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No.552【suggestion1】

 「自分たちの・で・が・から・は」・・・この類のことばは、発達や成長、育成や創造の過程では多様され、掲げることがあたかもそうなっているような誤解を植え付けることも否定できません。例えば、学習指導要領の一節「主体的・対話的で深い学び」。学校の校訓「自ら考え自ら成す」。あ~自分たちでも使っちゃってることを謙虚に振り返ることしばしば。
 これを試す方法があります。今回、タイトルにsuggestion(提案)とつけたのは、今後、いくつか整理して提案をちょい出ししていくことで、印象づけられたらいいなとの想いです。そこからできればこれまでとは違う何かが生まれるといいなとの期待を込めています。
提案「指導者ベンチの無い試合」。小学生ではそれはひっちゃかめっちゃか、もしくは、どんよりして試合が回らない、いえいえ、そんなことはありません。指導者がいない方が力を発揮するチームは今後存在します。それを可能にするプロセスを踏んできたチームならやってのけることができると断言します。ただし、未だかつてそのチームをみタコとはありません。
 そんな遠回りをしていては次の試合に勝てない・・・。これ、本当に遠回りでしょうか? 今までなかったら今後もない? 自ら考え自ら成す子がコートとベンチにあふれかえれば、想像を超えるブレイクスルーが期待できます。その過程の邪魔をしているのが指導陣であることは多々あります。指導とは、教えて叩きこむこととは違います。今日伝えて明日できるなんて代物では到底ありません。指導者がいないとなかなかうまくいかないことに気付く場所であるだけでも意義はあります。誤解をしないでいただきたいのは、「ほら、だから指導者が必要だろ」ではなく、「自分たちだけでは何もできないのでは、ダメなんじゃないか」に気付くことです。さらに、そこからアクションを起こすことです。

No.553【分析の視点】

 「ずいぶんいいスパイク打てるようになったよね」「よく拾うようになったよね」これは分析ではなく、印象、感想というものです。分析とは「物事をいくつかの要素に分け、その要素・成分・構成などを細かい点まではっきりさせること。」と辞書には記載されています。
バレーボールでその内容を変換してみると、どんな場面で、何が起こったか。これを環境、体調と心理、流れ(全体、直前)、ポジショニング、動き、コミュニケーション、練習過程を細かく明確にすることです。
 プラスに転じた項目であれば、その根拠を探り出し明確にする。マイナスでも然り。一つのプラスの項目についても、分析するとマイナスの成分があったり、もっと伸ばせる成分があったりします。逆に、マイナスの項目でも、中にはプラスの成分もあるはずです。
大事なのはここから、成分をプラスにもち上げる方策を練ることができれば、プレー、試合の好転につながる可能性ができてきます。もちろん、その効能は即効性はないかもしれませんが、確実に上げられます。
 共有するアイテム、フォーマットがあれば、より効果が早まる。ピアサポートが視覚的にしやすくなります。時間軸があると変容に気付きやすい。個人、チーム両方あるといいね。誰か作って~。お前がやれって? そのうちに・・・。今日はカレーの仕込みに忙しい。

No.554【550号記念コラム 未知の領域】

 100号ごとに挙げてきた記念のような節目のコラム。待ってられないので、50号ごとに発信してみました。
 最近時々他のチームの指導者の方からこんな質問を受けることがあります。小学生チームだけでもなく、競技種もバレーだけでもなく。「子どもの主体性ってどうやったら育てられるんでしょうか?」大正解があれば私も知りたい。
 バレーに場面を限れば、目的地を決めれば、項立てはしやすいものです。各項の中身についての工夫や創造性はチームの腕の見せ所、色でしょう。ここで「チームの」と言ったのは、一指導者の独断と偏見や理不尽にも近い合理的な根拠に乏しい方針では、子どもの主体性は育てられないという意図からです。
 ここ数年、チームの「子どもの主体性」に関わるチームの変容を体感することがあります。これは、私自身も測り得なかったことでした。
 数年前は、ある課題の対象者は6年生。課題の難易度や要求水準のレベルがその学年が適当と判断していたからです。その翌年、複数学年がコートでチームを編成する必要がある年度。当然、課題は参加者全体が対象者となり、投げかけるものになります。すると、回数や年数を重ねるごとにその観点、解析内容、解決への筋道の提案などの水準が上がってきました。チーム全員がそれを共有する機会、仕組みを持つことで、いわゆる先輩の背中を見やすくなってきました。次の機会には、その下の学年、さらにその下の学年、もう一つ下の学年へとこの連鎖はかなりのスピード感をもって深まりました。この循環をフォローする一つの仕組みはSNSですし、他にミーティング、文書交換、練習中のピアコーチングも大きく影響を与えています。
 参加メンバーのパーソナリティや学年のカラーももちろんありとは思います。それを差し引いても、発信力は高まっており、逆に他のメンバーの考えを見聞きしようとする受信力もそれに伴っていると感じます。なぜなら、それぞれの発信には、かなりの個性を感じるからです。他にはない観点、他とは違う分野の解析、その方法も先輩たちの良い所を引き継ぎつつも独創性が感じられます。
 こんな連鎖は、とても興味深い循環です。指導者側としても、子ども同士の響き合い、切磋琢磨が、想定外の上昇気流のように見えた気がしました。気づきたい、効果を上げたい、影響を与え合いたい、そんな気持ちに勇気をもって一歩踏み出す快感が芽生えれば、あとは勝手に背中から風が吹く。きっとこの快感を得た子は、バレー以外でもこの快感を求めるのでしょう。10年後の彼女たちはどんなチャレンジをしているのか。その光景は私も未知の領域です。

No.555【中学生クラブ活動の行方】

  これまでも中学、高校部活については何度か取り上げてきました。世界の視点から日本を見ると、かなり独特であることは述べました。競技志向、内申書との関係、レクレーション、人格形成、生活指導等を含み、学校が責を担っていること。当然、大小問題はありますし、メリットもあります。
 昨今環境整備がままならないとはいえ、地位移行化に向けて間違いなく進んでいます。行政が方向性を打ち出せば、周りは何とか対応せざるを得ないであろうという予測のもとにに家事を切る行政は多々見受けられます。とは言え、進んでいきますし、完全にかかわる全員が、「いいね!」を押すような方法はありません。あればとっくにやっています。一つの大きな可能性があるとすれば、お金をめっちゃかけること。人は動くし、箱物はできます。地域に何百何千というクラブ(中学部活を含む)がありますが、合理的にすべての公私(学校含む)施設を活用すれば計算上は収まります。
 メリットとしては、教員の授業や生活指導面への専念度が確実に高まります。悩める子への対応は丁寧にできうるでしょう。また、地域の受け皿という理解ではなく、学校以外のメンバーとのコミュニケーション、交流が広がることも確かです。レクレーション志向の中学部活を選択する場合は十分かもしれません。むしろ、内申書のために所属だけしている、部活内の真剣度や目標値に大きな差がある場合は、選択肢とフォーカス化は分かりやすくなったもと言えます。
 一方、課題としては、スポーツ思考、特に競技志向のある生徒への対応です。足しげく通える拠点、クラブがほぼないのが現状です。ということは、この政策は、方針を決定し、推し進めることで地域からのクラブ活動の立ちあがりを促進しようという他力本願、言葉を選ばなければ、無言の丸投げにも思えます。それも一つの戦略だと思いますが、このための条件として、活動場所の有効活用ができなければお先真っ暗と言えます。例えば、実施しなくなった分の土日の中学校体育館、平日夜間の積極的な学校施設の開放くらいはしかるべき措置と考えます。私が市長だったらそうするかな。ゆるーく運動、意識が高くない中学生が近場で楽々、高い意志をもつ中学生がお金を払い遠くても 頑張って通う・・・。この構造は果たして道理が通っているのか。
 残る課題は、指導者の確保。これについては、二通り思うことがあります。一つは、全てをガッツリ指導するタイプ。もう一つは、主体性を重視した生徒主体のマネージメントスタイル(もちろん、指導者、大人はそれなりのサポート、リードは必要)。私なら、後者です、圧倒的に。現在かかわっているチームの延長戦に置くとなればこれしかありません。
 そう考えると、中学生自身、その保護者も含めて、そこに通わせていればいい、うまくいかない時は指導者の責任とはいきません(指導者の責任のことも結構あるけど)。意志が今以上に必要です。安穏と身構えているだけの中学生ではなく、社会に、企画に、目標に積極的にかかわる意識をもつ中学生であるべき時が日本にも、八王子にも来たと言えます。人任せではだめだという危機感をもつべきは当事者の小学生、中学生であるべきでしょう。ムリ?本当に?

No.556【自信】

 「自信がありません」過去にも今にも何度か子どもたちから聞いた言葉です。まずこの言葉には複数の混とんとした中身が含まれているように思います。そこには、「事実、想像、不安材料」のほかに「思惑」も入っている場合があります。
 後者の「思惑」については、結論から逆算による算段である場合があり、逃避行動のひとつと考えられます。つまり、「自信がない」という言葉を利用している可能性があるということ。管理職に推薦され、仕事量が増えストレスが溜まりそうだから「私にはその力がありません、自信がありません。」と。本人の現在の力量や今後の可能性があるにも関わらず。
 一方、前者の「事実、想像、不安材料が思い浮かぶ」ために不明瞭な先々に対して「自信がない」を発する場合は、これからの人生航路を進むためには、チャレンジできた自信に変換していく必要があります。必要があるというよりも、その勇気や突破力を経験してみてほしいと思います。
 自信がない・・・を解決していくための方法の一つに、記述法がります。なぜ、どの内容が、自信が無いと自分に思い込ませているのか。小見浮かんだ項目を、さらに細分化。すると自分が少し明瞭になってきます。そのままでは先に進まないので、ここからは二本立て。できそうな解決策を一つずつ自分で捻りだす。他の人に相談する。の二本立て。そもそも自分で解決できないから未解決にとどまって、そこから先に進めなくて諦めて負の循環が記憶に残り、「不明瞭な先々」全てが不安、自信がない、につながってしまいます。
 この方程式は、逆に考えれば、たった一つでも解決に近づいた感覚を得ること、その数を増やせる自分を体感することが大切だと言えます。

No.557【戦方ABC】

 チーム練習、練習試合、試合本番、その時の目的に応じてABCを使い分けて、みんなの景色を見やすくする試みをすることがあります。Aはとにかく臆せず攻める、Cは絶対にミスなく確実に失点をしない。Bはその中間でここぞで攻め、ミスをしない場面では確実に。もちろんBは実践向き。ただし、振れ幅が大きいので難しい。流れ、相手の強さや特徴、自分たちのチームの状況から随時調整しなくてはなりません。
 AとCを知ることでBの考え方が体感でき振れ幅を調整できていければ、落ち着いた試合運びにつながるケースもあります。とはいえそうそう簡単ではないんです。基本的なことがしっかり身に付いているチームでなければそのチャレンジは難しい。やはり基礎は大切だ。
 追記。Aは、我武者羅や無鉄砲とは全く違うことを理解していないと、練習でできもしないこと(成功率が25%以下)、を実施するのはNGです。Cにおいて、明らかにスパイクシーンでオーバーハンドで返すのもNGです。なお、タイトルの「戦方」という言葉は造語です。戦う時の方針という意味で勝手に作りました。ちょいバレなんでもありの無責任コラム。

No.558【sub(副)】

 Sub(substitute)、副のつく言葉・・・サブティーチャー、副社長等々。私が勝手にイメージするチーム競技やプロジェクトにおいては、どうもこの訳はどこか違和感があります。sub(サブ)、副は語訳をみると、副次的とか補うとかの意味合いが強い。では、チームスポーツに置いての独断と偏見に満ちた私のイメージを。この場(ちょいバレ)だから言える内容を書きます。
 副キャプテンについてはどんなイメージでしょう? 私はよくこんなことを言います。キャプテン以上に苦しむ存在であれ。補佐ではない、副キャプテンとしての自覚と責任とすべきことの明確化、キャプテン以上にそれらを表現する意志をもつべきであると。
 それが不足していてもいいんです。小学生はこれから育つんですから。でも、「副」という接頭語に逃げてはいけません。甘えてはいけません。だって、きっと大仕事です。キャプテンシーがあればキャプテンはチームを引っ張ることはできるかもしれません。ですが、そのmainのものに支障(軌道逸脱、ケガ離脱、ちいさないざこざ、判断の躊躇やミスなど日常茶飯事)が生じた時に、それを代行するのは「副」の仕事です。つまり、mainとチームを両方救わねばなりません。その自覚と積極性が確認できなければ、「副」の選出、指名、チームとしての判断はできないことになります。
 「副」のもつ意味を軽んずることなかれ! 

No.559【タイミング】

 time、timingの和訳や活用例を調べているうちに、混乱してきました。こんなだからチームシャツの造語が思いもよらぬスラングだったことに気付かなかったりするんでしょう。
 ここでは、自分の成長を感じ取るべき「時」を意味する内容のtimingについて。試験で点数が上がり始めた。業務成績が上向いてきた。これらももちろん成果を感じるタイミングです。でも、もっと注目してほしいのは・・・。スランプに陥った時、うまくいかないなと感じた時です。物理的な成果もコミュニケーションの歯車も。なぜなら、何かしらの変化があったからこそ、改善を迫られる状況に至ったわけで、いままでそこそこうまくいっていたのみなぜ? を考えられる絶好機。改善策を捻出、創出すべき自分の状態に気付けることこそが、成長のあかし。
な~んだ、スランプ上等、転倒歓迎、沼万歳! だ。ただし、こう考えてよい人には条件があります。ぼんやり歩いてて転倒した人、人の敷いた線路を進んでて脱線した人、この人たちは条件の外。さらに、いとも簡単に立ち上がらせてもらった人、線路を補修してもらった人、支援というきれいな言葉に含まれるヒ素のような大麻のような成分。
 ピンチをチャンスととらえるには、冷静さ(今自分がいる位置の把握)とまじめさ(脱出の道のりに向かう一生懸命さ)と創造力(考えて考えて、方法を工夫できる力)が必要です。それが小学生であっても相応に。
 転ばないと立てないんだから好機としか言いようがありません。成長のタイミングに気付かないのはもったいない。

No.560【息子たちに宛てた手紙の抜粋】

 2020年、1週間のうちに我が家の二人の息子が突如結婚。あまりに急でビックリ! その時に渡した手紙を、最近PCから発見しました。14個のアドバイスが書かれています。そこから三つ。特に不要なコラムのひとつです。ちょいバレはなんでもあり。

 6.ユーモアのセンス・・・突然にピンチはやってきます。どんな種類かはそれは色々。内容が問題なのではなく、その策がその後の面白化に大きくかかわります。ピンチやトラブルはチャンス、ピンチャン、トラチャン。こんな時こそせっかくならユーモアのセンスで挑みましょう。職場でもそんなかじ取りは粋。もちろん家庭内でも。

 8.優しいことは強いこと・・・ここまでのいろいろな項目とつながる内容です。世の中の多くの人、親御さんたちを見ていても時々思うこと。今解決しよう、今いうこと聞かせようと恫喝一閃。いやいや簡単な手段に出ちゃだめです。この子たちがおとなになったら、考えて課題に向かう子になってほしいのか、それとも力づくで・・・。君たちが丁寧に人に何かを教えている姿は、私も参考になりました。大災害の時に、厳しい状況で、笑顔で支援をし続ける根性のあるひとこそ本当に強い人間だと思います。人に聞くと、みんなそんなことはわかっているような返事をします。でも、本当にできる人はわずかなんじゃないかな。

 14.たまにおごってください。
 

No.561【有言不実行】

 このタイトルは耳に痛い。成長過程においては「そんなつもりはない」からです。でも、世の中の評価は本人の想いを汲み、受け流してくれるほどやさしくはありません。こと、それが勝負の場においては。
 ゲームキャプテンは司会者でもなくファシリテーターでもなく、もっともっと意志や方向性を打ち出して表現する仕事が求められています。それ故多くのメンバーは、担うことに躊躇するものです。先日、チーム最上級生がこの責任を果たせていないことから、コートから外されました。コートから外すというと聞こえはよくありません。しかし、ここからの数セットの時間は、「考える時間」。シミュレーションをしてコートに立つ準備をする時間。それが整ったら自分から申し出るのが筋。「準備できました!」と。
 ゲームキャプテンとサブは何をするべきか。コートの外から中を見て一つ一つの事象を確認し、即座に自分の言動を導き出す。表現する手段に積極的に移る。これは1秒以内。これがファシリテーターとの大きな違いです。即時評価、策案、表現の全てを短時間で力強いエネルギーをもって仲間に伝える最大限の努力をすべきなのです。セリフのように「とりあえず言った。」ではなく、心に突き刺すように伝えなくてはいけません。
 コートの中の最上級生は、その突破力こそが魅力であってほしい。「やるべきことは分かっています。次はやります。」責任感からか、そう言うのもわかります。ただし、有言不実行はチームが推進力を失う。コート劇場が観衆を魅了するのは、チーム内のメンバー同士の響き合いが、和太鼓の鼓動のように伝わってくる時。打ち鳴らせるか否か、そこが運命の分かれ道。

No.562【作文の観点】

 作文や未来日記を書いているチームは、今までに聞いたことがありません。書くチームもあるかもしれません。「なぜ作文を書くか」については、過去のコラムでもとり上げてきました。今回は、最近課題を課した「卒部に向けての作文」における「観点」について記載しておきます。その時々(大会、合宿等)で観点は異なるのですが、子どもたちに伝えた、「共通して意識してほしいこと」。
 魅力のある作文には三つ重要な要素があるように思います。(1)表現力。伝え方や言葉の選び方、順番、読む側をその気にさせる技術です。(2)生半可ではない経験(体験や思考、全てを含みます)から自分で絞りだした、明確で深い根拠が滲み出ていること。(3)卒部後の目的、希望、未来が純粋に力強く語られていること。
 そして、最後にこう付け加えました。「積み重ねた自分に偽りなく向き合い、これからの自分に力強くエネルギーを見出せる過ごし方ができれば、深く力強く想いのこもった文章になるのかなと思います。近くでみんなを見てきたコーチ陣にはごまかしはききませんし、自分自身に納得のいく過ごし方をHIGASHIの6年生はできる(してきた)メンバーです(よね?)。」
 読み応えのある、滲み出るものがある、力のみなぎる作文を今年もみせてもらえるだろうか・・・。

No.563【うらやましい日】

 6年生最後の公式戦直後の作文に「私のトスが乱れたせいで試合が終わってしまった。」とありました。この日、その子が上げたトスはこの1球。その前年度にも「私のサーブミスで、都大会への道を断ち切ってしまった。」という内容の作文。この子が打ったサーブもたった1本。
 小学生が背負う痛恨の消し去りたい記憶としては重すぎるものかもしれません。あの時サーブがとりあえず相手コートに入っていれば、あの時偶然にもネットに近いトスを相手がタッチネットでもしてくれていれば・・・。
 この出来事のあった日の帰路、その子たちに話しました。「うらやましい一日だ。」これがあったからこそ成し得た未来が必ず来るからです。それを手繰り寄せるための原動力のスイッチが押された瞬間なのですから。こんな体験ができた一日は本当に羨ましい。辛い経験、残念な失敗、消えてなくなりたいほどの無念、そんな一日はなんて羨ましい一日であることか。青春はこういう一日から動き初めることが多いものです。

​ そういえば、思い出した・・・高校時代、試合で1回だけ上げてくれたトス、私は相手チームに手堅く返球してしまいました。その記憶が上書きされたのはそれから20年後の社会人の大会。セッターは3度立て続けに頼ってくれました。試合を制した3球目を打ち抜いた瞬間。そう簡単に結果が出せないことだってあります。

No.564【初】

 東京で、大根おろしツナの和風パスタを1983年以前に食べたことがある方いますか? 同じく、マヨネーズの土手に目玉焼き状に卵を乗せたトーストを食べたことがある方。この二つは、私が下宿で考案したメニュー。
 その後、アルバイト先の大学生協でこの和風パスタをメニューに加え、提供していました。後者は、最近、FUJIスーパーで見かけて一人で盛り上がっています。
 だからどうした・・・これがちょいバレです。
 当時、田舎から大量の大根、白菜、西瓜、二郎柿、三ケ日ミカン、アンデスメロンを土産に車のトランクに放り込まれるのが帰省時の常。白菜は一抱えもあるような巨大さ故に東京のスーパーでは未だかつて見たことはない。西瓜はもらうもので買うものではなかった。高校までにメロンは一生分食べた。もちろんメロン農家さんからいただくから。ちなみに卵は近所の鶏舎に直接大量に買いに行く。往路のかごには隣の猫がいつも入ってくる。復路は猫はもちろん畔道を虫にちょっかい出しながらちょい跳び加減に歩く。
 便利すぎる現代、何かを生み出すきっかけが見つけにくい気がする。それゆえアンテナを張らねば、知らぬ間に流されます。

No.565【熊本城】

 秋田県のかまくらの映像の直後のニュース、遥か南方の熊本城の復旧作業の様子でした。ブロック式のかまくらと意図してこの石垣の積み上げ作業のニュースであったのかは不明。
 熊本城は2016年の地震で天守をはじめ、石垣も痛々しく崩れました。復旧には石垣の全ての石に場所の特定と番号をつけ、積み上げ作業が進められていました。大きな石、小さな石、それぞれに役割がある。作業に携わる職人さんは、当時の人の意図を感じると語られていました。それでも崩れることがある。そうならないように積み上げたにもかかわらず。しかし、職人さんは、その意図と問題点を肌で感じ、修復の際に古きを残しつつ、目に見えない策を施すのだそうです。
 一つのタスク(企画、スキル、作業・・・)を完成に近づけてから次の積み上げ作業にかかろうとも、何かの拍子にほころびが現れることは多々あります。なぜもっと完成体にしてから次に行かなかったのかという振り返りとともに、ほころびたら修繕してまた積み上げてもっと強く高いものにしたらいいというポジティブな考え方の両方が同時に必要だと思います。
熊本城を訪れる機会があったら、この修復された石垣をまず観て見たい。

No.566【自分と闘う】

 もう後がない試合。鎖でつながれた脆い杭。1本が倒れれば隣も隣もその隣も・・・。1頭の馬が転倒したら、ハーネスで繋がれた全ての馬が転倒し、馬車は崩壊する。
 「自分と闘おう!」一人の6年生に言いました。絶体絶命の場面。最後の試合で覚悟を決めてこのコートに立っているはず。逃げも隠れもできません。「6年生は出場しなければならない大会」ですから。怯んでいる自分、ここからどうなってしまうかを知っている自分、この場面でこその挑み方を研究し続けてきた自分、責任や重圧を背負ってもがいている自分。そんな自分と闘わなくてはなりません。
 土壇場で強くこの言葉を発した理由は二つです。一つは、本人にその勇気を出してもらいたいため。もう一つは、一人を自分と闘わせるためにメンバー全員が心とエネルギーを出し尽くす表現、体現を鼓舞するためです。
 自分と闘え! でも、一人で闘えなどとは一言も言っていない。後ろのカーテンを開けて見よ。頼りがいのある仲間が隙間なく仁王立ちしているはず。すごい武器を持っているじゃないか。

No.567【suggestion2】

 中学校部活動改革の柱「地域移行化」。この課題を取り巻く経緯の情報や市議会のライブ配信視聴を根拠に提案したいことがあります。
 そもそも、日本における部活動の文化は、地域資源で代替できる文化ではありません。そのような方向性に向けて社会、政治が動いてこなかったからです。とは言え、中学校なら実施できてきたことが、地域移行によって断念せざるを得ない状況は、子どもたちにとって不幸、希望の種を見つけることができない環境になりました。そこで立ち上がるのはボランティア精神でこの危機を乗り切ろうとする新規立ち上げの地域クラブ。議会では「勝手に立ち上げたのだから、維持できないなら解散すればいい。」「子どもが自分で選ぶのだから受益者負担や不都合は仕方ない。」(文言はそのままではありません)といった意図の発言も。
 愚痴はこのくらいにして、地域クラブの推進に支障となる大きな項目の一つが場所の確保です。縦割り行政、責任の所在、危機管理、担当者の収益課題など壁はいくつかあるとは思いますが、最優先すべきは何なのでしょう。地域に任された子どもたちが、チャレンジしてみたいことにチャレンジできる機会を奪わないことです。上述の壁を優先するのは本末転倒。システムや折り合いをつけることで解消すべきと考えます。
 Suggestion(提案)2 
・中学校、高等学校、特別支援学校の地域開放を積極的に行う。→学校教育法、その他公官庁からの通知等表記があります。
・開錠施錠については、施設単独で管理できるようシステムを変更する。機械的なシステムまたは手続きのシステム。例えば、公的な場所(市民センター、市役所等)で鍵の貸し出しを可能にする。使用団体を認証制にして信用貸与を行う。もう一つの方法、これは最新ですが、既に導入例も多いこれからの方法です。スマートキー方式です。スマホや認証システムを使い、セキュリティと効率、対費用効果の高い業務改善の方法です。
 お金がかかる? そりゃ変更にはお金はかかります。でも、部活動を地域移行したことによる市財政の支出減で十分賄えると考えます。でも、お金のことを言うのなら、それこそ本末転倒。スマートキー方式にぜひ舵を切っていただきたい。
 ちなみに、今年立ち上げた、中学生バレーボールクラブの目下の課題は、鍵開け閉め管理の担当の方々のご都合がつかない、追加の担当者が見つからないこと。地域で何とかならないものか・・・。

No.568【2025.3餞(はなむけ)】

 年度末、卒部の折に渡す餞(はなむけ)のことばです。当然、同じ体育館で過ごしてきても、作り上げてきたチームの彩は異なることが望ましい。故に手向ける花も異なります。今年度この花束を贈りました。
 


「最後? のこの時に、みんなはどんな作文を書くんだろう。
どんな未来日記を記すんだろう。
私の心のなかには、そんなに大きな不安はありません。
その意図は、きっとHIGASHI で「生きて」きた人なら理解できると思います。
「過ごす」と「生きる」、辞書はどう解釈するか知りませんが、創造性を感じるのは「生きる」。
君たちに確かにバレーを教えました。「技術」や「戦略」や「考え方」も。
この順番は、記憶に残るか身に付いているかの確認をしやすい順です。
本当に大事なのは、形に見えにくい一番最後の「考え方」にほかなりません。
卒業作文のテーマは「自分が得たちから」。
日本全国の6年生が同じ質問(得たちからは?)をされるとき、みんなは力強く、ちょっとくらい自信が無くても、語られる中身・・・HIGASHI だからこその引き出しの中身があるはずです。
言葉や行動でそれを表現できる数少ない6年生です。
なぜなら、そう考えて表現できるように、みんなで生きてきたからです。
この力は、「これからの自分たちのバレー」と「バレー以外の人生の中盤(中学、高校)」から本領を発揮します。
地に足をつけて自分と仲間の「今」をよ~く観て、目指す方向を決定し、その方法を創造し、突破に挑み続ける。自分と仲間で。この錬成を何千回何万回もやってきています。
「バレーを通して社会で生きる力を身に付ける」と多くのチームが容易く言います。
でも本当にその力を付けられたのか? そのための一期一会を大切にしたのか? 一時の時間や一球に挑む意識を最大限に投入したのか? 根負けせずにやり切ったと言えるのか? 
HIGASHI はそこを大切にし、その過程を最も得意とするチームです。
この場所で生きてきたみんなは、方法を知っています。
後ろを振り向いてみてください。
HIGASHI の伝統「心の磨き方」に目を輝かせている後輩たち。
センパイの姿を見続けてきたからこその目。ちゃんと引き継がれています。
ここからの青春時代は、ちょいの間です。おろおろしているうちに過ぎ去ります。
だとしたら、得たちからを全部投入して、スポーツも、スポーツ以外も、もちろん、人間関係もイベントもピンチも突破してやろう!
自信をもって次のステージへ行こう!
最後に・・・
家族に得意の大きな声と身振りと深く考えぬいた「言葉」で、「文章」で伝えてください。感謝を。」

以上です。

No.569【2025.3餞(保護者のみなさんへ)】

こちらは、卒部保護者の方々への花束。

 「ざっと計算してみたら、衣食眠住を抜かした時間のうち、低学年は40%、6年生では55%(残りの時間は他の習い事や自由時間など。)がHIGASHI 。たくさんの気苦労、あったと思います。低学年からここまで、彼女たちの人生の多くをこの場で積み重ねてきました。当然ですが、子どもの心の揺れは、保護者なら大なり小なり一喜一憂するものです。私自身がそうでしたから。
HIGASHI は、本人やチームが考えて考えて考え抜くチームだと思っています。「楽しい気分」だけ、「勝つため」だけを優先すれば、違う練習方法や試合への挑み方になっていたはずです。でも、ここHIGASHI は、10年先、20年先の子どもたち、親になっているかもしれないし、仕事で重要なポジションに居るかもしれないし、そのときの考え方のありようを見据えて「今」を生きる場所にすべきであると考えています。
子どもの頃の体験は、たぶん忘れてしまう可能性が高いです。でも、性分として身につけられたものは、しかるべき時に力を発揮するもの(時限装置)と信じています。でないとこのボランティアは続けられません。
 ただし、生半可な経験の積み重ねでは、実現不可能です。大人なら、整理して関連付けて記録して、再現性を高める手段はあるのかもしれません。ところが、子どもはなかなかそれは困難です。だからこそ、錬成の繰り返しと積み重ねが、本当のちから、目に見えない実力を作るのだと思います。その成果が子どもたちに理解でき、評価でき、次への突破力につながる実感を持たせてあげたいと私たち指導陣は、工夫をしてきました。もちろん不十分だしあちこちするし、なのは分かっています。
 それでも子どもたちは、6年生の最後、本人なりに自分自身に答えを出せていました。作文には、それが表現されていると感じます。なかなか根性ありますよ、皆さんの娘たち。
 ここから先は、ちょっと俯瞰して、でも一緒に青春を楽しんでください。
これまでの数々のご無礼、ご容赦願います。また、HIGASHIの応援、さらに、この春から中学生クラブチーム「MINT」へのお力添え、今後もよろしくお願いいたします。
卒部、おめでとうございます。お疲れ様でした~。」

以上です。

No.570【2025.3餞(卒部生各自へ)】

コーチから各卒部生6人への言葉を載せました。個人向けなので・・・とも思いましたが、「ちょっと先の自分」であったり「ちょっと前の」「今の」自分のいる位置に当てはまる内容かもしれない、と思ってくれる人がいるかも? との想いから掲載することにしました。実際に渡した文章と、一部異なる場合があります。長いよ・・・。

「自分にとっての、心底笑顔になれるバレーにたどり着けるかどうか。
やれるだけの努力、力を注ぎ込んだかな? ならばOK!
自分の目標、生かし方を考察しよう。
ボールを使えないときのチーム貢献や自分の伸ばし方を研究しよう。
そんな難しい課題を出したこともありました。
アスリートの中には何年もその窮地に立ち続ける人もいます。
答えは出せたかな?
きっと、「答えを探す途中」なんだろうと思います。
答えを出すのは少し先。かなり先なのかもしれません。
でも自分と真正面に向き合えば、道程と時間と評価の物差しを正確に使えば、
「自分の考え方」が定まるはずです。
その話をいつか聞かせてください。」

「おとなしい表情で、大丈夫かな...この子...
それは私の見立て違いでした。
にやっとした瞳の奥には、想像以上の逞しさがありました。
問い詰められても意見をちゃんと返してきます。
以外にもすんなりと。笑顔で。
それは、分かっているということ。
意思をちゃんともっているということ。
伝えるべきことを表現する勇気が備わっているということ。
一生懸命さゆえに、自分の理想と、できていないことへの悔しさの粒がコートに落ちる。
それでも立ち向かう姿は、力強さを感じました。
次のステージではチームを引っ張る要として、その力強さを発揮してください。」

「「自信がありません・・・。」「みんなとくらべたら・・・。」
何度も耳にしました。苦しむ姿もたくさん見てきました。
恥ずかしさは、基準値や理想の高さの表れとも言えます。
つまり、目指す到達点は見えているということです。
誇れることは、そこに向かおうとし続けたこと。
きっと体育館に足を運ぶことが嫌になった時もあったはず。
でも、もし、そんなだれかと出逢ったとき、そんな自分にもう一度逢ったとき、
方法が分かりそうな気がしませんか?
つみ重ねてきた実力は、ちゃんと自分の中にあります。
だって、ちゃんと力を伸ばせたじゃない。守備も攻撃も。
信じよう、自分を。」

「「あの一球・・・」の後悔は拭い去れましたか?
卒業生大会で、もし払拭できたとしても、私は記憶にとどめてほしいと思います。
あのたった一球が、これから先のたくさんの出来事の原点の一つになり得るからです。
ほんの数秒の出来事が、自分を強くすることだってあります。
逆に、ものすごく長い時間をかけないと、方法が身に付かないこともあります。
分析の仕方、目の付け所、策の作り方、表現の仕方。
時間がかかりましたね。
でも、ちゃんと身に付いています。
的確で、タイムリーで、力のある表現。
入部当初の「およぎまくる眼」は、今はそのかけらもありません。
苦労人こそが、確かな実力をもつものです。
キャプテンシーありますよ。楽しみにしています。」

「どうしたって最後は大黒柱に希望が託される。
期待や責任を背負ってその瞬間を迎えることは、とてつもないプレッシャーです。
逃げも隠れもできないから心臓が握りつぶされそうになる。
だから、涙が出そうになる。
カッコいい笑顔って、どんな時なんだろうね。
私はこう感じます。
チームのために、乗り越える自分のために、泣くのをこらえて絞り出す無理やりな笑顔。
その姿から、勇気と方法を学び取る後輩たちがいたはずです。
何度も何度もその状況に挑んできた人、そのチャンスがある人は少ないのです。
ありがたい経験をしましたね。
それゆえにこの先の生き方に生かそう。」

「もし、君に160cmの身長があったら、こうはならなかったと思います。
自分に足りないものがたくさんあったからこそ、今の自分を作ることができたんだと思います。
「努力はむくわれる」、そんなきれいごとを簡単に口にする人がいます。
口にしていいのは本当にそれをやり抜いた人のみ。
どれほど自主練をし、チームへの発信をしたことか。
大人だって真似できない到達点。
そこには一人の小柄なキャプテンがいました。
まさか、ここまで登ってくるとは。
しびれる守備は魅力のごく一部。
本領は、マネージメント力、チームを目指す方向に押し進める能力とエネルギー。
ここから先、切磋琢磨を楽しむ環境で発揮せよ。
自分にしかできないやり方で。」

 

​↑以上6人
 

No.571【ライバル rival2】

 97で登場させたこのタイトル。今回は少しその進化形? もう少しアグレッシブな見方をしてみたいと思います。
 イメージとしてはだいたいの人は思い浮かべられますし、文武、仕事など場面によってその存在は思い浮かべられます。では、コートの中ではどうでしょう。キーワードは「育てる」です。ちょっと離れたところに居る存在に対しては「自分がその子を越えたい」というイメージが先行するものですが、それは「ライバル視」に当たります。一方、同じコートの中でなら、ライバルを育てなくてはなりません。なぜなら、見据えているのはチームが掲げた到達点に向かわなければならないからです。となれば、のんきに、ぼんやりしてはいられません。ライバルを育て上げなくては! 
 それをちょっと邪魔するのがこんな現象です。仲が良い(仲が悪くなりたくない)。明るく楽しくがモットー。私が言わなくても。まあ今じゃなくても。気づかないふり。・・・おや? 全部気持ちの問題ばかりです。でも、安心してください。ここに挙げた「現象」は、みんな自分ではわかっていることばかりです。ライバルを成長させることが本当に大切と思うのなら、必要なのは「目的」への意志、「ファーストペンギン」の勇気、「ピエロ」の演技力。あらゆる方法を創造して、アグレッシブに対峙するほかありません。
 ライバルを育てられない人は、本当のライバルではありません。仲間を思う気持ちに負けている自分・・・それはもう一人の自分というライバルに白旗を上げている自分であることを受け入れ、コートから出るべきだと思います。
 そう考えると、最も残念なことは、ライバルがいないことということになります。今ならまだ在る幸せをもっともっと育てるチャンス。ライバルを成長させてあげられなかった後悔は、きっと振り返りたくない過去になってしまう。

No.572【Enterprising sprit】

 送るとしたらこの言葉かな。「進取の気鋭」などと訳されます。新しく何かを始めるとき、「待つ」のではなく「進む」。「あるものを使う・無い」のではなく「必要なものをつくる・無かったものを創生する」。「できないことを認める」のではなく「できるためにはどうするかを考える」。「あきらめる」のではなく「試し続ける」。「逃げる」のではなく「立ち向かいたいと考える」。「殺す」のではなく「生かす」。「ほかのだれか」ではなく「私が」。
 ポジション(立ち位置)には大きく3つあるように思います。1.最前列で引っ張る、2.最前列を押し最後列を逃さない、3.引っ張られ続ける。どれがいい? ファーストペンギンなのかコバンザメなのか、群れの真ん中あたりを泳ぐサンマなのか。
 部活動地域移行化、部活動改革の方向性(急転直下の賛否はさておき)から中学生クラブチームMINTを立ち上げた初年度(2025年度)。○○周年は何度でもやってきますが、初年度は一度きりです。こんな機会を得たのであれば、Enterprising spritを発揮しない手はない。考え方次第、勇気次第。Enterprising spritを発揮したい人は、これを読んだだけではなく、すぐにペンとノートを手にするはず。

No.573【カニと遠心力】

 どのボールを捕球したいか。フェイント、強打、逃げていくボール、フォロー。私の感覚ですが、どれも基本的な意識を脳みそから口先にまで伝達させています。どんなイレギュラーでもファインプレーにしてやろう! みんな瞬きするんじゃねーぞ! とかっこつけたりして。
 守備も攻撃に移るアプローチも、ほんのちょっとでも弧を描く動きの場合には遠心力が働きます。スピードが増せばそのスピードの二乗に比例して力が外に向かいます。これがあらかじめ分かっている物理の法則でありながら、どうしても気を抜くと後方に重心がもっていかれてしまいます。斜め前斜め前に移動先の重心を移動させつつステップを刻む。クロスステップでもサイドステップでも同じです。サイドの場合にはいわゆる「ゴキブリ」の動きになるわけです。
 さて、なぜタイトルにここで「カニ」が登場するかと言えば、この後方重心に至る姿勢の一つに「カニ脚」があるから。直立姿勢からつま先を横に向けて徐々に姿勢を低くしながら足幅を歩開いていきます。すると、体重は自然とかかと乗りやすくなります。相当な意図をもって母指球に乗せない限りは。後ろ体重となり斜め前方への移動は困難です。一番狙いたいボールに向かっていけないカニの宿命。君は、足が遅いのではなく、足の置き方に問題があるのかもしれません。
 一つ言っておきますが、タラバガニは、カニではなくヤドカリの仲間。だから足は8本。ズワイガニはカニだから10本。

No.574【冤罪】

 運動会での大玉送り。予行練習で球が落ちた。先生が、途中でふざけて故意に大玉をはじき出した子に向かい、怒号を飛ばし、突き倒し、その子はひざにけがを負った。周囲は一瞬にして風も音も止まる空気感。なかったかのように進行する予行練習。夕刻、その子ではないことがビデオを見返して判明に至る。
 なぜ、誰一人「彼ではありません」と言えなかったのか。些細な勘違い? 些細な出来事かもしれません。しかし、正しい方向に向かうべき状況において、疑問をもったことに対して黙することは、「黙する」ことを選択した責任が発生します。良心の呵責というやつ。偶発的に巻き込まれたにしてもです。
 もちろん選択肢はあります。責任から逃避する、あるいは疑義を唱える。後者は「なぜ彼って言えるんですか?」「理由がわからないんですけど、説明してもらえませんか?」小学生がこんなこと言えるわけありません。となると、この手続きは選択肢として示す必要があると思います。ちょっとバレーの空気が漂ってきました。
 「コートから出なさい」と言われたメンバーがいたとします。本人も周りもその理由がわからないとします。さて、君ならどうする? 他の誰かが声を上げるの待ちますか? 今までみたいに。

No.575【書く・描く】

 地図に自分のいる地点と目的地をプロットする。行き方がわかる。遠ければいくつもの選択肢。寄り道や天気や交通状況によって掛け算で選択肢は増えます。自分の身体の動きがどうなっているかを3Dで体の中心からの距離でプロットする=ボディイメージです。力の入れ具合や意識は数値では測れません。
 例えば「正確なサーブが打てない」の自己分析をするとします。自分の今いるところと目指すところが、わかっていることが必要です。これを紐解くには、目標を言葉にしたり、アドバイスを受けて返事をしているだけでは進歩はありません。自分の映像を撮って、分析し、何が問題かを洗い出し(自分で、人に聞いて、参考資料と見比べて・・・)、何をしたらいいのかを考えて、全てを細かく文字と絵にしましょう。言葉足らずでも絵が下手でも問題ありません。必要な考え方や進展、あるいは失敗、失策を繰り返すこと。その都度書く、描く。
 不思議なことに? いいえ必然的に、技術も文章力も描画力もあがります。相乗効果です。目の付け所が分かれば、修正力が向上しますし、評価の観点も的確になってきます。
 絵が苦手? そういう人はこの取り組みが足りない。やってもやってもなかなか上手くならない? もっとやろう、手ごたえを感じ始めたらずっと前に書いてみた、描いてみた内容と比べてみよう。すごい発見があるはずです。あまりにも苦手意識のある君は、自分のサーブやレシーブやスパイクのフォーム(全方向からの静止画像)をなぞって描いてみよう。発見があるはずだ。ちなみに、書くについては、書式の選択や工夫が効果を作用します。興味のある方は、「課題シート」をご参照ください。
書け!描け!書け!描け! 

No.576【5秒ルール】

 以前、「1秒ルール」を紹介しました。ずっと心に留めて発信する準備をしていれば、きっと今頃はそれが自分のバレースタイルの一部になっているはずです。今回は、そんな経過を期待して5秒ルールを紹介します。1+3+1=5。
 このテーマの主役は「3」。主役の演じる演技は、「分析と対応策と発信」です。この3つを、ボールが落ちた瞬間に実演すること。コート劇場の舞台に、演劇部全員が上がれるわけではありません(最近の小学校の発表会なら主役が何人もってことはありますし、全員が舞台に立ちます)。その大役を担ったのですから、無言で、何も表現せずに舞台に立つことはできないんです。観客が代わりに演ずるなんてことも。コート内の演者は、次の場面のために、次の幕のために、次回のステージのために、今、発しなければならないんです。その思考とエネルギーと勇気がない者は、その舞台に立つ四角はありません。
 この「3」の中身は、マイナスの要素に限らず、プラスの要素も、マイナスの要素同様に必要です。チームの子かれている場面によってはそのバランスは意図的に変化をさせるアドリブが必要です。これはキャプテンシーの一つとも言えます。
 さて、では、足し算の「3」の前の「1」と後ろの「1」は? 「1秒ルール」の1秒と「笑顔」に費やす1秒です。

No.577【自分たちのバレー22】

 その時は突然に訪れる! 不思議な感覚がチームを覆いました。やがてそのエネルギーは館内を席捲することになります。
 全日本予選の前哨戦ともいえる大会。かなりの難破船はここまで難しい航海をしてきたように思います。2人の6年生はリーダーシップの意味、キャプテンシーの意味に悩み、もがく。いつもどこかが不具合で、霧が立ち込めて、できなかった時の言い訳を無意識に用意してしまうことに気付き葛藤する。勇気を出すも、一見空回りのような凸凹感が息苦しいチーム全体の日々でした。それでもあきらめずに突破口を拓こうとする。
 試合序盤、コーチが問う「自分の目指すイメージの何パーセントのところに居る? 目指すイメージに行く方法は分かっているか? 今できなければ次もできない。今日こそ挑む日。しないのならコートから出るべき。」こんなこと言われたらどうしたって6年生といえども目に涙。この策はコーチ陣だって先の見えない勝負。でも、もう「次」は本当にないんです。いつもフルセットになるチームを相手に1セット取られた後の2セット目からの巻き返し。「攻め続ける!」「チャレンジ」がテーマであると同時にMUSTの誓いでもある。
ここから・・・兆しが確かな形になっていく過程を目の当たりにさせられるこの全身の鳥肌は、めったに味わえないものです。
 3試合目、ついにたどり着いた決勝の舞台。飲み込まれてしまいそうな特別な環境。でも、準備は思いのほかリラックスしていて、意気揚々感しか漂ってこない。今までとは明らかに違います。HIGASHI独特の「試合を自分たちが創り上げる自分たちのバレースタイル」に向かうとしか思えない空気。相手は、都大会ベスト8のチーム。HIGASHIの選手同士で会話が畳みかけられる。コーチ陣は、選手の後頭部に向かって話しかけている状況の方が多い。
 6年生サウスポーエースのストレートの打ち抜きからリズムを作る展開。ヘナヘナ感たっぷりのレフトスパイカーが以外にも?よく拾う。ポジション取りと準備の焦点化の成果。バックの二人はとにかく力負けせずに強打を拾いまくる。バックの悔しがるアクションはチームのモチベーションを上げました。彼女のシューズの紐、誰かと片方交換してる・・・後で聞いてみた・・・前年のキャプテン、守護神の小さな巨人と交換してます。
 セッターは、別人でした。集中とはこれほどの力を発揮するものか。体力温存、セーブしていたジャンプトスをこの試合で全て投入。ミスらしいミスは無い。2枚ブロックの完成度も過去一。ツーアタックを100%失敗するのはまあよかろう。そんなものは笑いのネタ。正確なトスというより、この試合で感じたのは、スパイカーとの呼吸、意思の疎通。ただ正確な同じ高さのトスを上げるのではない。なんだか仲の良い友達の会話のようだった。
 冒頭の6年生の葛藤。この日、答えが出せた気がします。もちろん、絶対の大正解ではないかもしれません。でも、自分たちが近づこうとした景色が見え始めたことは確かです。方法論や熟考、仲間との相談も時間をかけて必要でした。逃してはもったいない機会で勇気をもって発動する、それに響き合わない仲間は今のチームにはいないのです。それが発動できたとき、バレーの神様はちょっとだけ微笑んでくれます。ただし、その表情は、次の試練への含み笑い。上等だ!

No.578【suggestion3】

 「リサイクル」、「リユース」、「リデュース」→形を変えたりして再利用、再使用、ゴミの量を減らすに該当します。ピックアップするのは「リユース」です。形や用途は変えずに補修などしながら再び使う。このシステムを妨害しているのはシステムです。もちろん経費や手間もあろうかと思いますが、廃棄や新規よりもそれらの面でも有効なはずです。設備投資、原材料費、人件費の面においても。
 公官庁、学校から出されたリユース物品をサイトに上げて処理する。新規立ち上げ、あるいは拡充を進めたい地域のボランティア団体(ほとんどの団体は、金銭的利益を生み出さない団体です)は、気持ちと自己資金で運営をまかなうことになっています。解決策の助っ人はAI。発想の元は言わずもがな部活動の地域移行化です。美辞麗句を熨斗のようにまとわせて、現実的には地域支援は無い。屋根に担ぎ上げておいて梯子を外す。これで不幸になるのは子どもたち。
 これからの地域クラブ(文武ともに)は、市の境界線で分けられません。そのため、縦割り行政に地域をそのままあてがうことは不都合なシステムです。同じ行政の中でも、公官庁の備品物品と学校のそれらが対応する組織が異なることで、先に進まないシステムです。例えば、公官庁の施設係と学校教育施設係など。折角、部活動の地域移行化のテーマのもとに、生涯スポーツ、学校教育、市政の担当者が同じ議題にテーブルを並べる機会になってきているのですから、市内、都内の縦横断的に動く組織やシステムがあれば・・・と考えます。
 この件については、最近、少し動きが見えるので、期待とサポートをしていきたいと思います。

No.579【大人が妨げになることも】

 このタイトルを見た時にどうお感じになるか・・・。子どもなら、自分たちの遊んでいるボールを取り上げる邪魔者の大人、かな? 大人が目にするとたぶん、嫌悪感や罪悪感? 俯瞰して子どもの成長を阻害する具体的な状況を想像する方もいらっしゃるでしょう。この手のことは遠回しに表現する配慮が必要です。だから書いている本人も「読み手が嫌な思いをされていないか」すごく不安に思いながら書きます。でも、これ私自身の自戒ですからあまり重く受け止めないでくださいませ。
 ブロック2枚、レフトアタッカーが打ち込んでくる時のバックレフトのポジション取り。その子を「ここだよ」と手を引いて導いてあげるのも1方法。ブロックとレシーバーの関係性を説明し、ゴム紐などでその弾道を再現し、自分の動く方向とボールの上げる方向性を説明し、「じゃあどこに、どのタイミングで、どんな意識で?」と問い、自分で場所を探させるのも1方法。
 大人は子どもの指示者ではなく指導者。後者の見地で子どもと対峙することを根気強く重ねれば、きっとその子、仲間や後輩に同じような手立てを工夫するであろう子になる可能性があります(めっちゃ逃げ道の有る言い方)。自分の間違いに対して根拠を見つける材料を得た子になります。と、一筋縄ではいかないのが大変なところ。でも、そしたら百筋縄でいくから。

No.580【二者択一 2】

 2ということは1がありました。1ではプレースタイルに関わる色が強い内容です。こちら(2)は発展形。そのちょいバレのコラムの2つ後ろには「コート劇場」があり、そこにもこの文言「二者択一」は登場しています。
「to be or not to be」・・・今すべきことは何?、発現すべき時はいつ?、伝え方はどう?・・・。試合中ならたったの5秒くらいしかありません。失点時、はじめの1秒はそこまでの空気を上向きにする、最後の1秒は次への空気を高める。のこり3秒の勝負。これは「5秒ルール」で解説しました。
 発展形と言ったのは、経験や年齢が高くなれば、その伝え方が巧妙でなくてはいけないことを意味しています。伝える相手、チーム全体が「その気」に「前向き」に「力を得る」ように発信しなくてはいけません。その工夫を必死でしようとするか、ただ単に気分、感情で表現するかはその後の試合の動向、さらにはチームの行く末に大きくかかわります。だからたった5秒と言えども「どちらの表現をするか」は大問題です。これができないとなれば、コートに立つことはむしろ弊害になってしまうと言わざるを得ません。
と書くと、反対意見も聞こえてきますが、そこはちょいバレ、気にしない。では、できない人はどうしたらいいか? 工夫してください。怒りの感情ではなく心のこもった一言を工夫するんです。事前に用意するんです。後で整理して心のこもった文章で発信するんです。その努力をするかしないか、これも二者択一。
ハムレットのセリフ「to be or not to be」は「生きるべきか死ぬべきか」と訳されていますが、内容の真意はそうではないことを最近知りました。本タイトルとは直接関係ないけど。人とは違い、言葉は独り歩きさせてはいけない。どんどん主題からずれる・・・

No.581【体育館劇場~コート舞台】

 この劇場には入場制限があります。懸命に挑むすべての演者を讃えること。それがチケットの裏面に書かれています。そして舞台であるコートに立つには言わずもがなその価値のある演者であるべきです。たとえ未完成でも。
 歌劇やコンサートとは大きく異なる点が一つ、シナリオが無いこと。しかも演者ですら正解を見いだせない。ただしめちゃくちゃに進むわけではありません。ルールがある以上ゲーム、点取り合戦です。舞台の演者は時に暗中模索、時に晴れやか、時に怒り苦しみ、その渦が6倍の掛け算になります。数学なら「マイナス×マイナス=プラス」ですが、この劇場、特に舞台の上では「マイナス×マイナス=大きなマイナス」という定理が成り立ちます。さて、ここで演者はどうふるまうか。
 出発点(発動)は意外とシンプルです。考え方なのですから実効性は二の次でよろし。4S(Smile、Solution、Simple、Smile)。先ず靄(もや)っている演者のもとに飛び込み笑顔、次に解決策、具体的かつ簡単に、最後にもう一回全員で笑顔で共有。
 10秒後にシナリオはきっと、飛び散った細かい汗の向こうに弾き吹き飛んでいるボールと、直後の歓声に代わっているかもしれない。しれない・・・そう、可能性なんて1%以下かもしれないが、上げることができたら先ずはその一瞬の舞台は成功。その繰り返し。
 その舞台を魅せたもらった観衆は懸命に挑む演者を全霊で讃えるのが礼儀。応援の美学そこにあり。
 補足:「網羅」には程遠いのですが、ちょいバレを書きながらちょいちょい脳裏をよぎる言葉が多々あります。ちょいバレの記事やタイトルに登場する文言がキーワードの連鎖のような感じでつながってきます。関連項目やキーワードをたどっていくのもなかなか面白いものです。

No.582【brainstorming】

 思い込みとは事実を曲げてしまう。幾度となく「brainstorming(ブレインストーミング)」について書いたとしてきましたが、見直してみたら・・・ウソでした。改めて紹介します。オズボーン(提唱者)さん、すみませんでした。
 一言で言えば「自由な発想から策を見出す方法」の一つです。どちらかと言えば、現実的に直面している問題に対して正確な根拠をもとに明確な解決策を導き出すこととは異なります。どちらかと言えば創造力を柔軟に開拓するためのトレーニングであったり、突飛なアイデアへの発想力を豊かにするための手法と言えます。
 提示されたお題を達成するために、各自が自由な発想でキーワードや内容をピックアップします。それぞれにさらに関連する内容を紐づけてたくさん列挙します。それらの中から関連付けることによって関係性がつながってきたり、重要性が高い内容をさらに結びつけて、効果の高い方向性を導いていきます。
 もともと自由な発想なのですから、面白い、奇抜な、多くの人が気づかなかったような結果が出てきたり、中には問題を抱えてしまう内容も出てきたりします。実効性を追求場合はそれなりの展開が求められますが、創造力やコミュニケーション力の向上を求める場合は、これでいいのです。既成の考え方や筋道ではない脳のあらゆる分野を嵐のように使うことが目的です。
 いくつかのルールがあります。他者の意見を否定しない。面白い発想大歓迎。たくさん出す。関連付けや方向性や新たな発想への展開を積極的に行う。などです。さあ、新しいバイク購入の必要性を妻に説くための方向性をこのbrainstormingで!・・・。そう言ってから8年、相棒のmonkeyは今もガレージに。Brainstorming失敗。

No.583【昔も今も変わらない】

 技術論は大きく変化を成してきたものがあります。昔の幅跳びは空中でたくさん足を回したり頭から突っ込んだりしていた。スキーのジャンプは閉脚で腕を背伸びのように伸ばしていた。陸上のトラック競技では外側の腕をぐるぐる回していた。専門家が考えてその結果です。今の常識も、科学的な研究が進化すれば、「非」になるものもあるでしょう。でも、その中から普遍的なものを探し出さす作業は、「是」→「是」の作業。根拠を明らかにしなければなりません。
 探し方の観点は大きく二つ。どちらも根拠を明らかにする今でいう「エビデンスベースの・・・」という観点は同じ。一つは昔も今も変わらないこと。もう一つは立場や国や同じ時代のどこにいても変わらないこと。縦軸と横軸の交点にあるものは、おおむね真実。
 以前、職場で新任の先生たち向けの研修の際、PCで打ち直した古い指導案(授業を行う上での計画書のようなものです)を提示したところ、ほとんどの先生がせいぜい10年前?という回答でした。実際は昭和35年のモノです。ガリ版で丁寧に書かれたそこには、ねらい、重点、系統性、他の分野との関連性、つけたい力、つまずいた子への配慮、示唆の仕方、板書、工夫された教材などとともに、作成者の熱意がびっしり盛り込まれていました。人を育成する観点については、本来、根本的なところは大きく変わってしまうようなものは真理ではないのかもしれません。それゆえに、普遍的な理念はちゃんと未来を見据えて創っておくべきだと考えます。これは、子どもから学ぶ大人の仕事。こんなでいいですか?ちょいバレだから。

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