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No.162 【チーム貢献】

 

 こんな今の自分に何ができる・・・戦力のかけらにもなれないと察したとき、仲間のちからになれないと察したとき、誰しもがこの思いに締め付けられ、葛藤します。それそのものがすでにチーム貢献だと私は思います。
 悪い時(スランプ)も、ずっとしばらく停滞する時(プラトー)も徐々に下がっていく時もあります。寧ろそうでないときの方が少ないかもしれません。コートから離れることにも色々な形があります。物理的に離れること、心が離れること。まず、思い違いしてはいけないのは、自分はチームのためにならない人材だと勝手に思わないこと。立場が逆だったらどうでしょう?この「立場が逆だったら」の視点の転換は、私はよく使います。きっと当たり前の考え方だと思いますが、追いつめられるとそう簡単にゆとりのある俯瞰なんて難しいものです。でも、やっぱり思い違いしてはならないと思います。そして、何ができそうか、たくさん考えて、小さな言葉、小さな形、ちいさな行動に勇気をもって自分を押す。
 そう考えると、ちょっと足が痛い、どこかを怪我している、練習に間に合わない、それでも自分には何か体育館で、家で、ベッドの中で、SNSの向こうで、できることが必ずあるはずだと思います。立ってなかったら肩を借りなよ。貸したがっている仲間や人は意外にもたくさんいます。

No.163 【db】

 

 大好きだったオフロードバイクを手放したのは14年ほど前。ペダルを強くキックしてエンジンをかけ、未舗装の山に溶け込む。野生の鹿に横切られ転倒する。症状との付き合いにも慣れ、セルスターターのバイクを秋に手に入れた(妻に内緒で買ったが、すぐバレた。息子のリークだ)。マフラーを交換しようと、仕様を見るとノーマルより6db(デシベル)大きい音量。74dbが82db、大した差ではないと一瞬数値のマジックに引っ掛かり、ご近所にご迷惑をおかけするところだった。6dbの差は音量にして2倍。たった1dbの差でも1.1倍。高架下や航空機路線下の報道を意識的に聞くようにしようと思う。
 体育館で「声を仲間に届ける時」、今より6db音量を上げよう!猛烈にたくさんの必死な声をかき分けて、自分の気持ちを仲間に届けるために。
 このコラム作成中・・・「エンジン」に変換するソフトは第一候補を「円陣」と提示し、「鹿」→「歯科」、「症状」→「賞状」、「高架」→「効果」・・・最近の過ごし方と年齢を感じざるを得ないです。でも、エンジンと円陣は、なんかいいかも。どちらもスタートを連想させる意味においては。

No.164 【super moon】

 

 おそらく私が生きている間で最大級のスーパームーンが2018秋、2019冬訪れました。見た目、そうかわらん。天文学者が言うんだからそうなんです。きっと。最大14%大きく、30%明るいとはwekiさんによる。「月明かりふんわり落ちてくる夜は・・・」・・・子供向けのアニメ番組のテーマ曲にも秀逸な表現は多いのは子供向けだからそこかな・・・
 月食、皆既日食、自然現象に由来する特別な日はとても求心力があります。誕生日や記念日、後々意味を持たせた特別の日もあります。特別な日、事象にはちょぴりでもそこにデザートっぽいおまけを、イベント性をもたせてエピソードで包むとよいと思います。
 変化を楽しみ大切にし、振り返りのちにつなぐ。空気間や時間の感じ方を今の科学ではまだ再現できません。意味を持たせることは想像力、創造性を磨き、自分を見つめ、人を想う心を深めるように思います。

No.165 【鉄は熱いうちに打て】

 

 刀鍛冶のコラムが脳裏に浮かびます。鉄(Fe)の融点(溶け始める温度)は1536度、沸点(沸騰する温度)は2863度。水ならそれぞれ0、100度(科学的な条件設定はここでは無視)。「純粋な心を失わず、柔軟性のあるうちに心身を鍛えることが大事。物事をなすときにも、熱意が盛り上がっているうちに実行することが大事。」と解説上は説かれています。
 コートの中で、多くのアドバイスを受けるメンバーたち、納得いかないことはスキルを上げてくればくるほど発生するものです。ついに「頭にきて」爆発することもあります。熱くなっている瞬間、ここできっちり・・・?ちょっと待ってください、ここは1536度なのか2863度なのか・・・融点まで待ちましょう、お互いに。お互いに?それもまた一思案。そもそも熱くさせることはコーチ側としては手の内でなければならないと思っています。
 深く考えるには2863度は適しません。冷静にきちんと考え整理することのできる状態こそが自分と対話できる状態だと思います。
 すると、凍てつくつくような氷の状態も想像できます。上下関係の著しい場面ではこちらでしょうか。すると、「上」を立てているうちに洗脳?に陥り、気づけば自分がその「上」に近づく。「上」を「かみ(神)」とよむのも頷けます。そこに豊かな人間性を磨き、頼もしい未来はあるでしょうか?
 こころは熱く、技術は冷静に。「?」を冷静に分析してかえりみて、次の一歩を踏み出せる設定もある状況が、よい練習環境の一つと考えます。
 うちの「上」さんは・・・も、もちろん春の風のようなおだやかな・・・

No.166 【二つの挑戦】

 

 各チーム色々な考え方があります。それはそれで伝統や指導者の方針で様々です。良し悪しや優劣を語るものでもありません。HIGASHIでは、6年生の最後の瞬間をとても大切に考えています。地域により6年生の引退→新チームへの移行の時期は秋だったり1月だったりします。「気が抜ける」「モチベーションが下がった」どこからも湧いてくるフレーズです。しかも小学生、当然です。大切だと思うのは、その砂漠土の谷間のような景色から、はたまた漂流船の甲板からどちらに進むべきかを発見しに行けるか否かです。
 6年生には二つの挑むべき自分への、チームとしての振舞いがあると考えています。一つは、自分たち自身が(一線を退いたとはいえ)次の高みに向かって「やり切れた」を体験すること。もう一つは、自分たちの練習や試合の姿を後輩に見せつけ、真正面からぶつかることによって後輩の成長を最大限引っ張り上げること。
 この二つの挑戦は時間がいくらあっても足りません。そう考えると、引退だの中学にいったらもっとがんばろうだのと唇で薄っぺらくつぶやいている暇と、本当は逃げている自分に気付かないふりをしている時間はありません。6年生の挑戦、見届けさせていただきます。
 「挑」「逃」いずれも「兆し(きざし、亀の甲羅を割り占いにつかったらしい)」の漢字が含まれています。その手でつかみに行くか、三叉路にたちしっぽをまいて逃げるか、このチームの6年生には言わずもがな。
いざ、挑戦の海域に舵をきれ!

No.167 【ザリガニ】

 

 サル、チーター・・・動物の動きからこれまでのコラムで色々想像を巡らせ、合理的な動きと結び付けてきました。ついにザリガニか。でもゴキブリをコートで尊敬しているのだからさもありなん。
 我が家の息子ども、小学生の頃は野球もサッカーももちろんバレーも、塾にも行く暇がなく、近くの小川で毎日ザリガニやドジョウを捕まえていました。そこにいなければ原っぱか校庭でドッジボール。ご存知でしょうか?ザリガニは内臓も含めて全身脱皮をします。どういうこと?完全にリニューアル、ロブスターに至ってはそれゆえ寿命がないともいわれています。人間はそうはいきません。
 新しい環境、自分を変えたい時、脱皮を試みることがあります。なかなかうまくいかないし、そもそも方法が不明瞭です。ことばでは「脱皮」「一皮むける」などと言いますが、試みるときはたいてい混迷の最中。発想はここで転換されます。このチームの子どもたちが試合の中で、一閃突き抜け扉をこじ開けんとするところに答えの一つを魅せてくれました。「脱皮」を試みようとするのではなく、「こうありたい」を後ろを向かずに挑んだこと。抜け殻はいつしか遥かエンドラインの後方、ちょっと前の時間の中に脱ぎ捨てられていました。
 ザリガニ・・・小川で見かけたら、敬意をはらい言いましょう「ありがとう、youをrespectしています!」。家でゴキブリにあった時にもね。

No.168 【コートに入る資格】

 

 以前、こんなことを言ったことがある。「コートに入るということは、入れなかった仲間の背中を踏み越えてはいること。」その責任と勇気をもたねばなりません。あきらめることは絶対に許されない。
 「よくやった」と言い切ることで、やり切らなかった自分をごまかしていないか。自分でハードルを下げて飛び超えやすいようにする癖になっていないか。
気づかないふり?気づいたらやらなきゃならないから、やりきる自信がないからなのか。
「みんな」ではなく、自分は!を徹底して追い求め続けられるのか?その足を引っ張るのはラクしたい人。ラクしたい人は自分かもしれないし、チームメイトかもしれない。ラクしたい人にバレーの神様は微笑まない。
でも、大切でまず一歩を踏み出すのは「自分」。敵は、昨日の自分、1試合前の自分、前のセットの自分、3秒前の自分。共通するのは、弱い自分。
ここをのりこえることを「こんなことやらされて」と受け取るか、「殻を破るチャンス」と考えるか。
本当に目指す姿、イメージに気づいていれば選択肢はおのずと決まる。
 その実現に向けて全力を投入する、全力で考える気概のないものは、コートに入る資格はない。その宣言を声高らかに、偽りなく発する者、自信と勇気をもってコートとに入ろう!

No.169 【色】

 

 一面の雪景色~桜の花から透けてみえる空~ひまわりの畑~ベンチで眺める紅葉。日本の四季は情緒豊か。そこにあるのは色と温度と時間の進み具合と音とにおいと風と・・・。要素たくさんで書き切れないか。横に母がいるかもしれないし娘かもしれないし、動物(ぼく犬苦手ですけど)が一緒かもしれないし、自転車が置いてあるのかもしれないし。これまた情景を彩る要素は無限。色を色として認識するのに必要なのは光。物質が光を反射する時にその組成によって人の眼にはその色として映る。
 その色で何となくそんな感じに心が反応する色もあればエピソードとセットでその色から思い起こさせるものもある。赤は血液、火を連想させ闘志に、青は晴天の空や透明度の高い海中を連想させることから静寂な気持ちに。水色は水に言葉が直結し、流れるような自由さや「上善如水(老子)」に現わされるように柔軟な考えや生き方、透明感をイメージさせる。ピンクはいつのころからかチームを象徴する色になった。女の子らしい色なのか、優しさや幸福感、心の動きを穏やかな中にもウキウキ感をもたせるようなイメージの色。
 きっと心理学的にはその色から受ける主張、その色を掲げて自分の意識を方向づける方法などがあるんでしょう。そう考えると、何げなく広角で見ていた周囲の色、少し探ってみたくなる。特に、次の一歩を踏み出す時。
 今立っているところは何色?一歩踏み出す時の空の色を覚えておこう。踏み出したら、色を付けるのは自分自身。鮮やかなのがいいな。旅立ちの時。

No.170 【もろ刃の剣】

 

 子どもたちに「自分をふりかえる」作業を機を見て伝えることがあります。自分の言動、心の在り方、技術。中学や高校、指導者によっては小学生のクラブチームでも毎日課すところもあります。こんなことができた、ここは弱点、友だちとここがちがう、コーチの言っていることと私の感覚や考え方とはちがう等々。
 よーく現実を見てみよう。自分を分析して、本当にそれが正しいか、的を得ているか、自分の都合のいい方に寄せていないか、逆に人の考え方に寄せていないか…。
 数学の世界では「0」は当たり前に使います。「0」無くしては全く数の機能を成しません。大発見です。原点の発見、「無い」ということの発見。今の自分を冷静に、客観的に、フラットに、見つめることが次に踏み出す方向を決定する原点。現実をよーく見てみようとはそういうことかなと思います。数学の「0」とは意味合いがちがうことはもちろんですが。
そうやって現実を生き抜こうとしていない人は、夢を語れない、語っても迷走するただの白昼夢に聞こえます。ただし、楽しくないものは身に付かないし、追い求め続けることはできません。さらにただし、苦しさを伴わないものは、たぶん偽物であることも、小学生バレーを通しても言えることかなと感じます。
 自分をちゃんと見ることはちょっと怖いことです。でもちゃんとその短所と思われるところに向き合いましょう。「0」から。実は短所ではなく伸び代いっぱいのわくわく玉かも。長所と思われるところにも「本当にそうか?」と切り込んでみましょう。以外にもそこはちがう結論だったりします。長所は実はもろ刃の剣かもしれません。ゆえに「ふりかえろう」。「すぐに」&「ちょっとたってから」。

No.171 【バレーの神様】

 

 います、トイレの神様は。歌になるくらいだから、トイレにはそれはそれは・・・。
時々、バレーの神様がいると感じることがあります。素晴らしい人たちやチームとの出会い、試合で負けたり勝ったり、番狂わせやジャイアントキリング、叩き落して泣かせたり、その後に笑わせたり。長期間にその仕業が成されることもあります。
 その筋道や根拠を深く考えてみると、なるべくしてなったこと、そうなる確率がだから上がってそうなってきたこと、長い時間かけて作り上げてきたからこそそうなってきたことなど想像するに楽しいものです。いいチームにはそんな風が吹くような気がします。
今日は、トイレの掃除、頑張ります!・・・やっぱり明日にする。

No.172 【見に来ないで~】

 

 中学男子のチームをみていたことがありました。昨今の男子バレー事情からもちろん全員ド素人。へたっぴからのスタート。女子より弱い。大会に出場するもコテンパンのフルボッコ、2軍を出されて嘲笑されているかのような悔しい思いの連続。チームの何人かが保護者に言っていたそうです「試合は見に来ないでくれ」。
 勘違いしてはいけないことを伝えた記憶があります。「応援する人たちはそんな未熟な君たちの技術を身に来ているんじゃない、君たちの一生懸命を見に来てるんだ。応援したくなる一生懸命さ、我武者羅にボールを追い、仲間と励まし合って、自分を勇気づける姿を見に来てるんだ。」だから、「見に来ないでくれ」なんて無礼で的外れなことは口にすべきでないことを説明しました。一番大切なことはそこからすでに育ち始めることを知ってほしいと思いました。もちろん、カッコいいスーパープレイの完成度を上げた姿を見せることも一見素敵にも思えますが、カッコ悪いけど一生懸命な姿の方が、私は大好きです。きっと、親なら特に、その子を近くで見てきた人ならなおさらそうなんだと思います。たとえその子がベンチで応援の一日でも、モッパーでも、応援席で応援のメンバーであろうと。だから、練習を一緒にしてきた仲間には、胸をはってほしいのと同時に、自分の上手くいかなさを恥じることなく、真っ向見据えて対峙してほしいと思います。そしてお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃん妹弟・・・にこう言いましょう。
「私、一生懸命やり続けるから、絶対に見に来て!」

No.173 【台風と頭痛】

 

 富士山頂では88.1℃で水が沸騰する。気圧は平地(0m)が1013hPaなのに対して630hPa。大体2/3位。避暑地にポテチを持っていくとパンパンになるのは、平地で作られたパッケージが気圧の低いところで同じ気圧を保とうとするために膨らむことによる。
 ちょっと前にこんな記事を目にした。台風と頭痛の関係を医師等有識者のシンポジウムで出された結論は「因果関係を明確に証明する根拠が見当たらない」であった。高山病のイメージから気圧が下がるから脳内酸欠、脳圧があがって神経を圧迫するという連想や、根拠を無意識に探しているうちに遥か遠くに発生した台風を見つける、心理的要因、本人の体調による根拠が大きいとのこと。遠くのどこかで台風は頻繁に発生しているわけで、その時の日本の気圧はほとんど変化はなく、気温による気圧の変化の方がはるかに大きい。
 ダイバーが酸素ボンベを背負って一定時間潜水した場合、急に深いところから上昇すると、二つの危険性がある。一つはエアーエンボリズム→息を止めて浮上してしまうと深いところで圧縮されていた空気が肺で膨らみ、肺を破ってしまう。もう一つは減圧症→血液内で窒素が気泡化して脂肪組織に吸収されやすいために神経症状を引き起こす。しかし、これらは急激な浮上によるもの。台風が徐々に近づくとか、気温が徐々に上下するなどとは比較にならない。
 思い込むことが自分を徐々に追い込み、さらに思い込ませてしまう負の連鎖。全てが当てはまるわけではないが、どちらかと言えば、なぜ富士山頂では100℃以下で沸騰するかに頭を痛ませてほしい。思い込むよりも分析、探究。
 低血圧だから朝弱い?鍛えたから酒が強くなった?さあ、どうだろう・・・。この腰痛、気のせいだといいんですけど。

No.174 【病と闘う】

 

「たたかう」を変換すると「闘う」「戦う」が表れます。どちらかと言えば、心の動きや自然への畏怖などを伴う場合や崇高さを含むのは前者のような気がします。金田一さんに聞いてみようっと・・・
池江 璃花子さんは白血病と闘っています。人生最大の闘いに挑んでおられます。「頑張って」「打ち勝って」「応援します」そんな簡単なもんじゃないことは多くの人が知っています。途切れのない、到達地点や時期がわからない病魔との闘い。100mの競泳ならば飛び込み地点がゴールです。いつまで泳げと、ゴールはどこ?さっきもこの壁を蹴ってターンしたじゃないの。同じような景色を見つつ砂漠を歩かされるようななのかもしれません。それこそそんな簡単に想像するな!と言われます。
 私の母は、再生不良性貧血(骨髄で作られる血液幹細胞から血小板と白血球の再生が行われなくなる)を76歳で発症しました。この年齢ですと、骨髄移植はできません。段階的な処置を試みながら最後の砦、ウサギの血液からつくる薬による点滴治療が奏功。と言っても年齢的、症状からして十分な回復にまでは至りません。でも、この年齢でのこの復活劇は前例がほぼないほどの成果だそうです。奇跡は起こるんだなと思いました。闘病中は日に日に表情がなくなり、話もしなくなり、文字も書けなくなり…。歩くこともできなくなり。でも、思い切って退院してみたらみるみるうちにちょこまかよく動き回るばあさんに戻っていました。
 やはり病とのたたかいは「闘い」かなと思います。強さ、まわりのやさしさ、必要なんだと思います。本当の強さについて折に触れ、子どもたちにも話します。強さとやさしさは同じ意味、空間にあることもわかるような気がします。
「池江さんが世界記録を更新した!」未来日記に強い筆圧で書いておきます。

No.175 【マクロの視点】

 

「フォアボール!」あの大投手が? 学生の頃、体育の先生がなぜあの大投手があの場面で押し出しでマウンドに膝を落とすことになったかをテーマに話し合わせたことがあった。体調、連投、マウンドと太陽の向き、土の感触、汗、ロジンの量、シューズ、キャッチャーのリード、ランナーの挙動、ベンチの表情、歓声、バッターの仕草、過去の同様の場面の回想、気温、湿度、三振への意識、押し出しへの恐怖、さらには彼女と何かあったのか?などを含め途方もない可能性まで引っ張り出されてきた。
どれも可能性がある。先生はそれを「巨視的把握」という言葉で表現されていた。可能性がある根拠の数だけ課題と解決策がある。それを丁寧に一つずつ解決の方向に向けていく作業をたくさん、地道に重ねた投手が、あの場面を切り抜ける可能性を少しだけ上げる投手になるんだと。
大会や練習試合の後、反省会、ミーティングを行うのはよくあること。そこでの課題を整理して、優先順位を付けて、記憶の新しいうちに策を手掛けること。本人でなくても(たぶん、ある内容について手掛けることができるということはその内容については、その人が本人)できること、着手できそうなことを思い切ってやってみる。それを続けられることが「根性」っていうんじゃないかな。土壇場の痛みや苦しさを乗り越えるのは「根性」のほんの一部に過ぎない。
… あの時、サーブをミスしてしまったのはなぜだろう?

No.176 【扉】

 

 自分の殻を打ち破れ!勇気が必要だ。具体的にはどうすることなんだろう?フライングコンテスト(スキージャンプラージヒルの倍近い飛距離のジャンプの大会:200mを優に超える)で当時世界トップレベルの日本人選手が空中で恐怖の矢が一瞬自身を突き抜け、バランスを崩し複雑骨折した。彼の場合は、この恐怖に打ち勝つ精神力を何とかして身につけなければならなかった。
 バレーの場合、きっと「自信をもってプレーすること」「自分や仲間を大声で鼓舞すること」「誰しもがあきらめるはずの瞬間にそれを可能にしようと全力で挑むこと」のどれかになることが多いんじゃないかな。
 では、どうしてそれが必要ななるのかな。答えは二つ用意した。一つは「そのボールは・・・アイツが本気で必死でつないだボールだから、落とすんじゃねえ!」もう一つは「自分を変える扉を開くため」。扉の先につまらない風景が、からっ風の吹くすさんだ薄暗い空間に広がっているかも?そんな扉、あるわけないじゃん。最悪でも無の空間だ、上等だ。そうそう簡単に燦燦たる光景を見られると思わないこと。でもさ、一歩踏み出した、扉をこじ開けたその人こそ自分。無理して押し開けることは本来の自分じゃないんじゃないか、そう疑うのはとりあえずやめとこう。だってその積み重ねが一歩先の自分を作るってことだから。できるかできないかなんて全く考える必要ない。挑む勇気、踏み出す勇気は誰にでもある。やるかやらないかだけだ。どっちの自分になりたい?
 冒頭のジャンパー、翌年の大会で優勝しているぞ。

No.177 【小学生のトレーニング】

 

 12才の少年が高板飛び込み全国大会で優勝の快挙を遂げました。シックスパックの見事な腹筋。YouTubeで見かける低年齢のマッチョくん。私の出身中学当時のバレー部でも、上半身を体育館ステージから出した連続腹筋100回、背筋も同じく。チームメイトを担いでスクワット。うさぎ跳び、トラックタイヤ押し・・・これを一気に3~4セット行うときもありました。それでも感覚的な印象なのか、当時はそれほどケガの情報を耳にしなかった気がします。これは、中学生以前の運動量と運動内容、運動強度が今よりバランスよく、自然に行われていたことが大きいかなと思います。現代は状況が随分違う。ITの進化、学校の在り方の複雑さや難しさ、社会通念の変容、みんな要因としては大きすぎて、子ども本人にはどうしようもない。・・・ちょっとタイトルから外れました・・・。
 小学生は昔から日本に(似たようなものは海外でも)ある、人数の違いによるそれぞれの遊びを徹底的にやり切っていれば何の問題もないと考えます。「ドッジボールとけん玉とお手玉と縄跳びと・・・」のコラムでも紹介しました。そんな時間はないかな・・・塾、習い事、宿題、バレー(あ、バレー・・・)。みんな忙しい。校庭にドッジボールのボールを持って行ってもやる相手が集まらない。難しい時代になってきました。
 小学生の特殊な筋トレは弊害の方が心配です。中学生は自重を使ったトレーニング、高校生は器具を使ったとレーニングへと移行していくのが良いと考えます。忙しい小学生、大人の働き方改革ならぬ「遊び方改革」が必要な時代なんでしょうか

No.178 【メール(残念な大会後)】

 

 …以前、「全力」を出し切れていなかったと評した後、その子の保護者の方に返信したメールの内容です。何をもって全力か…

「あれが〇〇さんの限界だったのでしょうか。みんなあれ以上は何をどうしろと、自分は一番声を出してみんなを励まし自分を励ましたと胸を張って言える結果だったと考えたんでしょうか。私たちコーチ陣は、あえて手を差し伸べませんでした。なぜだかわからない人もいたようです。コートの中はこんなに頑張っているのに、タイムも取らないでしかめっ面。チームを見捨てたのはコーチ。もしかしてそう思いますか?
試合をしているのは誰でしょう?先行される場面でのあの無表情のチームメイト、〇〇さん本人も含めてあれが自分のできる全てだとしたら、「こうあるべき」「こんな力を出したい」「こんな空気を自分一人でも作っていきたい」と考えるときの限界値があまりにも低すぎませんか?勝っているときにしか、追いつけそうな時にしかそれができないようでは、この先毎回同じ場面におちいるということです。
コーチの顔色で流れを知ったり、コーチがピエロにならなくては状況を変えられない、エネルギーが高まらないのでは「人任せ」ではないかなと思います。

 セット間の空気、点数を連続で取られて時の次に向かう気持ち。静かに内に秘めていて伝わるでしょうか?声をだしたかもしれないし、笑顔を常に絶やさないでやったと思うかもしれません。でも、VTRは正直ですよ。みんなを最後まで応援し元気づけ笑顔で励ましつづけた応援団と同じかそれ以上にコートの中でエネルギッシュに闘いましたか?それができていないことを「試合をすてた」と表現しました。
 セット間にあの空気、コートに走りこんでいくときの勢い、エールの声、あれが限界なのかな。下の学年の大会でのエールははるかに大きかったです。ベンチにいたから感覚ではなく事実です。
 声を出せば勝てるのか、元気で笑顔なら勝てるのか、気持ちを顔や身振りで表現したら勝てるのか?勝てるとは言い切れません。でも、ほんのちょっと近づけることは確かです。それをやりきれたかどうかだと思います。私も元気にふるまうことは有りますし、チーム一丸の意味では点を取りに行く手段の一つとして、ピエロになることもあります。でも、本来それは〇〇さん自身がコートの中で全体に向かって表現すべきことなんじゃないかな。恥ずかしいとか、これでも精いっぱいやっている、あれだけやったのに・・・。甘ったれてはいけません。君はもっと考えて、必要な場面でもっとピエロになってでも表現して、一番声を出せるのなら、きっと一番動いて相手チームから「あの子の元気にやられた」と言わせられると思います。足りなかったものは何だったんだろうね。」

 コートの中に入るかなり前、練習の一瞬一瞬にその練習は存在しています。
 

No.179 【テーピング】

 

 「元気はつらつオロナミンC」テレビがお茶の間に爆発的な拡散力で普及し始めたのち、予想通りCMは大きな広告塔となりました。その中で、するっとすり抜けたこのキャッチコピー。よく考えられていた。どこにも元気になる、疲労回復すると明言していない。でも、そのコピーが生むプラセボ効果がむしろ奏功したのでは。(ここではその効能を否定するのではなく、医薬品とは異なる事例です。大塚製薬さんごめんなさい。)
 キネシオ理論によるテープもかなり出回っています。ピークトルクへの到達時間が人が自覚できないほどの差でしかなく、伸縮性による補助機能とプラセボ効果による差の範囲内。力の出方や関節の角度には差が出なかったというのが科学的な結果。貼ることによる感覚刺激がもたらす心理的な効果はある。ということは、物理的な解決手段とするには根拠に乏しいと思わざるを得ない。もちろん科学がすべてではないが、過信してけがを悪化させたり無理をすることにつながらないようにしたいなと思う。
 テーピングを行うメリットは、可動域の制限、筋肉の弛緩や広がりを抑えて本来緊張させるべき筋肉量と強度を外圧によって少しだけ保持させること。と考えると、固定、もしくは伸縮はそこそこするが、一定の伸縮長になったら伸びない代物が運動時には向いているように思う。 
 ちなみに、個人的に長年にわたる腰痛や足首の捻挫でいい感じと思ったテープ、サポーターはこんな感じ。(やはり「感じ」と逃げるのも個人レベルでは科学的な実証は無理だから)
 「腰」 → REGUARD(リガード)サクラルガード WG-2 ・・・幅が広すぎず、固定具合がよい。ただし、骨盤形状から女性には不向きな場合もある(ウエスト部に動いてしまうので幅広タイプがいいかも)。スキー用にはSchiek(シーク)リフティングベルト。全く伸縮性はないが、固定力抜群。マジックテープは逆方向にはずれないので誤開放がなく安心。
 「足首」 → ZAMST(ザムスト) A1 ・・・内外側にステーが入っていて足首の外転をある程度サポートしてくれる。クレーマージャパンのデニバン(50㎜、70㎜)・・・伸縮は固めで一定のところからビタっと伸びが止まる。しかも白い固定テープより頑丈。あくまで個人の感想です・・・ 人体の筋肉や腱にかかる力はテープやバンデージの一巻きや二巻きでフォローしきれるほど甘くはない。スキーのエア台からジャンプ知るときの着地時は、膝や腰椎に体重の10倍の重量がかかる。
さて、今日も一本、オロナミンC飲んでバレーしようっと。

No.180 【楽観バイアス】

 

 先日、大会に向かう車の中で、スマホを持っている持っていないの話題になりました。事件に巻き込まれてはいないか、緊急時に役に立つ、そんな大義で小さいころから所持するケースは増える傾向です。みんなが持っている・・・昔から子供が親を口説く常套句、99%おもちゃですよ。事件時本当に役に立ちますか?犯人はすぐ捨てるか場所をかく乱するために逆に利用しますよ。自分に都合のよい方向に物事を考えたり正当化したりする傾向は誰しも持っていて、そちらに傾くことが確かに心地よかったり、楽だったり、期待したくなるものです。その方が危機的状態で生き抜く心の保ち方になる場合もあります。
 しかしながら、この手の誘惑(スマホ、ギャンブル性のあるもの)はリスクの大きさに小学生、中学生が客観的に判断できる可能性は低いと思います。SNS使用のリスクを小学生が説明できますか?中学生が完全に回避できますか?その心配はあるけど大きくはない、その心配はあるけどたぶん巻き込まれない・・・すでに楽観バイアスにとりこまれています。
 車内でのクイズ、「コンビニと美容室はどちらが多いか?「歯科とコンビニは?」よく目にする目立つ物は多く見えるというのも人間の脳の誤情報操作によるものだそうです。「みんなが持ってる」は、それに通ずることも頷けます。コンビニは、美容室よりも歯科よりも少なく(美容室の約4分の1)、美容室は信号機の数よりも多いのだそうです。思い込みを根拠にリスクを背負うことの危機感を楽観視しすぎないようにしたいと思います。

No.181 【投網とハンマー投げ】

 

 84m86cm、室伏広治選手のハンマー投げの最高記録です。室伏選手の独自のトレーニング方法は時々話題になりました。独自の練習方法を持っているアスリートはたくさんいます。室伏選手は、舟上でバランスを保ちながら力のない高齢の漁師が投網を美しく投げるのを参考にこの感覚的なトレーニングを取り入れていました。王貞治さんは、真剣での素振り。バランスや感覚を鍛える、研ぎ澄ます鍛錬は必ずしも体育館や競技者のグランドである必要はありません。
 ヨガ、古武道、メンタルトレーニング、禅、けん玉、スポーツクライミング、サーフィン、アスレチック、ジャグリング・・・これらはよく聞く「別畑」のメニューです。バレーボールのレシーブに関していえば、卓球の高さを変えずに相手の動きから弾道を予想し素早くサイドに移動する動きはとても参考になります。最近では、ヒップホップダンス、スラックライン。冬季競技のアスリートが別畑の夏季競技で好成績を収めることもしばしば。何となく分野としてはパワー系、バランス系、メンタル系に分けられる気がします。
 動物園で猿と一緒に生活するトレーニングなんかもいいかもしない・・・コーチ側としては普段小学園?の子どもの中で過ごすのもある意味それに近いトレーニングなのかもしれません。こちらはメンタルトレーニングのカテゴリーと思われますが。ukiki.

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