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No.309 「挑み方・・・少し複雑に考える」 

 

 以前、「挑み方・・・シンプルに考える」と称してコラムを書いたことがあります。今度はちょっと複雑に。複雑というより、視点を変えてという方が適切な表現化もしれません。ここには「6年生の二つの挑戦」「二つの勝負」などのコラムも関係してきます。つまり、「勝ち」ではなく「価値」を追求する視点からの挑み方になります。この記事を書いたのは実は2シーズン前。シンプルな挑戦を意図した記事のサブとしてメモしておいたものがそのままに、でリニューアル版です。しばらく寝かしても「そうなんじゃないか」と思えるものは、きっと確からしいのではないかと。
 私たちが応援したくなる姿、チームメイトが、仲間としてコートに迎え入れたくなる価値観と「自分」の思いとはかけ離れていることがあります。誰もが認める技術力、圧倒的な牽引力、心技体知兼ね備えるプレーヤー、確かに晴れ舞台では輝いて見えます。しかしながら、節目の機会にそれは小さなことです。もちろん、そこに至る本人の並々ならぬ努力と才能あっての成果であれば当然ひとくくりに小さいとは言えませんが。小学6年生が節目に立つ機会にコートに立つ価値を考えるとき、この圧倒的な存在感よりも、自分らしさを自分と仲間が共有して、チームらしさを共有することの方が何倍も価値のあること。
 くしくも、今年度はこの節目を迎えるにあたり、半世紀に一度とも言えそうな苦境(感染症対策)を経験しています。練習環境はコートの20分の1にも満たないリビングの片隅だったりします。コートでのコンビネーションや要求される力は、低下している可能性も大いにあります。でも、それはこの機会においては「価値」の基準にはなりません。
 たくさん穴の開いた帆舟、推進力は手漕ぎのオールのみ、でも血豆いっぱい、つぶれた豆でオールが滑っても、一生懸命漕いでこの小島にたどり着いたならば、仲間は全身全霊全力の笑みをもって迎え入れてくれるはずです。その一生懸命を応援してみたい気持ちに溢れないものがどこにいよう。その手をつかみ、陸に引き上げた瞬間、何を得てきたかはすぐにわかります。
 その経験をどちらの立場(漕ぐ側、迎える側)でもしてみるべきだと思います。子供たちにもその考え方や感じ方を経験してもらいたいと思います。もしかして、結局はシンプルなのか・・・こうべを上げ、一生懸命やってみようか、今こそがチャンス。

No.310【人数が多いチームの工夫】 

 

 息子が中学在籍時代、同級生のテニス部の子たちが3年生最後の試合(紅白戦だった)をするというので、観戦に行きました。率直な感想を言います。3年間練習してきて到達点がここか・・・。表現は非常にシビアで誰を責めるわけでもないのですが、とても残念な思いで胸が少々傷みました。
 色々根拠はあります。中学の校庭の一角のコートで練習できる人数、コート内で練習できる人数はテニスは確かに限定的。お金を払って外部でできる練習環境が整っていない。指導者の専門性や多忙感。本人たちの意志。総合的にそう至る結果でした。
 でも、やりようはあるんだと思います。野球も然り。一人がバッティング練習をしているのを外野で一回もボールを触らずに待っている必要はないですし、テニスでコートの中を見つめている必要もないですし。効率よくたくさんボールに触り、目的をもって効果的に技術や意識を向上させる方法を捻出しなくてはもったいない。「捻出」「もったいない」この二言は指導者にとってとても大切ながらとても苦しい二言です。逆に考えると、この苦心を形にしていく経験をともにする子供たちは、きっと、同様な環境下において、捻出する基礎の意識やイメージを学んでいけるとも言えます。そうか、ちょっと「捻出」が面白くなってきました。

No.311「らくがき絵本」 

 

 「楽しい気持ちにしてあげよう」「花でいっぱいに~」魚をたすけて~」等々、五味太郎さん作の超分厚い落書き専用の本です。親戚の子たちが小学校に入学した時に送ってあげたことを思い出します。すでに20年以上前の話なのですが、今も色あせず書店で見かけたので、懐かしくもうれしくなりちょいバレに。
 抽象的な問いかけに対して具体化して表現すること、しかも色や形を自由に。この「自由に」はかえって難しい作業です。どうにでもできる自由度がある分、どうしたらより伝わるか、表現できるかに頭をひねることになります。一人一人の感性が現れ、友達と見比べてみると、他者の感性や表現力に刺激されます。好きな時に開いて描く。
 デジタル化が進み、小中学校でも何?GIGAスクール構想?対応で児童・生徒一人1台タブレットPCの用意が進む昨今。こういうアナログの作業は非常に必要と感じるとともに、オンライン、デジタル化への懸念も非常に非常に感じます。

No.312【面白いと不思議】 

 

 小学5年生に、鉱物顕微鏡(とか理科の先生が言ってた)で石の断面を見せたことがあります。ある子は「おもしろーい」といい、別の子は「不思議~」といい。その感じ取り方は色々。色々というのは、真意のほどはわからないといった方がいいのか、それとも・・・。
 それとも、考えのステージが違うのかもしれません。帰路、何となく考えてみると「面白い」は単純にその様子を見て表現した浅さを感じますが、不思議~については、元の形状とは違うことへの疑問が表現されているように思います。探求の扉を開けている気がしてなりませんでした。この子、十数年後、地質学を学ぶ学部に進学し、地震のメカニズム解明と予知精度向上の研究に携わっているとの報告が最近ありました。
 そう考えると、子どもへの見せ方、提供の仕方、何気なくそのままにしてしまうのはもったいない気がしてきます。逆手に取りましょう。ほんの1アクションの追加です。「不思議だね~」「ちょっと変だね~」「〇〇みたい」「あれ~?」「なんでかなぁ」・・・とつぶやく。
 一つ余計に考えることはイコール探求の扉を開けることに!正解に導く必要はありませんから、お気楽に。

No.313「攻めるとは」 

 

 「攻める」の文字から滲み出てくるもの、この三文字を表現できること、このラベルの引き出しの中には何があるのでしょう? 例えば6年生ならどう説明するのでしょうか? 場面をバレーボールに限定した場合には少しは範囲を限定できるようには思いますが、それでも答えは薄っぺらでは意味がありません。物事は、言葉は、説明できてやっと理解できていることが確認できるものです。そもそもその言葉自体が多くのグレーゾーンやあいまいな境界や、範囲をもちづらい内容の場合も多いものです。だからこそ、そこにはメスを入れるべきだと思います。
 この「攻める」をバレーのシーンにおいて表現すると、こんなのはどうでしょう? 「強く深い考えを表現すること」。
 スパイク一つでも、強打あり、軟打での攻略もあります。サーブなら相手の弱点を狙うことも、間を取って緊張感を持たせることも攻め手の一つでしょう。ではディグは? もちろん「まもり」ではなく味方を有利にして攻撃に結びつける最初の「攻め」です。チームメイトで目を合わせることも、キャプテン自らがタイムアウトを取ることだって、冷静さだって言わずもがな、攻めなのです。
 そうでなくっちゃ面白くない! そう考えるとどうしたって次の一本に挑みたくなる。それこそが攻めるバレー。面白くないわけがない。ただし、そこに行くまでには、とてつもない努力が不可欠。実現可能な心技体知積み重ねなければなりません。その過程のコーチ陣の攻めに負けてはならない。

No.314【卒業する仲間へ】 

 

 最後のコートでの挑み方はどうでしたか? どんな場面でも満点はあり得ません。でも、色々分けて考えた時に、中には100点を超えちゃう要素だってあったんじゃないかな。それこそが、みんなで挑んだことの意義。どうしたって悔いは残ります。だからこそこの先につながります。それもみんなで挑んできた成果。つまり、この日はスタートの日とも言えます。
 この日の出来事を、この日の気持ちをできれば忘れないでいてほしい。何ができて、何ができなかったか。何を感じたのか。(悔しいけど?)感動したよ! 私たち、こんなにできる!こんなに表現できる!をこんなに近くで見せてもらえました。最後の最後ですごいドラマでした。製作者は君たちです。HIGASHIは、毎年最後に大きなドラマがやってくる、もうそれが伝統になりました。その道を積み重ねたのも君たちです。自主練、仲間の離脱、復活、試合途中の浮き沈み、涙、そのすべてを笑顔に変えたのも君たちです。会場で唯一最高に「粘り」「表現力」を発揮したチームでした。
この学年は、気の優しいメンバー集団。それゆえに強い気持ちをお互いにぶつけ合うことを恐れたことがありました。でも、ちょっと時間はかかりましたが、伝えあうことはできた仲間だと思います。だからこそ感じ取れたよね! バレーボールはこんなにも面白くて、こんなにも気持ちよくて、くやしくて、感動できて、周りを引き込む力があって、その中心に自分たちがいる。立ち上がる躍動感! なんてexcitingな舞台なんだと。最後の舞台で、コートに立っているそのときが、これまでのたくさんの想いや錬成の道のりの先にあることを実感できたよね! 5人そろってさ。仲間っていいね。つないだね、仲間と。

 さて、卒業生には、とんでもなく自由で、私の自分本意な考え方で、でも、すごく想いをたくさん強く込めて、書き綴った「ちょいバレ」の全コラムを無理やり渡しています。要らないという人にも。
 今読んでも珍紛漢紛なことがほとんどでしょう。なぜだと思います? それは、答えが、5年先、10年先、20年先、もっともっと先にあるからです。だから文章は、「おこちゃまにもわかるように」などと小学生用になんか書いていないでん酢。みんなが高校生、社会人、お母さんになって、もしかしたら子どもにスポーツを教えたり生き方の相談をしたりしているとき、そのときに役に立って欲しいものなのです。何十人もの卒業生の誰か一人でも、考え方を生かしてくれると私がHIGASHIでみんなと出逢った意味があると思います。その一時のために私たちコーチ陣はみんなに一球を出し、考えを伝え、色々な種をまいて、罠をしかけて、雨を降らせて、時にはちょっといい気にさせて、落として浮かべて、文字にして表現して本当に色々やってきました。恩着せがましいめんどくさいおっさんでしょ? でもね、ここで出逢ったのが運の尽き、あきらめて生き方で恩返ししてください。

 卒部を迎えてこの折に、みんなに課した作文を読ませてもらいました。私たちコーチ陣は、みんなの友だちのように気持ちを楽に接することも、お母さんお父さんたちのようにみんなに寄り添うことも、あえてしないことも多かったと思います。「やな奴ら」の時も、「なんで私ばっかり」の時も、「何を要求しているの?」の時もあったと思います。そりゃそうです。そんじょそこらの小学生は、こんなに物事を考えて浮かされたり沈まされたりする経験はしていません。自分や自分たちで考えて答えを出す経験です。作文には、その成果が表現されていました。ならば、私たちのみんなへの関わり方は、半分成功で巣。
 問題は残りの半分。もうわかったと思いますが、この先20〜30年をかけて残り半分を成功だったと私たちに思わせてみてください。そうこうしているうちに私はこの世からお先に失礼していますけど。大切なのは、考え方なんです。どう考えようとするか、考える方法、実行する手立て、全て基礎は伝えましたよ。吸収したかどうかは君たちしだいですし、実行する力も君たちしだいです。ここからは自分たちで。その表現をもって、「自分たちのバレー」と語ってください。
 とりあえず、中学高校の青春どまん央の月日を「はなやかに」「どろくさく」「真剣に」「面白おかしく」「泣いて笑って」全力で生きてみたらいいと思います。では、皆さん、来年度からは、POOPSSの一員として、HIGASHIに力を! 最後に、皆さんに言っておきますが、「HIGASH」ではなく、「HIGASHI」です!

 

※以上、卒業生に宛てた文章です。重いなあ~と言いながら送る会のプレゼントの紙袋に追加で忍ばせるちょいバレの冊子。重くて悪かったな。重いは想いだ、持っていけ。
 

No.315「壁女」 

 

 「私~きれい~?」口裂け女の都市伝説を知る人は、そろそろ入歯男になろうとする年齢かもしれない。山ガール、歴女・・・そして新たなるHIGASHI伝説は「壁女」。以下、HIGASHIのblogから「壁女」記事の抜粋です。
「壁女(かべじょ)現る」
 昨日、職場の同僚からこんなうわさを聞きました。「同じシャツ着た子が親子で公園の壁にバレーボールぶつけてたよ!」・・・そう、これが最近巷に出没する「壁女(かべじょ)」である。少し角度のついた壁にボールをぶつけ、レシーブ、トス、スパイク。上手くなってくると、一人で連続、さらに二人だと連続で勝負もできる。もっと上級者は、距離を縮めて高速のボールを処理する。この練習では手だけでなく全身で扱う率が高まります。ということは、蹴男(けるお)の父さんにも勝機が・・・。さあ、都市伝説のはじまり!多摩川原に土手女も現れるのか・・・
 注意:ご近所迷惑にならぬよう。家の壁は壊さぬよう。ちょっとやっただけで壁女を名乗らぬよう。誰が最初に100時間を超えるのか。100時間を越えねば壁女を名乗ってはならぬ!
 以上です。感染症対策による練習環境の不憫を感じます。しかし嘆いていても仕方ありません。どうしたら自分を高められるかを創意工夫する、ピンチをチャンスに変換する創造力に酔いましょう。そういえば、この壁女の進化版、電柱女も以前いましたねぇ。

No.316【声をだす 3】 

 

 すでに、39、49​で小難しく紹介しました。今回はちょっと子供向けにドリル形式に仕立ててみたものを紹介します。1年弱前に子供達向けに出した宿題と、私の回答編を一部リニューアルした内容です。回答としたのは、解答ではなく正解が一つではないが故の表現です。発想は無限、人と違う答えを出してみたくなることも創造力を広げます。

No.317「擬音」 

 

 バァッといってガーンと打つ!長嶋茂雄さんはこういったそうです。天才?いえいえ、ものすごい努力家です。長嶋さんを知る人の著書の多くから、それは事実と疑いようはありません。失敗を恐れず、空振りの豪快さが相手投手に恐怖を抱かせたこの方の名言の一つです。
 スゥ―ドン!→サーブを打つ時の擬音、スパイクに入る助走からジャンプまでの擬音、フッサササ→レシーブ直前の擬音など動きを誘導するための意識、イメージと動きを一致しやすくするためのこれらの擬音語は、動きを効率よく実現するために一役買っているといえます。小難しい理論はもちろん知識として、裏付け根拠としては知るべきです。しかしながら、擬音の方が手っ取り早いことも多々あります。
 サーブのアプローチ、チャーシューメーンと唱える、あるいは、1・2・3!と唱える方法を見たことは何度かあります。さて、スゥ―ドン!と比べて、どちらがトスが安定し、頭の高さが一定で、顎の上がらないイメージで、ブレのない、相手を恐怖に陥れるオーバーハンドフローターサーブへの近道か・・・チャーシュー麵と素うどんの勝負、軍配はどちらに?

No.318【サーブ GO!】 

 

 初動の遅れが大きな後悔につながる。バレーはその後悔を6人で背負うことも、6人でリカバリーすることも、それも醍醐味としてはあり得ます。しかしながら、1点を全力で奪取に挑むとき、何としてもその成功確率を上げたいものです。
 HIGASHIのオリジナル(浜松のオンラインコーチ発案)は、「サーブ GO!」この必殺技は他のチームの皆さん、マネしないでほしい・・・。初動の意識を高め、意志を強固にし、獲物を捕まえるスピードを上げる。簡単ではありませんが、身に着けたくば、HIGASHIへどうぞ。こどもが「HIGASH」と書いていましたが、そうではなく「HIGASHI」
 でも、そうはいっても、なかなか上がるものではないのがレセプション。きっと、バレーの要素の中で一番難しいのではないかと思います。一見、そう見えないのですが。。。だから、ひたすらのサーブ GO! バミューダトライアングルに落としてはならぬ、魔球といえども。
 ちなみに、「1・2・3」と掛け声をかける方法をよく見かけますが、上に跳びはねるイメージを連想させるこの方法は私はお勧めしません。(ブロックの合わせを除いて・・・この理由はいずれどこかで)

No.319「super」 

 

 スーパースター、スーパーマーケット、スーパーマン。このsuperは「超」に該当する言葉です。この言葉が入るだけでちょっとスイッチが入ります。
 HIGASHIでは、このsuperの名が付く練習があります。スーパー対人。もともと対人(二人一組でスパイク、トス、レシーブを続ける練習)は最もポピュラーな練習の一つです。この動きの中には、試合で生かせる動きや意識の多くが入っています。ところが、実戦で、実際のコートで生かせるためにはそんな生半可な、あまっちょろい、淡々とした対人ではとてもとても・・・。(もちろん、正確に、丹念に、リズムを続ける対人も基礎として当然大切です。)
 スーパー対人は、打ち込むことにギラギラし、拾ってやろうと思うことにもギラついて、フェイントやスパイクの狙いをずらして相手をてんてこ舞させて、ちょっと笑みを浮かべます。拾う方はそれを予測してファインプレーでしのいでこちらもまたほくそ笑む、もちろんそれゆえの運動量の多さに全身から熱を大量発生させながら。
 スパイクを狙い続け、体軸が斜め45度になろうと後ろに走らされようと、その動きは返って無理を承知の攻めの意識に変換します。いつしかこのエネルギッシュな感覚に酔い始めます。そして、この粗削りなひよっこ達が、全力感の中ですら精度の高い恣意的な、想像力豊かで、対応力抜群のプレーを見せてくれることになる?のでしょう? 

 superがregularになる時、君はコートの中の常連客(regular)ですごいヤツ(super man)になっているかもしれない。

No.320【今、一生懸命やる理由】 

 

 もったいない時間の使い方をしているな、と残念に思う光景はいつの世も、特に年齢を重ねた者が若者を見て思うもの。平成~令和にきてその「若者」に該当する光景が低年齢化している気がしてなりません。いつの世もそういうものだ、とたかをくくっていると、とんでもない世界をとんでもない心の持ち主の大人が横行する世界が予想されてしまう。
 子供を無理に頑張らせると心をつぶしてしまう。だから本人が自分でそう思えるようにかかわる大人「だれか」は仕向けなければならない。そんな「だれか」、お願いします。白羽の矢は学校など公の場に向かう。「だれか」に責任を負わせてしまえば肩の荷は降りるといった状況は、学校関係だけでなくたくさん見てきました。短絡的な思考に走らない人、今一生懸命やる理由を知り、徹底的に一定期間努力し続けることができる人を、なんとか地域コミュニティで育成できないものか。
 今、一生懸命やる理由・・・今までを否定しないだけではなく、その「今」が、当人たちの未来につながっている線上にあるからだと私は思います。大きな到達点は目的、小さなステップは目標。具体的で地味な積み重ねを一生懸命できる人こそが、人をそう思わせるための努力を続ける大人になれるんじゃないかと思います。その責を地域スポーツの指導者は担っていると思うと、それも一生懸命やる理由に。一生懸命を楽しもう。一生懸命をあきらめてはならない。

No.321「こねずみ達の公園レシピ」・・・(緊急事態宣言期間中の屋内練習中止、外練4人以下) 

 

 外を制するものは中を制す!
湖西市のS中強かったなぁ〜。体育館がなく、天井の低い講堂がホーム、外練ももちろんある。遠州灘の強風の中。低いトス回し、それを追うブロック陣と滑る地面での初動の速さと膝をつかない守備を自然にまとったチーム。もう40年以上も昔の話。

外練だからこそのレシピをいくつか。
□フォーム作り・・・太陽を背にして影を見る。太陽を横に見て影を見る。ゆっくり合理的なフォームを確認しながら作ることができます。
□最高到達点アップ・・・大事なのは助走。高く跳べるための大きな要素と小さな要素をかき集めて、高さに挑む。目標は、あの木の枝。予め高さが異なる枝を選んでおくか、高さが異なるポイントを見つけておきます。
□対壁・・・壁はいい!使い方は無限です。単純なパス。近距離での対壁パスや超近距離の膝使いのパス。サーブ&レセプション。上手くなってきたらサーブ→レセプション→トス→スパイクの連続。これは一人でも複数人でもアレンジできます。これにブロックとブロックフォローが入ったらC難度です。2方向の壁に囲まれた場所、敵が左右に!イレギュラー上等。
□対壁ゲーム・・・壁に向かって左右に小さなコートを描き、壁の跳ね返りを相手のコートに入れます。
□蹴り上げボールキャッチ・・・せっかく外だから。大人が思いっきり蹴り上げたボールをキャッチ。取ると決めた人が声と表現力で他のメンバーを抑えてキャッチ。ほぼほぼ落とすので他のメンバーはそれをフォローします。
□ゴミ拾い・・・自分たちの使った公共の場所。きた時よりもきれいに。公園にはあいさつを忘れずに。

太陽、雲、風、壁、これらを制してフロアに戻ってくることができるかな?こねずみ達よ!

(No.84、No.138も合わせてどうぞ)

No.322【体育館使用中止期間の工夫として】 

 

 パンデミック、映画ではSF的に制作されたものがありますが、医学と体制がこれだけ進んでいる現代において、これほどの脅威となろうとは、誰が先見したでしょう。これまでの外や家庭での練習(机上を含む)については取り上げてきましたが、今後、このタイトルの扱いは増えるかもしれません。子どもたちの発案、コーチ陣発案、保護者発案など実はチームHIGASHIは、この取り組みはかなり多いと思います。この経験を通して、大切なのは、子どもたちからの発案、継続の工夫、実施と評価であると思います。

 今回は、シリーズ的に設定した1例を掲載します。1セット~3セットまで用意しました。1セットは、基礎的な内容とコーチ陣からやってほしい内容を入れました。2セットは、一部自分でセッティングする内容を記載できるように、さらに3セットでは、すべてが、自分でノセッティングです。この中での基準については、正直適当ではないものも多くあります。ただし、そこは考え方次第です。実際に1分間の対人で得点1点と、1分テレビ見たら減点1点は、アンバランスです。

 実施後の意見の例ですです。A→テレビやスマホ見たら1分減点1点は厳しいです。B→この間、絶対テレビ見ない!(このメンバーは、テレビの代わりに本を読むなど生活に変容のきっかけもあったようです。ストレスになっちゃうかもという老婆心はさておき。) この2つの意見はやはり考え方次第かなと思いました。

 私はこう考えます。家族団らんでテレビを見ることはいいことです。一概にそれをマイナス要素にする必要は本来はありません。しかし、短い期間中、自分を高めることの大切さを知り、覚悟して、大事な目的のために優先順位をつけて一生懸命やってみる努力を経験する機会にしてほしいと思います。そのための減点要素の設定です。本来は、得点要素のみでよいのでしょう。ただ、ピンチをチャンスに!のスタンスは、ここ主体的な意志で参加するスポーツ集団においては、少し厳しめの自分への見方を経験してほしいと思います。

 

No.323「滲ませる」 

 

 「できる範囲で」、「笑顔で行こう」。その通りに受け取るのはきっと常識的な方法です。その文字(ことば)の裏面にはもしかしたら、発信者の意図が含まれていたりはしないだろうか。受け取り方は自由ですが、すんなり受け入れるにはもったいないチャンスがそこに潜んでいることも多いものです。特に、発信者が、一癖も二癖もある相手であったり、その人を試そうと目論んでいる相手ならなおのこと。
 「できる範囲で」?これはきっと「試してるな?」試されている内容はたぶん、基準、主体性、意志。「笑顔で行こう」これはきっと、笑顔の意味を分かっているか、そうすることの効果や引き出したいものは何か、それを通すことのできる人間性であるか否か。なんだかちょっと腹黒い感じもしなくもないのですが、裏に滲まされているシミを見抜ける力は、その意図をつなぎ合わせて創造的に答えを導き出す力そのものに発展します。小学生レベルではそれほどシミは意味深なものではありません。でも、高校の推薦入試の小論文、大学入試や就職試験の小論文などは、どんな人材を求めているかがその発問ににじまされていることは言うまでもありません。付け焼刃では、すぐに見抜かれてしまいます。意図は糸、紡ぎ重ねなければ丈夫な布は織れませぬ。

No.324【その動きを導くために】 

 

 私たちコーチ陣は、時々ウソをつきます。ウソというのはちょっとニュアンスが違いますが、到達点での理想的なフォーム、状況とは違う説明や練習手続きをたどることがあります。「基礎」を身につける場合は特に。
 実際に到達してほしい動きを誘導するための一手段、手続きです。その動きの誘導方法も導きたい動きから逆算して、トップダウンの発想で工夫するとその多様さは無限に広がります。どれが自分の筋道にマッチしているのかは、しばらく試してみる必要があります。
低い姿勢でディグ→立位から完全なしゃがみ込み姿勢までを1~5段階に分けて、4で構えてキャッチ(実際に4の姿勢でディグする人はまずいません)。サーブを打ち終わった直後→軸足で5秒静止(そんな悠長なサーブを打つ人は試合ではいません)。スパイクの素振り→頭上を通り過ぎるまで相手に手の甲を見せる→(空中姿勢でそんな動きはしません)。

 これらは最終到達点とは違う動きの練習になります。でも、その先には確かな技術への導線がうっすら見えています。
その動きを導くために・・・こんなウソをつきながら、さらに、トップダウンの発想からの練習方法の工夫は、面白さと責任の両方を持ち合わせています。サーブ練習の初心者に保護者の一人がフラフープを投げさせていました。おお~、砲丸投げの室伏選手が投網をしていたのを思い出します。スパイクの助走を熟練者が手をつないで一緒に跳ぶ、フラフープでステップの場所を示す。ホールディングのオーバーハンドを修正するために小さなジャンプトスの連続練習やヘディング。指示の声を出すためにボール3個のミニラリー&ボールパス(これはHコーチ発案で文面では説明しがたい)。
 意識優先で動きを誘導する工夫、無限・・・。

No.325「腰痛」 

 

 持病の椎間板ヘルニア(Hell near と書きたいくらい)が誘発する数年に一度(用心していても押し寄せる)の激痛。なぜかオリンピックイヤーにビッグウェーブが来ます(今年は1年ずれたのにもかかわらず)。侮れません。むしろ神頼みのように「なりませんように」ときれいな心をもとうとすら思う日々なのです。しかし、私は自他ともに認められる煩悩の塊(お暇な方は「煩悩」調べてみてください。英語ではworldly desires、この世の願い。良くも悪くも解釈次第。)、救われるはずもないのです。
 しかし、ピュアな小中学生は救われねばなりません。腰痛の原因は様々ですが、脊椎腰椎の物理的原因、筋肉の緊張による原因、心因性、外傷、腫瘍や内臓系の原因など様々です。いつも繰り返すよくあるパターンの2回目以降は別として、まずは、病院に行け!が持論です。整体、接骨、民間にも力はあります。私の過去の経験から、その力を認めつつも、まずは病院に行け!です。
 ごく近親者で腰痛を発症し、病院以外では直せない、あるいは、動かしたら危険な状態のケースが複数ありました。いくつか紹介します。
・分離症 → 腰椎の後ろ半分の「椎弓」の斜め後方は細かく弱い部分で、背中をそらす動作やジャンプからの着地のような動作で力がかかります。そういう動作を繰り返されると骨にひび(疲労骨折)が入る場合があります。成長期は安静にすることで(かなり長期かかりますが)くっつきます。大人になったら戻せません。分離症の現役トップアスリートはいます。近所の女子中学生が腰痛というので、整形外科を勧めました。この症例の子です。我が家の次男も。
・脊髄腫瘍 → 完全に手術が必要です。隣人がしばらく整体に行っていましたが、改善せず、病院の検査で発覚し、10万人に一人というこの症例での手術となりました。
 椎間板ヘルニアの症状は、レントゲンを撮ると、実は20%くらいの成人はそのような症状に写るそうです。神経症状を引き起こすか否かの微妙な突出か否かなのでしょう。救いは、脱出型でない限りは、期間は不明でもそのうち改善すること。ヘルニアと筋肉系の原因は、急にではなく何となく予兆があるように思います(これは経験上)。
 さて、ぎっくり腰、これは病名ではありません。正式には、腰椎捻挫。内容は、小さな筋断裂、筋膜断裂により炎症が広がり、内出血が起こり白血球が集まり、痛み成分(プロスタグランジン)が発生し、痛みを感じることになります。捻挫と同じような回復経緯をたどります。いずれにしても、予後は腰痛とはおおむね長期お付き合いせねばなりません。スポーツや生活を楽しむためには健康が一番。無理は禁物です。そして、まずは病院に行け!です。
 余談。ひどい腰痛時の必須アイテム→スマホ、針金ハンガー、ストロー、傘、低い脚立、と痛み止め。神様、次もなんとかトイレに行けますように・・・。

No.326【寄り道(遠回り)】 

 

 自宅から500m、西瓜畑と鶏舎と玉蜀黍畑、時期によっては煙草の葉や甜瓜、大根の栽培もしていたような・・・を通り抜けると、村唯一のやっとこさ舗装された幹線道路。路線バスが日にほんの何本か走っていました。捻挫のため学校からバスという当時としてみたら豪勢な下校手段の一時の私を乗せたバスはさらに先の村に進んでいました。車内にはおばあちゃんとたぶんそのおばあちゃんと時々同じバスに乗っているであろうおばちゃん、私を含めて乗客3名。火の見櫓近くのバス停を通り過ぎしばらくしたところで、おばちゃんがうとうとしているおばあちゃんに「おばあちゃんさっきのところで降りなくてよかった?」。おばちゃんは確認後、運転手さんにそのことを伝えました。運転手さん、「ちょっとだけ戻ってもいいですか?」と笑顔ですぐ先の団子屋(店の名前は饅頭屋だが、名物はみたらし団子)の主人に回転の許可を得て方向転換。すると、店の主人が団子を車内の乗客に1本ずつくれました。もちろん運転手さんにも。バスは少々遅れて路線に戻り、西日が照らす車内の暖かな空気感を今でも思い出します。50年近く前。
 ルートを逸脱してはならない、そこで事故があったら責任は?時刻は守らねばならない。クレーム回避。GPSで位置情報がスマホのアプリで確認できる。そんな世の中にはこの空気感は生み出せません。人間本来の暖かさを自然にに体感できる環境は、科学的な豊かさとは反比例することの方が多いように思います。電波の届かない生活が最も豪勢で心豊かな生活なのかもしれません。このコラムを読む間に2回、スマホで辞書引いた方、めんどくさいと思われたか、それとも二つ知識を得たと思われたか、心の豊かさのバロメーターかもしれません。寄り道しましょ。寄り道には寄り道にしかない意義がある。

No.327「体育館演習再開を前に(備忘録①)」 

 

 感染症対策のため、体育館練習ができない1か月間(これで2回目)を経て待望の再開(再会)。再会を前に保護者の方々に流した文面です。3回目を想定しての備忘録として。

 体育館練習再開に光明が見えてきました。早速の確保、調整等ありがとうございます。きっとウキウキわくわく、子どもたちも再開を心待ちに、浮足立っていることと思います。この間の過ごし方の難しかったこと、ピンチをチャンスととらえて頑張った人、みんなに力を持たせようと発信、工夫、ムービー作成、ミーティング、前を向き、上を向き、挑んだ子、挑んだ方、頑張りました、ありがとうございました。
 さて、体育館練習再開にあたり、私見です。外や少人数や一人の練習は自分を保つことは確かに困難です。チャレンジシートの3段階の取り組み、自分独自の練習内容、それらが全てではありませんが、体育館練習があろうがなかろうが、自分をはげまし、チームに力を与え、表現し、悔いのない1か月を過ごせた人、本当に頑張りましたね。という人は何人いたでしょうか? 大変だったことはわかります。でも、学校の試験前、受験、イベント、仕事、これから乗り越えるべき困難な場面は、今回のような機会をちゃんと乗り越えた人は、自信になったはずです。
 逆に、例えばチャレンジシート、1~3セット合計で(減点は無視したとして)150点300点・・・いかがでしょう?例えばアンダー20回1点としたら、単純計算ですが、1時間半~2時間あれば獲得できます。ところが1か月合計でその点数という子は、どんな考え方や自分自身ががここで育ち、変容があったのでしょう?
 一方、普段の体育館練習より一人当たりのボールを触るチャンスが多い分、個人技を徹底的に磨こうと努力し続けてメンバーもいます。そこで、体育館練習再開を迎えるにあたり、「よかったね、みんなで体育館練習楽しめるね!」気持ちはわかりますが、私はスタートの仕方はワンクッションおきたいと思います。ちゃんと考える好機と思っています。各自、各家庭、状況は色々あると思います。公式戦や練習試合で、過去、「コートに立つ資格」を子供たちやちょいバレ、保護者会でお伝えしたことがあります。今回は、体育館に入る資格について、全員がこの1か月を振り返り、きちんと考えてから判断してもらいたいと思います。もちろん考えるのは子どもたち自身です。その資格が自分にはないと判断せざるを得ないという結論を出した子は、それなりの振り返りをしてもらいたいと思います。時間が過ぎ、何となくしれーっと自分をごまかして体育館に足を踏み入れてしまうことを許さない気持ちの強さ、正直さをもってもらいたいと思います。
 次回の練習時にこの意味を子供たちに伝えようと思っています。

 

No.328【体育館演習再開を前に(備忘録②)】 

 

 感染症対策期間の自主練チャレンジを振り返った子どもの作文に対する返信の内容からの抜粋です。この間の積み重ね、私個人的にもいい経験であり、子供たちへのアプローチの機会が持てたことは、糧になりました。以下本文。

考え方、特に次の点について作文の中に書かれていれば、私は合格点をつけようと考えていました。さて、○○さんのの作文はどうでしょうか?予め観点を全て伝えなかったのは、各自の意識や考え方の変容を知りたかったからです。

①自分と向き合い、課題把握と解決のための設定をしたこと。
②レベルアップのための地味で地道で孤独で先が見えない環境での自分への励まし。
③アドバイスや他者からの評価や研究でスキルアップを目指す姿勢、努力。
④客観的に自分を振り返ること。独りよがりでハードルの低い評価をしていないか。
⑤次に同じような事態になった時にどう対峙するかを考えていること。
⑥この期間をチャンスと捉えることに至ること。変容の記載。
⑦ライバルを意識して自分を高めようとする具体策を実施したか否か。
⑧ライバルを成長させることが自分をも成長させることと認識し、その具体策に積極的にでられたかどうか。
⑨体育館練習再開後、どのような考え方をもって、最も発揮したい意識や言動を表現できているか。
⑩サポートをしてくれた人たちへの思い。

 初めは、どう書いたらコーチがOKを出すかという視点が脳裏をよぎります。今はそれでもいいです。何回かこの手の作業を繰り返すうちに、自分でどう考え方を作り上げていったらいいのか、周りにどう働きかけたらいいのか、が明確になります。まさに自分のバレーの考え方が構築されます。脊柱ができればあとはどんどんしっかりしてきます。メソメソ泣くよりも策を講じる面白さ、それがつながり合うと、自分たちのバレーが渦巻きはじめます。
 明日の体育館練習での表現、ピエロでもファーストペンギンでも、思い切ってやってみてください。勇気!

No.329「自信のない人へ」 

 

 どの高みまで行けば自信がつくんだろう。一片の曇りも隙も迷いもなく力を出せると言い切れる人はどれほどいるだろう。というより、この世に一人もいないんだろうな。では、五分五分の駆け引き、できることは、そう、ハッタリだ。ただし、ハッタリにも種類がある。引き出しに何もない者が使ったところでなんの威力もない。ところが、この引き出しに何色もの努力と継続と悔しさと喜びの絵の具がある者なら話は別だ。どの色に調合して目を眩ませるか、ハッタリはそう使う。数秒後にはきっと少し自信となった表現が形となる。みんなの目に焼き付く、焼き付かせろ。
 ただし、引き出しの中身はもっともっと増やせ。自分へのまじないの言葉、あらゆる突破すべき場面を想定した具体策。誰がなんと言おうと思おうと、やり通す決意がなければ、そのハッタリは、相手にとってはただの美味しい餌にすぎない。具体策? そんなのは内緒。奇襲攻撃にも匹敵するオリジナリティ満載の圧倒的な表現力への挑戦だから。自分でひねり出すことに意味がある。成功しなくても、卑屈になったら、誰に認められなくても諦めたら次は無い。ただし、それを認めてくれる者は、本当の仲間且つライバルだ。そして、そうなれる自分を作ることもわすれてはならない。

No.330【1か月後の自分から】 

 

 129【過去からの手紙】をふと思い出しました。彼女は今、高校で青春真っただ中をずっこけながら突っ走る。秋の雪辱を最後の春にこの未来日記を現実にした努力家。
 今、世の中は過去に類を見ない、実際には数十年に一度はやってくる未曾有の危機に苛まれています。しかしながらそれを盾にその盾の裏で昼寝をするのは納得がいきません。気づいている者はその裏で準備を怠らないものです。あまり長期の先を見据えることは、この時期困難です。
 1か月先ならば・・・。その時の自分からの手紙、その時の自分から今の自分に話しかけている言葉は? きっとそれは到達点の書かれた宣誓書。怖ければそのタイムマシンを使わない手もあります。でも、やっぱり、勇気をもって1か月先に立ち、そこから今の自分へ誓いを述べ、エールを送ってほしいと思います。そうでなければ青春を生き抜く力強さと迫力と熱さという「ちから」を手に入れて、欧がすることは到底できないと思います。ですよね、クラーク博士!

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