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5.6年生の矛盾

 大会が近くにないことが、モチベーションやその表現の低下をまねいている? と言い訳をするのはふがいないんじゃないかな。コーチ陣やサポートの大人が精力的に促せば、一定の水準に上がります。練習はそのエネルギーは、もちろん必要です。でも、逆なんじゃないかな? みんなが理想とするバレーの在り方。

 6年生に聞くと、こういいます。「自分たちで・・・」。でも、今のように毎回、その低い水準(お互いを評価すること、一球を大事にすること、一球目の練習が大会の最初のレセプションと思って挑むこと、基本の動きや意識等々について)ということは、それが「自分たちにとって正しい」という表現ととらえられて当然ということ。

 でも、6年生は言います。「もっとみんなそれぞれが自分たちで・・・」。矛盾していないかな? 6年生は、それを繰り返している、限り他人の力を借りなければ心を揺さぶる、完全燃焼する試合ができないと強く感じます。

 昨日、6年生からミーティングの実施予定の報告を受けました。ミーティングは、ミーティングそのものよりも、その後の変容にこそ意味があるものです。それ故、前回のミーティングの結果をコーチ陣はあえて聞きませんでした。せっかく、今年度最大の悔しい想いをしたことが、その後の過ごし方に表現されてきたとは思えません。

 6年生は人数が多いです。こころのどこかに「誰かが」「みんなで」という思いが、「自分が」から逃げてしまっているように思えてなりません。さあ、どうする? 「楽しいバレー」は、そうそう簡単に手に入らないものです。

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