top of page

No.84 【外練のススメ】

 

 3月、体育館は卒業式の準備~入学式までの期間、体育館が使えません。特に小学校は全滅。個人的には体育館が1か月以上も儀式的行事のために使えない状況については疑義があります。それはさておき。

 私の出身中学は、体育館が無く、中2まで外で練習していました。調子に乗って地面でフライングもするものだから胸、腹にはあざや擦り傷。保健室で校医に呼ばれ、虐待を受けていないかなどと聞き取りをされたメンバーが全員バレー部。鉄の支柱を6本の杭とロープで地面に固定。竹ぼうきでコート整備。白球はボロボロで中の黒いゴムが飛び出しているものもたくさんあった(おそろしい変化球)。そんなチームが市内の1年生大会(当時は全ての中学に男バレ部がありました)では圧勝、県大会でも優勝しちゃう。今では考えられない練習環境です。しかし、ここまでくると根拠の一つは外の練習にあったことは否めません。

曇天に薄汚れた白球は深視力の鍛錬、もともと全国有数の年間平均風速の強い地域なので、ボールは風に流される。時には前に落ち、伸び、左右に。滑りまくる地面だから早めに意識を変化させ、重心を地面に効率よく伝える術を自然に身につけた。高いトスは風に持っていかれるから低く時間の短いトスになる。暑さ寒さは体育館の比ではない。極力ボールを汚したくないから落とさないように拾う(ボール回しも)。雨の日は校舎内や階段で筋トレ、飽きてきたら逆立ちやバク転(やりすぎた)。体育館の照明なんて太陽に比べたらなんてことはない。こんなチームが体育館に少し慣れ始めたら、手の付けようがないのは当たり前です。

今の子たちの環境は快適に、ユニバーサルデザインの中で、安全に・・・雑草のような生き方はなかなかさせてもらえない。そこそこ不都合から創造性は開拓されます。体育館が無いことに嘆くのではなく、逆の発想で進化をしてみたいと思います。きっと全員の合意は得られないと思いますけど・・・BBQとセットならやるのかなあ・・・外練のススメでした。

No.85 【探求心】

 

例年以上の寒さが続く寒さに弱い東京。「どうして柱が立つんだろう」「雪はどうしてすべるんだろう」「なぜ木の周りだけ雪が解けるんだろう」一つ外側のカギが解けると次のもう少し専門的な疑問がわいてくる。それを解くとその内側の疑問も解きたくなる。そんな探求心に素直に向かおうとすると時間がかかる。でもこの探求心こそ大切。探求心を解くための道具も必要、言葉であり見方であり考え方であり基礎知識・学力であり環境であり・・・。意図的にこどもに対してはそれをできるだけ「もちょっとで手が届く」仕掛けに追い込んであげるとその力は発揮されやすい。バレーでそれができるのか。簡単ではないと常々感じる。転々と変わる状況に臨機応変に対応しながらその視点をもちながら、こどもと対峙する。その流れそのものが生き物みたいなもの。そこに向かうにはやはり探求心は不可欠。大の大人でもそうなんだからこどもはもっと路頭に迷いながら一歩進もうとするに違いない。その迷いが生じる前に「右だ」「「左だ」だけでは探求心は育たない。「家庭で、1日1回こどもの疑問にこたえてあげる。もしくは調べてあげる」逆に「なんでそうなるか知ってる?」の問いかけでもいいと思う。素直に疑問を発現できる環境があればあるほど進化する。探求心から想像力、創造性、自己実現、こどもの未来は無限。

そういえば、以前、練習試合中に外で「ありんこ」を眺めてちょっかい出しているのをとがめられ、練習試合に出してもらえなかった子がいた・・・「ありの研究」をさせるべきだったか・・・そういえばその子、試合真っ最中に鳥肌の立つような策を提案してきた子だ・・・

No.86 【視覚化・視覚支援】

 

 「三平方の定理の証明→正方形を二つ重ねて斜辺で作った正方形と他の辺で作った4つの直角三角形で・・・」何のことかさっぱりイメージできません。「血液検査しますので、赤いラインに沿って5番の部屋の前でお待ちください」「赤い旗が校庭に立っているときは校庭使用禁止です」「トイレマークがあるところが会議室のはずがない」実にわかりやすい。文章のマニュアルより図、写真でのマニュアルの方が圧倒的に理解しやすいはずです。これを視覚化、人にわかるように準備・提示することを視覚支援と言います。日本の伝統工芸の匠(木地師・・・なんと私の先祖をたどると、轆轤(ろくろ)を日本で発明した方にたどりつく)の工房を見せていただいたことがあります。工具は多彩、収納方法はその工具の形の絵や窪みに収める方法。日常的に当たり前のことですが、「わかる」が定着する過程においては「わかる」側も「わからせる」側も有効な手法の一つです。取り立てて今更のように声高らかに言うことではなく、昔からやってきた工夫です。中学生、高校生をみてきたことと比べ、小学生の特に低学年においては、この工夫はとても必要だなとあらためて感じます。そう考えると、わからないのはわからせられない責任を痛感します。裏を返せば、それだけやりがいのあるちびすけたち。バレーで難しいのは、そこから先、タイミングやリカバリの術。さて、どうするか・・・

No.87 【気づき】・・・by MAMORU

 

 いろいろな視点から・・・俯瞰という言葉があります。ドローンで空中撮影が簡単にできる昨今。私の見方も自分でも顧みることもあり、いろんな方向からアプローチしてくれるのもいいなと思い、今回は保護者の方に記事を依頼してみました。

 

ー『気づき』を『繰り返すこと』、『克服すること』で成長するー

テストや試験の中で、『あっ、この問題は授業でやったやつだ』って気づいたり、試合の中で『この動き、この間の練習でやったやつだ』って気づくことがあるかと思います。この気づきってすごく大事です。

まず、退屈だと思う授業やきついと感じる練習が、本番で役に立つってこのとき初めて気がつくかと思います。

次に、次回の授業や練習で、うまくいったことは繰り返す、うまくいかないことは克服する、というようにその気づきを、活かすことが大事です。試合で気づく→バレーノートに書く→練習で活かす→試合で気づく。ですね。

No.88 【受験シーズンに/学ぶ意味】

 

今年の中3のOGもなぜか?みんな公立受験を目指すチャレンジャー。高校受験は実にリスキーでハラハラします。チャレンジャーだなと応援するしかない親心のような心境です。私立受験を軽視しているのではなく、安パイではないという意味ではやはり厳しいところに自分を置いていると思えてなりません。今は「突破」が目標になっている時期です。なぜ突破しなければならないか、なぜ勉強しなければならないか、たぶん、半分はわかっていると思います。チャレンジャーでいることの大変だけど心地よさ。自分が高まっていく過程を感じる達成感、受験は団体戦ともいえる仲間との高めあい、これも感じながらの一日一日です。

さて、勉強をする意味、何なんでしょう?時々「しなくても生きていける」側に強く傾倒する人もいます。でも、可能性がこんなにもある小学生、中学生、進路選択で科目の苦手や放棄から選択肢を狭めざるを得ないのは本当に惜しい。

もう一つ別の視点もあります。算数や数学は考える筋道や答えまでの巡り方、一つでない解法、論理的な証明、これらは経営や運営、集団をまとめたり物事を成功に導くときの先見の明につながります。理科の仮説と検証もしかり。語学力や国語力、それを活用するためのコミュニケーションの力。興味関心を引き出し人に伝え文化を広げ守るには社会や美術や音楽の力。そんな「だから勉強を」なんて考えることも大切ですが、ひたすらのめり込んでみたい、解決してみたい、の心持で十分力は着きます。でも、結局は、必ず壁に当たるということ、そして、焦らず、じっくり乗り越えるということ、こんな作業を地道に積み重ね、達成感をつかみ取る、それこそが学ぶ意味。その渦中に(まだほんの入り口)踏み出した中3のOGのみんな、チャレンジャー、がんばってほしい。最後の1秒まであきらめず!

吉報を待っています。

No.89 【Pyeongchang(平昌) 1】

 

「パシュート」の意味は「追跡、追撃」という意味と辞書にあります。TV画面はオランダと日本の両チームの位置、リンク面からのスピード感、壁面を1周する横からのカメラで臨場感、スピード感が伝わってきました。それにも増しての選手の滑りは圧巻で感動で感無量。チームジャパン、本当に素晴らしい4人。

「自分を信じて、みんなを信じて」そんな言葉がインタビューから聞かれました。ん?どこかで聞いたフレーズ・・・HIGASHIがゲーム開始前に円陣で叫ぶのと同じ。300日間一緒に過ごして練習をして、ここまで作り上げたそうです。オランダは金メダル保持者やメダリストをそろえ、大会前にこう言っていたそうです「私たちなら1週間あれば日本に勝てる」。1.1×3<1×3、数学的には成り立たない結果の景色を私たちは目に焼き付けました。

日本の特徴は低い姿勢、仲間との距離が狭く、動きが一糸乱れない合理的なものでした。この水準(心技体知全て含めて)に持ってくるのにソチ以来4年、最後の2年は300日ずつかかったのだと思います。自分自身との闘い、チームとしての闘い、結果は必ず出ると信じた長丁場。一つ一つ、一日一日をこんなにも大事にしてきた4人だからこそ成し遂げた偉業であり、きっと世界中の誰しもが影響を受けた彼女たちの経緯だったと思います。相手に翻弄されず、自分たちのやってきたことを発揮する。追いかけたのは、さらに上を行く自分自身、チーム自身だったのかもしれません。(続く)

No.90 【Pyeongchang(平昌) 2】

 

小平奈緒選手、オランダの選手に比較したらとても小柄、性格も思いやりのある優しそうな方、こんな人が500mの氷上では他を圧巻の世界選手権15連覇、オリンピック金メダル奪取をやってのけた。アスリートの本当の強さ、人としての本当の強さを感じさせられた。試合後の小平選手のインタビューからは感謝の言葉が敵にも見方にもそうでないテレビの向こうの世界中の人に向けられた。ここに至る自分への想いも込められていたと思う。

その小平選手がORの疾走直後こう言った。「ゴールの先まで頑張れました」。いろんな意味を含むアスリートらしいいい表現だなと心に残った。「ゴールの先」、徒競走でも、水泳でも、バレーのディグでも、到達点がゴールではいい結果は損をする。もう一つ、小平選手にはその先の扉も見えたのではないかと思いのこもったこの言葉だったのではと勘ぐらざるを得ない場面だった。世界記録。

ただの小柄な女の人・・・ではないな、どの氷上の戦士よりも大きい。

No.91 【自分たちのバレー 2】

 

ベンチの質問に答えないキャプテン・・・反抗期?

大切な、1年間で最も大切と言える試合で、サブキャプテンのエースが崩れました。走らなければならない序盤。涙があふれて、体調が悪いのか?時々痛いところを我慢してそうなることが度々ありました。この大事な場面でもしや・・・途中でこっそり伝令を出し、その子の保護者に昨日今日の体調を聞きに行かせましたが遠くの応援席までは時間がかかります。タイムを取り、キャプテンに「○○、体調良くないのか?」聞くと「聞かないでいいです。わかってますから。」笑顔で答えて30秒終了。なんの打開策も与えず、6人はコートに笑顔で駆け戻ると、そこからの展開は・・・

センターのキャプテンにトスが集まり、エースの気持ちが戻るまで必死に5人で守り、責め、徐々に空気は満を持したエースの復調をひきずりだしました。快進撃はここから。想像を超えた圧巻の展開、エース復活、チームの一体感。?監督不在ですな・・・

それこそが自分たちのバレー。

No.92 【自分たちのバレー 3】

 

 コートサイドで涙が止まらない彼女たち。それを支えてきたお父さんお母さん、こんな時間が過ごせるとはだれもが思ってもいなかったと思う。その期待は持ち続けていたが、想定を上回るこの子達には正直脱帽。

 長い間悩んで所属していたチームをやめ、一時はバレーをやめた子たち、応援する機会をなくしてしまった保護者の方々。でもバレーが嫌いなわけじゃない、応援をあきらめたわけじゃない。偶然の出会いから、再び体育館で練習できる機会を得、水を得た魚のようなボールを手にした子どもたち。応援やサポートの機会を得た大人たち。公式な大会には出場の機会はないから間借り的な練習の日々。数少ない小さな交流戦を目標に、浮きも沈みもありながらの日々。大きな大会に出られるチームを見ながら葛藤の日々。

 このチームが「自分たちでチーム名」を決め、そろいの練習着を作り、小さな目標、技術や気持ちの向上を目指して地道に積み重ねてきた確かなものは確実にチームの体を作った。

 理解者は意外にもたくさんいた。それもそのはず、この子たちは一心にバレーが好きで一生懸命な子たちだから。誰のためのバレーで大人はどうかかわるべきか、何がしてあげられるかを考えればこの子たちが今日、このコートに立つことは偶然ではない。たった一日、このチームに与えられた大きな大会のチャンスはこの日のみ。

 初めて袖を通す新品のユニフォーム・・・真剣勝負で使うのはこの一日のみ・・・お父さんお母さんからのメッセージが縫い込まれたハチマキ。水色に差し色のマゼンタピンクのVネックのウェアはあまりにも凛としすぎていた。もちろん、「全力」でなければウェアにも応援者にも、そして誰より自分に失礼だ。

 全力で攻め、全力で守る。声も体力も全身から全部はじけだすように。想いのこもったスパイクだった、想いのこもった守備だった、想いのこもったトス、つなぎだった。そう、この日この子達がつないだのは、ボールではなく気持ち。

「やりきれました」、本当にそう感じた時にこの言葉は心の底からでてくる。その一言のためにここまでやってきたこのチーム、支えてきたチーム、誇らしく思う。みんなで泣きつくそう!笑い泣きだ!

 自分たちのバレーができた瞬間・・・

No.93 【魔法(?)の言葉】・・・by MAMORU

 

 子供のバレーを間近でみたり、一緒にプレーに参加したり、子どもに転がされて、応援して、知らず知らずのうちにサポート中毒になる、そんな患者MAMORUさんに依頼した寄稿第2段です。

 

「面倒くさい」という言葉はすべてを台無しにする魔法(?)の言葉です。この発想を持ち出すとどこまでもダラダラと堕落してしまいます。その「面倒くさい」には、「けれどもやろう」と付け足しましょう。そうすると「面倒くさいけどもやろう」と前向きな魔法の言葉に変わります。

 他にも、「とりあえず」という言葉がありますね。この言葉も「とりあえずのやっつけだ」で終わってしまい、その後に、続いていきません。「とりあえず」は「まず」に変えてみましょう。すると、「まずは」→「次に」→「そして」と次のステップに続いていきます。

このような考え方をしているうちに自分の行動もそのようになっていきますよ。

​・・・MAMORUさん、同感です。「面倒くさっ」って友達に言うと暗に「面倒くさいよね、やめよぅ。」って言っています。友達を下に引っ張っています。つけたしすれば方向は180度変わりますね。言葉を選ぶのは行動で表すのと同じくらい大切と改めて考えさせられます。

No.94 【Pyeongchang(平昌) 3】冬季オリンピックからはちょっと時間が経過しましたが。

 

 3人1組のパシュート、日本女子は金メダルを獲得しました。89でも取り上げましたが、今回は別の視点から。

 話は準決勝にさかのぼります。大会の本命は日本とオランダ、オランダの個人の力の合計は日本のそれを上回っています。オランダはチーム力を1週間あれば日本を上回るのは簡単と豪語し臨んでいました。日本も決勝に照準を合わせるも、チーム力あっての勝機、準決勝も勝負をかけなければなりません。3位狙いのオランダの準決勝に比べても有利ではありませんでした。

 日本の作戦は、日本の全てを4人目の選手(実力は拮抗しているとは思います)に掛けたように思えました。菊池選手、彼女自身はコメントからは実力は他の3人に及ばないかもしれないが、その分、金メダルへの扉を開くのは、自分が準決勝で最高の力を出し切り、決勝のメンバーの佐藤選手の体力を温存し、決勝にぶつけさせることに全力を尽くしました。3人目の選手のため、チーㇺのために踏み台になる、鳥肌の立つフレーズでその想いが200%届いたレースでした。

​ 決勝で日本チームが逆転の金メダルを決めた瞬間、誰よりも輝いて見えたのが今でも鮮烈。彼女がいてこそのチームでした。チームへの貢献は色々な形があります。そんな形をこのパシュートチームは強烈に表現してくれました。バレーもこの3人が6人と置き換えるとチームであることの楽しさ、ありがたさ、ドラマの予感は確実に膨らみます。

No.95 【発想の転換】

 

 ロボット、AI、手塚治虫さんが近未来を描いた道具が現実となり、それが巻き起こす問題も現実となっているものがあることについては、手塚さんが近未来への警鐘を鳴らしていたようにも思えます。もっとロハスな地球、考え方をとにおわせる感は否めません。

 HONDAのASIMOは世界初の本格的な(人間の動きに近い)二足歩行ロボットとして誕生して20年近くが経ちます。当時開発にあたってこんな話を聞いたことがあります(本田宗一郎の魂は生きているなあ)。当時、ロボットは「いかにしてバランスを崩さず歩けるか」でした。HONDAの開発者はこの定番を180度変えて「敢えてバランスを崩させて、補正することに着眼した」と話していました。いわば、リカバリーがリーディングコンセプト。HONDAのように大企業でなくてもカー用品の開発はベンチャー企業は多く、店頭では多くの同じような商品が多々並んでいます。水滴をはじくものも多い中で、発想の転換でサイドミラーを見やすくした企業がありました。「水滴をはじく」のではなく「鏡面に均一に水をなじませる」ことであたかも水滴が無いように見せる技術です。

 いずれも障壁となる現象がなくならなくても、工夫や発想の転換で逆にその現象を生かしながらクリアできることもたくさんあるように思う、というよりそうすべき経緯は大切だと感じます。コートの中でのミスや弱点をそのままに、リカバリーの工夫をもっとしてみたくなるのは、畑はちがっても興味深い内容です。

 最新のASIMO、見てみたくなりました、いや、会ってみたくなりました。手塚先生、20年先、どうなっていますか?

No.96 【スポーツ選択】

 

 バレーボールは非常に難しい競技だと思います。一瞬たりともボールを落とさず、瞬時にコントロールし、しかも高速のボール。さらに戦略、その場の判断、チームワーク。要素は多く上達には、楽しくなるまでにはかなりの時間がかかります。たぶん、どのスポーツよりもかなり。楽しいと感じる基準もそれぞれだと思います。バレーにトライした人はそのことだけでもチャレンジャーだと思います。そのことに自信をもってよいとも。

 もともと走力に長けている人が陸上を選び、ドッジボールが得意な人が球技を選び、長所を生かしながら選択を絞っていくことも多いでしょう。逆に、色々やってみて、自分なりにしっくりきたもの、相性がいいものを選んでいくのも一つの方法です。どちらも「自分を見つける」「自分をつくる」大切な間違っていないプロセスだと思います。きっかけも色々、友達に誘われて、お母さんに勧められて、偶然見かけて、テレビで見て。いずれもアリなプロセスです。でも、この中で、「お母さんに勧められて」については、いつの時点でもいい、感謝の心を感じてほしいと思います。「想い」「願い」が込められているからです。(時には結果、方向変換に至るケースも当然少なくありません。)みんなが生まれた時、親が一生懸命考えて、想いや願いを込めて名前を決めた時のように、願いや想いはいつも真剣です。

 そして、最終的には自分で「これ」と決める時が来て、くじけず、倒れても立ち上がり、食らいついていきたいものに出会えればよいと思います。そこまでのどれもが糧であり種であり力になっているものです。

 さらに、それは一つでないかもしれません。チームプレーの醍醐味を知り、個人競技の楽しさを知り、文化、芸術の深さを知り、可能性の広がりを身にまとうかもしれません。きっとどれも正解なんだと思います。特に小学生の時は苦しみに耐えながら一つに固執するスタートは切るべきではないというのは私の個人的な見解ですが・・・遠回りをしたり、寄り道をしたり、それでいいと思います。でも、「これ」を見つけたと感じたら、一気に全力で飛び込んでいきましょう!スポーツの選択はそんな勢いも心地よいもの。

No.97 【ライバル rival】

 

 rivalの文字からriver(川)を語源に持つと言われて「川を、川で、争う」「川を共同で使うもの」という解説はしっくりきます。派生の時期から「競う」と「仲間」の両方の意味を兼ねていたそうです。

「半分、青い」NHKの朝ドラについては、以前にも一度取りあげたことがありますが、またヒットを打ってくれました。「ライバルとは」「しゃがみこんでいたら、手を引いてでも歩かせる。隣りにいてこそのライバルだ」。こんなセリフが耳に飛び込んできました。この文には「ライバル」が2つの意味を持つことと「隣り」が時間や空間を超えた存在でも成り立つことの希望が溢れる表現にカッコよさのある文だと感じました。

同じ時間、同じ場所にいなくても、自分を奮い立たせてくれる、励ましてくれる、でも優しいだけではなくて、時には手を強引に引く、そんな仲間、友達、人や生物ですらないかもしれないですし・・・今は気づかなくても。応援したくなる存在そのものが、実はライバルということも。そして、どこにいても最大のライバルは、言わずもがな鏡の前に立てばそこに映る、その人です。ここでも確かに語源の持つ二つの意味が深く本領を発揮します。否、発揮させよう!それでこそ「ライバル」!

No.98 【時限装置】

 

 小さい頃の習い事、中高生の部活、もっと言えば赤ちゃんの頃からのかかわり、その全てが将来のその人をつくる。証明はされています。特異なものが取りざたされているわけではなく、検証されながらかなりの相関性をもって今にいたります。極めて異質、イレギュラーな状況だけがピックアップされているわけではありません。なるべくしてなった・・・、検証結果や研究結果は確かなものとの認識からまずは、目をそらさないことが前提と考えます。つまり、「そうは言うけど・・・」や「そういう人もいるけど、みんながみんなそうというわけでは・・・」とおっしゃる方、必ずいます。逃げ口上はイレギュラーな筋道を作ろうとする手段であること、自己防衛(自己防衛の手段についてはまた別の機会に話題にしたいと思います)の手段であることをまず受け止めてみることが必要だと考えます。

 さて、いくつかの「何かのせい」「誰かのせい」にできることの中から「自分にできること」を発見し、対応策を練る、人に言われるのではなく、謙虚に、模索し答えを出そうとする姿勢、さらに、その場面が集団であったり、チームであったりすれば、自分だけのことではなくなります。人を動かすには、人の心を動かす必要があります。モチベーションを高める工夫、その気にさせ続ける手立てを失敗を繰り返しながら考え続ける業、これは何年先、何十年か先、その人のひととなりが形作られる種となる・・・「時限装置」のように。ならば、仕掛けは早めに、はるか先のその人をつくることを心にとめて仕掛けなければと思います。小学生バレー、中高のバレー、それぞれ仕掛けは異なるかもしれませんし、アプローチも、自分で(自分たちで)考えさせる内容やステージも異なりますが、指導する側は、その経緯が「人をつくる」ことを深く深く考え、時限装置を仕掛けなければならないと思います。

No.99 【追うものと追われるもの】

 

 油断大敵、臥薪嘗胆、足元をすくわれまいと決断する時、準備をしてコツコツと努力を重ね、強い意志をもってそのチャンスを待つ時、こんなスローガンを掲げることがあります。追うものと追われるもの、小学生バレーを含め、一般的には「追うもの」の方がモチベーションを持ちやすく、目標を前向きにとらえやすい。先日、HIGASHI JVCは、創部依頼初めて支部で3位の好成績を上げることができました。今まで歯が立たなかったチーム(年度によって力の差はおるのは否めませんが)にいくつものフルセットを全て制し、勝ち進む経験を得ました。今度は追われる側にたったわけです。

 ある日の練習では、この「追うものと追われるもの」の話をしました。別のコーチが、その後、こんな話で締めくくってくれました。「見方を変えてみると、まだ上に追うべきチームがいます。ということは、追いつかれないようにすることもやり方の一つだが、その上を追うことに懸ける方が前に、上に行くことができる。」「チャンスボールからの攻撃・・・そもそも簡単なチャンスボールで甘んじて練習しても意味がない。ハード系のボールをチャンスと思い練習すれば、そうそうそれ以上難しいチャンスボールはそうそう来ないもの」発想や水準を上げ、漫然とやってしまう練習への取組み姿勢を都度見直しながら取り組むことが大切。

 そうでした、私たちは前を、上を向き続けようと日々心に決めて練習しているではないか。試合だって今年度に入って「攻め続けよう!」と決めてきたではないか。斜め上方に向けて今年度、HIGASHIのベクトルは放たれました。HIGASHI色付きの、すごいやつ!

No.100 【TEAM】

 

 「信頼する」と「頼る」は違う。相当な得点力のあるエースはそれゆえにピンチにはトスが上がる。楽に点を稼ぎたいときにも上がる。安易にも上がる。先々を見通す思慮深さをもってセッターがコントロールしなければいつかは崩れる。疲労ゆえ。崩れるエースを仲間は早い時点で策を講じなければならない。崩れかけるエースにことばでなく心で伝えなくてはならない「君がダメなのではない。私たちはチームだということだ!」と。凌げ、跳ね返されても跳ね返されてもつなぎ続ける。最後につなぎ切った方が勝ちだ。その「TEAM」が本当の「TEAM」だ。人数がそろってコートに入るのがバレーではない。その醍醐味を知りたければ、TEAMに値する覚悟をもってコートに立つしかない。小学生と言えどもその気持ち一つ。

 (追記)

 先日、偶然職場で「チームティーチング」の小さな研修会の講師役を受け持たされました。そこで調べた「TEAM」の語源 → together everyone achievement more ・・・ みんな一緒にもっともっと達成しよう! が有力説だそうです。

bottom of page