HIGASHI JVC
小学生女子
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練習予定更新日 2025.4.15
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No.224 【コーチングポリシー】
巨大百貨店、最近ではショッピングモールも。おや? 今何階のどこにいるんだっけ? そんな経験はよくあります。視覚で私たちは判断しますし、判断の根拠も、手順もそんな現実的な場面で、しかも大人ならわかります。
では、こどもなら・・・周りに人がいなければ、これを判断の根拠と判断できる力の無い時はどうでしょう。さらに、どこに行きたいか、出口なのか、駐車場なのか、屋上なのか、親に会いたいのか、目的にもよります。
はたまたここが巨大迷路だったらどうでしょう。上からのぞいている人に指示を仰いで早くに出口に行く方法もあります。反則技ですが。だって、迷うことを楽しんでるのですから。行ってみたら行き止まり。さっきは何となくこの隣りの通路だったような? お、突き当りに、何か書いてある「○○・・・!△?→□@☆」きっとヒントだ。気持ちやモチベーションは、それが正解か否かよりも持ち方が難しいものです。やっと出口た!この快感と疲労感、と思うのもつかの間、次の入口への案内板。
いいチームには、ショッピングモールのちょうど適当な場所で、すっとこどもの前から姿を消すような、巨大迷路のセッティングと突き当りのヒントの張り紙をちょうどいい具合に、優しくも厳しくも具現化するコーチがいるものです。モールの出口で次の買い物のリストを持ち、迷路の出口で次の迷路の案内状を手渡す、そんなコーチは素敵なポリシーを持ったコーチだと思います。チームを昇華せてくれるコーチングポリシーをもつ常緑の木の存在。木の質、枝っぷりは個性。この木もまた風雨をしのぎ伸びるのも生き物たるが故。
No.225 【試合の見方、評価基準】
「まあまあのできだな」「あそこで1点とっていれば」「勝つ気があるのか」「全勝」「全敗」・・・評価の基準はどこに置こう。勝利至上主義が悪いとはいわない。日の丸を背負う、賞金で家族を養う、勝つことが誰かの励みになる、それも価値があることは認めるべき現実。しかしながら、これからの人格を築いていこうとする小学生の中学生の高校生の粋とでもいおうか(もしかしたら負け犬の遠吠えと一見みうけられても)、輝かしさはそこではない。
今までできなかったことに挑戦しつづけ、折れそうにくじけそうに後ろ向きになり続けながらも、ちゃんと向き合っている姿、どうしたって目にとまる。その変化の瞬間は・・・絶対に瞬き禁止の見逃してはならない一瞬。その瞬間は自分がこれまでの自分を超えた、なりたいと思った自分に一歩近づいた瞬間。
その局面、曲面、極面(この場では敢えてこの造語)で自分の弱みにこう抗うぞと心に決めたことを徹底的にやり抜いた人にこそその瞬間は必ず訪れる。困ったことに、これは相乗効果、集団心理が働く。ともに進んできた仲間ならなおさら。その一瞬、長い試合の中で表現は一瞬かもしれない。でも、絶対に指導者は見逃してはならない。そこを評価できる幸せに出会えるのも一瞬。一期一会とは、人と人が対峙することのみではなく、お互いがその心震える瞬間に出逢うことでもあることを含んでいる。スポーツも芸術もここが真の評価の基準。
No.226 【スパイクへの3歩(3テンポ) その2】
自分のチームへの相伝もままならないので、試してみたい人たちのために小出しにしようと。墓場にもっていっても意味ないし。肯定する人しない人、それはあなたの自由です。高さにこだわるジャンプ。
〔ステップのリズム〕
最後の3歩をもって3歩助走、それ以前は、ボールを呼び込める間に合わせて5歩だろうが6歩だろうが。距離的にはサイドオープンの場合は6~7m、個人の趣向です。私はランニングスピードを上げてのトライアルが好きなのでこのくらいでした。1歩目①はリズムを合わせるステップ、(右利きなら右足)、2歩目②は、スピードと前傾角できまる、3歩目③の広さは、①②歩の流れで決まります。このリズムは(どこかのコラムで書いたかな)♪♩♫。スタート時は短パンの後ろの上を引っ張り上げられているようなイメージもやってみるといいかな。ま、人によりけりです。
〔ステップスピード・上体〕
①はレシーブ~トス~の流れを見てタイミングをつかむための「ちょこちょこ」からの最後の一歩が①。スイングは後述。②は思い切りよく前に飛び込むイメージで。筋力のない人が分不相応にダッシュすると③で上方向に力を変換できずに失速するので、自分に合わせて調節。③右→左の差(時間差)を♪×1/2で。長すぎると力が分散してしまい水の泡。ちょっとしたイメージですが、間に合うようにスタートをきるのではなく、ちょっと遅れ気味で我慢して②をスピードアップできるタイミングを意識するといい。②の前傾時は体を立てず、下からボールをのぞき見するような感じで背筋を使う準備を。
〔ステップの方向〕
すごいスパイカーのフォームを見ると、空中やジャンプ直前の写真では、すごく体が開いている。ネットに対して90度だったり、踵から③に入ったり、中には踵から入れっていう指導者すらいます。私は賛同できません。本人たちの意識は違いますし、左手の使い方に悪影響が出ます。そこを見た目から判断して勘違いしてしまうと合理的なフォームには近づけません。ちょっと変に感じるかもしれなませんが、イメージとしては「まっすぐ入り、まっすぐ跳べ」です。イメージと運動の表出は違うものです。まっすぐにしろではなく、真っすぐを意識する、です。原理を理解してフォームを固めると高さのあるジャンプにつながります。③は右足→左足の順に地面を蹴りますが、左右の骨盤の向きがステップの前後差により30~45度くらい右に回旋します。水から横にするのではなく自然の流れで角度が付き、当然、スピードや体重、筋力が上がればその分角度はすくことになります。敢えて角度を付けることを前提とすると無駄、かえって高さにつながりません。
・・・この先のスイング、空中動作(最高到達点へ)、空中動作(スパイクスイング)の3項目はまた別の機会に・・・
No.227 【株価】
乱高下、その筋の専門家でないと全く理解のできない世界です。得をした、損をした、インサイダー取引でもしない限り絶対なんて言うのはないのでしょう。どれぐらい先を読むのでしょう?何を根拠に判断をするのでしょう?ニュースでは「静観」「売りが集中し」などの言葉も耳にします。
先見の明を英語では「foresight」、先を見通す意。何を根拠にどこで下がり、どこで持ち直してどのくらいで最高に達するか、きっと超スペシャリストや経済ジャーナリストは的確に見定めるのでしょう。って上手くいくわけがないですよ。世の中はマクロに絡み合い、集団心理は想定外の動きをします。思わぬアクシデントも。株価とバレーの折れ線グラフ、なんだか共通点があります。でも、決定的に違うのは、意図して変動させられるか否か。
チームとしてのグラフ変動、個人としてのグラフ変動、両方を(いや、正確にはチーム1、個人は人数分)バランスを見ながら、状況を見ながら、先を見ながら「だから今はこう仕掛けよう」を設定しうることになります。ある時点でのY軸だけで判断するのは、危険、拙速であることはどこの世界も共通と言えそうです。
No.228 【学校給食】
腰のないソフト麺、乾燥の進んだコッペパン、コーヒー味のミルメーク(これは好き)、いつまでも噛み切れないクジラ肉の竜田揚げ、学校給食の進化はこの50年素晴らしい。そう、素晴らしいです。給食食べない子いるよね。「まずい」「熱くない」「味が薄い」「レストランみたいな給食がいい」「野菜は残す」ふ~ん。家で手伝いもせず、つくることもせず、毎日するわけでもなく、栄養学の知識もなく、そんな人に限って(というより知らないからなおのこと)言うのでしょう。この言葉のどれかを聞いたら、無知をさらけだすようなもの。
全ての素材について安全性を確保し、栄養バランスは完全、カロリー計算は学年ごとにことこまやか。冷たいのにも理由がある。昔のように自校で作っていれば熱々を出せるものも、センターからの移送では、最高温度が食中毒の発生予防ために低温郵送する規則のため。それでも冷えても少しでもおいしい食材を選択工夫している。塩分、辛み、健康には本来のあるべき基準、外食産業が逆にその基準を逸脱しているのでは?3食365日外食・・・体を壊しそうな予感すらする。なんかしら危機感が起こるのはきっと心の底ではわかっているから。野菜食べない?その子が大人になって子育てし、ご飯をつくる・・・やさしい家庭を築いてくださいね。
さらに近年、アレルギー対応を各自に合わせて準備する。特別支援学校(以前は養護学校といった)では、食形態を4種類、準備する。普通のタイプがパスタだとすると、その他は、ソフト麺を使ったり(だから今でもソフト麺は健在なのか)、米粉を使ったり、食材そのものを工夫し、提供される時間までの差を考慮し、粘度を調整する、さらにアレルギー食、まだまだ知られざる工夫と準備をされている。
当たり前に出されてくると思わないでほしい、学校給食も、練習のお弁当も。まずは、一日練習に持ってくる弁当を一から自分で作ってみよう。できれば自分用ではなく、野菜嫌いのあの子のために。
No.229 【e-スポーツ】
ゲームメーカー関係の皆さん、すみません。eースポーツは私の中ではスポーツではありません。こう言い切れるのは、「スポーツの定義」は明確ではないので、人の判断の数だけ定義は存在すると言っても言い過ぎとも言えないからです。まどろっこしい言い方。私が定義の要素提示するとすれば、楽しむ、体を使う、運動量がある・・・。「・・・」は色々、卑怯にもこんな書き方です。ただし、次の要素は外したいと思います。動力を使う、電源が必要。そうなるとモータースポーツは→外さざるを得ません。断腸の思いで外します。操る巧緻性や体力は必要ですが、やっぱり動力源の性能に大きく左右される点で却下です。ハリーポッターに登場するクディッチは?。
このe-スポーツについての問題点は、その依存性にあります。(注:引きこもりの方が外に目を向けるきっかけになる一手段であることも確かですが、引きこもりをつくるきっかけになることのきっかけになることの誘因になることも事実。)ルールを決めてなどときれいごとを言いますが、どこにそんな意志の強い子供がいるのでしょう。
2019年、WHOにゲーム障害が正式に認定されました。睡眠障害、成績低下、家族関係悪化、暴力、課金による借金や生活破綻、食生活の乱れから生活習慣病。軽いものではドライアイ、近視、深視力低下。ん?バレーにプラスのものは何か見当たるのかな?深視力については、No35、43でも触れました。
あなたのその時間の使い方とやってるゲームのおかげで、最後の1点、レセプションのポテンシャルが上がらずミスになったとき、その責任はどう釈明するつもりかな?
No.230 【親にしかできないこと】
我が子に最大限の愛情をそそぐこと、が正解?たぶん正解なんだと思います。お金の人もいれば物、地位の人も、考え方や伝統伝承の人もいるでしょう。
「考え方」だとすれば、その上記全てを失ったときに役に立ってこそのプライスレスな価値だと言えるかもしれません。だから最も大切なんじゃないかと考えます。道を開いてあげること、お膳立てをしてあげること、窮地に手を差し伸べてあげること、お金を用立ててあげること、良かれと思う人のつながりを紹介してあげること、その全ては、直面する危機や失う前に興しうること。過度な手出しはかえって・・・。さじ加減もバランスも引き際もよくよく考えるべきだと思います。
不要無用だとは決して思いません。寧ろ適度に必要です。しかしながら、親にしかできない唯一最大の情は、子離れ。そこへのロードはやっぱり一日一日、一つの事象についてどうあるべきかをじっくり考えることでしか積み上げられないんです。
息子が「結婚します」と報告してきました。自戒を込めて一筆啓上(本来は冒頭の語)。
No.231 【ディべーティングマッチ debating match】
両チーム各々3名。「キャンディーズは解散すべきであったか否か」「共通一次試験・・・」「ドラフト・・・」、時事世相から高校時代の学園祭でこんなテーマだったような(古っ)。事前にテーマの伝達と肯定派、否定派に分けられ、トーナメント形式だった(ような)。当然上級生チームに完全に論破され敗退(だって笑いのネタに出されたんだから)。
それぞれから主張を述べ、それぞれからの質問、反論、審判が勝敗を決めるという手順。ここから何が得られるんだろう。大前提として、導き出された結果が正解ではないということ。どちらの「派」になるかはわからない。賛否両論準備して、その場で決めたように記憶している。賛成を主張する論拠、反対を主張する論拠、思い込みやこうでなければならないという観念から自分を取り外し、相互の派に至る要素を集める。この過程で、「いやいややっぱりそうではないでしょ」の要素に気付く。それでも「派」の勝利のために切り抜ける策を講じる。
相手の人格攻撃や恫喝的な言動はもちろん禁止、チームメイトへのアドバイスは禁止(ちゃんと相談・作戦タイムがある)、相手を尊重する、などのルールがある。このディべーティングマッチはこれで終わらなかったのが一般的な大会と違うところだった。
終了後、両チームが集まり、逆の立場だったらどうしていたか、どんな準備をしていたかを共有し、「なるほど」や「そこまで考えて」に共有共感し、握手をして終わる。
どちらかが正しければ日本も世界もきっと全員が納得する方向にすすんでいるだろうに、国交も文化もスポーツも。ある一定の方向性、めざしたい向きがあり、そこに向かう向かい方が千差万別な故、混乱は生じる。そんな時は、自分を両方の立場に立たせて、自分の中でディベートしてみるのもいいかもしれない。・・・キャンディーズの解散ははもうちょっと先でも・・・
No.232 【スパイクへの3歩 その3】
その2の続き。
〔空中動作〕・・・もっと上の到達点へ
多彩な攻撃(プッシュ、フェイント、インナー、ブロックアウト、強打、チェンジアップ・・・)もここから効果を発揮します。折角のジャンプのアプローチ(助走やスイング)、大事に使おう。すぐにスパイクに!って慌てないこと。試合中にはそれも必要な場合もありますけど。
③のステップから腕を「両方」大きく振り切る動きを感じること。→体を伸ばし切る(慌ててボールを打ちに行かない)。右手の先が一番高いところをとらえているか。右肩を上に、前に!この動きを早い段階で(ステップ中)意識しすぎると、体重が軸足(右利きなら左足)に乗りすぎて、両足の力を充分に使えない。高いトスでボールを上に見すぎて体が早い段階で起きてしまったときも同じ現象が起こります。考え方は→「まずはジャンプ」。と頭の中でいうのもいい。
まっすぐ高くジャンプしたら両足でフンワリ着地。実際は軸足が先で逆の足が次に着いて体重を逃がす形に。助走の左右差、ローテーションとスパイクスイングのアンギュレーション(スキー用語かな?)反作用で2段階的な動きを経てちょっと左に回旋した形で着地になる。
〔空中動作〕・・・スパイクのスイング
「まずはジャンプ」の意識は鉄則。流れを意識しつつも、家でコソ練の時は、助走とスイングは分けてできるからひたすら確認しながらやるといい。野球や卓球の素振りも同じ。ボールを使った体育館でのスパイク練習だけでは全く不足。体育館練習はむしろ、確認作業と課題を感じ取る作業。助走~スイング~着地は体育館以外で完成させること。
早い段階で肘を外に向けて掌が外(上)に向いてしまうと、体が早くに開く原因になる。高いジャンプを完成させる前に高さにつながるスイングを途中で別の方向に変えてしまう。左右のバランスをとるために左ひじや脚を必要以上に開くことになり、打った直後にバランスを戻そうと上体が右にひねられたまま着地することになる。素振りの練習がいかに大事か。手をアヒルにしてこめかみを親指と人差し指で後ろに撫で上げるようなイメージで肘を高く保つ。素振り練習ではここから尺骨の手首側の骨が相手側に向くように自然に手首を遠くに放り出す。右肩から放り出した手が一番高いところに届くように、そこから自然にゆっくり振り下ろすと自然に掌が瞬間的に外旋し、このときにヒットすることでドライブがかかる。
あご、首、胸骨のあたりに力!ぐっと力が入るような感覚で。ボールに力を乗せた反作用で、あごが前に出て、肘が下がり、腰が引けてボールのスピードが落ちないように。ボールの飛んで行った方向をしっかり見ること。四分休符みたいな姿勢にならぬよう。
そうそう簡単にはみにつかないよ。何万回もやるんだ!
No.233 【アイコンタクト】
アイコンタクトは大切!と信じ切ったところからの基準、入口に立ちがち。風邪の予防にマスクは絶対条件と思いこんでいたのもちょっと前の常識。最近の見解では、アイコンタクトは場面や程度により逆効果になることが報告されているのも事実。確かに威圧感、パーソナルスペースに切り込んでくる感じ、自信過剰、自己顕示、「ほら、正しいでしょ、私」のような違和感を感じたことだれし経験にあるのでは。効果的なのは、チラ見のコンタクト、顔の付近を見るとの見解もあるようで。
さて、ここはバレーコート。緊迫と強い意志と策が渦巻く遅れを許さない全霊を込める一瞬の積み重なり。私は今、何を考えて、どう伝えて、どう先に進めるか、その全てが、0.3秒に凝縮できるとしたら、要不要論など放り投げ、信じる相手を見よう。視線の先にこちらを見ているものがあれば、頷こう。
ただし、そこに至る道のりは、とんでもなくとてつもなく大変だ。それこそ目を合わせるのも嫌なほどの経過だってたくさんあるはず。でも、最後の最後で、鳥肌の立つこの瞬間を信じて練習するのみ。仲間とは、ライバルとは、師弟とはそういうものだと思う。
No.234 【one team】
先日、犬を連れて散歩していたグループが「ワンチームだね」って、ユーモアセンス抜群。「そだねー(流行語大賞)」の平昌冬季オリンピックから2020東京オリパラに世界も日本も大きく動いています。ラグビー日本代表チームが掲げて突破劇場を魅せた「ワンチーム(流行語大賞)」のスローガンは、きっと簡単にことばにするのは(冒頭のユーモアは別)、目的をもち責任をもつ(もとうとする)集団がじっくりその意味をかみしめて、もしくは知ろうとして発するべきだと思います。
大きな柱は三つ。どこに向かうかを明確にもつこと。時間軸の一つ一つで深く考えること。木も森もみること。このツリーの下には、いくつかの実がついていきます。増やして大きくして、落ちたところから新たな萌芽。ここで言う実は「実行力のある考え方の一つ一つ」です。その一つ一つを機に応じて自分の中から引き出せるように、心の底に定着させるには長い道のりと根気が(特に伝える側に)必要です。でもその大変さこそが、ワンチームへの近道(私見)です。
No.235 【人事異動】
失ったときのショックが大きければ大きいほど、その根拠を考えよう。大事さの大きさ、支えてくれる安心感の大きさ、信頼感の大きさ、そして、いかに自分が(自分たちが)そこに頼ってきていたかの大きさ。まずはどっぷりと落ち込もう!泣いて残念がろう。そんなチャンスや時間は滅多にとずれない。心がそうさせることに抗う必要なない。
大切なのは、そんなことはわかっていると誰しもがいう「ここから」に決まっている。コストコで迷子になった5歳児が、ママを探してどれだけの時間泣くだろう?まちがいなく手を差し伸べてくれる大人が来る。でも、考える葦はそうはしない。そんな面白みのないベクトルを示さない。7回転んだやつは8回目につまらない起き方はしない。徹底的に振り返り、一歩を踏み出す。どこに向かって、どんな一歩を(二歩・・・)、いつ、だれが、どんな表情で?
過去に二度、その顛末を見たことがある。どちらも、ピンチをチャンスに変えた壮大すぎる時間は、生き方をも変えてしまうものだった。一度は顧問の突然の異動、もう一度はトラブルによってバレーの径を絶たれかけたチームの挑戦。
それぞれが「どこに向かって」を自分が、チームが全霊を傾けて決めるところから始まるが故、ここであえて「こうしたらいい」は言わない。自分で自分たちで踏み出す一歩以外は何の意味もないからだ。特に、そこそこの葦にそだった年齢ならなおさら。迷子の子のママは、コストコの5歳児と同じ手の差し伸べ方をしては、折角のチャンスをのがしてしまう。
「どこに向かって」を徹底的に考える時、いつしかその表情は大きく変わっているもの。夢を語る一心な目としたたかな笑みをふくんだ口元に。
No.236 【フランシスコ】
内戦が何年も続く紛争地域はこれだけ文明が発達した(発達したことに根拠があるのか)社会においても世界を見渡せば各地にあります。視野を狭めていくと隣の町や隣人の間でも争いごとはあること。きっといつの世もなくならないでしょう。立ち位置や思考が異なれば当たりまえです。
ローマ教皇は言いました。「壁をつくるより橋をつくれ」メキシコとアメリカの国境を脳裏に浮かべながらの言葉だと察しがつきます。「石を投げるより笑顔で言葉を投げよう。」と。
人と人、状況と状況が接するとき、100%の正しさなんてありえません。その理論からすれば、きっちり五分五分もありません。でも、時間は進みます。状況は展開します。巨視的に、でも丁寧に考えて遠回り(誰がどう見たらそれを遠回りと見るかは大した問題ではないと考えます。)を選ぶことの賢さは、小学生であれ磨く必要があります。
方法はやはり遠回り(主観)でしかありません。体育館ではその積み重ねをいかに体験して体感して体得させてあげられるかが、クラブチームの重くて難しい使命の一つです。そこに関わる大人の役割、特に指導者の。この苦悩もきっといつの世もなくならないでしょう。故、チームの伸び代でもあるといえます。
フランシスコ教皇、なかなかいいご発言でしたよ。次回来日時は、はなの舞で呑みましょう!
No.237 【人前は苦手】
時は戦国「鳴かぬなら・・・」鳴かせてみせるか、鳴くまで待つか、殺してしまえか・・・受け取りようや表現方法は極端とはいえ個性があります。時は現代小学生、「発表してくれる人!」と先生。挙手をする人はおおむね決まっています。手が挙がらない人は、わからない、自信がない、人任せでいい、のいずれかなのかなと思います。先生がこう質問する時は、こんなことを考えているものです。誰が分かっているかな、いつもと同じ子か違う子か、本当にわかっているか否か、注目反応かな、興味をもっているか否か、初めから応える気がないのか、家庭状況は?、友達関係は?、ここまでの経緯が適切だったか否か、誰にあてようか(その先の展開を想像して)、そして一番大きくその心の中に占めるのは「いつも挙げない子がちょっと自信なさげに小さくていいから挙手してほしい」願いなのではないかなと。
自分で踏み出す一歩とルールや指導で踏み出す一歩は、どちらも大切(必要)なのですが、意味は全く違います。小さな一歩(半歩)が大きな助走と渾身のスパイクにつながる期待で心が躍ります。ピンチサーバーに指名された瞬間に意気揚々とサイドラインに飛び込んでいく姿を想像するとこれまた震えます。もっと想像すると、そんな瞬間にセッターとアイコンタクトで「私にもってきて!」、「監督、ここ私サーブ行きます!」が発信されるような場面に居合わせたいと願います。6年生になると何度かあります。そういうチームには。
人が変化する瞬間はこんな小さなところから、その積み重ねからすでに始まっていると考えています。
っとみんな、全くわからないのに挙手はだめですよ、ちゃんと準備して考えてね。・・・プラス勇気。たまには人前で涙が出ることだってあるさ。恐れるなかれ。
No.238 【相当な勇気】
「人前は苦手」のコラムでは、ちょっとの勇気(当人には大きいことも有りますが)で小さな一歩の話を挙げました。別の扉もあります。大きな勇気で大きな一歩。「一か八か」「当たって砕けろ」「我武者羅」の扉です。このカテゴリーへのエントリーが可能なのは、準備の周到さではなく、気持ち一つを優先させられる場合に限られます。そのチャンスはきっと突然やってきます。準備のままならない大舞台。会社でいえば代表挨拶者の急な欠席。学校でいえば行事の舞台で突然の代役、イベント会場でいきなりの指名や募集、急な思いつきといったところでしょうか。滅多にありません。それ故チャンス。
するとほとんどの人は尻込みします。101のコラムの防衛機制が自分を縛ります。そして、周りにほかのだれかに振るか、道連れを探します。やらない理由を懸命に探します。「合理化」(○○だからやれません・・・と自分にいいきかせてしまう)。そうし続けることにいつしか二つの人格の基礎が生まれます。どちらに傾くかは人それぞれでしょう。一つは「そうし続けていることに本当はイヤな自分、変わってみたいと思う自分(私が踏み出せるといいんだけど)」を感じている人格。もう一つは、「そうし続けることに慣れてしまう人格(だれかがやればいい)」です。どちらも会ったことがあります。どちらの人を応援したくなりますか?どちらの人と友達になりたいですか?どちらの背中を我が子に見せたいでしょうか?
相当な勇気が必要な場面で、重心を前に動かせるか、踵に乗るか・・・
No.239 【楽しいと安楽】
仕事中に「こどもがかわいそう」「いじわるなんじゃないですか?」と言われたことがあります。近年の職場では、各方面の専門職が目的に応じて導入されることが多くなっています。この時は高齢福祉の介護職からの転職の方からのご意見でした。以前のコラムで最近接領域の話をしました。自分でちょっと手を伸ばそうとすれば届くんじゃないか、あとほんの少しの勇気で踏み出せるんじゃないか、の接線近くの域。
ご高齢のホームやデイサービスでは、「安楽」という考え方があるそうです。死に向かう意図の語彙ではなく、「うきうきして」「心穏やかに」「今、もっとここで楽しみたいな」「明日もここにきて楽しく過ごしたいな」と思うことだそうです。対象の方々は、既に社会で十分人のために苦渋をなめ、貢献してきた方々です。これから社会に出て行こうとする若者とは逆に、人生のまとめ方を一時一時大事にされる方々です。目指す方向が違うためにその目的とアプローチも違います。教育と福祉を考えるとき、「同じ」と「ちがい」も心得て帆を張らなければなりません。
冒頭の「いじわる」ととらえられた場面は、指導者が意図的に仕掛けて主体的なレスポンスを待つ時間帯は、そう思われがちです。とてつもなく難しい場面です。現状の到達点、課題の設定、個人差、その時の感情、環境、示す仕掛けとアプローチの適切さ、レスポンスの時間、評価基準、本人の踏み出し具合と指導者側の評価表現方法。これを瞬時に。相手が一人とは限りません。ペースも。スポーツの練習場面であれば、たとえ同じメニューでも多くのメンバーやたくさんのグループの場合もあります。
安楽ではなく「つらい」「難しい」「今はできていないけど」を克服しようとしているとき、したときの充実感、もがき感や達成感、仲間と前に進むときの一体感の全部をひっくるめての「楽しい」を小中学生は特に味わってほしいと思います。
No.240 【重心位置】
重心のイメージからweight sift、パワーライン、ゴキブリ、古武術、コラムで登場した語句が頭の中を行き来します。これらの運動の方向や意図は主にスライド系で、ちょっと異質なのはパワーラインです。力の方向が上につながる運動軸を含んでいます。ここではちょっと後方から考察しようと思います。
スライド系に対してカービング系→これはスキーの技術です。緩斜面と急斜面、滑り降りる斜面を前にして心のブレーキが。いいんです、危険察知の黄色信号は大事にしましょう。ここから「ちょっと怖い」斜面にチャレンジする人への私がいつも伝えるアドバイスの一つが重心の位置です。まずは頭の中でシミュレーション。考え方はいくつかあります。ブーツの上に脛(すね)がずっと当たるように、板のトップで押さえ続けるイメージで、斜面に対して垂直な背筋等々その人にしっくりくる選択肢をいくつか出します。付随するイメージもたくさんあります。腕を(肘)前に、「前に」と言い続ける、あごを前に、谷足と山足の加重を10:0に、中間姿勢で、ターンの前半から次の谷足に体重を全力で等々これもまた多々あります。
難しいのは、黄色信号に抗う気持ちの押し出しです。恐怖で尻込みすると、下り斜面では瞬時にコントロールを失い転倒。自分で自分の心の背中を押し続けなくては、この黄色信号を緑には変えられないのです。
自分に合った確かなイメージの選択(もちろん与える側の引き出しの多さは前提)、それを可能にしようとする、思い続ける意識(意志)の大きさによってより急な斜面に挑むことができます。ちなみに、スキーはバレーよりも一つの動きに時間をかけて意識を体現できるスポーツであることから、「意識→動き」の変遷を比較的とらえやすいように思います。もちろん、究極のレーシングについては別ですが。(実際に板のコントロールを一番しやすい重心の位置は、くるぶしと土踏まずの中間です・・・個的な感覚です。)
No.241 【体調管理】
10月1日、この冬に備えて(ほとんど使用機会はバレーに関わり始めて極端に少なくなりましたが)スキーウェア(下)に足を通す(ケツを通すのまちがい)。ウェスト周りがキツい。相方に「新しいの買ってもいいですか?」。すると「その前にやれることがあるんじゃないかなぁ~?」絞りはじめて2か月。
そろそろインフルエンザが広がり始める頃です。インフルエンザの予防接種についてはWHO、厚生労働省等色々な見解がありますが、共通しているのは、「感染予防の効果は期待できないが、発症や重症化を抑える効果はある」「定期的に打ち続けることによりインフルエンザと闘う免疫システムが悪化する」。重症化についても見解が分かれるところでしょう。基礎疾患や高齢者にはある程度の効果はあるのかなと色々な報告をみると感じます。隠れインフル率は上がります。免疫学の専門家ではないのでそこは掘り下げようがありません。
とはいえ、冬季のスポーツ大会に臨むにあたり、最大の敵はこの「影響」という語源に由来する「インフルエンザ」であることは間違いなく、そのリスクを減らせるものなら減らしたいところです。予防接種で防げるのは20~30%、国内罹患者数年間約1000万人、重症化で死に至るケース1万人(多くは重症化のリスクの高い方)。家族にうつる確率は約10%(子供同士は約50%)。以上は平均値ですので状況により違います。
予防方法で共通している見解はおおむね以下の内容です。ワクチンの接種(効果とリスクは前述)、手洗い、アルコール強毒、最も有効なのはこまめな水分補給(15分~20分に1回少量)です。色々調べてみると、「じゃあどうしましょう?」は、予防方法や拡散防止方法については見解の相違があり、商いの匂いがするものや誇張されたものもあり、客観的な判断を各自の判断基準で選択するしかないように思います。(追記:この記事を書いた直後に、練習会場で、「みんなにマスクさせた方がいいですか?」との保護者の方からのお気遣いにちょっと返答に迷い、こまめな水分補給での対応とさせていただきました。決してマスク不要としたわけではないので、お気を悪くされませんよう。)
タイトルの体調管理が、インフルエンザに寄ってしまいましたが、日頃のバイタルチェック、自分の練習や試合に向かう気持ちの確認(体重管理ももちろん体調管理の一つです)は、バレーノートの項目に追加しておくといいですね。
私は晴れてお気に入りのスキーウェア(下)を今年も使い続けられます。5㎝ゆとりができたから。初すべりが滑りおさめになる今日この頃・・・
No.242 【堂々巡りのススメ】
同じとどまるにしても、じーっとその場に立ちすくんでいるか、巡り巡ってまた同じところにいるかには違いがある。「またそれ?」「まだそこ?」端から見ればそう見えることも、絶対にそうではない自信があれば何の問題もない。ちょっと不安はあろうとも。
ずいぶん前、低学年だったり昨年だったりに書いたバレーノートに「どうしていつもこうなっちゃうんだろう・・・」「・・・が、私に足りないちから」と記した内容に、6年生になった時、6年生の卒業の時に、あるいは中学、高校生の時に読み返してみよう。答えが出せるかな?少なくとも当時より。分析できるかな、同じ課題をもつ人に当時より伝えられるかな、アドバイスできるかな。きっと少しできるにちがいない。
「どうして・・・」や「・・・が、私に」の項目はパッと見わかりやすい記載のし方が振り返りやすい。答えの候補を記載するのは候補を見つけた時でいい。それはすでに堂々巡りとはちょっと違う「上昇するスパイラル」。イメージは、ちょっと隙間の空いたバネ。隙間は柔軟性を生む。堂々巡り上等。
No.243 【ライオンのおやつ】
平成から令和へ。気候変動か警鐘か、多くの犠牲と代償に憂うことが多かったこの襷を次代へ渡すことになる。明日もきっと元気に迎えられる、当たり前のようにそう過ごす日々が続く、そう願うこともいつしか忘れてしまうくらいに自然に流れる日々。正確には流してしまう日々。
瀬戸内海に浮かぶ島の「ライオンの家」は人生の終焉を待つ人たちのホスピス。今日がその日かもしれないし明日かもしれない。最後に食べたいおやつをリクエストできる習わし。メインディッシュではないところが美しい。おやつ、なんだろう? ゆっくり考えて答えを出すまでには、自分の「ひととなり」を時には主役に、時には脇役に、時にはそっと隠し、時にはちょっと着飾って回想を巡らせる。
当たり前に明日は来ないかもしれない今日の大切さ、いっときの大切さを心にとめる人とそうでない人、そういう人を傍で感じ取ってきた人とそうでない人では、踏み出す一歩の重みは当然違う。本当の強さや人の大きさの差も歴然。スポーツも芸術も学問もそして生き方も。
No.244 【雑煮】
たっぷりの白菜、銀杏(いちょう)切りの大根と人参、かまぼこ、ほうれん草、お節からのおこぼれ頂戴的な伊達巻き、一度焼いた角餅、そして椀からはみ出すほどの山盛り超大量の花かつお。醤油だし汁、これが我が家の雑煮です。出身地の三河地方はだいたいそうなんだと思い込んでいます。
これほど同じ献立名で全国津々浦々なメニューはないでしょう。正月はこの雑煮の地域性、由来、意味が話題に上がることで、ふるさとの思い出、友達、正月前後の情景を共有したり心を動かされたりするものです。白菜は三河地方の名産品の一つ、花かつおはかつて「マルアイ」株式会社が東海地方で圧倒的なシェアでした。私も今の職についていなかったら、母の知人であった当時の社長さんご夫妻のご厚意で、ここで「花かつお」に携わっていたはずです。人生の分岐を思い起こすにこの雑煮は欠かせぬ起点食であるとともに地方色(食)です。
などと話題を広げるこの雑煮。初対面の人やグループ、チームとのアイスブレイクにはもってこい。さらに、現物支給があったなら、もっと。さらにそこに地酒となれば・・・ICE BREAKからのHOT BONDS! これがスポーツとどう関係あるのでしょうか? よくわかりませんが、そこが「ちょいバレ」のちょいバレらしさ。
もしかして七草粥にもあるんじゃないか?
No.245 【寺子屋・・・資料諸々】
なかなか機会が持てないのですが、ごく稀に「寺子屋」と称して座学?みたいなことを行います。(最近は、ミーティングはあるけど寺子屋は実施してないなぁ)この寺子屋では11項目のテーマを柱にみんなで考え合うスタイルです。ミーティングと言えばそうですが、ミーティングとの違いは、私の考えを伝える意図がちょっと濃くなっているところです。最近では、主語は「子どもが」、「指導」ではなく「学び(主体的・対話的で深い学び)」、と冠文言が煌びやかに掲げられる学校や社会になってきました。それもとても大切です。でも、それはあくまで視点であり本質が変わるわけではありません。必要なもの、大切なものはいつの時代も不変であるものがあります。あたかも子どもが「自由を手に入れた」かのような、真新しいものではないということです。すでに、ずっと前からこの視点で物を考え、伝え、創造してきた人、チームや社会は存在します。(もちろん、寺子屋は、始まるとかなりアクティブですから江戸時代の寺子屋や大学の講義のイメージとは程遠いものではあります。)
さて、ちょいバレではこの11項目を紹介してきましたが、寺子屋の仕組みは「事前課題」+「5.6年で習う漢字(漢字が読めないっていうから)」→当日の「資料1」+「資料2」で構成されています。そういえば、資料としてまとめてUPはしていなかったことに、なぜか早朝目覚めた瞬間に気が付きました。老獪のなせる技。
寺子屋、開催はなかなか難しいので、張り付けておきます。本当の強さを身に付け、いざという時に発揮できる人、チームから育ってほしいな。