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No.552【suggestion1】

 「自分たちの・で・が・から・は」・・・この類のことばは、発達や成長、育成や創造の過程では多様され、掲げることがあたかもそうなっているような誤解を植え付けることも否定できません。例えば、学習指導要領の一節「主体的・対話的で深い学び」。学校の校訓「自ら考え自ら成す」。あ~自分たちでも使っちゃってることを謙虚に振り返ることしばしば。
 これを試す方法があります。今回、タイトルにsuggestion(提案)とつけたのは、今後、いくつか整理して提案をちょい出ししていくことで、印象づけられたらいいなとの想いです。そこからできればこれまでとは違う何かが生まれるといいなとの期待を込めています。
提案「指導者ベンチの無い試合」。小学生ではそれはひっちゃかめっちゃか、もしくは、どんよりして試合が回らない、いえいえ、そんなことはありません。指導者がいない方が力を発揮するチームは今後存在します。それを可能にするプロセスを踏んできたチームならやってのけることができると断言します。ただし、未だかつてそのチームをみタコとはありません。
 そんな遠回りをしていては次の試合に勝てない・・・。これ、本当に遠回りでしょうか? 今までなかったら今後もない? 自ら考え自ら成す子がコートとベンチにあふれかえれば、想像を超えるブレイクスルーが期待できます。その過程の邪魔をしているのが指導陣であることは多々あります。指導とは、教えて叩きこむこととは違います。今日伝えて明日できるなんて代物では到底ありません。指導者がいないとなかなかうまくいかないことに気付く場所であるだけでも意義はあります。誤解をしないでいただきたいのは、「ほら、だから指導者が必要だろ」ではなく、「自分たちだけでは何もできないのでは、ダメなんじゃないか」に気付くことです。さらに、そこからアクションを起こすことです。

No.553【分析の視点】

 「ずいぶんいいスパイク打てるようになったよね」「よく拾うようになったよね」これは分析ではなく、印象、感想というものです。分析とは「物事をいくつかの要素に分け、その要素・成分・構成などを細かい点まではっきりさせること。」と辞書には記載されています。
バレーボールでその内容を変換してみると、どんな場面で、何が起こったか。これを環境、体調と心理、流れ(全体、直前)、ポジショニング、動き、コミュニケーション、練習過程を細かく明確にすることです。
 プラスに転じた項目であれば、その根拠を探り出し明確にする。マイナスでも然り。一つのプラスの項目についても、分析するとマイナスの成分があったり、もっと伸ばせる成分があったりします。逆に、マイナスの項目でも、中にはプラスの成分もあるはずです。
大事なのはここから、成分をプラスにもち上げる方策を練ることができれば、プレー、試合の好転につながる可能性ができてきます。もちろん、その効能は即効性はないかもしれませんが、確実に上げられます。
 共有するアイテム、フォーマットがあれば、より効果が早まる。ピアサポートが視覚的にしやすくなります。時間軸があると変容に気付きやすい。個人、チーム両方あるといいね。誰か作って~。お前がやれって? そのうちに・・・。今日はカレーの仕込みに忙しい。

No.554【550号記念コラム 未知の領域】

 100号ごとに挙げてきた記念のような節目のコラム。待ってられないので、50号ごとに発信してみました。
 最近時々他のチームの指導者の方からこんな質問を受けることがあります。小学生チームだけでもなく、競技種もバレーだけでもなく。「子どもの主体性ってどうやったら育てられるんでしょうか?」大正解があれば私も知りたい。
 バレーに場面を限れば、目的地を決めれば、項立てはしやすいものです。各項の中身についての工夫や創造性はチームの腕の見せ所、色でしょう。ここで「チームの」と言ったのは、一指導者の独断と偏見や理不尽にも近い合理的な根拠に乏しい方針では、子どもの主体性は育てられないという意図からです。
 ここ数年、チームの「子どもの主体性」に関わるチームの変容を体感することがあります。これは、私自身も測り得なかったことでした。
 数年前は、ある課題の対象者は6年生。課題の難易度や要求水準のレベルがその学年が適当と判断していたからです。その翌年、複数学年がコートでチームを編成する必要がある年度。当然、課題は参加者全体が対象者となり、投げかけるものになります。すると、回数や年数を重ねるごとにその観点、解析内容、解決への筋道の提案などの水準が上がってきました。チーム全員がそれを共有する機会、仕組みを持つことで、いわゆる先輩の背中を見やすくなってきました。次の機会には、その下の学年、さらにその下の学年、もう一つ下の学年へとこの連鎖はかなりのスピード感をもって深まりました。この循環をフォローする一つの仕組みはSNSですし、他にミーティング、文書交換、練習中のピアコーチングも大きく影響を与えています。
 参加メンバーのパーソナリティや学年のカラーももちろんありとは思います。それを差し引いても、発信力は高まっており、逆に他のメンバーの考えを見聞きしようとする受信力もそれに伴っていると感じます。なぜなら、それぞれの発信には、かなりの個性を感じるからです。他にはない観点、他とは違う分野の解析、その方法も先輩たちの良い所を引き継ぎつつも独創性が感じられます。
 こんな連鎖は、とても興味深い循環です。指導者側としても、子ども同士の響き合い、切磋琢磨が、想定外の上昇気流のように見えた気がしました。気づきたい、効果を上げたい、影響を与え合いたい、そんな気持ちに勇気をもって一歩踏み出す快感が芽生えれば、あとは勝手に背中から風が吹く。きっとこの快感を得た子は、バレー以外でもこの快感を求めるのでしょう。10年後の彼女たちはどんなチャレンジをしているのか。その光景は私も未知の領域です。

No.555【中学生クラブ活動の行方】

  これまでも中学、高校部活については何度か取り上げてきました。世界の視点から日本を見ると、かなり独特であることは述べました。競技志向、内申書との関係、レクレーション、人格形成、生活指導等を含み、学校が責を担っていること。当然、大小問題はありますし、メリットもあります。
 昨今環境整備がままならないとはいえ、地位移行化に向けて間違いなく進んでいます。行政が方向性を打ち出せば、周りは何とか対応せざるを得ないであろうという予測のもとにに家事を切る行政は多々見受けられます。とは言え、進んでいきますし、完全にかかわる全員が、「いいね!」を押すような方法はありません。あればとっくにやっています。一つの大きな可能性があるとすれば、お金をめっちゃかけること。人は動くし、箱物はできます。地域に何百何千というクラブ(中学部活を含む)がありますが、合理的にすべての公私(学校含む)施設を活用すれば計算上は収まります。
 メリットとしては、教員の授業や生活指導面への専念度が確実に高まります。悩める子への対応は丁寧にできうるでしょう。また、地域の受け皿という理解ではなく、学校以外のメンバーとのコミュニケーション、交流が広がることも確かです。レクレーション志向の中学部活を選択する場合は十分かもしれません。むしろ、内申書のために所属だけしている、部活内の真剣度や目標値に大きな差がある場合は、選択肢とフォーカス化は分かりやすくなったもと言えます。
 一方、課題としては、スポーツ思考、特に競技志向のある生徒への対応です。足しげく通える拠点、クラブがほぼないのが現状です。ということは、この政策は、方針を決定し、推し進めることで地域からのクラブ活動の立ちあがりを促進しようという他力本願、言葉を選ばなければ、無言の丸投げにも思えます。それも一つの戦略だと思いますが、このための条件として、活動場所の有効活用ができなければお先真っ暗と言えます。例えば、実施しなくなった分の土日の中学校体育館、平日夜間の積極的な学校施設の開放くらいはしかるべき措置と考えます。私が市長だったらそうするかな。ゆるーく運動、意識が高くない中学生が近場で楽々、高い意志をもつ中学生がお金を払い遠くても 頑張って通う・・・。この構造は果たして道理が通っているのか。
 残る課題は、指導者の確保。これについては、二通り思うことがあります。一つは、全てをガッツリ指導するタイプ。もう一つは、主体性を重視した生徒主体のマネージメントスタイル(もちろん、指導者、大人はそれなりのサポート、リードは必要)。私なら、後者です、圧倒的に。現在かかわっているチームの延長戦に置くとなればこれしかありません。
 そう考えると、中学生自身、その保護者も含めて、そこに通わせていればいい、うまくいかない時は指導者の責任とはいきません(指導者の責任のことも結構あるけど)。意志が今以上に必要です。安穏と身構えているだけの中学生ではなく、社会に、企画に、目標に積極的にかかわる意識をもつ中学生であるべき時が日本にも、八王子にも来たと言えます。人任せではだめだという危機感をもつべきは当事者の小学生、中学生であるべきでしょう。ムリ?本当に?

No.556【自信】

 「自信がありません」過去にも今にも何度か子どもたちから聞いた言葉です。まずこの言葉には複数の混とんとした中身が含まれているように思います。そこには、「事実、想像、不安材料」のほかに「思惑」も入っている場合があります。
 後者の「思惑」については、結論から逆算による算段である場合があり、逃避行動のひとつと考えられます。つまり、「自信がない」という言葉を利用している可能性があるということ。管理職に推薦され、仕事量が増えストレスが溜まりそうだから「私にはその力がありません、自信がありません。」と。本人の現在の力量や今後の可能性があるにも関わらず。
 一方、前者の「事実、想像、不安材料が思い浮かぶ」ために不明瞭な先々に対して「自信がない」を発する場合は、これからの人生航路を進むためには、チャレンジできた自信に変換していく必要があります。必要があるというよりも、その勇気や突破力を経験してみてほしいと思います。
 自信がない・・・を解決していくための方法の一つに、記述法がります。なぜ、どの内容が、自信が無いと自分に思い込ませているのか。小見浮かんだ項目を、さらに細分化。すると自分が少し明瞭になってきます。そのままでは先に進まないので、ここからは二本立て。できそうな解決策を一つずつ自分で捻りだす。他の人に相談する。の二本立て。そもそも自分で解決できないから未解決にとどまって、そこから先に進めなくて諦めて負の循環が記憶に残り、「不明瞭な先々」全てが不安、自信がない、につながってしまいます。
 この方程式は、逆に考えれば、たった一つでも解決に近づいた感覚を得ること、その数を増やせる自分を体感することが大切だと言えます。

No.557【戦方ABC】

 チーム練習、練習試合、試合本番、その時の目的に応じてABCを使い分けて、みんなの景色を見やすくする試みをすることがあります。Aはとにかく臆せず攻める、Cは絶対にミスなく確実に失点をしない。Bはその中間でここぞで攻め、ミスをしない場面では確実に。もちろんBは実践向き。ただし、振れ幅が大きいので難しい。流れ、相手の強さや特徴、自分たちのチームの状況から随時調整しなくてはなりません。
 AとCを知ることでBの考え方が体感でき振れ幅を調整できていければ、落ち着いた試合運びにつながるケースもあります。とはいえそうそう簡単ではないんです。基本的なことがしっかり身に付いているチームでなければそのチャレンジは難しい。やはり基礎は大切だ。
 追記。Aは、我武者羅や無鉄砲とは全く違うことを理解していないと、練習でできもしないこと(成功率が25%以下)、を実施するのはNGです。Cにおいて、明らかにスパイクシーンでオーバーハンドで返すのもNGです。なお、タイトルの「戦方」という言葉は造語です。戦う時の方針という意味で勝手に作りました。ちょいバレなんでもありの無責任コラム。

No.558【sub(副)】

 Sub(substitute)、副のつく言葉・・・サブティーチャー、副社長等々。私が勝手にイメージするチーム競技やプロジェクトにおいては、どうもこの訳はどこか違和感があります。sub(サブ)、副は語訳をみると、副次的とか補うとかの意味合いが強い。では、チームスポーツに置いての独断と偏見に満ちた私のイメージを。この場(ちょいバレ)だから言える内容を書きます。
 副キャプテンについてはどんなイメージでしょう? 私はよくこんなことを言います。キャプテン以上に苦しむ存在であれ。補佐ではない、副キャプテンとしての自覚と責任とすべきことの明確化、キャプテン以上にそれらを表現する意志をもつべきであると。
 それが不足していてもいいんです。小学生はこれから育つんですから。でも、「副」という接頭語に逃げてはいけません。甘えてはいけません。だって、きっと大仕事です。キャプテンシーがあればキャプテンはチームを引っ張ることはできるかもしれません。ですが、そのmainのものに支障(軌道逸脱、ケガ離脱、ちいさないざこざ、判断の躊躇やミスなど日常茶飯事)が生じた時に、それを代行するのは「副」の仕事です。つまり、mainとチームを両方救わねばなりません。その自覚と積極性が確認できなければ、「副」の選出、指名、チームとしての判断はできないことになります。
 「副」のもつ意味を軽んずることなかれ! 

No.559【タイミング】

 time、timingの和訳や活用例を調べているうちに、混乱してきました。こんなだからチームシャツの造語が思いもよらぬスラングだったことに気付かなかったりするんでしょう。
 ここでは、自分の成長を感じ取るべき「時」を意味する内容のtimingについて。試験で点数が上がり始めた。業務成績が上向いてきた。これらももちろん成果を感じるタイミングです。でも、もっと注目してほしいのは・・・。スランプに陥った時、うまくいかないなと感じた時です。物理的な成果もコミュニケーションの歯車も。なぜなら、何かしらの変化があったからこそ、改善を迫られる状況に至ったわけで、いままでそこそこうまくいっていたのみなぜ? を考えられる絶好機。改善策を捻出、創出すべき自分の状態に気付けることこそが、成長のあかし。
な~んだ、スランプ上等、転倒歓迎、沼万歳! だ。ただし、こう考えてよい人には条件があります。ぼんやり歩いてて転倒した人、人の敷いた線路を進んでて脱線した人、この人たちは条件の外。さらに、いとも簡単に立ち上がらせてもらった人、線路を補修してもらった人、支援というきれいな言葉に含まれるヒ素のような大麻のような成分。
 ピンチをチャンスととらえるには、冷静さ(今自分がいる位置の把握)とまじめさ(脱出の道のりに向かう一生懸命さ)と創造力(考えて考えて、方法を工夫できる力)が必要です。それが小学生であっても相応に。
 転ばないと立てないんだから好機としか言いようがありません。成長のタイミングに気付かないのはもったいない。

No.560【息子たちに宛てた手紙の抜粋】

 2020年、1週間のうちに我が家の二人の息子が突如結婚。あまりに急でビックリ! その時に渡した手紙を、最近PCから発見しました。14個のアドバイスが書かれています。そこから三つ。特に不要なコラムのひとつです。ちょいバレはなんでもあり。

 6.ユーモアのセンス・・・突然にピンチはやってきます。どんな種類かはそれは色々。内容が問題なのではなく、その策がその後の面白化に大きくかかわります。ピンチやトラブルはチャンス、ピンチャン、トラチャン。こんな時こそせっかくならユーモアのセンスで挑みましょう。職場でもそんなかじ取りは粋。もちろん家庭内でも。

 8.優しいことは強いこと・・・ここまでのいろいろな項目とつながる内容です。世の中の多くの人、親御さんたちを見ていても時々思うこと。今解決しよう、今いうこと聞かせようと恫喝一閃。いやいや簡単な手段に出ちゃだめです。この子たちがおとなになったら、考えて課題に向かう子になってほしいのか、それとも力づくで・・・。君たちが丁寧に人に何かを教えている姿は、私も参考になりました。大災害の時に、厳しい状況で、笑顔で支援をし続ける根性のあるひとこそ本当に強い人間だと思います。人に聞くと、みんなそんなことはわかっているような返事をします。でも、本当にできる人はわずかなんじゃないかな。

 14.たまにおごってください。
 

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