します。これまでのちょいバレ、特に近年のコラムに登場した文言が多く、子どもが主体になるべきものが中心です。そこから導く方向性は、機に乗ずるもの、好機と考えられます。
 グローバル化(World Movement)、自然災害、OECD、国際紛争、ハラスメント(特にスポーツ界)、学習指導要領、情報化。
 どちらかと言えば大人の課題、問題、と一見思えます。でも、私を含めた大人自身のうしろめたさに気付きます。過去の人類、大人が解決しえなかった問題を次世代に先送りし続けてきた代償が手に負えないが故に。でも、未来を生きる子どもたちは、この局面を英知をもって突破しなくてはなりません。自分以外の誰かではなく。
 何故好機なのか・・・
必要なちから、これを携えて課題解決のためのテーブルにつく。以前の日本のスポーツ界はそのスポーツ界の中のそれでした。これからは、全ての社会、生活、情勢の中のスポーツから得るちからが求められています。それは、単に、○○に力を与えるとか元気を届けるという狭義のちからではありません。困難を乗り切る強い心、あきらめない根性、特定のスポーツ技術が期待されているものでもありません。もちろん不要とは決して言っていません。
 一例です。「課題解決能力を高める方法は?」この問題に対してスポーツ団体が対峙したとします。集まるのは、スポーツ関係者、スポーツに精通した学識者、知名度の高いチーム関係者の構成が思い浮かびます。
 しかし、2015年あたりから、爆発的にこの方向性は大きく舵を切りました。というより世界の動き(ムーブメント)は、経済、科学、社会学や史学、教育や政治の立場からマルチステークスホルダがテーブルを囲んで課題解決に向かう重要性を発信し始めました。私は、このことについての専門家ではありませんので、異論や認識の相違があるかもしれません。とは言え、日本のスポーツ界のハラスメント、勝利至上主義、クラブチームの在り方、理念について(そもそも理念がないチームもあります)は、グローバルな機関から警鐘を鳴らされてきました。文部科学省、スポーツ庁は、その流れに後追いする形で指針を打ち出しています。
​企業では既にこの方策を取り入れているところが多くあります。
 まだまだ手探り、課題を前に足踏みせざるを得ない状況です。決して目からうろこの策を打ち出そうということではありません。きっとこの先、子ども自身と取り巻くマルチステークスホルダが同じテーブルについて、ミーティング、シンポジウム、企画、運営を進めるスタイルは標準になるといいなと思います。というより、その日をたぐり寄せようと思っています。
 たぐり寄せようと動き始めると、思いの外、偶然がつながりはじめます。否、偶然ではなく、同じ危機感、焦燥感、開拓の兆しに気付いている関係者、関係機関は少なくありません。たとえ、無名のコミュニティであっても、挑んでみなければ道は開けないことは言うまでもないことです。
 この秋始動した「(HIGASHI)子ども未来プロジェクト」、この理念の発信と手立ての発現をもって、ちょいバレ500号の記念コラムといたします。そこでは、真に必要とされる、子どもが身に付けるべきちからを培うための理念、策を記載しています。課題発見、解決の仕方、創意、コミュニケーション・・・。小学生段階からでも実施しておくべきことがらです。それらを考え方の幹に携えた子たちが、子どもの立場でも大人の立場でもラウンドテーブル会議に堂々と着座する姿を想像しています。それを近未来にぜひとも!
 最新版の資料2点を添付します。その他推進のための資料は、項目進捗表(内容説明)の細目ごとに作成や実際に使用しているものが多数ありますが、いずれ、資料集のような形に整理していけるといいなと思っています。
・・・長文お読みいただきありがとうございました。長いのですが、先日、チームの子が書いてきた作文+未来日記の5分の1。あの子らどんだけタフなんだ?・・・

No.502【ハーディング現象】 

 先日、チームの高学年向けに、大会までのロードマップ作成の課題を提案しました。いつも大体「提案」とか「任意」とか。「やりなさい!」よりも実は困難さ? プレッシャー? があります。そのお知らせの中に件名のキーワードを提示しました。関連するその他のキーワードもいくつか。「ファーストペンギン」「キャプテンシー」・・・小難しい専門用語っぽい。いいんです、調べればいいんですから。

 「内容」と「バレーボール」と「チームであること」と「必要とされるちから」とを関連付け、自分の課題に落とし込み、解決策を創造し、ロードマップを作る作業です。キーワードを使い、文章を作成するタイプです。読む方(提案側)としては手間なのですが、思考の深さや重点がよくわかります。何よりも意欲が。

 ハーディング現象とは、みんなと(で)同じ行動をとることで安心感を得る、だからそうしちゃう、するとそれが性分になっちゃう。といった群衆心理のことです。(専門的な解釈はもっと的確な説明があるのでしょう。)

 目的達成のロードマップを歩いていく上で、「みんなと(で)」のメリットはありますが、陥っていく、陥っている自分に気付こうとする、気付く視点は常にもっていたいものです。いつしか慣例や習慣、暗黙の了解は、本来のあるべき道や自分の立っている位置を見失わせてしまします。地図の上での「現在地」は本当に今君が立っている場所なのかな?

No.503【ピアコーチング・ピアラーニング】

 「一歩目もっと早く出して動きなよ!」と1年生。「うるさいな、わかってるし。1年のくせに。自分だってできないじゃん!」と買い言葉の2年生。
 ちょっとおませな1年生と負けん気の強い2年生の会話? 口喧嘩? あるあるなパス練習時の一コマ。
 ちょっと分解して分析してみましょう。1年生は率直にアドバイスを発信しました。相手の2年生の捕球できなかっとことへの根拠を指摘。それが本当にその根拠なのかは不明です。しかしながらそこに根拠があると決定づけ、命令口調で言ってしまったもんだから・・・。2年生は、うまくできなかったことにストレス。そこへもってきて下の学年に指摘されたことで、プライドの盾に切りかかられた気がしました。根拠はそうかもしれないと思いつつも認めたくなくなってしまう反感が沸き上がっています。そして、自分だってできていないのに人に言うなよとの反論をそえました。こりゃ合意形成なんてはるか遠くに・・・。
 いえいえそんなに遠くはありません。いくら低学年といっても、日本語は多少通じます。相手を思う気持ちを言葉にして併せることはちょっとはできます。大事なことは何なのかを二人に考えさせます。「相手を上手にしてあげること」「それがチームの力を高めることにつながること」「自分が相手の立場だったらどういう伝え方をするかを考えさせること」「ちょっと前よりもっとうまくなろうと思えるように伝える方法を考えること」次に「やり直し」です。しばらくして、技術が向上している相手をコーチがちょいほめて、その根拠は「アドバイスしてくれた相手にある」ことをみんなの前で伝える演技。この繰り返しで相手へのコーチングの質が高まります。
 他にも手段はいくつもありますが、子どもたちが、子どもたちどうしで、こんなコーチングを心地よく感じることができ、もっとアドバイスや指摘が欲しい、信頼感がベースにあるからたとえそれが下級生からでもありがたい、いろんな学年や立場からギフトをもらいたい、と思えてくれば成功です。いいトス上げて上げたらいいスパイクが打てた! は気持ちいいもの。バレーボーラーなんだから。
 一方、コーチングする側も実は最大の学びの場でもあることに、本人たちが気づきます。指摘すべき点を探し、根拠を探り、提案し、評価する。自分が説明できるということは自分も理解できている可能性があります。相手と自分の心のありようを考えながら、この一連のプロセス踏むことは大きな学びの機会です。
 一旦、そのプロセスを身に付けた子たちは、それが心地よく感じます。だって大人が介在しないのですから、自分たちで解決する意欲は細胞分裂のように広がる期待がもてます。
 さて、登場した二人、どんなピアコーチャー、ピアラーナーになるんでしょうね?
 ※ピアコーチングとは、ざくっと言えば、当事者同士が教え合うようなスタイルのことです。今、かかわっているチームの理念の大きな柱の一つです。

No.504【エピソードをもっているヤツ】 

 ブリスルコーン、ハイペリオン、トゥーレ、なんの話? 徒然ですよっていう前置きのあるちょいバレ。たまにはこんな話にもお付き合いを。
 このメンバーは迫力のエピソードをもっています。ブリちゃんは5000年近く生きています。ハイは身長100m以上。トゥーレはウエストが60m近い。日本の縄文君も7000歳と言われていますが、実際には最高で4000歳だそうです。
 とここまでくればこれは樹木の話。時々、巨樹に会いに関東甲信越をめぐることがあります。車中泊もなかなか快適です。最近は観光地の公衆トイレにもWashlet!近場では富士山の周辺にはすっごい巨人が住んでいます。多くは雷や火災(不思議と台風では倒れません)で高さのある樹は少ないのですが。浅間神社の神木の根回りなどは異次元の生物が息をひそめているかのようです。樹海の中にも吸い込まれそうな神秘感に包まれた人が住んでいます。
 長寿、樹高、幹回り、それぞれみんなエピソードをもっています。そしてこの人(樹)、アメリカヤマナラシ。4万7000本の幹が1つの根でつながっていて、山全体が一つの樹でできているそうです。でも、世界の森林の樹木の1/3がここ100年余りで消滅しています。彼らのエピソードを守ってくれ! と卑弥呼とシャーマン将軍(の木)は語りかけているように思えます。
 我が家の白樺、グラグラしてて、幹の中は完全に朽ちてて、でもなぜか葉っぱが生えてて・・・家主と同じ・・・

No.505【近所のおっさんたち】

 「最近の若いヤツは・・・」の下りは221に登場しています。昨今の企業の開発やイノベーション、学校でのシラバスや授業方法、急速に変化しているように思います。マクロな視点から見れば、気候変動、世界平和、人口動態など危機感に起因している気もします。
 この変化に遅れることなく対応せざるを得ない現状に置かれたこれからの若者は、それに対応させられることになります。人工知能、デジタルテクノロジーという技術的な側面と、手続きの側面。前者は後者の側面がどう設定されるかにより、効果が大きく違うと考えられます。
 時々、近所の庭先から呼び込まれ、そのまま始まるおっさんたちの庭先居酒屋。相当なベテラン商社マン、企業経験者、人材育成担当者、夢の実現に挑む人、悠々自適の人、見事なくらいにバラバラな視点からの会議が始まります。まともなのは、最初の3~40分なので、そこが吸収の大チャンス。
 この世代は、団塊または新人類世代からα世代まですべてを見てきており、今変革の時期に人材育成や企業改革に尽力しています。この会議から噴出される方法論は、かなり現場の熱が伝わってきます。マルチステークホルダによる円卓会議そのもの。てくてくノロノロ歩く爺さんたち、テクノロジーズ、捨てたもんじゃない、最初の30分に関しては。・・・ほぼほぼどうでもいいコラムの一つでした。

No.506【時間】 

 一次元は線、二次元は面、三次元は立体、四次元は時間の・・・とは言いますが、三次元に居る私たちには理解も想像もできない世界なので、理解は不可能。髭の天才物理学者なら別でしょうが。
 時間には二通りの意義があると思います。もちろんちょいバレですから私見です。生みだす時間と流れる時間。「こんな世の中だから」・・・太古から人は口にしてきた言葉の一つ。そういえば、「近頃の若いやつは」も。
 「だって時間がないもん」・・・本当にそうでしょうか? 断捨離に値する無駄なかかわり事や取捨選択から放っておいてよいものは必ずあります。時間をかけるに値するモノの価値はだいたい目的や目標とセットのはずです。
 一方、流れる時間は、放っておいても何もしなくても流れていく時間。無駄っぽい印象があるのは「時間を有効に使いましょう!」とか「何で? いつまで? ぼーっとしてるの?」の言葉のイメージが強く有るからかもしれません。
ところが、この流れる時間は、後半の流れが穏やかになったあたりで周囲の景色をきちんと見る余裕が出てきます。川の流れに似ていますね。自然にその景色は見えてきます。だから必要な素敵な時間なんだと思います。
 海に出てから純白の帆を張り進路を見定め、舳先(へさき)に立ち指をさす。このためだったんだと思えるための大切な時間は、むしろこちらなのかもしれません。
 あ、来週末のカラパー、美空ひばりもいっとこ!

No.507【chance(2)

 (2)ということは・・・370に同タイトルがあります。他にもカタカナでちょいバレ内を検索すると、膨大な数がヒットします。それだけ「チャンス」にまつわる芽はたくさん生えているということでしょうか。
 370では、こんな文章を書きました。「見出す眼、生かす工夫、続ける根性、響かせ合う活力、その底力が私たちにはあるような気がします。」この力を伸ばす手段の一つを深堀してみようと思います。
 チャンスは生かしてこそ意味をもちます。ピンチの場面がその一時であることもあれば、時間をかけて突破口を見出す、ちょっと時間のかかる機会の場合もあります。今回は後者。
 大会後、こんなことを保護者にお願いしたことがあります。「きっと、いつものように振り返りをすぐに主体的に行う子たちだと思います。今回は、その機会の全てを子どもたち自身、特に各自に委ねてください。大人は、今日のことを保護者主導で子どもと話し合ったり、課題を引き出す手伝いをしないようにしてください。私たちがその到達点を確認します。」
 その意図はこうです。自分で気づいて、解決に向かうタイミングを逸してしまわないように。解決に至る道のりを自分で分析し構築し、自問自答、試行錯誤できる貴重な期間を大人が良かれと思って入り込んで奪ってしまわないように。
 この作業期間を逸し続けた子の未来を、私は少なからず、小学生をもつ親御さんよりも多く、深く知っていると思っています。
 「正解に近い」ものはあると思いますが、「正解」はありません。奏功あれば失策もあります。でも、その過程の意義を発見するのは、その過程を通り抜けた子ども自身。その何年も先のその子の未来でしか判断できません。だからこそ、奪ってはいけないchance。
このchance、大人にとっても、我が子の成長をみることができるchanceとも言えます。一石二鳥。チーム力UPにもなる一石三丁!
 

 

No.508【10年後にも、見えますか】 

 3㏈の音の大きさで音響は2倍の差が生まれます。ちょいバレ「㏈」で紹介しました。人の話し声は平均60db。63dbになると声は2倍の騒がしさに。ほんの少しの数値の差なのに。

 大好きな場所があります。何年かに1度しか行けませんが。夏も冬もいい。天気だけは予約できなので・・・とオーナーご夫妻。そこからは満点の星空に天の川がはっきり見えます。LED照明が増え、遠くの遠くの町の光害は、LEDに交換することで、照度を上げることに抵抗がなくなってきていることにあるのかもしれません。5年前に比べると、6000個見えた星が5000個に減っているとのこと。

 ここで使用される測定方法は「mag/arcsec2」だそうです。全くわかりませんが、星の明るさを示す等級のこと。これを夜空全体で測定し、一言で言うと、「この夜空は〇〇等級」ということのようです。この数値(夜空)がたったの0.2等級明るくなっちゃうだけで(22等級が21.8等級に)、1000個の星、が見れなくなり(5年間で17%くらいが見えなくなり)ました。

 今、その星が見えるから、今、その野鳥の声が聞こえるから、ずっと先も・・・なんて人類の過ぎた楽観。

たまにはこんなコラムもいいかなと。

 ・・・だけで終了ではなく、折角なので、このテーマ、内容からのブレインストーミングを。するとどこかで、バレーボール、コミュニケーション、生き方のヒントなどを手繰り寄せられるのかもしれません。

No.509【仮説と証(あかし)

​ 答えが明白な事柄を知る、正解にたどり着いたら表に出す・・・試験や面接で正解や真っ当性を求められる節目では、この「正しさ」の度合いが非常に気にかかる機会が多いものです。すると、その過程もあたかもそうであるべき錯覚に陥ります。「不正解を求める」なんて誰もそんな意図をもってことに当たる人はいません。? そうでもない。偉大な発明家エジソンさんは「私は失敗したことが無い。1万通りのうまくいかない方法を発見したんだ。」と。不正解を積み重ねれば正解にたどり着く可能性が広がります。
 「生きる力」、よく耳にする言葉です。昨今の日本の教育は、考え方が変容し(実は昔から唱えられてはいましたが、最重点方針として打ち出されたのは現在の学習指導要領から)ています。正解への道筋を知り、応用するのではなく、仮説~実証~評価~の道筋の構築方法と実行方法を身に付けることが最重要とされています(アクティブラーニング)。極論を言えば、成功する事よりも価値があります。
 この仮説、発端は、気付き「!」や疑問「?」です。いい代物が最近はありますね。簡単に検索の窓を開けられます。知識に関する「?」は、あっという間に解決してしまします。ところが、スポーツに関しては、そう簡単ではありません。「どうしたらその斜め前のボールは上げられるの?」この問いに関しては、仮説や実験の1万回以上のトライアルが必要です。その実証が明らかになった時、その証はまさにコートを踏む証とイコールです。

 

No.510【自分たちのバレー 19】 

 前半、最後の大会の緊張からか? ミスの重みとチームへの責任を背負い、6年生はもがきました。4.5年生がそれを文字通り「全力」でフォローアップし続けます。6年生の後方には必ず、6年生の弾く先にも必ず5年生が「待ってました」を演出。機動力最大。
 セットの変わり目、もがく6年生にコーチから「とりあえず、思いっきり失敗して来い! あとはみんなでひっくり返す! そんな仲間だろ、このチームは!」
 実は、このチームは、コーチのゲキがあまり効き目がありません。たぶん。特に6年生の最終局面においては。コーチ陣の顔をほとんど見ない、チームメイトとの響き合いが高まるにつれ、その光景が顕著になります。
 こうなると、力を発揮するのが、ここまでの積み重ねを自身の根拠にする6年生。エースがパンチの効いた渾身の一打を叩き、キャプテンがクレバーな点取り屋を演じます。悩み多きライトの6年生も気持ちでねじ込む。フルセットを奪取するに十分なエネルギーが場内に弾けました。
 最後の大会の吹笛を聴き、勝利の報告直後、キャプテンがユニフォームを脱ぎ始めた。彼女の肩にずっと力を与えていたのは、2枚重ねのセッターのユニフォーム。歓声。最後の思いを確実に高潮させました。不在のセッターも、確かにここにいた!
 一緒に闘った! 観たか!みんな! 6年生の背中がそう言いました。確かに襷を受け取った次世代。自分たちのバレーが引き継がれた瞬間。

No.511【餞の言葉 Gift】 ・・・2023年度卒業生に向けて

​ 長いです。本当は、卒業生が書いた作文を公開したのですが、個人に寄っているので、控えます。ですが、この時期のまとめの文章は、自分を振り返り、未来を見据えて、その内容、伝え方、とても魅力的な文章(内容、構成、表現)です。

​ ここでは・・・卒業生(と保護者)に向けてのコーチからの餞の言葉を掲載しておきます。まだすっと先に続く線路の途中の停車駅の掲示板のような・・・

​以下↓

卒業生のみんなへ gift

 

 HIGASHIというチームは、本当に本当にめんどくさいチームです。というよりコーチがめんどくさくしていますね。否定のしようがありません。君の後ろで、うんうんとうなづく家の人の様子が目に浮かびます。しかも、3月31日までその問答は続きます。それもHIGASHIの伝統。伝統だからやるのではなく、それが未来に続くからにすぎません。

 生きているということは途切れることはありません。もちろん、あまり苦労を感じないように、穏やかな気持ちで、人も自分も優しさで包み込む状況を選択し続けることは、今の世の中、できうることです。でもね、よく考えてみてください。本当の優しさって? それをもっていると言える根拠をみんなは声に出して、言葉にして、行動にして、表現できますか? と、これもめんどくさいヤツからの問答。

 答えのヒントはあります。「こんなちからを私は得た。」「こんなことを私はこう考えてこう実行してこうして乗り越えた。」その道すじを、HIGASHIでの長い期間で具体的に経験し、脳みそに刻み込んできことにあります。「何を要求されているの?」「なんでこんな想いをさせられちゃうの?」「どうして作文?未来日記?」「なぜ私だけ?」・・・。それを徹底的に考えてきた道すじにあります。

 人の力になる、仲間を救うなどということはそう簡単ではありません。そのための意志、積み重ね、経験が無ければ上っ面だけの人。そんな人は、大切な人のちからにはなれません。その全部をフルに使って「策」を練るんです。その根拠、思考力、創造力は、君たちがバレーから離れたとしても、有り余る生かせる力なんだと思います。

 卒業の作文は、そのちからを、今の、HIGASHIでの最終ページに刻み込んでおくための課題です。こんな面倒なチームはここだけ。でも、そこに刻み込めるだけの中身をもっているのもここだけです。

 だからこそ、君たちのここでの生き方、特に6年生になってからの考え方、その進め方、生き方は、非常に大きな意味をもつことができたと思います。主体的に考えてきた中身、深さ、全然違うんだよ。それこそが君のちから、自信の根拠です。

 さて、この先は、そのちからを使って、君たちが答えを出す時。解答欄はこれから先ず~っと続きます。時には、その答案用紙を手に、満面の笑み、意気消沈?しながらHIGASHIに顔を出してください。

 最後に・・・家族に得意の大きな声と身振りと深く考えぬいた言葉で、文章で伝えてください。感謝を。

 

 

~ 保護者の方々へ ~

 

 卒部を迎えるこの時期、順風に帆の背を委ね続けた数年間が続いたことはないんじゃないかなといつも感じます。大きな災害、感染症、温暖化?・・・。世の変化は加速する情報化により急速な変貌ぶりです。

 近くに目を移すと、学校や地域の危機管理や安全性担保のための過度ともいえる環境整備や管理体制による子どもたちの自由度は狭まる一方です。

 この先の子どもたちの未来日記には、何が描かれているのでしょう。大変な状況に苦悩していないかなぁ・・・不運な災害に巻き込まれていないかなぁ・・・生き方を見失っていないかなぁ・・・。親としてはどれもこれも心配です。転ばぬ先の杖を渡してあげたくなります。杖の長さは本人にピッタリで、彼女が好きそうな色の。とこれ以上書くと煙たがれますので、ここでとどめます。

 親にしかできないこと、ちょいバレにも書きましたが、その一つは子離れです。他人には決して代行できません。HIGASHIの6年生の子どもたちは、その辺の小学生とはずいぶん違うアクティブラーニングを積み重ねてきたのではないかと思います。発見するちから、整理して分析するちから、解決するちから、それを仲間と推進する行動力。そこからさらに発展させようとする創造力。おそらくは、他のどのクラブチームにも負けていないはずです。となれば、信じて見ましょう、その資質を。

 ただし、野坊主、野放しとは違います。水面下ではやきもきしながら、彼女たちの欧がする青春をちょっと遠めに、時に一緒に楽しんでください。

 これまでの数々のご無礼、ご容赦願います。また、HIGASHIの応援、今後も引き続きお願いいたします。卒部、おめでとうございます。

 

 

4人の卒業生へ

~ 〇〇さんへ ~

 

 さあ大変です。この先のHIGASHIのキャプテンは。基準値がこんなに上がってしまったから。あの一球から始まった物語。

 たぶん、〇〇さんが続けてきたことは、深く深く考えることなのでしょう。考える道すじを自分で「ものにする」のは、にわか仕込みではできません。気づき、分析し、解決の手段を構築し、試し、評価する。その過程は、達成したい目的や到達度によって工夫が必要です。それは、考え続ける経験と想像力、そして何より「なりたい自分」や「かなえたい夢」が見つかる時、大きく力を発揮します。

 キャプテンとしてチーム貢献と自身を高めてきたHIGASHIでの「生き方」は大きな財産ですね。コートに立てない期間にこそ、その思考力は発展し、強化されてきたなと思います。自分にしかできないこと、自分にこそできることは、キャプテンシーの発揮と道に迷う人へのアドバイス。

 最後の大会、大切な「仲間とともに闘うとは?」「キャプテンとは?」をこんなにも表現できる人は、間違いなく他には居ません。

中学でも、大人になっても(こそ)生かせるのがHIGASHism。原動力を存分に生かそう!!

 

        

~ 〇〇さんへ ~

 

 合宿熱中症お昼寝、ママのおひざ・・・。この汚名を返上できたのは、6年生のHIGASHIでの過ごし方でしたね。この一年間は、ここまでの何年間とは比べものにならない重さを感じたと思います。全員がキャプテン、この言葉の重みです。作文や未来日記に表現した「こうありたい!」は達成できましたか?

 成すべき目標の徹底した準備にこそ、達成の根拠があることは、間違いありません。夏のクソ暑い体育館、酷寒の冬の体育館、この1年においては、最も積極的に練習コートに入ろうとしたメンバーの一人だったと思います。

 バレーは難しく、技術はなかなか伸びません。身長も。ですが、やはり継続は力なり。スパイクフォーム、高さ、スピード、格段に上昇気流に乗りましたね。支部卒業生大会では、ベンチの目の前で豪快なフォームで叩きこむスパイクに鳥肌立ちました! ちょっと悔しいが・・・。

 さて、次の舞台は、215cmの世界。どう挑みましょう? HIGASHIでの集大成は、携えた力の芽にすぎません。生かすも枯らすも君次第です。楽しみです!! あ、吹奏楽部だっけ?

 

 

~ 〇〇さんへ ~

 

 本当は、ドカドカ打ちたかったんだと思います。右腕のスパイカーが多いチームにおいて、サウスポーセッターは有利です。その責任とチーム貢献を担い、セッターを十分に演じてくれました。

 「顔!」コーチ陣はダイレクトにこんな失礼なことも言いました。チームを引っ張る表現は大きく二通り。一つは力・・・強引に。もう一つは、「その気にさせる」です。難しいのはもちろん後者。自分の課題でもあることを感じているかもしれませんが、今は、私はそうでもないと思っています。数か月前の自分にアドバイスができるんじゃないかな。こうするんだよって。

 卒業生大会の活躍、素晴らしかった。ナイストスあったからこそ、スパイカーの力を引き出せたんだと思います。「主役じゃなくても輝ける」その通り!

 スタートをきってからずいぶん経ちました。それだけに特にHIGASHIでは、考えることを他の小学生より徹底してやってきたと思います。その成果、次のステージで発揮できますよね。あらゆるポジションをこなせるんだから。楽しみにしてます! あ、バレーやるよね?

 

 

~ 〇〇さんへ ~

 

 第一章、君がバレーの世界に足を踏み入れ、ここまで来た道のり。小学生は色々な習い事や熱中するものにちょいちょい心を奪われ、近道や遠回りをしながら得意、不得意を感じ取り、取捨選択していくのがよくある形です。でも、私は、それだけではないと思っています。きっと、球技はすごく得意な方ではないと思います。でも、好きなんですよね、みんなとボールをつなぐのが。それこそが一番大事なものだと思います。

 バレーは球技の中でも最も難しいスポーツです。そこに挑み、この一年は特に、ものすごく悩み、そこから抜け出す方法を何度も何度も体験して、その数だけたくましくなってきたと感じます。成果は現れてきましたね。釘付けになるようなディグを何度も目にしました。そして卒業生大会、大事な場面でのチーム貢献、練習成果を大舞台で発揮できた攻撃、自分を信じる根拠、できましたね!

 さあ、第二章、中学生、「やってみたい!」が一番のスタートの理由。その次は「やり切る!」が目標になります。もちろん、大切なこと、必要なことは、徹底的に深く考えることと、君が言う通り、「大きな勇気」が必要です。忘れずに挑んでください!


 

No.512【コント55号】 

 芸人の素顔を知ると、驚愕の経歴や技をもっておられる方が案外多いように思います。歌手、多国語ペラペラ、世界的なアーティスト、作家などは著名なところです。その道で十分身を立てて行けます。あ、親が富豪とか有名人とは論外です。
 昭和、お茶の間に笑いを届け続けた先駆け、コント(コントってフランス語らしいです)師と言えばこの方々、コント55号。ステージを汗をかきながら突拍子もない想像力あふれる掛け合いを演じていました。昨今では多くのコンビが画面を賑わせていますが、昭和はほぼ55号の独壇場でした。(多人数としてはドリフターズがいましたね。)
 普段は研究熱心で謙虚な二人、ステージに上がるまでの周到な準備とステージでの対応力、業界を席捲する根拠は想像がつきます。
 ピエロ、ファーストペンギン、イベント考、コラムで取り上げてきました。コートの中で「ここでこそ!」のブレイクスルーが欲しい時、この力が必要だと感じることが多々あります。否、多々というより、よくよく振返ってみれば、それの連続なのでは・・・。
 体育館に入る時に大声で自分の目標を叫ぶ、合宿の食事の号令直前のショートコント、イベントでのコント、きっとその力が大きく伸びる根拠になります。HIGASHIのコント11号(今年11歳)は、普段とってもおとなしい。でも、そのけん引力、突破力の芽は、寸劇のたびに伸びているように思えてなりません。

No.513【エビデンスベース~練習内容コンペ】 

 EBM・・・だいぶ前のコラムで横文字が・・・あ~やだやだと言っておきながら、ちょっとかじると使ってみる好奇心。時代の流れに乗らねば。
 最近の子どもたちはほぼほぼ何につけても路線に乗せられています。サポート、困り感を減らす、時短、色々理由はあるにしてもそれらプラス商業戦線に乗せられて、便利な方へどうしても誘導させられます。こんな環境下で創造性は昔みたいに伸長されうるのでしょうか。危機感を感じます。大人もかな。
 こんな取り組みはどうでしょう? 練習コンペティション(competition)。この目的を達成するためにどんな練習方法が合理的か、効率がよいか、わかりやすいか。これを子どもたち自身が考えだします。方法はこんな感じです。リサーチ → 改善したい(伸長したいスキル)の発見・特定 → 方法の創造 → 提案・・・なんだか商品開発っぽい・・・
 注意事項を加えるとすると、既成の方法は不可。流用の場合は、工夫を加えることが条件です。「練習や試合の振り返りを丁寧にやりましょう」は、この提案に結びつけるための根拠のあぶり出しが、「私については」や「私たちにおいては」が明確になればなるほど、解決方法の創出の意味が適切になると言えます。なんとなくレシーブが弱いからレシーブ練習をとか、漠然とサーブミスが多いからサーブ練習を、ではこのコンペでは高評価を得られないのは言うまでもありません。
 さらなるメリットとして、審査側は内容について色々質問します。あやふやな回答が出て来なければ、深く考察した結果と判断できます。「分かっているね!」を応募側も審査側も共有できることになります。「現在地」を知ることは大きな意味をもつことがわかります。
 EBMのMは「マネージメント」のMです。先日、大学バレー部の監督さんがおっしゃっていた、「私が学生に教えているのはマネージメントなんです」が、ここでつながりました。

No.513【振り返り方法の極意】 

 カーナビの発明者は日本人と聞いて驚きました。位置情報の正確さは、現時点ではほんの数㎝に。地図上での現在地は正確に取得され、その基準点から目的地への経路が設定されることになります。
 練習、試合、折に触れ、「振り返り」をすることは、この「現在地」を認識することにほかなりません。その認識は、本人とチームメイトがするべきです。「現在地の割り出し」「目的地の設定」「経路の設定」の手順はGPSによるナビゲーションシステムに似ています。
 小学生中学生段階では、この手続きの正解ではなく、試行錯誤が重要ですし、高校生以降は正確性が追及されます。プロスポーツチームのアナリストやテクニカルアドバイザーはその専門職と言えます。小学生段階で、この手続きの基礎と試行錯誤を大いに経験しておくことは重要な方法論の「幹」づくりと言えます。
 HIGASHI JVC(小学生バレーボール)でのこの手続きの一歩目は「振り返り」になります。既成のバレーノートやオリジナルの枠もあるのですが、最終的には各自の試行の末の独自の手書きに落ち着きます。ここ数年、この一歩目の始動や深みが増してきました。その理由は主に二点。一つは、課題の発見から評価までの経路を見渡す力や観点が熟れてきたこと。もう一つは、それを考察し、作成し、発信する勇気と自信がついてきたこと。逆に考えれば、この手続きをやろうとする人は、着実に悩み考え成長し、そうでない人は・・・。
 参考資料を1つ添付・・・と思いましたが、個人名がたくさん・・・なので、記載されている項目を列挙します。試合直後のメンバーの一人の「振り返り」です。
①1点ごとのサーブ兼の移動状況と得失点の根拠を記載した時系列の図。
②1点ごとの改善点や伸ばす点のメモの記載。
③得失点のトータルの数と内容をまとめた表。
④①~③から、チームの課題の発見と目標の設定、解決策の提案。
⑤①~④から、自分を含めた各自の個別の課題とアドバイス。
 この経験がどんな「幹・・・ちから」になるか。後々のコラムで。

No.515【観違い】 

 中学生になって、あるいは高校生になって、同じ部活動内には経験者と初心者が混在します。昨今では地域クラブが立ち上がり、篩(ふるい)にかけてはいないものの、結果的に競技志向者すなわち経験者のみが在籍する状況は否めません。この地域クラブ移行化の話とは別に、ここでは、経験者が当たる壁の一つについてのコラムです。卒業生から時折相談が寄せられる内容にチーム内のコミュニケーションがあります。ここでは、初心者と経験者ではなく、経験者同士の話題を取り上げます。
 どちらも経験者、しかも小学校のクラブチームでは中心的な存在。それぞれの経験値から「チーム観」や「競技者観」があって当然です。その「観」を材料に、その競技という生き物をもっともっと生き生きと成長させなくてはなりません。そのために必要なことは、競技者各自がお互いの「観」を理解し合い、発展させなくては意味がありません。
呉越同舟でも高い技術があれば強いチームに・・・ある程度はなれます。ただし、楽しいかな? もっと効率よく、もっと生き方に生かせる「観」の活用方法や浸透方法はないのかな? 概ね、より熟していたり、高次の「観」の持ち主は、理解してもらえないことが多いはずです。当然です。理解の及んでいない領域、考えたことの無いことをわかってもらうのは、とても困難です。誤解しないでいただきたいのは、「観」に優劣をつけることが目的ではありません。しかしながら、中学生がこの先身に付けていくべき「観(考え方)」には、推奨するものとそうでないものが存在することは否定できないということです。(ちなみにちょいバレの記事は、「コラム」なので、個人の見解であることは付記しておきます。)
 例えば一例。HIGASHIでは、ピアコーチングを小学生段階から浸透してきています。イコールピアラーニング。そこからの合意形成を図ることが常識になっていきます。このまま中学に持ち込むと「うるせーな」「上から目線かよ」を誘発する可能性があります。解決策の一つとしては、スタートの切り方。誤解を解いておいて(あるいは、十分な理解に及ばなくても、事前の投げかけはデメリットになりません。たぶん。)からスタートするのと、誤解や無理解が増幅してからリセットするのとでは、エネルギーの大きさがかなり違います。これは、私自身の昨今の自戒でもあります。それも試練と言えば経験する意義はあるのですが。
 その先は、社会。「観」の異なる集団や国籍、個人、「観違い」を修復していく過程を越えた集団はきっと以前とは比較にならない成熟度になるはずです。

No.516【だってちゃん】 

 1960年発売の「だっこちゃん」人形のことではありません。かなりの人が腕に着けて歩いてた・・・。別の商品名があったことを最近知った。
 人が生物である以上当たり前なのですが、わざわざ大変なん方向にはいきません。自分に危険が及ばない方にアンテナが向き、有利な方を選択するように脳みそは仕組まれています。防衛本能です。この本能を遂行するために、脳内では防衛機制が張られ、思考や判断の偏りを捻出します。バイアスというやつです。
 「夏休み明けにレポート提出してください!」先生が生徒に発信しました。「無理~」「塾と部活だもん」「体がもたないよ、暑いしさ。」と生徒は色々防衛本能を働かせます。そして、それを見ていた親御さん「うちの子はレポート苦手だから」「家族慮旅行あるし」「無理してるのはかわいそう」「それ、将来に役に立つ?」
 様々な防衛機制(防衛機制については、ちょいバレでもしつこく登場します101、238、389、462)を駆使して避けながら、さらに、転ばぬ先の杖を渡され、転んだら薬を渡して治るまで寄り添って・・・。その子、きっと大人になったら「だって・・・」って必ず言いそう。
 壁を「待ってました」と思いたくなれるのは、人間の頭脳があってこそです。
 467に登場したコートの中の魔人の一つである「だってちゃん」の解説でした。
 今日はノンアルでいっか、だってお金ないし・・・いやいや、ここで妥協してはいけません。と妻に交渉するも撃沈。こういう時に使う考え方ではないとピシャリ。
と妻に交渉するも撃沈。こういう時に使う考え方ではないとピシャリ。

No.517【女優】 

 少し前の試合中、メンバーに言いました。「みんな女優なんだからさ~。」「女優はコートでどうする?」の質問に、一人が、ポーズをとっていました。アイドルっぽいポーズ・・・。あ、そうではなくて・・・。でも、既にメンバーには伝わっていました。
 コート劇場では、演じることも大切な表現です。というより、その手の表現の方がむしろ大切です。演じるには、演じるための目的が必要です。それによって伝えたいことをどう演じて表現するか。大役を仰せつかっています。しかもバレーの場合は、瞬時に、起点の効いたアドリブの連続みたいなものです。だから優れた女優であればあるほど影響は大きく、響かせられるんだと思います。
 「え~でも・・・」お、先号のだってちゃんの登場か? でも、これには策があります。想定される事象を全部、その段階を全部、用意しておくことができます。落とし穴はそれが「セリフ」になってしまうことがあることです。そこでこそ、女優の演技力の見せ所! ずっと脇役なのか、それとも・・・どうせなら主演女優賞をねらおうよ! 

No.518【街角ピアノ】 

 水面きらめく瀬戸内海を見下ろす公園の一角、オリーブの古樹の懐に置かれた1台のピアノ。小豆島の風にゆらめきながら、柔らかめの音符が透明な五線の上に浮かんで流されていくような。メロディラインが、オリーブの枝葉の揺らめきとギリシャ風車のゆっくりとした回転によく似合う。
 NHKの街角ピアノが小豆島に2022年秋に設置された期間限定のイベントでした。特に思い入れがある場所ではありません。ただ、そこに訪れた特に達者ではない旅人が、ふと奏でる旅情の調べになぜか心を惹かれたのを思い出しました。
コロナ禍、表現をする機会は圧倒的に減り、響き合う環境も相当なレベルで制約を余儀なくされました。こんな時こそ、内に秘める想いは、より豊かに醸し出される気がします。それ故響き、「響かされること」を待ち望んでいる人にとっては、染み込むように入ってくるように思います。
 奏者がピアノの前に座った直後の表情は、感慨深げで、アップライトピアノの鏡面には、届かせたい誰かの顔が見えているに違いないことが伝わってきました。決してものすごく上手ではないのだけれど、その音符の「こころの在り様を漂う」ような心地よさ。
単に旋律を楽譜の通りに弾くことの無意味、想いを乗せることの深さと難しさもあることを感じさせてくれます。・・・もしもピアノが弾けたならなぁ・・・あまりバレーには関係ない? ちょいバレですから。

No.519【シナプスとドリル】 

 体が震えるから恐怖と感じるのか、恐怖を感じるから体が震えるのか。「武者震い」は、その両方を説明できるような気がします。
脳内の神経回路の一部のシナプスの役割はこんな感じです。脳の中で、他人同士が近くに出会う。気が合うのか合わないのか、何回か近くで様子をうかがう。お互いに有益な存在だと気づいて手をつなぐ。その手みたいな役割です。この時の積極性は個人差があります。極めて上手な人は天才と呼ばれたりします。スポーツをちょっとやっただけですぐにうまくなっちゃう人。
 では、そうでない人は、どうしたら・・・。このシナプスという部分は、かなりしつこい奴ですから、同様な事象に対して、手をつなごうとチャレンジしてくれます。となれば、その人なりの回数に見合っただけの握手は成立してきます。天才の何十倍もドリル練習を試みる方法です。もちろん、若干の近道はありますが、シナプスがガッチリ握手をするまで試みなければ、「あ、私は不要なんですね?」と握手の手を引っ込めます。(機会を得たら、初心者に調査してみたいなと思います。アンダーハンド連続100回が達成できるまでに何回の試行をしたか。)
 考えていることと、実行としての体現をスムースにするこのシナプス。逆手に取ったら脳をごまかせるかもしれません。不安も武者震いも闘いを待ち遠しく思う準備の完了、ファーストサーブは自分にしかない絶好の機会、ここでリラックスできるのが私・・・と何万回も思い込む。シナプスがそうつながってくれたらしめたものです。

No.520【ロコモキッズ】 

 ちょっとかわいい子どものイメージをもつこの言葉、私の造語です。

 世間では、「子どもロコモ」の話題を耳にする昨今です。元々は高齢者が中心の「運動器の障害のために立ったり歩いたりするための身体能力(移動機能)が低下した状態」なのだそうです。

 コロナ禍で世の中の色々な「観」が大きく変わった気がします。コロナを都合のいい理由にしたもの、コロナで余儀なく変わらざるを得なかったもの、良いタイミングだったもの・・・。その中の一つが、子どもの体力低下です。理由はいくつかあります。学習指導要領の体育の時間が減ってきたこと。ITの進化により、便利にもなりましたが、ゲーム依存やSNS依存は厄介です。働き方改革や専門性の活用、地域資源の活用という名目のもとに部活動の地域移行化などです。結果的に体力を使う機会、環境が極端に減少し続けています。もちろん平均値としてですが。

ロコモティブ症候群に該当する子どもは、児童の4割との調査結果もあります。私の小学生時代と比較すると、骨折者の割合は、小中学校で3倍近く。バレーボール体験会などの機会を観察していると、右利きなのに軸足が右、両手でボールをキャッチしようと顔面に当たる、自分で投げ上げたボールをキャッチできないというのはよく見る光景です。

 嘆いても仕方ないので、やれることを発信していこうかなと。となると、バレーだけの頭ではすそ野は広がりません。ロコモキッズ撲滅作戦・・・というほどの案が練りだせないのがもどかしいところです。

 ちなみに、幼児の骨折率はほとんど変化がありません。ということはやはり・・・。

No.521【脱皮】 

 ロシアの民芸品のマトリョーシカは、中から次々と次の姿が現れます。逆に脱皮は次々と殻を脱ぎ捨て大きな個体になっていくという逆の過程であることはイメージし易い。
 子どもの頃、バッタを飼って脱皮を観察できたことがあります。バッタが脱皮を成功させる条件がいくつかあるようです。邪魔されないこと・・・多くの昆虫の場合は夜間。天敵に狙われない。殻が硬すぎないこと、新しい外殻が相当する硬さや柔軟性があること。成長過程で十分な日光を浴びていること。
 さらに、バッタは脱いだ殻を食べちゃいます。自分の糧にするんですね。ちなみに、私が飼っていたバッタですが、脱皮前は足がもげていたのに、脱皮後は、ちゃんとありました。不思議だ・・・。
 なんだか師匠のように思えてきました。バッタ師匠!あなたから学ぶものはあまりにも多いです。ゴキブリ、ザリガニに続く師匠の登場です。ただし、ちょっと違うのは、時期が来れば自然に起こるのがバッタ師匠。自らの原動力が必要なのが、バレーボーラーということ。

No.522【ロードマップ】 

 ちょいバレでは、何度か「ロードマップ」と言う言葉をおいそれと使ってきました。何となく意図は感じ取れますが、中身を具体的にしてみたいと思います。日本語から翻訳アプリで「roadmap」にたどり着くことはできませんでした。きっと、イメージからの造語が一般化したのでしょう? か? それはそれとして。目的達成のための道筋。そこには現在の到達点、課題、いつ何をするか、評価の時期や内容などを効率よく堅実に計画し実行する必要があります。
 大規模な建築物の設計にかかわらせていただいたことがあります。毎回のミーティングで提示されたものはガントシート(チャート)と呼ばれるものでした。完成までのスケジュール表に各部署が非常に細かく、進捗を内容と達成度(数値や文書)で一覧に記入されていました。最近のプロジェクトの進め方のメジャーは、「上司からの指示」ではなく「マルチステークホルダー・プロセス」です。簡単に言えば、その企画に対して関係の深い人、専門家、効果を上げるために必要な人材が集まって成功に導く方法です。
 目標を達成するために、必要なのは、そこに至るまでのプロセスの構築です。それが、小学生でもできるのか? できます。経験させてあげることが必要です。もちろん初歩的な段階からの経験ですので、ロードマップの目的やシートの枠、盛り込む内容、観点を説明しなくてはなりません。4年生でもチャレンジ可能です。
 このロードマップを作成し、進行させることで、マネージメントが学べますね。もちろん、バレーボールにも非常に大きく生かすことができます。課題発見、解決方法の創出、コミュニケーション、合意形成、成果確認・・・。もちろん、バレーから離れたとしてもさらに生かせる力の一つと言えます。

​ 参考までに↓4年生以下の大会向けに渡したシートです。

No.523【積み木】 

 知育にまつわるおもちゃや教育方法は金の生る木。と汚れた感覚がすぐに浮かんでしまうのは、私が良からぬ大人だからです。
 さて、知育(ほかにも言い方を変えて興味を惹く言い方はいくつもあります)の根本は、「?」や「!」にあります。さらに、想像力をが伸びる時には「みたて」や「未知の目的」が不可欠です。さらに、コミュニケーションのレベルを高度化するためには、「共有」「協働」の場が無くてはなりません。そう考えると、賛成できるおもちゃ(おもちゃと見立てている物も含む)とそうでないものがあります。ありますと言い切ると営業妨害みたいなのですが。
 最適なものの一つは積み木。しかも単体がシンプルなものの集合体。形が無ければないほど、子どもは想像を働かせて、見立てようとするはずです。砂場、落ち葉、枯れ枝、河岸の石ころ・・・。完成体であればあるほど、想像し創造する作業が省かれてしまいます。でも、子どもは、完成体を目にしてしまうと、飛びついてしまう。本当に世の中には煌びやかなその類の邪魔者が多いことに危機感を感じます。
 先日、孫の家から愉快な画像が送られてきました。壁から垂れ下がった、段ボールの小箱がいくつもガムテープでつなげられた不思議な造形物。こっちも負けじと想像力を働かせて当てねばならぬ。老獪が故の奇抜な発想を思い知るがよい!

No.524【Calorie Mate】 

 バランス栄養食「カロリーメイト」。高校時代、ゲータレードを飲まされましたが、お世辞にも味は・・・。スポーツを体の内側から支えるこれらの栄養飲食料、その中の横綱級のCalorie Maite。今回はそのポテンシャルではなく、TVCMです。10作目。
 彼女が言う「消しゴムってさ、間違いを消すものじゃなくて、光を与える道具なんだって。」彼女は芸術系の大学受験に向けて苦悩する。親友は、理数系。二人が共有する言葉は「美しい」です。きれいに描いてもらった自分をちょっと照れくさそうに「私こんなにきれいだっけ?」。理数系の彼女は、数学の好きなところは「美しいところ」と。
 デッサンの鼻筋を消しゴムで触れるように消し始めると、そこには光を得て生命が吹き込まれたかのような肖像画。一方で、理数系の親友は、解答を導く過程でノートを盾に引き裂くように消しゴムを動かし、ノートを破いてしまう。苦悩が垣間見られます。光と影、浮き沈み、デッサンの白と黒、ノートと鉛筆などのコントラストが二人の葛藤をにじませてきます。
 終盤で、ノートに滑らせる親友の手は滑らかに左右に動いています。消した下から光の解を導かんとするかの如くに。忘れずに挿入句「光と影、そのどちらも栄養にして。Calorie Mate。」恐れ入りました。

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