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No.61 【シュートとスパイク】

 

ハンドボールが一躍有名になったのはちょっと前、宮崎選手が脚光を浴びたことから。私が知る頃は蒲生選手。でも宮崎選手の跳躍力と変幻自在なシュート力とスピードは並外れていました。ハンドボールの重さはバレーボールの重さの1.3倍~1.5倍ほど、大きさは小さきが表面の質はサッカーの次に固いくらい。それゆえ空気圧はバレーとほとんど同じながら固いイメージがあります。このボールを最も早く飛ばす目的なら、野球のピッチャーのスリークウォーターの投球フォームを助走をつけてグーパンチかなと。もちろん肩を壊す、ボールの反発力に体重が足りないなどの条件は置いておいて。

 ハンドのシュートは助走時に極端なスピード変化とフェイク、時にはスカイプレーという空中殺法に対応する必要があるため、そして肩を壊さないスリークウォーターのポジションを作るため、さらにできるだけゴールに近く飛び込んで成功率を上げるためにこのフォームになります。一方バレーはネットがあり、高さが必要、そのため体軸をまっすぐにしたフォームになります。バレーのスパイクのフォームを体得した人はハンドのシュートの多彩な技術のいくつかをそこそこ容易にこなせます。でも逆はかなり難しい。やっぱりバレーは難しいんですね。かつて、よく知る高校バレー部が同校ハンドボール部とハンドの試合で互角に勝負していたのを思い出しました。バレーを極めるもの、球技を制す!ちょい言い過ぎ…

No.62 【bonsai 1】

 

鼻で笑うなよぉ~。この記事は昨年5月、昭和記念公園のチューリップを見に行ったついでに園内の日本庭園の寄った日の夜。そう、この男(私)、チューリップの季節は必ずこの公園に足を運んでいるという。

 初めてbonsaiをしげしげと眺めました。今やアフリカにまでbonsai旋風吹き荒れる昨今です。だからもう盆栽以上にbonsai。近くで見ると一言でいうと「逞しさ」。圧倒される魅力がありました。…どうも年寄りの道楽のイメージがありますが、真柏や大物(おおきさではなく)は特に。小さな割りばしくらいの手頃な2,3年物もありました。でも私はたぶん、手を出さない。盆栽には「完成」がない、いつも途中 → 人間の寿命では常にその一時にしか携わることはできません。樹齢を見ると「400年以上」のものも。案内の方のお話では、樹齢の表記は「最低でも」だそうです。実際はその1.2倍~1.5倍とのこと。その間、誰かがずっと手入れし、過去と未来のそれにかかわる人の意思を尊重して自分もそのバランスの中に入らせてもらう。謙虚さと確かな洞察力や意思と技術、その中にも個性と向上心。壮大な物語の途中の執筆をゆだねられるようなものです。

 もし、自分がかかわるのであれば、予め決めます。「自分が手を入れることをやめたときは、その木が一番育ちやすい場所に植え替えて、自由に育たせよう。」人の手に渡った時もそういい添えて。

No.63 【bonsai 2】

 

ながい記事だったので、2分割。

 さて、bonsai、どんだけこのおっさんbonsai好きなんだ?いえいえ全くそういうわけでもありません。ただ、正直これまで鼻で笑っていたものに一本取られた感が半端なくて、という感覚です。

 途中で一度手を抜くと、その先何年も修復は困難なのだそうです。もっさもさに葉の茂る元気のいいものになりそうな気もしますが…なるほど、案内のおじさん、こうおっしゃいました → 「芯の枝ぶりがみえなくなってはその木の心がわからなくなってしまう」。いくら周りに枝葉が茂ろうとも、そうなればなるほどに芯がみえづらくなることもあります。このへんてこりんな形の樹木は、尊大な哲学者だったのでは…鼻で笑うなかれ、さすがはの日本の伝統美(美学)!

No.64 【サザンオールスターズ】

 

ちょいバレのコラムを書いていると、言葉の使い方や表現はなんとなく気に掛けます。桑田佳祐、アップテンポの曲は何言ってるんだか歌詞の意味不明なものが多いが(ファンには失礼、私も大ファンだから)、桑田のバラードには時に「外はため息さえ凍りついて 冬枯れの街路樹に 風が泣く」天才だ…。桑田佳祐が尊敬する元祖湘南ボーイ加山雄三「湘南 引き潮 砂の中のサンダル 賑わった海の家を秋風が消していく 焼けた肌袖に隠し街へ行くバスに乗る」天才だ…。心の動きや情景を見事な詩でつづっています。何回も聴いて染み込んできたらもっと心が動かされる。推敲にはその何倍も時間がかかっているのかな。天才だからすぐできちゃうのか。どっちにしても「伝える」ための上手さが凝縮されています。でも、何回も聴いてもらうことはきっと想定されているんだと思います。そう、何回も。バレー少女たちにも「伝える」ことをあきらめず、何度も何度も手を変え品を変え、伝えようと思います。そのうち上手い伝え方がふっとうまれるかもしれない。

 さ、車でサザン聴こうっと。。。

No.65 【思い込み 思い込む】

 

 リンゴ狩り、その木になっている青いリンゴと赤いリンゴ、取るのは赤いリンゴでしょう。ヤオコーでもたぶん同じ品種ならそちらを選ぶ。糖度を計るとなんと青い方が上(同じ木、同じ時期になった実)。赤い実を作るために葉を間引きし陽光をあてる。表面は赤くなる。ただし、甘さを活性させる成分は実付近の葉から運ばれる。でも、赤いリンゴは甘く感じる・・・プラシーボ効果。人とかかわる仕事、人材育成やコミュニケーションにかかわる仕事、製薬、医療関係の人は特に何度か耳にしたことがある言葉だと思います。「この薬は新開発の錠剤・・・」として砂糖主成分の薬で統計的に回復が認められた報告があることは著名です(偽薬効果)。「このクラスの生徒は成績が伸びる可能性が高い生徒で構成した。」と教師陣に伝えたクラスの成績が他のクラスよりも圧倒的に伸びたという例も教育界ではよく示される例です。

 ここでは二つの観点があります。一つは、「事実を正確に見つめること(真贋を見極める真眼)」、もう一つは「思い込むことで変えられる、変えてしまう良さ怖さ」。知らぬが仏という格言もありますが、知った側は生かせば奏功。根拠は?なぜそうなるのか、よく調べてみたら正しくはこうだ、という探求心はどんな場面でも特に大切な局面では必要になってくると思います。「暗いところで本を読むと目が悪くなる」「しらすと大根おろしは最高の食べ合わせ」「ワカメを食べると髪が増える」どうでしょう?今まで常識、これがいい、正しいと思っていたこと、本当はどうでしょう?

 プラシーボ効果(偽薬効果)の前述の実験?では真実を知らされていないところからのスタートでしたが、これを逆手にとって、知った上で人を育てる、指導に当たることは効果のある方法、考え方だと思います。ほめて育てるにもちょっと共通するところがあります。もちろん、落とし穴もいくつもあることに目を向ける探求心、洞察力、先見の明は大切な要素。そう考えると人と対峙するのはかなり大変なそれゆえやりがいのある責任が伴うというわけです。

 「牛乳を飲むと背が伸びる」は?・・・

No.66 【ピエロ】・・・「寺子屋」の話題から(ちょいバレ30)

 

座談会?「寺子屋」を久しぶりに実施。そこで話題の一つに挙げた「ピエロ」。チームで自分が演じ切るのは至難の業。ピエロの眼の下には「涙」マークがあります。この意味を調べてみると、「観衆の悲しみを私が引き受けるから、みんなは心もそこから楽しんで!「自分の心には辛さがたくさんある。でも、サーカス団や観衆のためにそれを抑えてみんなのために笑顔を振りまこう!」などの意味があるようです。「コートの中では平気・・・」鮎原こずえさんの名セリフ。「アタックNO.1」連載開始から50年。長い時間が経っても色あせないもの(有形無形かかわらず)は真実なのでしょう。

No.67 【アリ vs フォアマン】

 

 小学生のころ、テレビにくぎ付けだった・・・のは最終ラウンド(ボクシングヘビー級)。世紀の決戦は最終ラウンドにドラマがあった。アリはモハメッド・アリ、対する(いや、実際はアリは徴兵拒否による服役を終えた直後の挑戦者の立場)はジョージ・フォアマン(ヘビー級チャンピオン)。最終ラウンド前までは、アリはロープを背に防戦一方、フルボッコ状態。蝶のように舞い蜂のように刺す姿は面影もない。顔面とボディーをガードするも現役の若いチャンプの強烈なフルスイングのフックの連打。勝負は明らかに見えた。子供の目には残酷に映った・・・次の瞬間、ロープを背にしたアリが観客の方に顔だけ一瞬向けて舌を出しておどけて見せた。直後にこの意味を知ることになる。アリの猛反撃、完全にフォアマンの体力を奪い切ったその瞬間、一気にフォアマンに123の連打を浴びせ一瞬でマットに沈めて見せた。アリはチャンピオンになり引退。その後、フォアマンは老獪40歳を超えてもチャンピオンに返り咲いたが、確かに強い、でもどこかアリの呪縛をはらいきれないままだからこそそこにいるかに見えた。

 戦略、今ある自分の到達度、相手の心理と力、そこから導いた自分なりの勝利への筋道。決してパワーがある方が勝てるとは限らない。アリは獄中で想像を絶する自己啓発と目標を持ち、堅実な地道な練習をしたことはフォアマンをマットに沈めた表情から察することができた。熱く、冷静に・・・お、このイメージ、寺子屋で子供たちと考えたフレーズがよぎる。

No.68 【厳しく!?】

 

何年も前から、何十年も前から、思い起こせば、私の母も学校の先生や部活の先生にこんなことを言っていました「うちの子には厳しくやってください!」。よく耳にします「私が言ってもき(聞)(効)かないので・・・」。人を変化させることの難しさはその責を担っている立場になって30年たってもさらに難しさは増すばかりです。一つは「今すぐ劇的に変化させてやろう」というのは、想いはあっても方法や筋道をイメージしながら対峙しない限りはただの「気持ちをぶつける」だけにとどまってしまってはもったいないということ。気持ちをストレートにぶつけることの積み重ねのどこが悪いという一面もあります。むしろ大好きです。でも、せっかくなら、そんな熱い想いを先々見通して対峙すればもっと効果はあるんじゃなか・・・とそれも対峙する側の責と感じています。三歩進んで二歩下がる、子供はそうでも、子供にかかわる大人は二歩下がった地点を想定して一歩、二歩、三歩を歩ませてあげたいと思います。厳しく育てるとは、そんな面倒な経緯を積み重ねながら「自分に厳しくできる子供に育てる」ことではないかなと思っています。・・・そうしてもらってきた子は人にそうしてあげられる素地を持ってくれるかもしれない・・・。この記事、最近このチームのOGの保護者の方から、娘さんが受験を控えて、すごく頑張ってきていて、学業成績も親の想定を超えて結果が出始めているとの連絡があったことがきっかけです。自分に厳しく、成果が出るには時間と根気がかかります。でも、積み重ねていくうちに必ず面白くなってきます。そこが、伸びしろの扉。開けた先の景色を想像して進むといい。ついでにたどり着いた自分も想像するといい。陰ながらの応援のつもりで書きました。「根性」みせろ、受験生。追記・・・受験も団体戦、チームワーク。

No.69 【イベント考】

 

 3年ほど前、初めて合宿の企画を持ち出して、実施まで半年ほど出したり引っ込めたり、実施後の「効果はあったんでしょうか?」の質問に、こう答えた記憶があります。「今すぐ結果は出せません」。合宿やイベントはボディブロー、じわじわ効いてきて、まいた種がちょっとずつ成長して身を結ぶ、種が飛んで思いもよらぬところからも。つながってつながって横にも縦にも、そして伝統となる、最近はちょっとそんな兆しが見えてきました。

 バレーが強くなるには多様なちからが必要です。目標に向かって策をもって進むちから、仲間のことを思いやり、仲良くなれるちから、小さなことにもモチベーションを保って盛り上げるちから、マイナスをプラスにかえるちから。バーベキュー、クリスマスのイベント、中学生を含めたローカル大会、夏のかき氷、チームによっては、山登り、誕生日会などイベントは様々です。そこからちょっとずつ蓄える糧は、ねらったからと言ってにじみだせるものではない偶発的なことも含めて大切なものだと感じます。

 先日、自由参加で日帰りのスキーを企画しました。一昨年前から企画はしていましたが、その都度私の腰痛が悪化し、白紙に。今年は運よく実施できました。話したこともないメンバー同士(中学生と小学生)だったり、学年がちがい、ちょっと前に一緒に練習するようになったメンバーだったり、でもそんなメンバーがずっと一緒に行動したり、手助けしあったり、同じテーブルで談笑したり、大人は介入しない方がおもしろそう・・・。コミュニケーション力、ついてきています。中でもいいなと思ったのは、自分より下の学年の6年生の子に「一緒に行こう、今日唯一の仲間だからぁ」とスキー初の中1がプライドなく自然に、素直に、学年関係なく楽しもうとする姿勢です。これは特技、いい力だと思います。

 イベントはいろいろなものをくれますし、気づかせてくれます。今日は大晦日、2018年もたくさんイベントを企画したいと思います。保護者のみなさんには担当など大変なこともあろうかと思いますが、これも大人が見せる背中、よろしくお願いします!

No.70 【分析】

 

 不思議な時代になった。夏休みの自由研究や読書感想文までネットで買える時代。そこに潜む危機感の裏返しか、サバイバル生活や0円生活、田舎に移住の番組が視聴率を稼ぐ。文科省は10年に一度、学習指導要領(学校で指導しなければならない内容)を改訂し、過去には「現代化」「ゆとり教育」「生きる力」などテーマは時代の変遷に対応しているように見える。次期要領の骨子に「見方、考え方を身につけること」が重視されてきているのもこの先の10年を見据えた危機感からか。今の時代、自分で考えなくても検索すればわかる。でも、試行錯誤の前の段階、どこがどう問題なのかに気づくこと、気づこうとすること(意識)は教えてくれない。この探求心を膨らますこと、試行錯誤の選択肢や取組み方を膨らますこと、あきらめずに、地道に、小さいころからその意識はもってほしい。

 夏の練習試合の時、チームのメンバーが「審判台の上の方が下より暑い~」、先日のスキーのイベントの時に「ゴーグル外すと青いよ」・・・夏の自由研究でやったらどうだろう?調べれば答えはすでに出ている科学現象。でも、大切なのは、なぜ?どこが?どうしたら?疑問が次第に解決への手続きになって、その繰り返しがステージを上げるということ。それが、見方、考え方を養い広げるということ。
 小学生は小学生なりにその意識をもってほしいと思う。自分のスパイクフォームはどこがおかしいのか、なぜディグが上手く上がらないのか、サーブが安定しないのか。アドバイスのあれこれ、自分で試してみたこと、その結果、変化や次のステップの設定。とにかく分析して、絵にして、文字にして、言葉にして、その手続きを好きになってほしい。みんなで取組んで強くなる、上手くなる、チームワークが良くなる実感を自分たちで得てほしい。2018、高い目標と意識をもって仲間を大切に、自分を大切にチーム一丸、実りある一年にしたいと思う。2018元旦。

​ 追記:でも、学習指導要領にあるということは、学校でこの手続きをやっているっていうこと。だから学校は、授業は大切なんだと思う。

No.71 【成駒】

 

最近、現役を引退され、テレビでお目にかかることの多くなった将棋の加藤一二三九段。人柄的にも魅力的な方です。1手に7時間かけたこともあるそうです。将棋と囲碁の違いの一つに将棋の駒に役割があり、その駒それぞれに裏返ると別の役割、戦力を持つというところ。「飛車」、「角」は敵陣に入った瞬間から「王」以上の戦力をもち、前に突っ走るだけの「香車」は斜め後ろ以外機動力のある「金」となる。そしてちっぽけな「歩」、こいつも「金」へと大幅に戦力UPします。「成る(成駒)」というそうです。なんだかチーム競技に通ずるところがあるように思えます。実際のスポーツと違うのは、将棋は決まった動きを約束してくれるところ、使いようは棋士の頭脳一つというところでしょうか。バレーでいえば、個人の実力が、ポジション、期待される場面で化けて、発揮され、チームを勝利へと導く。かっこいい!でも、将棋ではちょっと不思議なのは、「成らなくてもいい」こと。成駒した方が有利なのに…場合によってはそうとも言い切れないようです。自分のもつ役割をそのままきっちり果たすことで有利に転じる、これもまた光る技。おや、これもまたバレーとオーバーラップしておもしろい。しかし、バレーと大きく異なるのは、「成れるか成れないか、予測や実現はそう簡単ではないこと」「成れたとしても発揮できるか否かは本人次第」というところでしょうか。羽生永世七冠の瀬戸際の転成、実力の発揮は他の棋士がかなわなかったまさに羽生棋士自身が「成駒」。予測不能なバレーですが、そんな成駒を発揮するのも地道な日々の努力、そこは将棋もバレーも同じなのでしょう。

No.72 【一期一会】

 

2018最初のブログに(7月にも)登場している四字熟語です。この言葉には個人的にはいくつかの想いがあります。一言で自身の座右の銘を掲げることはとてもできません。その言葉がもつ守備範囲をどこに設定するかで個々人その感覚は異なってよいと思います。また、どの事象をもってその根拠とするかも同様です。タイトルの銘についても私の場合も根拠は数々ありますが、命にかかわるところでは、次の三つが挙げられます。一つは、子供が生まれた時。一つは親を亡くした時、そしてもう一つは数年前の出来事(今回はこの記事について)。イベントに参加した四肢に障害のある車いすの高校生たちとの2泊3日の旅行。偶然にも私の誕生日をはさんでおり、サプライズが用意されていました。私は1応援者での参加でしたから本当に驚きと感謝。そこに参加していた高校生、旅行4.5日後に突然この世を去りました。ともに歌い、とてつもなくどうしようもないおやじギャグに付き合ってくれて、高速道路のSAで間食して大笑いした希望が満ちていた時間だけが思い出されます。先のことはわかりません。でもずっと先、ちょっと先、今、は間違いなくつながっていますし、その時間の共有が奇跡的なことだと思えてなりません。出会いを大切にすること、人を大切にすること、その過程の中で時間や経緯やアプローチを大切にすること、振り返りまた前に進む考えを具体的に創造して動くこと、それが一期一会に込められた私なりの意義と思っています。小学生諸君、一球一球がその想いのこもったものだと覚悟して挑んできてくれたら私たちコーチ冥利につきるというものです。

No.73 【シューズ選び】

 

「ローテ72」というシューズを履いていました。かなり昔、オニツカタイガー?の。中側骨の変形からミズノに変更。高校以降はミズノ、最近はかっこいいし軽い(自分は究極を要するプレーを迫られないから)のでウェーブライトニング路線。でもちょっと固いのと通気性が今一つ(個人の感想です)。箱根駅伝の強豪チームが今年度ナイキの「ヴェイパーフライ4%」というシューズ(超々厚底)を採用しているそうです。これまでは薄くて軽いシューズを各社しのぎを削り開発し、ミッドフットの着地方法を洗練し対応し、青山学院大学もそれで結果を出してきそうです。青山学院大学は効果的なトレーニングや気持ちのトレーニングを積んで備えてきたとも。道具は進化します、その過程では過去の研究成果を研究し尽くす反面、いったん常識を「0」にしリスタートする斬新さも必要とあらためて気づかされます。ただし、新しいものを取りいえるときは、対応の仕方、体の使い方の準備を相当しなければならないし、結果はそのあとについてくるものです。おや、「陸王」では薄くて軽い裸足のような・・・そしてミッドフット着地・・・あのドラマからもう進化しているのか。なにより、アドバイスしてくれる人、自分自身が「これはいい感触」というのも十分信じていいと思います。でないと道具に振り回されてしまう。本当に使う人の側に立つのと併せてたくさん売る、新製品を買ってもらう販売者の戦略もまた進化していますから。ゴルフのセットをたくさん、次々と購入している人もいると思いますが、一考を要すると考えます。(ゴルフに関しては横山プロに見解聞いてみたいと思います。)

No.74 【繋ぐ】

 

箱根駅伝、高校の母校のランナーの名前が極稀にあがります。急に応援したくなります。でも不思議なもので、しばらく見ているとどの選手も応援したくなる。引き離されようとしている人、もう少しで追いつける人、学連の選手、脱水や低血糖でふらふらになっている人、繰り上げスタートを視界に入れて激走する選手、どの選手も一心にその襷を繋ごうとして。社会や生活、生き方の多くの場面でこの駅伝への例えが使われます。だからあんな長丁場なのになぜか見入ってしまうのだと思います。誰しもがわかっています。つないでいるのは襷ではないこと。サポートしてきた人たちも十分承知しています。そしてそれを本当に一番わかっているのは、チームメイト。それぞれのベクトル(ベクトルについてはまたいつか掲載したいと思います)が集まって大きな一つの方向に向かうイメージ・・・小学生なら「スイミー」(レオ・レオニ)を連想するんでしょうか・・・バレーボールなら襷がボール?

ならば、決して落としてはいけませんね、あきらめてはいけませんね、そうしないための努力、怠ってはいけませんよね。

No.75 【分析2】

 

「mv2(重さ×速さ×速さ)」「イベント考」の掲載の中でスキーの話題をあげました。年末に本当に久しぶりに(バレーにかかわっているうちはなかなか機会が・・・)日帰りで雪の感触を得ることができました。そこで、ちょっとスキーの技術の分析を紹介します。モーグルレーサー(競技者)の滑り、上半身の動き、動きというよりはがっちり静止しているように見えます。約0.3秒ごとに出現するお椀の内側(コブというよりは水をすくう両掌を小指1本分ずらしたような形状)とその裏側。この形状をスピードに合わせてクリアする運動、リカバリーの連続です。この形状にトライしたことのあるスキー経験者ですと、3つ目くらいのお椀で外側に飛んで行ってしまう経験があると思います。アルペン競技ではモーグルよりはるかに大きなターン弧を描きますが、次のターンを誘導するための上半身の先行動作(次のターンに向かって状態を進行方向に向ける)が分かりやすく表現されています。ここで、上半身は静止しているモーグルと先行動作が顕著なアルペン、一見異なる運動に思えます。ところがよく分析してみると、モーグルでは静止しているのではなくて、0.3秒間に二つの(お椀の内側と外側・・・角度にして60度~90度の変化)斜面をクリアしなければならないために、見た目静止しているように見える、ということです。実際は、お椀の内側(バンク)に板の圧が全部かかる直前に次のターンの先行動作を行っていることと、圧を支えるための抵抗をしているため、静止しているかのように見えます。実際は板の回旋(お椀の縁に自然に流れ込んでいくイメージの板の動きについてはまたどこかで紹介します)とずれて、上半身は先行させてかつ圧に対抗して動かしています。見た目と競技者本人の意識とはかなり違ってます。バレーのスパイクのフォーム、楽に打っているようなイチロー選手のスイング、海底で暇そうに寝そべっているチョウチンアンコウやヒラメ、会社で目を閉じて眠っているかのような上司・・・きっと周りから見た目とは全く異なる意識がそこにあるにちがいないと思います。疑問を解決するには、直接聞いてみるといい。直接会えないとか言葉が通じないとか、事後どうとかはとりあえず考えず、挑戦・・・

No.76 【かんよう】

 

仲のいい中学校のチームがあります。著名な強豪校ではありません。小学生でのバレー経験者は今の顧問の先生が受け持たれてから何年も0人です。顧問の先生とは縁あって何年もそのチームの経過を見てきました。昨年度と今年度、実際に対戦してみたり、傍から見ていても明らかにオーラが違います。練習環境には恵まれているわけではなく、冬場は帰宅時間の制約があり、少ない練習時間です。そんな中、彼女たちは本当に頑張ってきていました。負けることの繰り返し。

ところがこの夏、秋から勝てる喜び、自信とやればできるんじゃないかという我武者羅さが目に見えて血液や筋肉、心肺を動かしているように思えてなりません。公式戦ではここ何年も1日目で終了・・・そこに先日吉報が。2日目に進んだ!経験者0人、紆余曲折ありながら、地味に、あきらめず、じわじわと力をつけてきた子たち。ずいぶん時間がかかりました。雪解け水が地面にしみこみ、ゆっくりゆっくり時間をかけて地下水となり、いい水になる。「涵養(かんよう)」。「ようかん」じゃないよ。

今すぐに、目の前で、ガツンと、この子を変えてやろう!それも手法としてはありうるし、成功することもあります。でも、彼が築きあげてきたのは「涵養」の手立て。大切な子供にあたるにはこちらこそ大切。前者はたぶん誰でもできますが、場当たり的、感情的、後者の術を成しえない指導者の鎧の場合もあります。後者はもっともっと深い難しい方法、これができる指導者こそ本物だと思います。

補足:10年に一度、文部科学省から「学習指導要領」なるものが改訂されます。平たく言うと「学校で扱う内容の目標、内容などを時代の流れやより確かな叡智を根拠に見直す」ことがなされます。次の実施は平成32年度の小学校から。ここでの大きな柱の中に「涵養」の表現が盛り込まれています。

No.77 【故郷】

 

愛知県から上京してもう30年以上になります。方言も不器用になってきています。でも、ふと出る言動は「むかし」に根拠を発する感覚がよぎります。小さいころの根っこはやはりあるんだなと思う瞬間です。今、手伝わせてもらっているチームには上京しようのない監督さんが縁の下にいます。縁の下、表には見えない場所ですが、家を造るときには一番大事な場所。さすが、代々この地域に構える工務店主だけあって造作はきちんとしています。地元に根差すということは周りとのつながりがしっかりしていて、どこかにゆがみが出た時にすぐにかかわってバランスをとる、しばらくぶりに見るところが大丈夫かどうか気に掛けるということ・・・建物と人、どうやら似たようなバランスで保っていると気づかされます。このチームの監督さんもしかり、そしてそれが自然体というのも地元やつながりのなせる業。ここで育つ子どもたち、戻る場所があって、報告しに来る場所があって、心のどこかに気に掛ける場所があって、というのは素敵なこと、その一つがこのチームであってほしいし、きっとそうなるという趣がこの監督さんにはあるように思います。いいなあ、故郷は・・・それが実体であろうとこころの中であろうと・・・地元の皆さん、高橋工務店をよろしく!・・・

No.78 【don’t mind】

 

「ドンマイ!」ゲーム形式の練習時、子どもたちがドールデッドになるたびに言います。現段階では、ボールデッドの回数に近い回数でいいます。ということは、そうです、ほとんどが失策、ミスということであるのが今の状況というのも発展途上段階ではいたしかたなし。と、ここで「ドンマイ」ってどういうときに使うの?かを尋ねたところ、「次がんばろ!」「次一本!」っていう意味でとの回答。なるほど、気持ちとしてはよくわかるし、ちゃんと説明しなかったこちらの責任。「気にしない」のと「どうしたらいいか」を考えるのとは「次がんばろ!」という言葉のもつ意味・内容が異なります。「それはどういう意味か」「言葉で説明・表現すると」はここでもやはり大事になる。こうしようと思ってやってみて、どこが原因でどうしたらよかったか、では次どうするか、実際にやってみよう・・・以前のコラムで紹介した「PDCA」。ちょっと「ドンマイ」を使う場面とその意味を考えるきっかけになれば。ま、あまり気にせずエネルギッシュにやるのも大賛成。「ドンマイ!」。

No.79 【最近接領域】

 

 このタイトルの表記でピンとくる人は、特定の仕事の畑の人かもしれません。昔偉い学者さんが提唱したのだそうだけれど、なんてことはない「その人がちょっと頑張れば手が届きそう」な技術、学習の内容のこと。昔からやっていることを「大発見!」みたいに文字にした感じ。(コーディネーショントレーニング・・・昔の日本の伝統的な遊びやっていれば十分なのではと、あえて横文字でカッコよく動きを切り取ってアレンジしたりして・・・このトレーニングを否定してはいませんけど。ふと頭をよぎった例だったので。)
 この領域で課題を設定した時が、一番伸びる。克服すべき対象にもよりますが、基本的な考え方だと思います。お手玉、いきなり片手で3つ回せますか?2個から。時速80㎞のボールをギリギリ打てる人が120㎞を打てるようになるには、いきなり150㎞を練習し続けるのと徐々に上げていくのとどちらが早いか、そしてスランプ時にどこに戻ればいいかを判断するにはどちらが良いか。長年の専門家の検証研究からは、「最近接領域」に結論が及ぶそうです。
 バレーボールもしかり、ディグ練習での球出し、さあどうしましょう? もうちょっとで・・・の域。球出し上手はここが違います。大人はある程度頭で気持ちや技術を整理できますが、子どもはなかなか・・・恐怖でボールに足がすくむほどのスピード練習は効率がよいとは・・・イベントとしてはめちゃありですけど。

No.80 【寺子屋・・・資料】

 

「寺子屋」と称して私の自己満足?わがまま?で年1回、座学というか座談会みたいなことを6年生中心に自由参加で行っています。本来は、座学として試合の分析、技術論、トレーニングや練習方法、手本になるようなチームの分析など頻繁にするのがよいのでしょうが・・・仕事、家、その他諸々・・・と言い訳しつつ。今回、ちょっと遠くの知人から年明けに依頼が重なったこともあり、特に部内で封印しているわけではないので一旦掲示することにしました。道徳的というか精神論に傾倒しているものですが、この先、1点につながる何か、自分をつくる何か、人をつくる何かになってくれる本の一部になってくれたらなと思います。本来は中学生向けに作ってきたものを小学6年むけにアレンジ。しかも全部で10時間~15時間くらいで考え合いたいところをわずか2、3時間ではしょるため、身になるか否かは不明です。

No.81 【バレンタインと恵方巻と】

 

 つい最近、恵方巻が余らないように(食品廃棄を減らすために)、売り切る分だけ作る宣言をし「もうやめにしよう」と旗を掲げた企業が話題になりました。これまでの在り方に一石を投じ、他にも資源確保のために損益覚悟の方針立てをしてきた企業の記事でした。本当に大切な理念、価値のある未来につながる観方はいかにあるべきかの真偽を社会に投げかけたと思います。一方、それすらも企業戦略と見る視点もあるでしょう。対子どもの仕事や集まり、子育てにおいては、前者のスタンスで臨みたいなと自身は考えます。そこには、憶測、一元的な見方、悪質な策略などは不要です。純粋に判断の根拠をもって、手探りながらでもよいし、さりげなくてもよいし、不安に苛まれながらも、信念をもってわかってもらえるような進み方をすればよいと思います。池井戸潤の作品の柱はそう言えばこんなところが肝と、ふと頭をよぎります。

 さて、皆さんはどうお考えでしょう?日本で最初にバレンタインデーにチョコをあげる習慣、ハロウィンのもともとの意味、イースター?次は花祭りでしょうか・・・こう書くと、何でもかんでも斜に構え、上から目線でと思われるといけないので、そこは否定しておきます。クリスマスもホワイトデーも、相手に気持ちを込めて気持ちを伝える機会であることは、物を媒介するしないに関わらず大切なことだから。つまり、判断の根拠、信念はどんなもので、大切にしたいものは何なのか、については惑わされないことだとあらためて考える機会を与えてくれた話題でした。

No.82 【膝を着く功罪】

 

 40年以上前、バレーを始めたころ、黄ばんだ感じの超分厚い白いフエルトが蚊取り線香みたいにグルグルになったみたいな膝あてだった。ゴムの部分はすぐ伸びて生がなくなりすぐボロボロになった。そして体育館がなかったものだから外練(外練については別途記事をあげようかな)。夜間まで続く猛練習。筋トレやフライングや膝つきや突き指やらであちこち痛い日々・・・が続くかに思えたが、そう痛くはない。しばらくすると膝あて要らない。膝、ついてない。レシーブは誰よりもいけてると思った。かつて膝あてを外し(いきなりではなく、段階的に)全国制覇をした大学の記事を目にしたことがある。男子だから一概には判断できないし、今は膝あてを駆使したレシーブ方法も一般的。膝というより脛(すね)の外側を使うレシーブも有効な方法がある。とはいえ、やはり基本はキャッチ前に膝をつくことでスピードが落ちること、着こうとすることで気持ちと運動速度が落ちること、最終的な微調整が全身で行えないことのリスクはある。「膝を着かないように」と言われてつかなくできるくらいなら苦労はない。極めるには「意識」をきちんと持つこと。持ち続けてずう~っと練習すること。はじめは難しくても必ず逆転劇が待っている・・・はず。

No.83 【自分たちのバレー 1】

 

 このタイトル、何回か登場することになるでしょう。そうでなければならないと願っていますし、それがHIGASHIの骨になっていく、それが伝統となってくれるといいなと思います。とはいえ、すでに内容的には随所に発現しています。

 1年以上前のエピソード。監督不在、コーチがベンチ。集大成と言えるこの試合、拮抗する熱い闘いのさ中、バックレフトの子が得点後駆け寄ってきて「コーチ、○○(レフトスパイカー)少し下げてもいいですか?」過去の戦術を紐解くと意図はわかりました、ぼんやり試合を眺めていた私にも。相手エースのスパイクがインナーに飛び込む気配がなく、腕の軌道より内側に強打がくる。ブロック2枚をがっちりクロスに固め、ディグの苦手な前衛レフトを対峙させず、後衛を4枚にして隙間を狭くし、ストレートを開ける。が、ここで問題は、バックライトが強打をさばけるか。バレー経験値は浅いが、この子、合宿で強打の中学生スパイカー(その後山梨の代表に選ばれたと)と泣きながらひるまず立ち向かう根性を身に着けた、まさに自分に一つ白星をつけた子です。自分も仲間も自信があったのでしょう。この形はレフトスパイカーの助走を有利にします。セッターはより機動力が必要です。フォーメーションの変更はリスキーですし、ボールデッドの何秒かの間に修正できるのか・・・と直後、バックレフトの子の全員への大声で一言「いいって!」・・・すでに決めてたんだ、どこで相談したんだろう、どこで決断したんだろう、その意気揚々やってやるぜ感は何なんだ・・・「私たち、こうするから、コーチはベンチで黙って見てな!」。そこから波はうねりを見せます。

吉凶は大きな問題ではなく思えてきます。HIGASHIの骨が一つチームの体を支え始めました。カルシウムたっぷりだな。

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